ep.01【蒼の激走】
『・・・・ウけトってクダさい・・』
爆音に紛れるその声を、不意に僕の耳は聞き取った。
なんだろう。果てしない青空のどこかから、聞こえてくる声がある。
それは少女が質の悪いスピーカーを通して喋るような、ひび割れた甲高い声質だった。
『・・・・クロサワさん。トまってください。』
声は僕の名前を呼び、理不尽な注文をしてくる。
――止まれ・・だって!?
どうかどうか、僕のこの現状を見てから発言して欲しい。
背後を爆炎をまき散らす飛行機に迫られている僕が、どうして足を止めることができよう。
『・・・トンを・・・ハヤく・・・ウけとって』
受け取るって何を?
もう何もかも理解できない。
僕はただ息を上げて黄金色の砂を蹴り、ゴールを目指すだけ。
――・・・ゴール?
自らの導きだしたその単語に、僕の中の疑問符が頭をもたげる。
ゴールとは一体なんだろう。
というか、足元の砂の色が変わってるような気が、すごくする。
――ここは・・・どこだ?
僕はどうやら、飛行機から逃げているだけでなく、何かを目指して走っていたようである。
行きつく先には懐かしい、どこかで見たことあるような顔が待っているのがわかる。
走り近づいてくる僕を、困ったような顔で見つめる一人の少年。
その口元は、絶え間なく言葉を紡いでいる。
「バカやろっ!うしろっ・・・うしろ見んかい!」
馬鹿なのはこいつのほうだ、後を振り向くなんて余裕かました時点で、僕の速度は落ち、背後から迫る飛行機でズッツ・・・パァアアンが決定する。
不機嫌に眉根を寄せた僕の耳に、また先ほどの少女の声が聞こえてきた。
気が付けば飛行機の爆音は消え去り、そのせいか、今度はその声をはっきりと聞き取ることができる。
『・・・赤団の黒沢さん、早くバトンを受け取ってください』
質の悪いスピーカーを通したような、というよりも、まんまソレを通して喋ってる少女の声に、僕の意識は急速に覚醒する。
「・・・バトン?」
呟くと同時に噴き出る冷や汗。
ま さ か
恐る恐る後を振り向いてみる。そこには、どうやら僕が追い抜いたらしい白と黄色の鉢巻きを締めた団対抗リレー選手の皆様。
僕、現在一位。ただし、手に持つべきバトンが、ない。
『バトンを持たない団は失格となります。早くバトンを受け取ってください』
<麹町中学校秋の大運動会>に相応しい快晴の空の下、放送委員の少女の宣告が無情にも響き渡る。
「え・・っちょ・・ちょ・・・まっ!」
現実を理解した僕は息も切れ切れに慌てる。
なんと、僕は白昼夢を見ていたようだ。
確かに昨晩は、運動会前日ということで、わくわくしすぎてあまり眠れなかったのだが、
こんな居眠りの仕方って・・・あるか?
「え・・・あ・・・うそ・・・!」
しかし僕の戸惑いも虚しく、この俊足はたちまちにグラウンド半周を走り切り、次の走者の元へ到着してしまっていた。
僕のゴール直前、全校生徒の皆様が目にしたのは、舞い上がる砂煙。聞いたのは車が急ブレーキでもかけたかのような激しい摩擦音。
そしてその砂煙が晴れた先にあったのは、麹町中学校前代未聞の光景。
一つの走者枠に、バトンを待ち構えるポーズで静止したランナーが二人。ぎゅうぎゅう詰め。
「お前・・・マジありえねぇ」
ぼつりと呟いたのは僕の隣に並ぶ少年。どこか懐かしい顔だと思ってたら、クラスメイトの矢田原健司だった。懐かしいどころか、ほぼ毎日、会ってる相手だ。
「うん。マジ、ごめん」
僕は応える。視線はこちらに向かって走ってくるリレー走者の皆様にくぎ付けだ。
僕とは三秒程の差をつけて次の走者の元へ到着したのは黄団の少女。鉢巻きの後ろで一つに括った黒髪を可愛らしく揺らしながら、
息も絶え絶えに次の走者にバトンを渡した。
「・・・」
「・・・」
次に到着したのは白団。次走者が勇ましく駆けだしたのを見送って、僕と矢田原は最後尾を走る赤鉢巻きを待ち構えた。
僕にバトンを渡すべく走ってきた赤団の少年。桑野安雄は今、本来の規定を超えた距離であるグラウンド一周を走り切り、今、僕にバトンを渡した。
「はい」
「おう」
そしてバトンは僕の手からスムーズな流れで赤団アンカーの矢田原に受け渡され。
矢田原は、前方の選手との間に、もう優勝は諦めるしかない距離を築きながら走り去って行った。
黄団アンカーが早々とゴールテープを切り、応援テントからの歓声を浴びているのを尻目に、僕はトボトボと、走り終えた選手の並ぶスペースに移動する。
僕は体育座りをする際、膝の間に顔をうずめるようにして、心底落ち込んだムードを演出し、周囲の生徒の好奇や怒りの目から逃れようとしたが、無駄だった。
「黒沢ぁ、どんまい(笑)」
「いや、ちょー速かったよ。新記録出せたんじゃね?(笑)」
「カヅちゃん、元気出してね!結果は残念だけど、私感動しちゃった(笑)」
「流石陸上部の王子様。惚れ直したぜ!(笑)」
不思議なことに、誰ひとりとして僕を責める人はいなかった。
それどころか皆すごい良い笑顔。むしろ笑いを堪えて頬が膨らみきっている。
・・・おそるおそるその理由を問うてみる。
「だってお前、走ってるときすっげぇ声あげ・・・ぶっひゃっ」
「『もっこす!』ってアニメキャラみたいな声で叫ん・・・げふぉっ」
「ふざけてるのかと思ったら、めっちゃ真剣な顔で走りだすし、速ぇーし・・・ぶはっ」
頬の爆弾を爆発させながら応えてくれた学友の証言から察するに、
俺は桑野のバトンが手に触れたと同時に奇声を上げて走り出し、その奇声とスピードが、皆の笑いのツボをゲットしてしまったようであった。
「ば・・ばか!皆もっと僕を怒れよ!
僕のせいで、折角の優勝が台無しになっちゃったんだぞ!?」
この一カ月、仲間と練習に明け暮れた日々を思い出し、一人胸を熱くする僕の方に、
一人の女子生徒が優しく肩を叩いて語りかけてきた。
「正直、うちの団の面子で優勝するのは諦めてたんだけど、
黒沢さんのおかげで、皆ちょっとだけ良い夢見れたよ。ありが・・ぶっふぁ」
親愛の瞳を涙(恐らく笑いを堪えたことによるもの)に濡らし、真面目に僕に語りかけようとした女子生徒の一人が今、自爆した。
「そんなこと言われても・・・僕は・・僕は・・・」
日が暮れるまで走りこんだ日々、優勝という言葉に鼓動を高めあったあの毎日。
申し訳なさと悔しさで、思わず涙が零れる。
「きゃー。泣かないでカヅちゃん!(笑)」
「そうだよ、お前が真面目であればあるほど俺たちは・・ぶっふぇっ」
「がはっ」
「むひょっ」
次々と連鎖して爆発していく皆の頬の爆弾を前に、
僕は徐々に耐えきれなくなってきて叫んだ。
「お前ら!僕はこんなに真剣なのにいいかげんに・・・もっひゃっ」
・・・さて、今更だけど自己紹介。
僕の名前は黒沢カヅキ。麹町中学二年生。
十四歳という年齢に関わらず、百七十センチという長身を持ち、
陸上部で鍛え上げた細身で筋肉質な体型と、中性的な名前のせいでよく誤解されるのだが、
こう見えて、列記とした女の子だったりする。
そう、僕は今、十四歳の乙女ざかり。それはつまり、箸が転がっても可笑しい年頃なのである。




