優しさの仮面の裏に
女子・ダンス特別授業、最終レッスン。
シャンデリアの光が、磨き上げられた床に落ちている。
代表候補フォーメーション。
ひよりは外側。
左に桐生院美琴。
右に一ノ瀬麗華。
距離が、近い。
ほんの数センチ。
でも、狭い。
(……近い)
音楽が始まる。
一歩、二歩。
呼吸を整える。
重心は安定して、ヒールにも慣れた。
前より確実に踊れている。
前列中央、桐生院と目が合ったその瞬間。
桐生院の視線が、ほんの一瞬、一ノ瀬へ流れる。
合図。
曲が中盤に入り、講師の声が響く。
「ターン、三、二、一——」
その瞬間。
桐生院が、内側へ寄る。
明らかに進路を塞ぐ位置。
ひよりは反射的に右へ逃げる。
だが、一ノ瀬が通常より半歩早く回転を終え、進路に入っている。
左右から挟まれ、逃げ場が、ない。
(……!)
無理に軸をひねる。
ヒールが床を滑る。
体重が外へ流れ、どん、と鈍い音がした。
音楽が止まる。
ひよりは床に座り込んでいる。
足首に鋭い痛み。
押されていない、触れられていない。
これは、作られた事故だ。
見上げる。
桐生院は完璧な姿勢で立っている。
一ノ瀬も。
高宮の唇が、ほんの一瞬だけ上がる。
桐生院が一歩近づく。
「大丈夫ですか?」
穏やかな声音。
完璧な令嬢。
ひよりは理解する。
——わざとだ。
講師が足首を確認する。
「……腫れていますね」
静かな宣告。
講師は立ち上がる。
「西園寺さん。本番への出席は可能ですが、安全面を考慮し、ダンスへの参加は認められません」
ざわ、と空気が揺れる。
桐生院が小さく息をつく。
「残念ですわね」
一ノ瀬が続ける。
「怪我を悪化させては大変ですもの」
白石がハンカチを差し出す。
「冷やした方がよろしいかと」
完璧な気遣い。
そのとき。
高宮が一歩前に出る。
「先生」
やわらかい声。
「西園寺さんは、最近本当に努力なさっていました」
周囲が頷く。
「怪我で踊れないのはお辛いでしょうけれど…」
ひよりを見る。
慈しむような目。
「ご出席なさるだけでも、十分お役目は果たせますわ」
善意の顔。
講師も頷く。
「無理は禁物です」
高宮が近づき、距離が縮まる。
笑顔は崩さない。
そして、周囲には聞こえない声で言う。
「……身の程を弁えないからこうなるのよ」
ひよりの呼吸が止まる。
「あなたが私達と同じ舞台に立つなんて本気でできると思ったの?」
甘い声。
「日向様は渡さないわ。たとえ妹であってもね…」
先程とは一変して声色が低くなる。
ひよりの指先が震える。
「あなたと私たちとでは格が違うの。育ちも立場も」
さらに小さく。
「転んでくれて助かったわ。本番で恥かかれるよりマシだもの」
最後に囁く。
「見学席で拍手してなさい。そこがあなたの席よ」
ひよりは目を逸らさない。
涙は出ない。
高宮はすっと離れる。
そして声を戻す。
「本当にお大事に。無理なさらないでくださいね」
周囲からは称賛の空気。
「高宮様は優しいわ」
「さすがだわ」
誰も疑わない。
桐生院が締める。
「ひよりさん…本番のことは心配なさらないで」
ひよりは、ゆっくり立ち上がる。
足は痛い。
でも、背筋は伸ばす。
そして、微笑む。
「ありがとうございます」
折れない、崩れない。
その姿に、高宮の指先がほんの一瞬止まった。
優しさは武器。
でも。
戦いは、まだ終わっていない。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、ダンスの事故と「優しさの仮面」の回でした。
こういう“上品ないじめ”って、実は一番逃げ場がない気がします。
高宮の耳打ちは、あえて周囲とひよりの世界を分けるように描きました。
外から見れば完璧な令嬢。
でも本性は、ちゃんと牙を持っている。
このことを兄たちが知ったらどうなるのか。




