第二十一章
「あぁ・・・黒沢先輩・・・よくぞ、御無事で・・・」
それが、目を覚ました野村さんの第一声だった。
結局のところ、僕は現在、野村さん宅にお邪魔する羽目になっている。
娘の倒れた時の状況について、詳しい話を聞きたいと、野村さんのお母さんに頼まれてしまったのだ。
僕としても、意識のない野村さんとこのまま別れるつもりはなく、二つ返事で了承し、野村さん宅のクラウン車に乗り込んだ。
涼しい車内に入り、僕は窓越しに、学校の校舎が遠のいて行く様子を見る。
――ゲノムのやつ・・・心配するかもな・・・
そう不安になると同時に、どこか安堵している自分もいる。
ゲノムのことを考えると憂鬱になってしまう僕としては、現状はてっとり早い現実逃避に思えたのだ。
――野村さんの無事を確認したら、すぐに学校に戻ろう。
心内で自身にそう言い聞かせ、僕は頷く。
ほんのちょっとだけ野村さん宅にお邪魔して、そして直ぐにゲノムと合流する。
それくらいならば、きっと大した問題にはならないはずだ。
僕はそんな軽い気持ちで、再度、野村さん宅の門を潜ったのだった。
「先輩・・・私、今日不思議なものを見たんです」
現在、野村さんの部屋にいるのは、既に僕と野村さんの二人きり。
僕に秘密の話をしたいのだと言うことで、野村さん自身が人払いをかけたのだ。
部屋を出る間際、不安そうに僕を見やった野村さんのお母さんの眼差しが忘れられない。
なんというか、現状にとても罪悪感があるという感じ。
・・・うーん。あれほど自分のことを心配してる人を追い出してしまうとは、親の心子知らずといったところなのだろうか。
しみじみとそんなことを考えていた僕は、次に野村さんから飛び出た発言に、唖然となった。
「朝、窓の外をですね、白貴族アルフィーが猛ダッシュして行ったんですよ・・・不思議です」
「・・・は?」
「先輩の声も聞こえたんですよ・・・『シャープペンシル』って大絶叫してました・・・だから私、何事かと思いまして・・・」
矢も楯も止まらず、走り去ったアルフィーの跡を追ったのだと、そう野村さんは言った。
「ゆ・・・夢でも・・・見てたんじゃない?だって、縫いぐるみが動くなんて、ありえないよ」
心当たりがアリアリな内心を呑み下しつつ、僕は乾いた笑みを浮かべる。
・・・多分、野村さんが言ってるのはアレだ。ゲノムのアシアトごと、幻覚に呑みこまれたあの瞬間。
自分が叫んだ記憶は確かにあるし、がむしゃらに走って辿り着いた路地裏の位置を考えれば、僕が野村さんの家の前を通過していたとしても何ら不思議ではなかった。
――・・・見られてたのか。
アルフィーを背負ったまま全力疾走する僕。改めて思い出すと、とてつもなく恥ずかしい光景である。
「うーん・・・やっぱり夢だったのでしょうか。私はてっきり、黒沢先輩が絶対絶命のピンチに陥っていて、
アルフィーはそんな黒沢先輩を助けるために走っていたのだと・・・」
「あはは。そんな馬鹿な」
野村さんの言葉を笑い飛ばしながら、僕は冷や汗をタラリと垂らした。
・・・その予想、あながち間違っていないところが怖いです。
「うーん・・・でも、あれがただの夢だとしたら、どうして私は黒沢先輩に出会えたんでしょう?
そうですよ・・・休校日なのに、こんな朝早くから先輩がここら辺を歩いてるなんて変・・・」
「いやぁ!それにしても、野村さんの部屋は豪華だね!」
はいはいはいはい!突然ですがここで話題転換です。
野村さんに核心をつかれたところで、僕には返す言葉がないのである。
だってそうだろ?僕に差し迫ってる命の危機、これは余りにも非現実的すぎて口にするのも憚られる。
・・・いや、たしかに、野村さんなら、この手の突拍子もない事件を直ぐに理解してくれるような気もするが。
話してしまえば、事件に野村さんを巻き込んでしまうことになってしまいそうで、怖いのだ。
「それに・・・読書家なんだね。すごい本の数!」
無理やりテンションを上げて、僕は立ちあがる。
目指すは部屋の壁沿いに立ち並んでる巨大本棚。こちらに向かうことにより、僕の顔は野村さんの死角になるっていう寸法だ。
・・・だって僕、面と向かった嘘やごまかし、苦手なんだもん。
「そうですか?・・・普通だと思いますけど」
背後から、野村さんの声が返って来たのを確認して、僕はひっそりガッツポーズ。
よし、話題変更完了。この調子でさっさとお暇する流れに持って行こう・・・と。
そんな展開を期待していたその時だった。
・・・僕の目に、奇妙な本のタイトルが飛びこんできたのだ。
―――"パンドラの箱"
「変態の・・・箱?」
「え!?そんな危ない本、持ってないですよ?」
慌ててベットから降りる野村さん。
しかし僕は、そんな野村さんの様子にも、本音から出た読み間違いにも気付かず、目の前の一冊の本に集中していた。
「パンドラ・・・って・・・まさか?」
「あぁ、ギリシャ神話の絵本ですね。」
ひょっこりと、僕の肩越しに顔を覗かせた野村さんは一言。
僕は思わず聞き返す。
「・・・神話?」
フラッシュバックするのは、公園で出会ったあのアシアトの姿である。
――人間の作った神話の世界の中では、天使と呼ばれることもあるよ。
アシアトは確かにそう、言っていた。パンドラとは、神様の家から奪われた品であるのだとも・・・
「ねぇ野村さん、これちょっと、読んでみてもいい?」
あの変態と、目の前にあるこの神話には、共通点がある気がすごくする。
確信にちかいこの予感を胸に、尋ねた僕に対し、野村さんは少し意外そうな面持ちで、頷いて見せた。
・・・
はい。連日更新でございます。
次回、パンドラの正体が少し明らかになるよー。
次の更新をお待ちください。