ep.04【少年はモテ期】
「はい。それじゃあ今日の授業はこれで終わり」
数学教師の一言と共に、キンコンカンコーンと馴染みのチャイムが教室を包んだ。
ようやく四時間目の授業が終わり、教室の空気がどことなく緩み始める。
待ちかねた昼休みである。
僕は教師への敬礼もそこそこに、教室にいる誰よりも早く席を立つ。
いつもならこの時間、気心の知れたクラスメイトと机を寄せ合って、弁当を食べているのだが、
今日は厄日なようで、そんな穏やかな時間を作ることができそうにない。
「ファンが増えてるかもしれないよ♪」
今朝方、鴬谷さんが言っていた言葉が、頭のなかでぐわんぐわん回ってる。
「・・・まさか・・・これまでとは・・・」
速足で辿り着いた屋上に、人気がないことだけを確かめて、僕はほっと息をつく。
本当に今日は大変だった。
鴬谷さんの唱えたファン増加説は大正解で、
本日2-Bの前の廊下は、休み時間の度に一年の女子生徒で埋め尽くされていた。
「きゃーー!黒沢先輩、こっち見てくださぁああい!」
僕と視線が合って、一体誰が得をするのだろう。
何が嬉しいのか全く理解できないが、一年生女子は僕の些細な動きにすら一々黄色い歓声を上げた。
「いやぁ!黒沢先輩が男の先輩とあんなに仲良く・・・不潔です!」
「・・え?俺って不潔なの?」
かわいそうに、見知らぬ後輩から不潔呼ばわりされてしまったのは、先日リレーのアンカーを務めた矢田原である。
つい最近まで毎日共に練習を積み重ねていた相手なのだ。当然普段から話す機会の多い相手なのであるが、
まさかこんな会話一つで彼女らを刺激してしまうとは思わなかった。
「・・・俺、自分の席に戻るわ」
「え・・ちょっと待てよ!」
僕の制止も聞かずに、トボトボと去っていく矢田原。こいつ、見た目はゴツいくせに、感性が繊細なのだ。
今ので心に傷を負ってしまったとしたら、本当に申し訳ないことをしたと思う。
ふと、顔を上げると遠くの席の鴬谷さんと目があった。
(・・・やるじゃん王子様♪)
唇の動きだけでそう言ってぐっと親指を差し出して見せる。
一見、この状況を歓迎しているようにも見える仕草だが、何があっても決して僕の傍に近づこうとしない辺り、
傍観者として洒落込む気マンマンなのは目に見えている。
「ちくしょう・・・。僕に味方はいないのか・・・」
そんなこんなで、昼食の時間くらいは追っかけの一年生から逃れようと屋上にエスケープした僕は、
浮かぶ雲の一つ一つを呪いたい気持ちで空を見上げた。
とりあえずこの場所は安全らしい。柱の陰にでも隠れて、弁当を広げてれば、昼休みくらいは平和に過ごせるだろう。
そう考えた僕は、筋ばっていた肩の筋肉を伸ばすよう、伸びをしながら屋上の中央へと歩いて行く。
――ガチャン
次の瞬間聞こえたのは、背後の扉が閉まる音。
「よかった・・・来て・・・くれたんですね」
聞こえた声に、自分が少しでも油断していたことを後悔する。
振り返ると、そこに立っていたのは酷く痩せた一年の女子生徒。
見覚えのない顔なので、先程の追っかけに参加はしていなかったとは思うが・・・
僕を見つめる潤んだ両眼を見る限り、彼女もまた、僕のファンなのだろう。
黒く真っすぐな髪を首元で二つに括り、青白い顔の頬だけを朱色に染めている。
背も小柄だ。精々鴬谷さんよりかは若干高いといったところか。
――赤ずきんちゃんって感じだな・・・
少女を前にした僕の感想はそれだった。
真黒で大きな瞳と、形の良い小さな鼻、幼さを感じさせる口元は、お伽噺の世界が良く似合う。
ずば抜けた美少女というわけではないのだが、一度目にしたら忘れられないタイプなので、
こういう人が街中でスカウトに遇ったりするのだろうな、などと、どうでもいい思考を巡らせる。
「ごめんなさい。本当はこんなこと、しちゃダメだって解ってるんですけど・・・」
戸惑ったように目を伏せて、少女は言う。
さて、このコは先ほどから何を言っているのだろうか。
察するところ、どうやら僕の到着を待っていたかのような口ぶりであるが、
僕はこの少女のことなど何も知らないし、誰かと屋上で待ち合わせた記憶もない。
そんな違和感に眉を潜める僕を横目に、少女が次に口にした言葉は謎の懺悔だった。
「こんなこと・・・ルール違反ですよね。皆の王子様を勝手に独り占めするなんて」
「・・・はぁ?」
ルールってなんだよ。僕の独占禁止とか、何それ。誰の法案?
一年生女子の間では、もうそんなファンクラブ紛いの取り決めが行われているというのだろうか。
「・・・あのねぇ。勝手に盛り上がってるところ悪いけど、僕、女だから。
君の期待するような王子様にはなれないから」
「それじゃあね」そう告げて、僕は少女に背を向ける。
真面目そうなこの少女には悪いと思うが、僕は今一人になりたいのだ。これ以上構ってこられても困る。
「そ・・・そんな!」
途端、穏やかだった少女の顔色は変わる。
速足に僕の前へと回りこむと、僕の着てるジャージの首元を掴み、激しく左右に揺すった。
「そんなのってないです!
先輩は"白貴族アルフィー"との取引に応じてくださって、ここに来てくれたのではないですか!
今更契約を破棄するなんて酷いです!」
「・・・ぐげっ」
いかにもか弱そうな外見をしているから油断した。なんて力だ。
僕は勢いに涙目になりながらも、なんとか少女の手を振りほどき、そして改めて茫然となった。
「・・・あのさ・・・契約とか、シロキゾクとか。僕、何もかも初耳なんだけど。
何か勘違いして・・・いるんじゃないでしょうか?」
目の前の少女の変貌ぶりに軽い恐怖を覚えた僕は、思わず変な敬語で聞いてしまう。
「勘違いなんてとんでもないです!"白貴族アルフィー"は今朝、文を携えて、先輩の元へ訪れた筈です。
彼は私の親友で、私を裏切るようなことは決してしません。
だから、先輩は"白貴族アルフィー"から文を受け取った筈です。そして契約に納得して下さった筈なのです!」
――・・・なにこの電波娘。
笑いたくもないのに引き攣る頬を抑えながら、少女の発言に僕の抱いた感想はこれだった。
コワイよコワイよ。頭の変なコがここにいるヨ!
「てか、誰なんだよ・・・アルフィーって・・・」
「しーろーきぞくっ!アルフィーです!」
呟いた当然の疑問すらも、少女の電波は妨害してくる。
「白貴族アルフィーは、私の唯一の親友です!
綺麗な銀色の巻き毛を持った、背の高い高貴な青年です!」
「・・・知らないよそんな外人・・・」
目の前の暴走を止める術が分からなくて、僕は泣きそうになる。
嗚呼、平和な昼休みの夢は何処。
大体銀色の巻き毛の貴族って、どこの妄想の産物だよ。
今時の日本じゃ、空想世界でしかお目にかかれないようなレアものだよ。見たことねぇよ。
あえて近いものをあげるとしたら、今朝靴箱に刺さってた巨大なテディベアくらいか。
あれは銀色じゃなくって、ただのクリーム色だったが。
・・・・と、そこまで考えて僕は首をかしげる。
「・・・あれ?」
クリーム色の巻き毛で、背の高い・・・というかやたらデカイ、
高貴・・・つまり高価そうな代物。
「白貴族アルフィーは、アメリカバーモンド州で生まれた正統派テディベア。高貴なお方なのです!」
「あ れ の こ と か 」
少女の受信している電波の正体をようやく察した僕は、地面に崩れ落ちる勢いで唸る。
そいえば確かに、あのテディベアにはセットで手紙がついていた。
今朝はそんな手紙に構ってる暇はなかたから、当然封も開けていなかったのだが、
そうか、あの送り主がこの少女だったのか。
全て理解し、項垂れる僕の様子に満足したのだろう。少女は夢見がちな瞳を空に向け、言葉を続けた。
「私は手紙にこう書きました。
<黒沢カヅキ様。私は、運動会での貴殿の走りを見て、初めて胸のときめきを知りました。
貴殿こそが、私の探し求めていた題材です。
もしお時間頂けるのであれば、この私の絵モデルになって頂けませんでしょうか。
もちろん、無償でなどということは致しません。
絵のモデルを了承くださった暁には、皆に王子様と呼ばれる貴殿に相応しい、高貴な召使として、
このテディベア、白貴族のアルフィーの身柄を貴方に任せます。煮るのも焼くのもご自由に。
この交換条件に納得下さいましたら、本日昼休み、屋上までいらしてください。
・・・1年C組 出席番号34番 野村優香>
一字一句覚えているのなら、果たして手紙にする必要はあったのだろうかと突っ込んでやりたくなる。
少女・・・野村優香はこの長文をソラで言い切ると、自分の言葉を反芻するように、そっと微笑み、瞳を閉じた。
「・・・ちょっと待て。あのぬいぐるみは君の親友じゃなかったのか?煮るなり焼くなりって・・・」
僕は痛む頭を片手で押さえつつ、とりあえず突っ込む。
少女の電波の世界を理解しているわけでは決してないが、
仮にも高貴なお方だの、唯一の親友だのと称した相手に対する扱いがそれでいいのか。
「いいのです。白貴族アルフィーは私に忠誠を誓ってくれた相手。
私の願いのためなら、その身が灰になっても構わないと、そう言ってくれました」
――あくまでも、君の脳内でな。
野村さんの言葉を脳内でそう補完し、僕は深くため息をついた。
「で何。絵のモデルを頼みたいって・・・・野村さんは美術部かなんか?」
僕は尋ねてみる。ここにきてようやく、野村さんの本意が見えてきた。
「そんな感じです。次の展覧会に出展する絵の題材を探して頭を抱えていた矢先、
出会ったのが、先輩でした」
野村さんは虚弱体質のため、運動会当日は保健室からグラウンドを見学するくらいしかできなかったという。
そしてそんな彼女の視線の先で、校内最速の記録(ただし競技的には無効)を叩きだした僕は、
とてもとても輝いて見えたらしい。
「あの方こそが、私の理想の王子様。そう気付いた瞬間、アイデアの泉が一気に溢れだしたのです!
黒沢先輩が描きたいっ!どうか、私のモデルになってください!」
お願いしますっ!と、猛烈な勢いで頭を下げられ、僕はちょっとだけ戸惑う。
とはいえ、内心では安堵のため息をついていたりもする。
――とりあえず、野村さんが僕に愛の告白を訴えてこなくてよかった・・・
異性にはモテなくても、同性にはモテすぎるこの僕だ。
女の子からの告白を受けることも、稀にではあるが、過去にあった。
その度に断ってはいるのだが、中にはストーカー染みた行動をするコもいたので、
ちょっとしたトラウマになりつつある。
特に野村さんのような暴走型の少女は恐怖の対象だったのだが・・・
幸い、彼女はそうした心配をする必要のない相手のようだ。
今の話の感じじゃ、彼女は相当な芸術家肌なのだろう。
これらの暴走も、アーティスト特有の感受性の豊かさ故だと思えば、そこまで気にする必要はないだろう。ないんじゃないかな。
そう納得したところで、僕はほんのちょっとだけ、野村さんの言葉に興味を持った。
「で、モデルって・・・具体的に何するの?」
絵になるような麗しい容姿をしているという自信は全くないが、
目の前にいるこの少女が、僕という人間からどんなインスピレーションを受けたのか、好奇心が疼く。
「はいっ!黒沢先輩も毎日お忙しいと思うので、なるべく時間を拘束するようなことはしたくないと思ってます!
ズバリ、今日の放課後私めに先輩の写真を数枚撮らせていただけたら・・・っ!それで良いのです!」
ようやく興味をしめした僕の反応が嬉しかったらしい。
野村さんは満面の笑みで、彼女の計画を語った。
「写真?それだけでいいんだ」
僕はうーむと考えを巡らせる。
運動会の直後であることもあり、今日の陸上部の練習はわりと緩い。
多少遅刻して行っても、叱られることはないだろう。
ふと視線を下げると、僕の返事を待ち目を潤ませている野村さんの姿。
その小さな拳が震えてるのを見て、僕はふと胸が熱くなった。
――なんだかんだで、勇気を出して声をかけてきたんだろうな。
多少変なところはあるとしても、野村さんが真面目な人物であることはなんとなくわかる。
僕が陸上に青春をかけているように、野村さんにとっては芸術が全てなのだろう。
「・・・いいよ。それくらいなら、つきあってあげる」
純粋に協力したいと感じた僕は、少し微笑んで、頷いてみせた。