ep.09【事件現場とマスコミと】
結局、学校から連絡が来たのは正午を回る時間帯だった。
先生方の話によると、今回の爆発の規模は小さいらしい。
破壊されたのも、体育館裏のトイレのみに留まっていたようで、
怪我人もいなければ、その他の建物の被害もないとのこと。
とはいえ、この爆発は人為的に引き起こされたものであることだけは確かなので、用心をとって今日と明日は休校になるらしい。
「ようやく皆と同じ学校に通えるようになったと思ってたのに。こんなのってないです」
心底気落ちした様子で、野村さんは言う。
先程聞いたのだが、野村さんは中学に入学すると同時に心臓を患い、つい最近まで入院生活を余儀なくされていたそうだ。
「このこ、学校に通うの本当に楽しみにしてて、病室でも教科書を手放さなかったくらいなんですよ」
そう悲しそうに微笑むのは野村さんのお母さん。娘である野村さんを赤ずきんちゃんと表現するなら、こちらは白雪姫といったところだろうか。
僕がもし男の子だったら、涎を垂らしてハァハァ言ってしまいそうなほどの超絶美人である。
多分まだ、三十路は越えてないのではないだろうか。驚くほどに若いお母さんだ。
「・・・ふーん。それは残念だったね。早く事件が解決すればいいんだけど」
フォーク片手に、僕は答える。
ちなみに現在、僕は野村家のランチタイムにお呼ばれ中だったりする。
今、野村さんのお宅に連絡があったということなので、当然、僕の家にも連絡は回ってきている筈だ。
家族が心配する前に帰宅せねばと思っていたのだが・・・
美人のお母さんに「是非一緒に昼食を!」とせがまれたのだ。断れるわけがない。
そんなこんなで目の前には豪華絢爛な洋食メニュー、傍らには上品な中年給仕が二名という有様。
食器は鏡同然に磨きこまれた銀製のものばかりだし、器はノリタケで統一されている徹底ぶり。僕、黒沢カヅキ十四歳は現在、人生初のVIP待遇に戸惑いが隠せない。
「あ、先輩。もしうちの料理が口に合わなかったら言って下さいね?
一応うちのシェフ、和食の勉強もさせてますから、ある程度のリクエストは通るかと思います」
緊張のあまり、全然食が進まない僕を心配したのか、野村さんは驚きの提案をかましてくる。
「いやいや、これで十分でゴザイマス」
強張った笑顔で僕は答えた。これ以上金持ちっぷりを見せつけられてしまったら、僕の意識は蝶のように華麗に飛び去ってしまうに違いない。
そんな僕の返答の心元なさを感じ取ったのだろうか、野村さんが不安そうに唇を開いたその瞬間、彼女の目の前に、大量のスープカップを乗せた金色の台車がやって来た。
「お嬢様、そろそろお時間でございます」
台車を引いてきた若い男性休止は、粛々とした口調で野村さんに向かう。
「さ、優香。黒沢様も見てらっしゃるのだから、今日くらいは好き嫌いしてはダメよ」
台車の上の一つを受け取り、野村さんのお母さんは言う。頷いてそれを受け取る野村さんの姿に、僕は驚きを隠せない。
――・・・え?野村さんって一人でこんなに沢山食べる人なの?
だって野村さん、既にフルコースのデザートまで完食しちゃってるんだよ。とんでもなく華奢な身体してる癖に、この大食いっぷりは予想外でしょ。
見開いた瞳で野村さんの様子を伺っていた僕は、ちらりとスープ椀の中身を確認し、そして呟いた。
「・・・全部薬かよ」
「ねぇお母様。粉薬は全て、紅茶に溶いてしまっても構わないでしょう?」
目の前の器を満たす医薬品の量に、僅かな涙を浮かべながら、野村さんは懇願する。
「ダメよ。それじゃあ効果が薄れるって、お医者様も言ってたでしょ」
そう返し、野村さんのお母さんは笑顔のまま、水差しを手に取り、娘のグラスを満たした。
「・・・でもこれ、とても苦いんですもの」
「あら、水薬はとても甘い筈だから、交互に飲めば良いのではなくて?」
そして、そんな会話を交わす母娘の前に、並べられていく薬の数々。
・・・この量じゃ、薬を飲むだけで三十分はかかりそうだ。
「ほら、食事が終わったら、黒沢様を学校までお送りする約束でしょう?
急がないと、黒沢様をお待せすることになるわよ?」
「うぅ・・・がんばります・・・」
そう言ってちらりと僕に視線を投げかけ、弱弱しく薬匙を手にとる野村さん。
眉間に深い皺を刻みつつ、粉、水、錠剤の薬を三角に消化していくが、とにかく膨大な量の薬は一向に減る気配がない。
そんな薬の味と匂いに、時に堰き込み、時に項垂れつつ、野村さんは器に匙を突っ込んでいく。
・・・結局、野村さんが全ての薬を消化するためには、一時間もの時間が必要になったのだった。
「・・・もしかしてだけど。野村さんってさ、まだ入院してなくちゃいけなかったんじゃないの?」
学校まで案内してもらう道すがら、僕は苦笑いを噛み殺し、問う。
「・・・え?どうしてそう思うんですか?」
応える野村さんの顔色は、いつも以上に青白い。これは病気のためというより、先程の薬の量によるものだろう。
「だってさ。家にいてもあれだけの薬を飲まされてるってことは、病気治ったわけじゃないんでしょ?
無理して学校に行くよりも、病院で安静にしてなくちゃいけない状態なんじゃない?」
「・・・嫌です。そんなことしてたら私、もう二度と学校に通えない気がします」
俯いてボソボソと呟く野村さんの声は、僅かに聞き取りづらい。
彼女の表情が、いつもよりずっと不機嫌に見えるのも、先程の薬のせいなのだろうか。
「・・・野村さん?」
唐突に胸を占領する不安感。僕はその感覚に押されるように手を伸ばし、隣を歩く小さな肩にそっと触れる。
次の瞬間野村さんは顔を上げ、
「あっ、先輩!学校の前、テレビカメラ来てますよっ!」
そのキラキラした目を、道の先にある校門と、マスコミの群れに向けた。
「えっ!?・・・あ。本当だ。あのリポーターの女性、僕、見たことあるよ!」
途端、空気を読まず首をもたげる僕の野次馬根性。
この変わり身の早さには、我ながら呆れてしまうのだが。なんたって僕はピチピチの十四歳(乙女)である。
テレビというワードにテンションは屋根より高く跳ねあがるのだ。
「すごいですね!生放送なのかな・・・」
「先生とかも、既にインタビューされてそうだよね。皆テレビに映るんじゃない?」
テレビカメラの近くで足を止め、鼻息荒く言葉を交わす僕と野村さん。そんな僕たちに、近づいてくる影があった。
「君たちっ!もしかして、この学校の生徒かい!?」
寝ぐせの付いた頭に瓶底メガネ。ヨレヨレの服装といった出で立ちは限りなく怪しいが、
手に持ってるマイクと、地方テレビ局のロゴが入ったワッペンを見る限り、彼がテレビ番組スタッフの一人であることは間違いない。
「あ・・・はい。そうですが・・・」
とっさにそう応えて、やや後悔。・・・あれ、もしかしなくてもこの流れは・・・?
「良かった!僕は「夕方ドストライク!」って番組のスタッフなんだけどね。今日流すVTRのためのインタビューを集めてるところなの!
もし良ければ、君たちにも協力してもらえないかなっ!?」
・・・案の定、掴まってしまったようだ。
「いや・・・でもあの。学校の友達に見られると恥ずかしいので・・・」
そう口ごもる僕。ただでさえ最近の僕は目立ち過ぎているのだ。これ以上ネタになるようなことはしたくない。
「ああ、そういうことなら!君たちの顔を写さないようにするから大丈夫だよ。
声もこっちで変えちゃうし・・・場合によっては、もらったコメントだけオンエアで使わせてもらうかもしれないから!」
僕をどうにかして説得しようとする男性スタッフの傍ら、不意に野村さんが口を開いた。
「いいじゃないですかっ!先輩!これも何かの記念だと思って!」
「そうそう♪何かの記念だと思って♪」
拳を握り、熱く語る野村さんの様子に、喜んで便乗してくる男性スタッフ。そして、なんとなく出てくる僕のため息。
「・・・まぁ。そういうことなら別にいいけど」
「ありがとっ!じゃあ、早速カメラを回させてもらうから・・・ちょっと待ってね!」
そう言って男性スタッフは一瞬傍を離れ、次に戻った時はカメラマンらしき仲間を引き連れていた。
「えーっとね。それじゃまず最初にお名前聞いてもいいかな?撮影記録で使わせてもらうだけだから、仮名で全然OKなんだけど・・・」
「あ、黒沢カヅキです」
仮名とか考えるのも面倒なので、本名をそのまま伝えた僕に続き、野村さんも嬉しそうに答える。
「西園寺・ローバル☆ひろ子です♪」
――・・・誰だよお前。
目の前の少女の言動に唖然とする僕。そして笑いを噛み殺しながら、メモ帳にペンを走らせている男性スタッフ。
「えっと・・・西園寺・・・漢字はこれであってる?」
ただの撮影記録なのだから、あえて漢字を正す必要など全くないと思うのだが。
どうも、このテレビスタッフはなかなかノリの良い人物だったようだ。
「はいっ!ローバルはカタカナで、ひろ子のひろはひらがな。
星マークの意味は、つのだ☆ひろの星マークと同じです!」
「・・・どんな意味だよ・・・」
額を抑え、つっこむ僕の前で、男性スタッフは耐え切れず笑いだしてしまった。
「あははっ!面白いねぇ君たち。夫婦漫才みたい。付き合い始めて長いの?」
そして次の瞬間放たれた言葉にストップザワールド。時よ止まれ。
「・・・・は?」
硬直する思考。とりあえず、今言われた言葉の意味が全くわからない。
僕は恐る恐る、隣にいる野村さんを見た。
そこには案の定、耳まで真っ赤に染めた可愛らしい顔があって・・・
「ひゃ・・・やですう!私なんかと付き合うだなんてっそんなっ!
私たち、まだ出会って間もないしっ!
先輩みたいなモテモテな人と私が恋人同士だなんてそんなっ!」
途端、焦点の定まらない目元で、手をパタパタ振り回し、挙動不審に陥る野村さん。
・・・いや、確かにテンパる気持ちは僕も一緒なんだけどさ・・・
「違うだろ!てか僕は女の子だからっ!付き合うとか、恋人とかおかしいからっ!」
咄嗟に野村さんの肩を掴み、両手でぐわんぐわんと振りながら言い聞かせる。
「・・・っは!そうでした!」
途端、我に返った野村さんは、実に申し訳なさそうな顔をして、僕に謝った。
「すみません!先輩には鴬谷先輩という素敵な恋人がいらっしゃるのに、私ったら興奮して失礼なことを!」
「違 う だ ろ !」
もう何から突っ込めばいいのかわからない。
とりあえず、野村さんが僕と鴬谷さんについて勘違いしていたことが判明。ショックだけは無駄にでかい。
「・・・あ、ごめんね?君、女の子だったんだ?」
暴走する野村さんを傍目に、目の前の男性スタッフだけは僕の言葉を正常に理解してくれたようだ。感激のあまり、僕の目頭は熱くなる。
・・・よかった。ここに大人がいてくれて、本当にヨカッタ!
結局このテレビスタッフのお兄さん方は、暴走する野村さんにはインタビュー不可能という判断を下し、
カメラは僕にだけ向けられることになった。
質問自体はどれも簡単で
「学校に行けなくなって、どんな気持ち?」
だとか
「校舎の一部が爆発したって話だけど、怖くない?」
といった感じのものだ。
正直、質問内容よりも、隣で暴走してる野村さんの行動のほうが気になってしまい、自分がどういう答えをしたのかうろ覚えになってしまったのだが。
男性スタッフはそんな僕の回答で、充分に満足してくれたらしい。
「ありがとう!多分このインタビュー、使わせてもらうことになると思うよ!」
カメラを止めると同時に僕にそう告げ、お礼にと、テレビ局のロゴ入りボールペンを二本、手渡してくれた。
「じゃ、気を付けて帰ってね。僕らみたいなのが言っても信憑性ないかもしれないけど、
しばらくは学校の周りウロウロしないほうがいいと思うよ」
――・・・だって、昔から言うだろ?犯人は必ず現場に戻ってくるって。
そう意味深に囁いて、僕たちを家路へと促す男性スタッフ。不意に僕は不安になる。
今の今まで野次馬として楽しんでいたけれど、今回のトイレ爆破は、僕の身近な場所で起きた事件なのだ。
もしかしたら、犯人は僕のすぐ近くで息を潜めているのかもしれないし、
爆破事件も、今回ので最後じゃないのかもしれない。
「・・・先輩?顔色悪いですよ?」
野村さんの言うとおり、今の僕は相当青ざめて見えることだろう。
なんだか寒気がする。事件を祭りのように捉えていた自分が馬鹿みたいだ。
「・・・ごめん。野村さん。僕帰るね。野村さんも気を付けて」
僕は手に持ったボールペンを一本、彼女に渡し、速足にその場を去った。
「・・・あっ!待ってください!先輩!」
速足は次第に駆け足に。
学校から逃げるように走り出した僕の背後で、妙に切ない野村さんの声がする。
「先輩・・・私たち、また会えますよね・・・?」
僕はその時、野村さんの言葉をきちんと聞き取ることができなかった。
自分の中で拡大していく「悪い予感」に心臓を圧迫されて、息が苦しい。
走れば走るほど、僕は追い詰められていく。
・・・もしかしたら、これが本能というものなのかもしれない。
僕は今確かに、足音もなく背後から迫ってくる「何か」に気づいていた。