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KERI  作者: テルサキ
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ep.07【雨にもマケズ、逞しくアレ】

 若松さん宅で飼っている雑種の白い犬、タロウは、近所でも評判の忠犬だ。


 元々は野良犬だったタロウは、ケガをして道端に蹲っているところを、ご主人の銀二さんに拾われ、若松さん宅の一員となった。

しかし、すでに成犬していたタロウは、人間を警戒する癖がついており、なかなか家族に懐かない。

奥さんの話だと、タロウを飼い始めて最初のころは、奥さんや子供の前で悪戯をしては困らせて楽しむという、性質の悪い犬だったそうだ。


 ただ、命を助けてもらった恩義を感じているのか、タロウはどんな時でも、銀二さんにだけは忠実だった。

銀二さんが会社から戻ってくる時間になると、家族の誰よりも早く玄関先まで迎えに行ったし、

奥さんや子供の前でする悪戯も、銀二さんが「やめろ」といえば、もうやらなかった。


「タロウはお父さんにばっかり懐くから、可愛くない」


銀二さんの息子、トオル君は三歳のころ、口癖のように毎日そう言っていたらしい。

それくらい、タロウの銀二さん差別は酷かった。

 当時のエピソードとして、雨の日の話がある。

夏のある日、突然激しい夕立に襲われ、家に帰るにも帰れず、駅で立ち往生していた銀二さんの前にずぶ濡れのタロウが現れた。

 駅の係員の制止を巧いことよけて、涼しい顔で銀二さんの前まで歩いてきたタロウは


「ウォン」


と一声鳴いて、口に咥えていた一本の折りたたみ傘を置いた。

それは、銀二さんが普段から愛用しているもので、

それを主人に届けたタロウは、驚く銀二さんを前に、嬉しそうに尻尾をふったという。

 奥さんの話によると、その折りたたみ傘は銀二さんの書斎の引き出しの中に入れてあるものだったそうで、

タロウがそれを知っていたことがビックリだそうだ。


「タロウほど賢い犬はそうそういないよ」


この話を他人に聞かせる時の銀二さんは、いつもとても誇らしそうだった。

周りがなんと言おうと、銀二さんはタロウを信じていたし、タロウにとって銀二さんは何よりも大切な存在だった。

 しかし、そんな二人の関係に終りが訪れる日が来た。

それは去年の夏のこと。

長い間肺を患っていた銀二さんは、突如末期がんの宣告を受け。

闘病生活も虚しくこの世を去った。四十九歳、まだまだ働き盛りだった。


「タロウ。私はな、もう家族を守ってやれなくなるんだ」


死の前日。銀二さんは自分の傍で眠っているタロウに向かって話しかけた。


「お前は本当に賢い犬だ。だからどうか、私のかわりに皆を守ってやってくれ。支えてやってくれ」


やつれた手のひらをタロウの毛並みに乗せ、銀二さんは話しかけた。


「タロウ、お前は私の自慢なんだよ」


大好きな銀二さんが話しかけてくれているのに、その時タロウは決して目を開けなかったという。

ただ、その白い両耳だけは、ピンと立っていて、

まるで銀二さんの言葉を聞きもらすまいとするようだった。と、後に奥さんは語った。


 そして銀二さんが亡くなり、葬儀を済ませた翌日。

家族はタロウの様子が変わっていることに気づいた。


「悪戯をね、まったくしないんですよ」


いつもなら、奥さんの顔を見るなり歯をむき出して威嚇してきていた筈のタロウが、

その日はとても大人しい。


朝起きてきた奥さんにゆっくりと歩みより、大人しくお座りの態勢をとると、

奥さんがタロウの朝ごはんを用意するのを、じっと待っていたそうだ。


「普段なら、催促するみたいに吠えるわ暴れるわで大変だったはずなのに。

 あの日以来、静かになったの」 


衣類や家財に噛みつく癖も、途端になくなり、タロウはすっかり大人しい犬になった。

 毎朝決まった時間になると家を抜け出し、線路を走る電車に並走するという奇妙な習慣がついたということ以外は、

本当に大人しい、従順な犬になってしまったのだ。

 

「きっと主人が亡くなったことが解って、落ち込んでいるんだろうな、って、最初のころは思ってたんです」


そう言う奥さんが、その勘違いに気づいたのは、息子のトオル君と一緒にタロウの散歩をしていた、ある夕方のこと。

 その日は雨上がりで、水たまりができていたこともあり、六歳になったばかりのトオル君は、奥さんとタロウのだいぶ前を大はしゃぎで走っていた。


「あっ!お母さんお空見て!虹が出てるよ!」


うす曇りの空に架かる七色の光。

トオル君は交差点の前で立ち止まり、それを指差し、はしゃいだ。

久しぶりに見る虹に、奥さんも思わずうっとり立ち止まる。その次の瞬間、奥さんの手から、タロウのリードが外れた。


「・・・え!?」


不意に、一台の自動車が交差点を突っ切ってきた。

雨に濡れた地面でスリップしたのだろうか。完全にタイヤの自由を失ったその車体は、

激しい急ブレーキの音と共に、民家の壁にぶち当たった。


 それは今の今まで、トオル君が立っていた場所でもあった。


「トオルっ!」


タロウに引っ張られ、奇跡的に一命を取り留めた息子の姿に、奥さんは思わず泣いた。

その時タロウは、銀二さんに褒められた時と同じくらい嬉しそうに尻尾を振っていたという。


「守ろうと・・・してくれてたんですね。主人の言いつけを守って、私たち家族を守ろうと見守っていてくれてたんです」


 タロウは今日も電車に並走し、線路沿いを走る。

毎朝決まった時間に電車に乗り、会社に行っていた銀二さんと同じように、

決まった時間に家を出て、電車に負けまいと走る。

まるで、電車の車窓の中にいる銀二さんの姿が見えているかのように、嬉しそうに。




 そしてそんなタロウと並んで線路沿いを走る人影がある。僕だ。

前振りが長かったが、ようやく登場の僕、黒沢カヅキ十四歳だ。


 僕の登校がてらのロードワークであるジョギングに、いつも変な犬が付いてくると思ってたら、

どうやら近所で評判の感動犬だったらしい。

 僕は足の鍛錬のため、タロウは亡くなったご主人のため、同じ道を同じ時間走っているわけだが、

まぁぶっちゃけ、タロウよりも僕のほうが足が速かったりする。


軽々と自分を追い越していく僕の姿を、タロウはいつも恨めしそうに見ている。

とにかく僕は、タロウからの反感を買ってるらしく、

若松さんのお宅の前を歩くだけで、タロウからめちゃくちゃ威嚇されている。


 先程の感動話から察するに、未だにタロウから威嚇を受けてる人間って、僕くらいなんじゃないだろうか。


そんなこんなで学校までの道を走り終え、荷物を置くために入った部室で、僕は驚愕の事実を知った。


「あ、黒沢さん。今日の朝練、中止らしいよ。なんか体育館裏のトイレが爆発したらしい」


思わず「どんだけ~!」と流行に逆らった叫びをかましたくなるほどの緊急事態である。

僕にその事実を教えてくれたのは三年の瀬川美香先輩。

入試のためどんどん引退していく先輩方の中では異例の人物だ。

なんでも、陸上競技での推薦枠を狙っているらしいので、勉強よりも日々の鍛錬が大事なのだろう。


「てか、トイレって爆発するんですか」

「不思議よね。朝から警察来て、いろいろ調査してるみたいよ。

 もしかして今日学校休みになるんじゃない?」


ちっとも不思議じゃなさそうなクールさで、瀬川先輩は荷物をまとめている。帰る気マンマンらしい。


「そんな・・・。僕、昨日部活できなかったから、めっちゃ気合い入れて来たのに・・・」


――・・・見て、この格好。家から学校まで、体操服で来たんだよ?いつものジャージ姿じゃないんだよ?

しかし、目の前の先輩にそうアピールしてみたところで、事態が変わらないのは目に見えている。


 仕方がないので僕は、そのまま先輩と別れ、件のトイレがある体育館裏に向かった。

「トイレ爆発」の詳細が気になるという、野次馬根性である。


「う・・・わぁ。こりゃひでぇや。」


目的の場所に到着するなり、この一言感想。

長い間使用されていなかっただけあって、排泄物の逆流とか、そういうおぞましい事態にならなかったことだけが救いか。

トイレだった筈の代物は、今や無残に砕け散り、地面から伸びた配管から溢れる水で、地面はぐちょぐちょになってしまっている。

・・・どこをどうすれば、こんな壊れ方が出来るんだか。

見る人にその疑問を抱かせるのに充分な、それはそれは奇妙な光景だった。


 そして先輩も言っていた通り、ちらほらと見える青い制服姿の皆様。

警察というよりも、近所の駐在さん方が数名集まっただけという感じだ。

恐らく、朝一に来た教師が通報し、近所の交番に居た職員が現状を調べに来たというところだろう。

これからパトカーがやってきて、本格的な調査が行われることを考えると、

確かに、今日は学校が閉鎖してしまう可能性がある。


「予想以上の大ごとだよ・・・こりゃ」

「・・・ですね」


僕の呟きに反応する相槌。ちなみに僕は今、体育館裏の柵の下にしゃがみ込み、植木をかき分けて様子を覗き見ていたりする。

ここなら警察や教師の目にも見つからず、追い出されることもないだろうと踏んだのだ。

・・・こんな覗きの仕方をやるやつ、僕以外に居ないだろうと思っていたのだが。相槌を打ったその人物は、よりにもよって僕の見知った顔だった。


「・・・野村さん!?えっ・・・なんで・・・?」


驚愕で思わず声を荒げる僕に、野村さんは「静かに」と人差し指を立てて見せ、言った。


「私の家、ここの近所なんです。昨日の夜中、すごい音が聞こえたので気になってたんですが・・・

 早めに登校してみてよかったですね。この感じだとすぐにこの学校、立ち入り禁止になりそうです」


冷静に現状を分析し、野村さんは語る。

なるほど、彼女も僕と同じ野次馬仲間だったわけだ。


「すごい音って・・・爆発音?」

「多分・・・そうだと思います。窓の外も一瞬だけ光ったのが見えましたし」


・・・どうも、「トイレ爆発」というのは冗談ではなかったらしい。

てか、予想以上に物騒なこと起きちゃってるじゃん。大丈夫なのこの学校?

 互いにそう心配し、顔を見合わせた次の瞬間。


「こら!お前ら・・・こんな所にいちゃ危ないだろ!」


天からとどろき響く、教師の怒声。風紀の田村、堂々の登場である。


「・・・げ!」

「・・っきゃ!」


朝日に向かってつるりと光る田村先生の頭に、思わず目を反らす僕と野村さん。

そんな僕ら二人にため息一つ、田村先生は言った。


「・・・残念ながら、こんなわけで本日学生は自宅待機だ。

 学校から連絡があるまで、大人しく家庭内学習でもしてなさい」



案の定、予想された展開に、僕と野村さんは顔を見合わせ、項垂れる。


「えー・・・でも僕、この状況もうちょっと見てたい・・・」

「私も・・・」


などと、些細な抵抗をしてみるが、風紀の田村は揺るがない。


「はい。帰った帰った!」


逞しい手のひらでガンガン背中を押された僕らは、結局校門の外へと追い出された。

そして校門の鍵が今、風紀の田村の手により下ろされた。完全なるキープアウト決定である。


――・・・このまま家に帰るって・・・


「なんか、全然そんな気しないよね。帰りたくないっていうか・・・」


やる気満々で家を出、好奇心の疼く事件を目の当たりにし、学校を追い出された僕は言う。

今帰ったとしても、ソワソワしちゃって仕方がないと思う。


「・・・でもいつ学校から連絡来るかわかりませんし。外でうろついてるわけにもいかないですよね」


そう言って、何やら思考を巡らせる仕草をした野村さんは次の瞬間


「そうだ。先輩、うちに遊びにきませんか?」


そんな提案をしてきた。


「・・・え?野村さんち?」


ちょっとした不意打ちに戸惑う僕に、野村さんはとても良い笑顔で頷く。


「はいっ!うちなら学校のすぐ近くですし、何か発展したらすぐわかります。

 それに、昨日現像した写真、是非先輩に見て欲しかったんです!」


その嬉々とした様子は、自分の思いついた案に自分ではしゃいじゃってるといった感じ。

嬉しいとすぐに顔を赤くするのは、彼女の体質なのだろうか。可愛過ぎて羨ましくなる。


「・・・うーん。野村さんが迷惑じゃないなら、ありがたい申し出だけど・・・」


――昨日の写真は・・・できれば見たくないな。

あの悪夢はもう忘れさせて下さい。そんな意味を含めた視線を僕は彷徨わせてみる。


「いえ!迷惑なんてとんでもっ!大っ歓迎です!」


僕の不安など何一つ知らない笑顔で、野村さんは僕の手を引っ張った。


「・・・あ」


まぁ、断る理由などないのだが・・・。

時に思う、野村さんの性格って強引すぎやしないか?

自分がそうと決めたら、意地でもやりとげるという感じだ。将来野村さんと結婚する相手は尻に敷かれること請け合いである。

 

 そんなこんなで僕はまたしても野村さんの勢いに流され、

彼女のお宅にお邪魔することになった。


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