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KERI  作者: テルサキ
14/26

ep.13【変態さんいらっしゃい】

人気のない我が家。廊下の空気は僅かに差し込む夕日に色づき、日暮れ時が近いことを思わせる。

ちらりと居間を覗けば、そこには叔母からの置手紙が確認できた。

なんでも、今日は町内の婦人会とやらに出席するそうで、帰宅が遅くなるそうだ。

 先程立ち寄った陽一の部屋に、ランドセルが置いていなかったあたりを見ると、彼もまだ帰宅していないようである。

学校の授業はもう終わっているはずなので、恐らくはどこかで道草でもくっているのだろう。


 ・・・そう、近所の中学校であんな事件があったばかりだというのに、うちの家族の日常は変化なし。

どうせ、帰宅が遅い僕のことも、大して心配していないのだ。

正直、緊迫感に欠ける気はするのだが。今だけはその平和ボケした態度に感謝しなければなるまい。


だってそのお陰で、僕は誰にも見つかることなくゲノムを部屋に連れてくることができたし、

今もこうして、陽一の服をゲノムに着せてあげることができている。


 やはり僕の予想通り、今年小学校に上がったばかりの陽一の服は、ゲノムの体型にもぴったりだった。

黄色のタンクトップと、キャラクター入りの緑色のパーカー。紺色のハーフパンツの裾には、カラフルな動物たちのシルエットが楽しげに描かれている。


「・・・なに惚けた顔しておるのじゃ。

 おぬしが選んだ服ぞ。似合わぬとは言わせぬ」


もし、ゲノムからその言葉をかけられなければ、

僕はいつまでも、目の前にいる、ごくごく平凡な幼女の姿に見入っていたことだろう。

・・・そう、今僕の目の前にいるのは、どこにでもいる、ちょっとばかし容姿の整った、普通のお子様。

 確かに髪型は特殊かもしれないが、服さえ平凡にしてしまえば、そのヘアスタイルも妙に世間に馴染んだものに見えてしまうから不思議だ。


「・・・ああ、いや。似合ってるよ。

 思ってたより、ずっと似合ってる」


ーー・・・似合ってるけど


目の前で起きたゲノムの変化は、

僕の脳内を一つの覚醒状態にさせた。

そう、いわゆる「夢から覚めた感じ」


ーーこいつって、普通の子供だったんだ


突然目の前に現れて、大人顔負けの不遜な態度で、僕をわけのわからない状況に巻き込んだゲノム。


 僕は現状に右往左往しつつも、どこかで夢を見ている気持ちでいたのかもしれない。


だってそうだろ。

子供のくせに僕よりも早い足。

非現実的なファッションスタイルに、キャラクターじみた言葉遣い。

くわえて、僕がテレビでも見たことないような、巨大な化け物の襲来。


これらを一気に目の当たりにした僕に、現実感なんてあるわけがなかったのだ。


 なのに、今目の前にあるこの光景はなんだろう。

現実感満載。とってもよくある風景。

 醒めた僕の頭に浮かび上がるのは、目の前の幼女に対して捧げる、精一杯の現実的対処法。


「・・・君さ、記憶喪失なら警察か、病院行ったら?」

「は?」


そう額を押さえる僕の姿に、ゲノムは驚いたように眉根を寄せた。


「いや。今更なんだけどさ。君、子供じゃん。

 妙に大人びてはいるけど、所詮子供じゃん。

 絶対ご両親、心配してるよ。

 とにかく警察行こう。そこでなんとかしてもらおう」


ぐっと拳を握り、僕は真正面からゲノムの視線を捕らえる。ゲノムは相変わらずキョトンとした表情をしていた。


「な・・・いきなりどうしたのじゃ?カヅキ殿」


突然様子が変わった僕が信じられないのだろう。

ゲノムにそう問われ、僕は答える。


「だってさ!」


頭をよぎるのは、娘の失踪を前に涙するゲノムの御両親。

そして、そんな御両親のために捜査に動き出す警察官の皆様。


「この状況じゃ、僕が誘拐犯じゃん!犯罪じゃん!」


 こうして我に返った僕の思考は、この事態の客観的な問題点に辿り着いてしまう。

イヤだよ僕。齢十四にして前科ありとか。

ただでさえ陸上部の王子様とかいう困った称号があるっていうのに、この件のせいでロリコン呼ばわりされることになったら、一体どうすればいいっていうんだ。

 とにかく僕は、普通の女の子でいたいんです!


「・・・ほう。カヅキ殿はそのような心配をしておるのだな」


そんな僕の言葉が通じたのか、ゲノムは納得した面もちで

頷いてみせる。腕を組み、目を伏せて考え込むその様子は、大層大人びていると同時に、どこか不安そうでもあった。


「しかしわしは、警察やら病院やらには行けぬ。

 アシアトと名乗るあやつらに命を狙われている限り、

 わしの行く先々には襲撃が耐えぬ。

 多くの人を巻き込むような場所には、行きとうないのじゃ」


そう言うゲノムの声は僅かに震えていて・・・

途端、僕は後悔する。


「あ・・・」


一瞬でも、我が身を守ることに思考が行った自分が恥ずかしい。



「ごめん。そうだよね・・・」


ゲノムが怯えていないわけがなかったのだ。彼女だって不安に決まってる。

一番の被害者はゲノムなのに、そんな彼女を見捨てるような発言をした自分が悔しい。


「今までずっと、一人で耐えてきたんだもんね。

 大変だったんだよね・・・ごめん」


今、僕の胸に沸いてくる思いがある。頼りないかもしれないけど、僕はゲノムの力になりたいのだ。

彼女を孤独から守ってあげることができるのなら、僕は、僕の精一杯を捧げよう。


「・・・出会ったのも何かの縁だもん。

 僕がゲノムの味方になってあげる」


そう言って、僕は目の前に佇む子供の頭を撫でてやる。


「カ・・・ヅキ殿」


上目遣いに僕をのぞき込むその顔は、少し恥ずかしそうで。震える唇で紡ぐ言葉は、幼気で愛らしくて、まさに天使・・・


「カ・・・カヅキ殿、トイレ!わし、トイレに行きとうなった!」


・・・前言撤回。やはりこいつは、ただのガキだ。

畜生。震えてたのはそのせいかよ。一人で盛り上がっちゃった僕、馬鹿みたいじゃないか。


「話の途中、このようなことを言って申し訳ないが。

 先程のお茶が、今まさに出ようとしているところなのじゃ」


そう謎の実況を添えて、ゲノムはもじもじと身体をよじらせる。

どうも、限界らしい。


「・・・案内するよ」


 恥ずかしさのあまり枕にパンチをかましたい衝動をぐっとこらえ、僕はポリポリと頭を掻く。

とりあえず、お子様に生理現象の我慢を強いてはいけないだろう。

 ゲノムの小さな手を取り、僕は廊下に出た。

心なし、先程よりも夕闇が深まっているように思える。薄暗い廊下は、次第に二人分の足音に埋められていく。


「うぅ・・・すまぬの、カヅキ殿」


隣を歩くゲノムは言う。


「おぬしに迷惑をかけ続ける気はないんじゃ。

 アシアトどもの探しているパンドラとやらを、奴らに渡すことができれば・・・

 もしかしたら問題は解決するのかもしれぬが・・・」


自信なさげに俯き、そう呟いたゲノムの顔はやはり妙に大人びて見えて。僕はかける言葉がわからない。

 ただ唯一、胸に残るのはある単語に対する違和感。


「・・・パンドラ?」


ゲノムの手によって閉められた個室の扉の外で、僕は一人呟く。

なぜだろう。この名前、聞き覚えがあるどころか、言い覚えがある気が、すごくしたのだ。


「パンドラって・・・まさか・・・?」


僕を助けてくれた謎の声。あれも自らのことを『パン☆ドラ』と名乗っていたわけだが。

アシアトの探しているパンドラと、あの謎の声の主は関係あったり・・・するのだろうか?


 すっかり暗くなった廊下に明かりを灯すことさえ忘れて、僕は歩く。自然、足は自室へと向かっていた。


「うーん・・・パンドラ・・・パンドラって・・・」


考え込みながら、僕は部屋の扉を開き、後手でその扉を閉め・・・

そしてその次の瞬間、僕の思考は停止した。


 簡素なパイプベッドと最低限の家具。先程まで何の変哲もなかった筈の僕の部屋から放たれる違和感。

とりあえず、部屋中の鏡という鏡が割れている。

・・・なんだよ、これ。

恐る恐る、近くに落ちていた手鏡を拾い上げた僕は、割れた鏡面越しに、自分の背後に浮かんでいる白い影に気づいた。


「・・・っひ!」


薄ぼんやりと輝くそれは、人間の輪郭を象っており、不気味な黒い眼球は、戦慄する僕の様子を虚ろに伺っている。

僕は恐る恐る、自分の背後を確認するが、そこには誰もいないという、ホラーならば定番のこの展開。

・・・ねぇ、お願いだからちょっと待って。僕ダメなの。本当に僕、お化けとか幽霊とか、そういうのすごい苦手なの!


『・・・やっと・・・』


不意に、鏡の中から声が聞こえる。

まるで深い泉の底から喋っているかのような、低く、曇った声だ。


『やっと・・・二人っきりだ・・・カヅキ』

「・・・う・・・っわ!」


パリンと、高い音が響いた。

途端、僕の手の中で手鏡は砕け散り・・・僕は僕に触れる、冷たい感触に気づく。


『初めて見る・・・カヅキの部屋・・・思ったよりも・・・綺麗にしてるんじゃん・・・』


僕の意識、今ここで華麗にブラックアウトできたらどれだけ幸せか。

やめてやめて。これ以上僕に恐怖体験させないで。


『ここで毎日カヅキは・・・寝て・・・あああ・・・たまらん!』


僕に触れる冷気が、不意に僕の腰を締めつける。それが合図だった。


「・・・っぎぃやああああああ!!」


恐怖に耐える理性はスパークし、僕はがむしゃらに走り出した。

肩で打ちつけるように部屋の扉を開き、僕は廊下に走り出る。

・・・誰か助けて!怖い、怖すぎるよこれ!


『・・・どこへ・・・行くのだカヅキ。折角・・・二人きりだというのに・・・』

「げ・・・ゲノム!げのむぅうううう!!」


僕は、背後から迫ってくる恐怖に耐え切れず、その名を呼ぶ。

幼児に頼るとは我ながら情けないとは思うが、今この家にいる人間は彼女だけなのだ。その名を呼ぶしかあるまい。


(・・・なんじゃ。どうしたのじゃ、カヅキ殿?)


個室の向こうから聞こえてくる幼い声に、僕は僅かに安堵し、その扉に縋りつく。


「で・・っ・・・でっ・・・・・!」


一刻も早く現状をゲノムに伝えたいと思うのに、ああなんていうことだろう。恐怖のあまり、唇が震えて言葉が出ない。


(・・・そうか、カヅキ殿もトイレに行きたかったのじゃな。よし、もう少々待て)

「い・・いや・・・ちがっ・・・そうじゃなくって!」


唇を舌で湿らせ、僕はもう一度言葉を紡ぎだす。


「で・・・出た!出たんだよ!今!」

(なに!既にもう・・・・手遅れだというのか!)


・・・これは参った。ゲノムは僕の発言を勘違いして受け止めたらしい。


「違うよ!そういう類の下の話をしているわけじゃないんだよ!出たっていうのは・・・お・・・おばけ!おばけが・・・」

『カヅキの髪・・・良い香りするね。シャンプー・・・何使ってるの?』

「お化けが出てきて、僕に向かって初々しい恋人同士みたいな発言を!」


目に見えない冷たい指先に首筋を撫でられる感触に、僕の肌は泡立つ。

心なし、辺りの温度すらも下がっている気がしてならない。本当なら、この場所も、軽く汗ばむ程度に暑いはずだったのに。畜生心霊現象め!


 そんな僕の危機を感じ取ってくれたのだろう。次の瞬間、ジャーゴボゴボと水流音を背負って、個室の中からゲノムは現れた。


「・・・どうしたのじゃ?大丈夫かえ?カヅキ殿」


きょとんとした顔で僕を見上げるこの幼女が、今度こそは間違いなく、天使に見える。


「げの・・・っ!ゲノム!助けて!」


見えない腕を振りほどき、 なんとかゲノムの足元に崩れ落ちた僕は、次の瞬間、信じられない言葉を聞いた。


「・・・む。なんじゃ、パン☆ドラ殿ではないか。おぬし、今までどこに行っておったのじゃ?」


・・・なんと見事な星マークの発音だろうか。いや、驚愕すべきはそこではない。

つい今しがたまで僕が立っていた場所に視線を注ぎ、口を開いたゲノムは今・・・何と言った?


「パン・・・ドラだって?」


パンドラって・・・あの?アシアトの襲撃から僕たちを助けてくれた、あのパンドラのことか?


「・・・パンドラ殿。おぬしに何が起きたのかわからぬが・・・・ダメじゃないか、そのような半裸でカヅキ殿に迫っては。

 カヅキ殿はおなごなのじゃから・・・ほれ、こんなに恥ずかしがっておる」


何を勘違いしているのか、そう僕を指差すゲノムの口調は、やや怒りに煙っている

・・・いや、別に僕は恥ずかしがってるわけじゃないんですけど。ていうか、半裸だったんだ、このお化け。


「あの、えっと・・・ゲノム、もしかして・・・僕には見えない何か、見えちゃってる?」


ゴクリと息を呑み、僕は尋ねる。僕には夕闇に染まった廊下にしか見えないこの空間なのに。

先程からのゲノムの口振りから判断すると、彼女にはここにもう一人の人間の姿が見えているらしい。


「・・・ほ?何を言っておるのじゃカヅキ殿。先程わしらの前に現れたあの男ぞ?パン☆ドラ殿じゃ。今そこに立っておるではないか」


そう言って小さな指で宙を指すゲノム。一応目を凝らして指の先を見つめてはみるが、やはり僕には何も見えない。


「見えないんですけど・・・」


そう正直に呟いた僕に、返事をしたのは謎の声・・・パンドラだった。


『・・・当然だ。今の私の姿は・・・人間には見えぬ。情けないな、ゲノムよ。このようなことすらも忘れ去ったか。』


僕には相変わらずその姿は見えないが、声から判断するにこの男、ゲノムを嘲笑っている。


「人間には見えぬ・・・じゃと?では何故、わしにはおぬしが見えるのじゃ?」


案の定、パンドラの様子が気に障ったらしい。ゲノムの返しは、やや反発的に聞こえた。


『ふふ・・・これは・・・余りにも酷いな。ゲノム。』


次に聞こえたパンドラの声は、露骨なまでにゲノムを見下したものだった。


『ゲノム・・・お前が人間であるわけがなかろう。本当に何も覚えておらぬのだな。

 どうりで・・・あの程度のアシアト共に苦戦していたわけだ。

 このままでは本当に、この私を奴らに手渡しかねんな・・・」


嘲りの中に、僅かな苦みを含ませたその言葉。先に反応したのはゲノムではなく、僕だった。


「・・・ちょ・・・ちょっと待って?どういうことだよ、ゲノムが人間じゃないって?」


・・・今、聞き間違えじゃなければ確かにそう言ってたよね?

僕は問う相手を探し、視線を泳がせるが、当然見つかる筈がない。


『・・・そうだとも、愛しい人よ。お前も内心では薄々感づいていたのだろう?』


途端、聞こえてくる甘い声。ゲノムに対するそれとのあまりの差に、僕の肌にさぶいぼが立つ。

・・・確かにゲノムの存在は人間という枠を超えてしまっているような、そんな予感は持っていた。

それにしても何故、さっきからこいつは僕に対して恋人発言を連発してくるのだろうか。怖い上にキモいんですけど。


『ゲノムは人間ではない。ゲノムという名の存在なのだ。

 あのアシアト共も、所詮はその存在の一部に過ぎぬ』

「あやつらが・・・わし?」


しばらくの間放心していたゲノムが、ここに来てようやく口を開く。


「あの・・・おそろしーやつらがわしの一部じゃと!そんな・・・バカな話があるかえ?」


驚きに目を潤ませ、拳を振り上げるゲノムを、パンドラは一笑した。


『ふん。記憶を失う程度のことで、ここまで弱くなる輩だとは・・・私も予想外だった。

 おぬしを相棒に選んだ私の目が誤っていたのかもしれぬ。

 このままでは・・・私の愛するカヅキの命をも、危険に晒すことになるぞ。』

「・・・え、僕!?」


予想外の名指しに、僕の背中は跳ねあがる。


『そうだカヅキ。お前はこの私とキボウツキの契りを交わした人間。

 お前の命が続く限り、私はお前だけのモノである。

 ・・・つまり、今後は私を奪おうとする輩が皆、カヅキを襲うことになるのだ』

「え・・・えええ!!」


まさかの事態である。ゲノムを狙っていた、あのアシアトとかいう化け物、

今度は僕が、あいつらの標的になってしまうらしいのだ。


・・・ていうかもう、死ぬしかないってことだよね?


「そんな・・・だって!ぼくっ・・・・僕・・・何もしてないんだよ!?」


パンドラの姿が見えないため、必然的に僕の訴えはゲノムに向けられる。


「キボウツキとか・・・初耳なわけだし、契りなんて交わした覚えないし!」

『はっはっは。照れ屋さんだなぁ、カヅキは。

 この私と肌を合わせた、あの熱い一時を忘れたとは言わせぬぞ』

「忘れたよ!ていうか・・・ねぇよ、そんないかがわしい一時!」


咄嗟に繰り出される僕の裏手。突っ込みの対象となる人物の姿が見えないので、位置は適当である。

一瞬指先に触れた冷気から察するに、僕の裏手は一度だけパンドラにクリーンヒット。

ただ、その次の瞬間には、パンドラの冷たい手の平により、僕の裏手は、右腕ごと拘束されていた。


『やれやれ、今回のキボウツキは、随分と腕白なようだな・・・。まぁ可愛いから全然OKなんだが』


――・・・可愛い。僕が?


パンドラの発言に肌を泡立てつつも、聞きなれない「可愛い」という言葉にピクリ反応してしまう自分が哀れだ。

いや・・・だって。僕、女の子だもん。可愛いとか言われたらそりゃ・・・嬉しくないわけがないわけで。


『とはいえ、私はホモだからな。カヅキが女であったことが残念といえば残念・・・』

「ちくしょうっ!結局そのパターンかよ!」


 勢いよくパンドラの腕を振りほどき、その拳をフローリングの床に叩きつける。

目の前のお化けもどきからすらこの扱いである。僕は、僕の本当の性別は一体どこに行ってしまったのだろう。


「・・・そうか。パンドラ殿とカヅキ殿は並々ならぬ関係なのじゃな・・・」


不意に、長い間黙りこくっていたゲノムが口を開いた。

妙に納得したような口調であるが、彼女は一体何を悟ったというのだろう。


「しかしパンドラ殿、わしはやはり、いかんと思うのじゃ」


キッと凛々しく宙を睨むゲノム。恐らくその視線の先にパンドラがいるのだろう。

水色の大きな瞳に鋭い光りがよぎったのが見えた。こんな真剣なゲノムを見るのは、これが初めてかもしれない。


「いくら恋人の家とはいえ・・・大の男がそんな恥部を露出した格好で廊下をうろつくなど・・・」


――・・・う・・・ん?


鋭い眼差しで宙を睨んでいたゲノムの視線が、徐々に下方へ、即ちパンドラの下半身に移って行く。

 ぶっちゃけ今、僕は悪い予感しかしていない。


「せめて・・・パンツを穿け。一応ここは、カヅキ殿の家族にとって公共の場ぞ」

「半裸ってそっちかよ!」


なにその衝撃の事実。こいつ、この男。今までずっと、下半身丸出しで僕の前に居たっていうのか!?

いや確かに、パンドラが半裸であるという情報は事前に得ていましたが、上半身の話だと信じて疑わなかったよ、僕!


『別に・・・いいじゃないか。私はカヅキのモノなのだし。

 それに・・・ゲノムさえ邪魔しなければ、今の今まで良いムードだったのだぞ?』

「やめて!想像するだけで気持ち悪い!ていうか良いムードってなんだよ!ホラー映画のワンシーンみたいだったぞ、あれ!」


割れた鏡、一日の終りが薄暗く漂うあの部屋。

もし、僕があそこから逃げ出さなかったら?もし、ゲノムがここに居なかったら?

僕は今頃、一体どんな目に遭っていたというのだろうか。その恐怖は心霊現象のそれを遥かに上回る代物に違いない。


『・・・しかしまぁ。折角良いムードになったとしても、私に本体がないのではカヅキの期待に応えることは出来ぬ。

 残念だがカヅキ、この続きは私とお前が、真の出会いを果たす時までのお預けとしよう』

「続かねぇよ!永遠にその後はこねぇよ!・・・ていうか・・・」


――本体・・・って、何?


今目の前にいるらしいこの男、こいつがパンドラ本体・・・むしろ本人ではなかったのだろうか。

それにも関わらず、本体がないとか、真の出会いとか、どういう意味だ?

その問いかけを口にしようとした次の瞬間、僕の耳はテコテコと鳴る幼児の足音を聞いた。


「・・・パンドラ殿っ!今、ズボンを見つけてきたからっ!ほれ、とにかくこれを穿くのだっ!」


そういえばいつの間にか、ゲノムの姿が消えていたことに今更ながら気づく。

どうやら、半裸のパンドラを心配し、彼に見合うズボンを探しに僕の部屋に行っていたらしい。そう、僕の部屋に。


「ねぇゲノム。そのズボンってまさか・・・」

「はいっ!これならば良く伸びるから、お主のような長身でも穿けるじゃろ!」


そう言ってゲノムが差し出すのは、伸縮性に富んだ生地でおなじみ、ジャージのズボン。

つい先程まで僕が穿いていた、学校指定のアレである。


「いやああああ!!やめてえええええ!!!」


僕、大絶叫。

学生服を着れない僕にとって、ジャージは僕のユニフォーム。青春の証なのだ、それを・・・・!


『・・・ふむ。確かに穿けなくもない。少々締めつけがきついが、カヅキの穿いていた物だと考えればその締めつけも快感に』


僕の制止も聞かず、パンドラはジャージを穿いてしまったのだろう。

宙に浮かび上がる不気味なジャージは、縦にも横にもパッツンパッツンに伸びきっていて、パンドラの下半身との完全なる一体化を果たしている。


「・・・しまったパンドラ殿。ズボンよりも先にパンツを探してくるほうがよかったの。うっかりしておった」

『いや、気にする必要はない。元々私は、パンツを穿かない主義なのだ』


――最悪だ。


ここで断言しよう。僕はもう二度と、金輪際決して、あのジャージズボンを穿くことはないだろう。

さようならジャージ。さようなら僕の青春。


『・・・さて。本体のない私に許された時間はこの程度か。

 名残惜しいが、最後にカヅキと話せて、嬉しかったぞ』


不意にパンドラ・・・もとい、宙に浮かぶジャージズボンが僕に向き直り、そう告げた。


「・・・へ?」

「最後・・・とは、どういうことじゃ?パンドラ殿?」


別れ際のものだとしか取れないその発言には、僕より先にゲノムが反応した。


『つまり・・・今ここに居る私は本来の私ではないのだ。

 私は、今日カヅキの身に危機が迫ることを知り、咄嗟に我が力の一部を切り離し、カヅキの傍に付けていた。

 カヅキの命を守れたのは良かったのだが・・・所詮この身は分身、あまり長持ちするものではない』


相変わらず顔の見えないパンドラだが、その声は心なし寂しそうに聞こえた。


『カヅキよ。見ての通り今のゲノムは頼りない。お前が今後生き延びるためには、

 一刻も早く、私の本体を手に入れる必要がある。

 私パンドラはカヅキだけのもの。もしカヅキ以外の人間が私に触れてしまえば、そのものにどんな災いが降りかかるかわからぬ』


そう言って、僕に歩み寄ったパンドラは、その冷たい手で僕の頭を軽く撫でた。


「・・・そんな・・・でも。本体って何?一体・・・どこにあるの?」

『ヒントは、充分に与えたつもりだ』


僕の問いに、帰って来たのは、ただ意味深なだけの言葉。


「・・・っ!パンドラ殿、お主・・・身体が透けて・・・!?」


不意に、ゲノムが息を呑む。

まぁ、僕からすれば最初から透明の人物なわけであるが・・・どうやら今、そのパンドラの身体が消えつつあるらしい。


「ちょ・・・ちょっと待ってよ!ヒントって・・・何!?全然わからないんだけど!」

『・・・安心するがいいカヅキ。私にはわかる。お前は必ず私の本体を手に入れることができる。』


戸惑う僕に、パンドラは穏やかに続ける。


『ただし、その為に一人、お前はお前の友人を犠牲にすることになる。気を付けることだ・・・』


そして、それがパンドラの最期の言葉だった。


「・・・・待って!」

「パンドラ殿!」


手を伸ばした僕らの目の前で、ひらり地に落ちるジャージのズボン。本当に、パンドラは消滅してしまったのだ。


「・・・そ・・・」


――そんな、あんまりだ・・・


突然叩きつけられた、非現実的にしか思えない命の危険。

僕は驚愕と恐怖に、その場にへたり込む。


「・・・のぅ、カヅキ殿。これはなんじゃろ?」


不意に名前を呼ばれ、僕は力なく顔を上げた。そこにはジャージズボンを抱え込んだまま、不安そうに僕を見つめるゲノムの姿。

彼女も今、それなりに混乱しているのだろう、その瞳は一杯の涙で潤んでいた。


「・・・これ・・・って?」


ゲノムの小さな手には一枚の紙切れ、否、写真が握られている。


「ズボンと一緒に、今落ちてきたのじゃが・・・なぜ、カヅキ殿とパンドラ殿が一緒に写っておるのかの?」


瞬間、僕の脳裏に蘇る記憶。そういえば、野村さんの家から持ってきた心霊写真、ズボンのポケットに入れっぱなしだったんだ。


「うわあああ!見るなぁああ!」


途端に暑くなる両の頬。いくらゲノム相手とはいえ、パンツ一丁の自分の姿を見られるのは死ぬほど恥ずかしい。


「いやしかし・・・カヅキ殿は本当に男前じゃの。

 もしおぬしが正真正銘の男子じゃったら、この写真を目にしたご両親は自分の息子を誇りに思うじゃろうて」

「うるさいっ!そんなマジマジと見るなよ!・・・てか・・・・てかっ!」


――・・・誰と一緒に写ってるって?


ゲノムの手から写真を奪い、僕は呆ける。


「まさか・・・パンドラってこの・・・死神みたいな・・・?」


・・・おどろおどろしい様相で僕の背後に写ってる、この骸骨男のことだったりする?

そう問いかける僕に、ゲノムははっきりと頷いて見せた。


「そうじゃ。少々写真写りが悪いようじゃが、これはどう見てもパンドラ殿じゃろう。

 初対面の筈のカヅキ殿が、このような写真を持っているとは、不思議じゃのう?」


撮影現場・図書準備室、撮影者・野村優香。ここにあるのはそんな一枚の心霊写真。


「まさか・・・ヒントってこのことだったりする?」


・・・確かに、この心霊写真なら野村さんがネガフィルム一本分撮影してくれている。

充分にヒントを与えたという先程の台詞にも当てはまるかもしれない。


「・・・カヅキ殿・・・おぬしはやはり、パンドラ殿を探しにいくのかえ?」


不安そうなゲノムの声。

 当然、僕は頷くしかなかった。


あの変態と再会することはできれば避けたいのだが・・・背に腹は代えられない。


「とりあえず明日、もう一度学校に行ってみよう。この写真の撮影場所を調べたら、何かわかるかも」


そんな僕の提案に、ゲノムは神妙な顔つきで頷き返す。


「わかった。もしカヅキを襲ってくる輩が現れたら・・・出来うる限り、わしがそいつらを追い払おう」


そう言って差し出された小さな手の平を、僕は何の迷いもなく握り返す。


 僕とゲノムは、互いにお先真っ暗。何に巻き込まれているのか解らないもの同士なのだ。

奇妙な感覚ではあるが、僕はここに一つの同盟ができたような、そんな気がしていた。

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