第十七章
「さてと・・・問題は、どうやって侵入するか。なんだけど・・・」
ようやく辿り着いた学校の正門。目につくのは報道関係の大型自動車が一台と、パトカーが二台。
事件当日である昨日とは一転し、マスコミ関係者の姿は減っているようだが、警察の数には変化なし。
時折姿を見せる、ヘルメット姿の男たちは、機動隊と呼ばれる連中なのだろうか。
何にしろ、厳戒態勢を敷かれていることには変わりない。
僕のような一般人は、近づいただけで注意されそうな雰囲気だ。
「思ってたよりも・・・人の目が多いなぁ。正面突破ができるわけないし・・・
裏に回って塀を乗り越えたとしても・・・警備の人に鉢合わせしたらアウトだもん」
顎に手を当て、僕は唸る。
現在地点は電柱の裏。星飛龍馬の姉ちゃんよろしく影に潜んでいる次第だが、
無駄にデカイ図体と、背中に張り付いてる巨大テディベアの存在感のせいで、隠れきっている自信はない。
「やっぱり、人前でアルフィーはマズイよ。ゲノム」
テディベアの中身に向けて、僕は言う。
「こんなでかい縫いぐるみ、背負って歩いてる時点でかなりの不審者だもん。このまま学校に近づいたら確実に怪しまれちゃう」
「そうなのかえ?」
そして、こんな深刻な僕の声に返ってくる返答は、至って暢気な幼児声。
「アルフィー殿は正義のクマさんぞ。怪しいところなど、何一つない筈じゃ」
「いや・・・アルフィーは良くても、僕の方は下手すると捕まっちゃうレベルなんだよ・・・」
制服姿の集団から目を離せないまま、震える声で僕は訴える。
・・・うーむ。これならいっそのこと、僕一人で行動したほうが安全かもしれない。
「・・・そうか。このままではカヅキ殿が怪しまれてしまうのか・・・」
「そうだよ。アルフィー背負ったまんまじゃ、こっそり学校の塀を登ることもできやしない」
とにかく僕たちの出で立ちは、悪目立ちしすぎなのである。
そうしてため息をつく僕の様子に、何かしら感じるものがあったのだろう。
ゲノムはフワフワの顔を僅かに持ち上げ、言った。
「ならばいっそのこと、学校には一人で侵入したほうがいいかもしれぬの。
先に一人で入って・・・もう一人が侵入できる経路を確保したほうが賢いかもしれぬ」
その言葉に、僕は頷いてみせる。
「うん・・・僕も今、同じこと考えてた」
確かに、今僕が単独で動くことは、敵に隙を見せることにもなりかねない。
しかし、それを覚悟してでも、優先しなくてはいけないことがある。それはつまり・・・パンドラの確保だ。
敵が躍起になって僕たちを付け狙う理由、それはパンドラを手中に収めたいがためだ。
あの変態お化けに、どんな秘密があるのかはわからないが・・・
パンドラの本体さえ手に入れることさえできれば、敵は容易に僕たちを襲撃できなくなる筈。
直観ではあるが、この予想は確信に近かった。
昨日聞いたゲノムの話を思い返してみる。アシアト共は縮みあがるゲノムに向かってこう言ったのだ。
『パンドラはワレらがアルジのモノ』
パンドラを主人の元に届けることがアシアト共の使命なのだとすれば、
一旦パンドラを入手した僕たちに、過剰な攻撃を仕掛けることはできない。
つまり、敵から身を守るためにも、僕たちは一刻も早くパンドラの本体を探し出さなくてはならないわけで・・・
「僕って、闘うことに関してはからっきしだけど、逃げ足には自信あるんだ。少しの間なら、一人でも大丈夫だよ」
「うむ。わしも正直、一人のほうが動きやすい。
カヅキ殿に危険が迫った時は急ぎ駆けつけることもできよう。」
そう頼もしく頷いて見せるゲノムの姿に、僕はほっと一息。
「・・・よし、それじゃ行ってくるね。また後で」
「うむ」
律儀にテディベアの姿勢を保つゲノムを、僕はそっと地面に下ろした。
悪目立ちする格好から解放された僕は、ようやく堂々とした足取りで正門に向かうことができた。
ここから直接侵入することは無理に決まってるのだが、侵入前に学校内部の様子を探る必要を考えれば、この場所以上に最適な場所はなかった。
――・・・警備の手薄な場所、見えればいいんだけど。
淡い期待と共に、僕はマスコミの集団の最後尾に立ち、正門の中を覗き見る。
僕のような仕草をする一般人・・・すなわち野次馬は、この場所では特に珍しい存在ではない筈だ。
事実、僕以外にも二三人、好奇心剥き出しな早起きメイトの姿がある。
「どれどれ・・・」
背伸びをして、僕は正門の奥に目を凝らす。それは他の野次馬もやってるような仕草。
至って普通な、目立つことのない筈の姿。
・・・なのに何故だろう。なぜ皆して驚いたような顔で、平凡な筈の僕に視線を寄せているのだろう。
僕はその原因を探るべく、周囲の視線を追いかけ、自身の視点をやや下方、胸元に向けてみる。そして気づく、この世界の神秘に。
というか、そこで淡く光り輝きながら浮かんでいる巨大なテディベアの姿に。
僕の胸元に浮かび上がるそれは、ゆっくりと浮上し、ついには僕の顔の真正面に・・・!
「・・・シ・・・シュートォオオ!」
――バスッ・・・ン!
それは僕の戸惑いと、焦りと、中学校体育の知識が入り混じり、咄嗟に放った奇跡。
なんと僕は、正門をネットに見立てたバレーシュートを放っていたのだった。
僕の一撃をくらったテディベアことゲノムは、地球上の物理学に逆らうことなく宙に華麗な弧を描き飛びあがる。
そのフワフワの身体はすぐに正門を超え、正門奥の駐車場を越え、校庭にポトリと落下した。
そしてそのままコロコロと地面を転がり、見事、建物の影に吸い込まれて消えた。
「・・・しまった」
一人取り残された僕が我に返った時には既に遅く、僕を見つめる人々の顔には、明らかな驚愕の色。
「い・・・いやぁ。僕、バレー部員だからっ。もうすぐ県大会近いからっ。
学校が休みだからって・・・練習サボるわけにいかないもんねっ!」
思わず「なんちゃってバレー部員」を演じてみる僕だが、そんなことで周囲の不審な目が晴れる筈がない。
「あれ・・・?今、あの縫いぐるみ浮いてなかった?」
ぼそりと聞こえた周囲の声に、僕はとびきりの笑顔で答えるしかない。
「ま・・・魔球!魔球の特訓してたんすよっ。今日は朝から成功するなんて、調子いいなぁっ!!」
言い張る僕。そして流れる微妙な沈黙。
正門の前に立っていた一人の警察官が、困ったように眉を潜めるのが見えて、僕は身を竦める。
辺りを包むのはとびきりにヤバイ雰囲気。
・・・このまま逃げ出しちゃおうかな。
涙目で、僕はそう思考を巡らせる。ここで逃げ出してしまえば、今後僕はこの学校に近づくことすらままならないだろう。
侵入なんて、夢のまた夢だ。
――・・・ちくしょう、ゲノムめ。
目立つようなことはしたくないって、きちんと伝えていた筈なのに。
なんでよりにもよって、あんな目立つ奇行をしでかしたのだろう。
僕はついに言い訳する言葉すら失って、赤面する。頭を押さえて、俯く僕。
「・・・あれれ?やっぱりそうだ。君って・・・昨日の?」
そんな僕が次の瞬間聞いたのは、妙に人懐っこい、聞き覚えのある声だった。
振り返れば、後方の路肩に駐車されていたハイエースから一人の男性が降りてくる姿が確認できる。
ぐしゃぐしゃの髪に、黒ぶち眼鏡の優男。腕に付いているのはテレビ局のロゴ入りワッペン。
どれもこれも、見覚えのあるものばかりだった。
「あ・・・インタビューの時の・・・」
恐らく現場の張り込みで徹夜していたのだろう。目の下に深い隈をこしらえたその男性は、
昨日、僕にマイクを向けたあのテレビスタッフに間違いなかった。
「いやー。聞き覚えのある声がするから何事かと思ったら・・・
君、すごいシュートするんだね。担当さえ違ってたら、僕が番組で特集組みたいくらいだよ!」
寝てないせいで、無意味にハイテンションになってしまっているのだろうか。
スタッフの男性はそう言って楽しげに笑うと、僕の肩をバシバシと叩いてきた。
「え・・・ええと・・・それはどうも」
思わぬ再会である。僕は微妙に強張った笑顔でお礼を言い、そして気づく。
・・・これって、チャンスなのかも?
僕に対して異常にフレンドリーなこの男性のお陰で、場の緊張感が緩んできたのは事実である。
このままスタッフ男性との会話に乗っかってしまうのが得策に思えてきた。
「じ・・・実は僕、この魔球でテレビに出るのが夢で・・・っ!
是非一度、テレビ局の人に技を見てほしくて・・・それでここに来ればなんとかなるかな・・・って」
咄嗟に吐き出す嘘八百。我ながら白々しいが、目の前の男性はなんとか騙されてくれたようだ。
「あははっ!君ぃ、昨日の番組に出演できたから、味しめちゃったんだねぇ!」
そう言って「わかるわかる」と大笑い。
――・・・そういえば、オンエアされる可能性があるって・・・言ってたような。
昨日はゲノムのこともあって、テレビを見る余裕なんてなかった僕にとっては、すっかり忘れていた事実であるが・・・
どうやら僕、公共の電波にデビューしちゃってたらしい。
「しかし・・・それにしてもなんで縫いぐるみなんか・・・?」
一通り笑い終わった男性スタッフは、不意に真顔になりそう問う。
「え・・・えぇと。僕ボールとか持ってないんで。
家にある一番目立ちそうなもので代用することにしたんです!」
これまた、自分でも呆れてしまうような言い訳である。
熱くなる顔を抑え、必死で言葉を紡ぐ僕。
そしてその努力がついに実ったのを、僕は聞いた。
「・・・っぷ」
「くく・・・・」
なんと、周囲から失笑が漏れたのだ。
そう、多少無茶ではあれ、僕の奇行の辻褄が通った瞬間である。
妙な緊張感は解け、辺りには呆れとも安心とも嘲りとも取れる笑いが満ち始める。
ふと見れば、先程まで厳しい面持ちをしていた警察官も苦笑い。
それを見て、僕はひっそりと拳を握り、ガッツポーズを決めた。
――やった!なんとか不審者のレッテルを逃れたぞ。
少し変わった奴だとは思われたかもしれないけど、不審者よりかは全然マシである。
よくやった、自分。頑張ったぞ、自分!
「あはは。それじゃあ僕はこの辺で失礼しま・・・・っうわああああん!」
それなのに、何故だろう。涙が止まらない。
試合に勝って、勝負で負けた心境とでも言おうか。
僕は別れの挨拶もそこそこに、ガッツポーズの拳を握りしめたままその場を走り去った。
耐えられるか、こんな空気。
僕のささやかなプライドも、現在はズタボロに傷んでいるに違いない。
・・・そうして笑顔のまま、涙を流し続ける僕の姿は、やはりそれなりの不審者ではあると思うが、もうこの際気にしないことにする。
「ぢ・・・ぢくしょぉおお。ゲノムのやつ。なんで勝手にあんなことを・・・」
鼻を鳴らしながら、僕はぼやく。
僕が校内に侵入し、ゲノムは外で待つ手筈を組んだのではなかったのか。
何故ゲノムは、僕に何の予告もなくあんな行動をとったのだろう。
理由はともかく、今はゲノムに文句を言いたくてしょうがない心持である。
――・・・ガサッ・・・
不意に、僕は頭上で物音を捉え、振り仰ぐ。
視界に入るのは、すっかり青く染まった秋の空と、校舎の塀からはみ出している一本のケヤキの枝。
青々とした木葉に装飾されたその枝影に、ふさふさとした獣の姿を確認し、僕は口を開く。
「げ~の~~む~~~ぅ!」
「あ、やっぱり怒っておるのじゃな。カヅキ殿」
珍しいくらい怒り心頭の僕の様子に、流石のゲノムも少々バツが悪い様子である。
よじよじと木の枝を移動し、はっきりとした姿を晒したゲノムは、既にテディベアというよりも、野生の熊に近い雰囲気を醸していた。
「・・・あーあ。お前、完全に砂まみれだな・・・それ」
クリーム色の毛皮を黄土色に染めたその姿があまりにも哀れで、僕は頭の血がすっと引いて行くのを自覚した。
「そうじゃて。まさかカヅキ殿に殴り飛ばされるとは思わなんだ。
わしはただ、縫いぐるみのふりをしたまま、学校に侵入しようと試みただけじゃったのに・・・」
ほんの少しいじけたような口調で、そう言って俯くゲノムに、僕は少々首をかしげる。
「・・・なんで?だってゲノム、さっき僕たち話し合ったじゃん。一人が先に学校に侵入して、もう一人は外で待機してるって・・・」
「そうじゃ。じゃからわしが先に学校に入ろうとしたんじゃ。その矢先、カヅキ殿に・・・」
そう言って、今度は露骨にいじけて見せるゲノムの様子に、僕は痛む頭を押さえるしかなかった。
・・・どうも、先程の会話がかみ合っていなかったらしい。
確かに、僕が先に校舎に入るとは一言も言ってなかった。それは悪かったと思う。思うけど・・・!
「ダメだよゲノム。普通縫いぐるみは空飛ばないから。アルフィーの格好するんだったら、空飛んじゃ、ダメ」
「ほえ!?アルフィー殿は正義のクマさんぞ!?空を飛ぶくらい当然じゃと思ったのじゃがな?」
・・・というか、ゲノムが空を飛べるという事実に、まず驚きたかったのだが。
今となっては、このぶっ飛んだ常識をお持ちのお子様に突っ込みを入れたい気持ちでいっぱいである。
「まぁ・・・過ぎたことを悔いてもしょうがないの。
少々目立ってしもうたようじゃが・・・ぬいぐるみを背負って侵入する姿よりかはマシじゃったのじゃろ?」
「・・・いや、それに関してはノーコメントで」
無邪気な様子のゲノムに、僕は淡々と返す。
・・・こんなことなら、ゲノムを背負ったまま侵入を試みたほうがマシだったような気が、すごくしてきた。
「・・・それでゲノム。中の様子はどうなの?僕が入れるような隙はある?」
僕はぐるりと視線を巡らせ、周囲に人気がないことを再確認してから、そう問いかけた。
そう、色々と脱線していたが、僕らの本来の目的はそれである。
「ぬぅ・・・難しいのぉ。
下には人間がうじゃうじゃしておる。わしも枝影に隠れながら移動しておる故、まだ全てを把握できてはおらんのじゃ」
困ったように首をかしげ、答えるゲノムに、僕はため息。
「ま・・・なんだかんだでゲノムを先に入れたのは正解だったみたいだね。
僕はゲノムみたいに・・・木から木へ移動とか・・・できないから」
多分僕の場合、直ぐに警察に見つかってジ・エンドになってしまう可能性のほうが高いだろう。
これだけ監視の目が厳しい場所に潜んでいられる自信はない。
「そうじゃの・・・。カヅキ殿はしばし待たれよ。直にわしが、カヅキ殿の通れる道を用意しよう」
「うん。よろしく頼むよ」
モフモフの愛らしい顔で放つ、この頼りがいのある台詞を疑う気持ちは、僕には微塵も湧いてこなかった。
ゲノムができるというのなら、それは間違いのないことなのだろう。
先程のアシアト共との戦闘の際、ゲノムの不思議な力を目の当たりにした僕は、一つ気づいたことがある。
僕は未だにゲノムに現実味が持てないでいるようなのだ。
まるで漫画のキャラクターが現実世界にやってきてしまったのだとでも言わんばかりに、僕にとってゲノムはファンタジーだった。
・・・いや、むしろファンタジーでなくては困るのだとさえ言える。
こんな現実離れした人間と出会い、奇妙な敵に追いかけられるという状況。
ファンタジーという他人事なフィルターを通さなければ、僕はそれを受け入れることすらできないだろう。
だからゲノムはファンタジー。なんでもありなファンタジーなのだ。
「とりあえず、僕はなるべく校舎の近くにいるから。何か解ったら合図して」
そう言って、軽く手を振る僕に、ゲノムはコクリと頷き。
「了解じゃ」
そう言って再びガサゴソ。木葉に身を隠し、塀の向こうへと姿を消した。
ゲノムの姿が消えれば、辺りに聞こえるのは夏の終わりを引きずるセミの鳴き声。
ここはただの、人気のない路地裏。
「・・・さて」
ゲノムの居ない間、精々逃げなくては。
コツリと、つま先に当たった小石が飛んだことに気づき、視線を落とした僕は、僕の影が二つに増えていることに気づいた。
前方と後方に分かれた二つの影。二つとも何の変哲もない影にしか見えないのだが・・・
付近にある器物の落とす影から判断するに、今この場所で二つの影を持っているものは僕だけらしい。
・・・つまり、どちらか片方は、僕の影ではない。
「ああもう・・・怖いなぁ・・・」
深呼吸一つで、なけなしの勇気を振り絞り、僕は歩き出す。
逃げなくてはいけない。でもどこに?
足元の二つの影は、歩き始めた僕に付いて、静かに移動を開始した。