第二十二章
それではここで、僕が読んだ"ギリシャ神話「パンドラの箱」"の内容に触れさせてもらうことにする。
野村さん曰く、とても有名な物語らしいから、あえて紹介する必要もないのかもしれないが・・・念のためってやつだ。
―――
その昔、神々の王様であるゼウスを酷く怒らせた者がいた。先見の目をもつ神、プロメーテウスである。
この神は、ゼウスが禁じていたにも関わらず、人間に炎と知恵を授けたのだ。
ゼウスは罰として、プロメーテウスを磔にし、その双子の弟であるエピメーテウスを罠にかけることにした。
さて、このエピメーテウスという神、彼は兄とは異なり、賢人ではなかった。
兄、プロメーテウスから「ゼウスからの贈り物は受け取るな」と忠告されていたにも関わらず、
欲に目がくらんで、ゼウスの差し出したものを受け取ってしまったのだ。
・・・ゼウスからの贈り物、それはパンドラという名前の美しい女性だった。
パンドラはヘイパーストスのこねた泥から生まれ、アフロディーテからは美を、アポロンからは音楽の才能と癒しの術を・・・といった具合に、
様々な神から多大な力を授けられた、とてつもなく魅力的な人間だったのだという。
エピメーテウスはあっという間に、彼女に夢中になった。
ところで、エピメーテウスの家には、彼が守り続けている一つの箱があった。
この中にはこの世界の災厄が全て詰まっており、一度開けてしまえば、世界は混沌に包まれてしまう。
なので、エピメーテウスはパンドラに言った。
「この箱だけは、決して開いてはいけないよ」
しかし、これこそが、ゼウスの策だったのだ。
パンドラは神々から様々な力を与えられていたが、その中には、ヘルメスにより与えられた好奇心も含まれていた。
・・・そう、好奇心。
神々の時代から、人間の好奇心というものは「絶対にダメ」と言われるほど、疼くものらしかった。
そしてついに、パンドラは箱を開いたのだ。
開けたとたん、予想以上に大事であることに気づいたパンドラは、慌てて蓋を閉めたが、災いの殆どはもう外に出てしまっていた。
後悔するパンドラ、そんな彼女の耳に、聞こえてくる声があった。
「私を外に出して下さい。私はまだ箱の中にいます」
パンドラは驚き、声の主に問う。
「あなたは、誰なの?」
声の主は答えた。
「私は、希望です」
―――
「それで、私たち人間の世界には、災厄と一緒に、未来への希望が残されたのだと・・・そういう話なんですよ」
絵本に没頭する横で、野村さんはそう物語を締めくくった。
「ふーん・・・パンドラに・・・希望ね」
どちらも、僕の抱える問題にクリーンヒットな単語である。
まさか、こんな所ででっかいヒントを拾えるとは・・・
「・・・そういえば、パンドラの心霊写真を撮影したのも、野村さんだったんだよなぁ」
こうも偶然が重なると、野村さんはパンドラへ近づくための鍵を握る存在のような気さえしてくる。
「ねぇ野村さん。パンドラの箱って、実在してると思う?」
「・・・ふぇ?」
なんとなく、僕は尋ねてみる。もし実在しているとしたら、話は簡単、その箱こそが僕の手に入れるべき物なのだろう。
「え・・・えぇと。実在してたら・・・それは素敵なことだと思いますが・・・」
僕の問いに、野村さんは少し困ったように答える。
「でも・・・私は思うんです。実在しているとしたら、それは箱じゃないんじゃないかって」
「・・・へ?」
そして僕は、少し意外で、声を上げる。
夢見る少女、野村さんのことだ。僕の問いに対し、「きっとありますよ、いえ、あるに決まってます!」くらいの威勢のいい回答をすると思っていたからだ。
「あの・・・私、この話を読む度に思うんです。
これには、ゼウスが悪者みたいに書かれてますが、やっぱり正しいのはゼウスなんじゃないかって。
仮に、パンドラが箱を開かなかったとしても、
知識と炎を得た人間は、自らの手で災厄を起こすと思います」
箱というのは、比喩的なものなのではないか、と野村さんは言う。
災厄の源とは、知識そのものを指していたのではないか・・・と。
「・・・なるほどね」
腕を組んで、僕は唸る。この野村さんの思考の深さには驚きである。
どうやら、このこはただの妄想少女ではなかったようだ。
「それでも・・・もし、パンドラの箱というものがこの世界に存在しているとしたら。
それは本の姿をしているのではないでしょうか」
恐る恐る、僕の手から絵本を抜き取り、野村さんは呟く。
「本?」
「はい。知識の源と言えば・・・やはり本ですから。」
「・・・そっか」
答えて、僕は少し考える。
――・・・だから、図書準備室だったのかな?
あそこには、読み古された沢山の本が、処分される日を待って眠っている。
幾人の人にも読みまわされた本は、良い知識も、悪い知識も人間にふりまいていたのだろう。
かなり曲解ではあるが、野村さん説からいくなら、あの空間はまさに、パンドラの箱だったのかもしれない。
・・・だとしたら、パンドラの本体と呼べるのはどの部分になるのだろうか。
「・・・ねぇ野村さん、昨日見せてくれた心霊写真。もう一度見せてくれないかな?」
「え・・・心霊写真って・・・先輩の写真のことですか?ちょっと待って下さいね」
そう言って、ベッドの所まで戻った野村さんは、枕の下から写真の束を引き抜いてきた。
・・・てか、保管場所おかしくない?
「すっごい寝ざめ悪くなりそうな場所だよね、そこ」
野村さんが昨晩、悪夢にうなされなかったか心配したくなるような位置である。
「えへへ。先輩に会える夢が見たかったので、つい♪結果を言えば大成功でした♪」
そして返ってくる野村さんのとびきりの笑顔がまぶしい。正直鳥肌。
―――うーん・・・パンドラほどではないにしろ、このコもなかなかの変態さんだなぁ。
差し出された写真の束を前に、僕は苦笑い。
あとはすぐに写真へと視線を落とし、一枚一枚を手早く確認していく。
今回の集中ポイントは、あくまでも背後霊、パンドラの位置だ。
半裸の僕からは極力目を反らし、僕は心霊現象だけを追いかけて行く。
「はうぁ♪何度見ても、先輩の身体、素敵ですぅうう♪」
背後で聞こえてくる気味の悪いため息はとことん無視。僕はあくまで真剣に、写真の中のヒントを探す。
・・・それにしてもヤだな。
野村さんとパンドラ。もしこの二人が出会ったら、とてつもなく意気投合しそうでヤだ。
無心になりたくとも、やはりこの写真を見てしまうと、野村さんと鴬谷さんの手で半裸に剥かれた、あの悪夢を思い出し、気持ちは憂鬱だ。
そうして僅かなため息をついた僕は、ふと、ある疑問に気づいた。
「・・・そういえば野村さん。どうしてこの撮影の時、図書準備室が使えたの?」
「へ?」
僕の質問の意味がわからないのか、野村さんは小鳥のように目を丸くした。
「いや、だってさ。普通ここって司書の先生の専用部屋で、生徒立ち入り禁止だろ?」
・・・そうなのだ、実はあの時間、司書の先生は既に学校におらず、だからこそ好き放題に騒ぐことができたのだと言える。
だがしかし、改めて考えればこれは不思議なこと。
本来ならば、図書準備室の鍵を手に入れることすら難しいのではなかろうか?
そう尋ねる僕に、野村さんは合点行った表情で笑って見せた。
「ああ、そんなこと。図書委員の私からすれば簡単にクリアできる問題なのですよ♪」
「へ・・・」
途端、唖然となる僕。そうか、その手があったんだ。
司書の居ない間、図書室の権限は図書委員へと移される。あの時、野村さんは図書準備室の鍵を持っていたのは、そういう理由だったらしい。
しかし図書委員か・・・図書室の管理で昼休みや放課後が潰れてしまう、損な委員である。
週に一度、校庭のゴミ拾いさえしてればいい美化委員をしている僕としては、あまり理解できない選択だが・・・
「そっか・・・野村さん図書委員だったんだ」
言われてみれば、納得の肩書きである。小柄で、黒髪おさげの、大人しい少女。
どの角度からみても文系なルックスをした野村さんは、生まれながらの図書委員という風情すら感じる。
「そうですよ。私、本読むの大好きで、司書の先生とも仲良いんです。
図書室のことならなんでも知ってるんですから♪」
そう自信満々に言う野村さんの頬は赤い。死にかけてた先程までの様子が嘘のようだ。薬って偉大だなぁと思ってしまう。
「へぇ・・・なんでも知ってるんだ?」
「そうですよ・・・ええと、例えば今日は二週目の木曜日ですから・・・」
なんとなく呟いた問いかけに対し、答える野村さんは嬉しそうだ。
自分が教える立場になれることが新鮮なのだろうか、聞いていないことまで教えてくれようとする
「そう!今日は古本の収集日です!」
そして、引き続き野村さんから飛び出た言葉に、僕は無言の後、顔を上げる。
「・・・は?」
「明日新作の本を入荷する手筈になってるんですよ。
図書準備室に放置されてる古本とか、人気のない本を一層して、新作を入れるスペース作ろうって、この前の委員会会議で決定したんです。
休校はしてますが・・・入荷日が変更になるとは思えませんので。多分古本の処分は紙ゴミの日である今日中に・・・」
「ちょっと待って!?図書準備室の本が捨てられるの!?」
途端、血色を失う僕。
「え・・・ええ。あらかたは。すっきりさせるぞって、司書の先生意気込んでましたから」
「じゃあ、この写真に写ってる棚の本も?床にある段ボールの中の本も?」
「あ・・・そうですね。このあたり全部虫喰いがありましたから、捨てると思いますよ?」
――・・・マジかよ
確かゴミの収集時間は午前九時。
もし、捨てられる古本の中にパンドラの本体があったならどうしよう。
収集車が来る前になんとかしなくてはなるまい。ちらりと時計を見れば、既に時刻は八時十分。
「・・・っげ!」
間に合うか・・・間に合うのか?とにかく急がないとマズイ状況であることは確かだ。
「ご・・ごめんっ!野村さん、僕、急用出来ちゃったから、行くね!」
そう一言だけ残し、部屋を飛び出そうとした僕に、野村さんは驚いて縋りつく。
「ひ・・・ひゃっ!?どうなさったんですか?何か私、粗相いたしましたでしょうか?」
「いや・・・そうじゃなくって、本当に急がないとヤバイんだって。捨てられたら・・・ヤバイんだって!」
そうテンパる僕に、野村さんは何故か目に涙を浮かべ、言う。
「ならば先輩!どうか約束してください。また学校で、私に会ってくださると!」
「・・・へ?」
妙な気迫に迫られて、僕は二三歩後ろに下がる。
そんな僕の様子に気づいたのだろう。野村さんは自分の発言に驚いたように、僕から身を離すと、
ボソボソと聞き取りにくい声で、こう続けた。
「お・・・お礼を、今日のことのお礼をきちんとさせてください。
そうしないと・・・私、お母様に怒られてしまいます!」
「う・・・うん?」
明らかに慌てて付け足したような一言に、僕は戸惑い、ぽりぽりと頭を掻いた。
「あのさ、野村さん?そんな畏まった理由なくても、どうせ僕たち、また会うことになるでしょ。友達なんだから」
同じ学校に通う人間、特に親しくなった人間同士ならば、会わないほうが不思議というものだろう。
僕は野村さんに対して、そんな当然のことを言う。
「・・・へ?」
途端、茫然となる野村さん。
その隙をチャンスと取った僕は、「じゃあね」と手を振り、野村さんの部屋を飛び出した。
野村さんのお母さんに一言挨拶し、速足で家を抜ける。
「お母様・・・っお母様!」
僕の去った後、野村さんは大慌てでリビングに下りてきたようだった。
「お母様、黒沢先輩が・・・私のことを、友達だと言ってくださいました!」
「本当に?」
野村さん以上に驚いた様子で、野村さんのお母さんは言う。
「そう・・・本当に、良かったね、優香」
「はい!」
そう嬉しそうに笑う娘を前に、この母親は耐え切れず、涙を零した。
野村さんは首をかしげる。
そりゃそうだ。野村さんにだって、僕にだって。
こんな簡単なことで涙を流す大人がいる理由、理解できるわけがないのだから。
野村さんのお母さんは、それから暫くの間、
ただ黙って顔を押さえていたのだった。
※注釈つけさせていただきます。
今回提示しました「パンドラの箱」の物語についてですが、
これ、諸説ある物語のなかの一部を抜き出しまして、独自に編成させていただきました。
「俺のしてる物語と違うんだけど?」
っていう意見もあるかと思いますが、こういう説もあるんだなぁってことで、まぁ見逃してやってください。
以上!