ある少年兵の追憶
大地に横たわる蛇。
多数の蛇が時に絡み合い、何匹も何匹も枝場を生やして、大地に跡を刻んでいく。
まるでアリの巣のように。
地を這うアリたちは、蛇の道を掘り続け、時に穴から顔を出し、そして、命を擦り減らしていく。
「砲撃注意!!!」
「「「砲撃注意!!!」」」
ブカブカの鉄帽、丈の合わない外套。
大きすぎるスコップを放り投げ、少年は、塹壕なか掘られた横穴へと身を投げた。
「くそが、砲兵ども今日は随分と大盤振る舞いだなぁ」
彼に覆いかぶさるように、身を投げた兵士が、砲撃の揺れによって砕けた瓦礫が彼に当たらないようにその身を守っていた。
「ほうげきが、きたってことは…」
「ああ、この後、ヤバいのが来るぞ」
畑を耕した後は、種を撒く。当たり前の話だ。
「来やがった、連合の魔女どもが!」
風を切る音を靡かせて、箒星が飛んでくる。
パシュン、パシュン。
気が抜けるような音と共に、圧縮された魔道回路が解放されて撃鉄を引き起こされた爆雷の雨が、死を運ぶ雨が塹壕の中に降り注いでくる。
「坊主、絶対にこの穴から顔を出すんじゃねーぞ」
「でも、それじゃあ、たいちょうどのが……」
「気にするな、泉下にいくには順番ってのが決まってる、つぎ行くのが俺ってだけの話だ」
―――無くすんじゃねーぞ。
崩れていく入り口の向こうから、差し込まれた守り刀。
それを抱え込んで必死に声を殺した。
「武士ってのは、時代遅れだ」
すでに、戦場は鉄の弾丸と、地を耕す砲撃、そして、天を覆う爆雷が支配している。
「それでもよぅ、抗い続けなくちゃなんねぇんだ」
握り込んだ柄頭、白く輝く杓光。
そして、振り切った残光。
「俺たちは、防人だからよう」
天空に奔る斬撃。防人の最低限の技量として語られる対空防御が、各地の塹壕から幾重にも連なって天を切り裂いていく。
連合に恐れられる、防人の飛ぶ斬撃。
空を支配していた連合の魔女たちも、少しでも揺らげば斬撃に喰われていく。
矜持を、魔力を、それでも足りなければ魂を込めろ。
それが武士の魂。
死せば諸共。
己が意思と、仲間の意思と。
それでも斬らねば、絆と遺志と―――。
「切り結ぶ、太刀の下こそ地獄なれ、踏み込み行けば、あとは極楽―――」
「―――狂ってやがる」
突き出された銃剣の先を切払い。
一振り。
二振り。
腹を抉り、首を飛ばした。
気が付けば、自陣を抜け出し、敵陣へと吶喊かましていたらしい。
記憶と意識が飛んでいる。
脇腹に銃創。
左腕は、あらぬ方向へと曲がっていた。さらに突き出される銃剣。
隣で似たような成れの果てと化してた先任士官殿がニヤリと嗤い、その兵士のそっ首を削ぎ飛ばした。
「おお、穴熊ぁ、生きてたか!」
「はは、すでに死に体ではありますが、後十歩くらいは駆けて見せましょうや」
「おう、意気や良し、砲撃陣地くらいは潰してやらんと、先に逝った戦友共に申し訳がたたんからな!
!」
「ならば、この身。最後まで先任殿にお預けいたしましょうや!」
血だらけ、満身創痍。
呵々哄笑を上げる鬼が二匹。それにつられるように、一匹、また一匹と似たような状態の鬼どもが集まってくる。
よく見た光景であった。
――月天の武士共は、負け戦であればあるほど油断してはいけない。
塹壕各所に、急造の小隊が出来上がり、想いお思いに徒花を散らしていく。
それらすべては、穴倉に押し込められた餓鬼どもが逃げ切るまでの時間稼ぎであり、更に後方で味方陣地が再編されるまでの時間稼ぎであるが、すでに鬼どもの頭にそんな高尚な意識は擦り切れて残ってはいない。
ただ、喰って狂いて乱れ咲く。
最後の途を駆けて逝くのみ。
「―――狂ってやがる」
「狂って、なんぼの徒花ヨ」
死ねば諸共、彼岸の一輪華として咲き乱れるのみ。
輝く杓光。
柄頭から迸る残光。
複数の小隊から、まるで示し合わせたように放たれた斬撃が地を奔り砲撃陣地へと殺到する。
勝ち戦であった。
何本もの塹壕を破壊し、すでに敵本体は撤退、後は前進しこの地を実効支配するのみ。敵が掘った塹壕は明日の自陣の隠れ蓑となるはずだった。
あの、オーガ共が目覚めるまでは。
すでに、砲撃陣地が二つ、爆撃小隊が二つ壊滅している。ふざけた技量で打ち上げられる飛斬が、まるで蛇のように纏わりつき空の守護者達を食い散らかしていくのは悪夢といっても良い光景であった。
まるで一般兵のような面をして、魔導士隊のエースが苦戦する技量の飛斬を放ってくるオーガ共。
一人を潰せば、ばらけていたのが小隊を組み直し、死を厭わず食らいついてくる。
「狂ってやがる!」
彼らの目には狂気しかない。
死への恐怖も、明日への希望も、家族への情も。
全てを宿して、すべてを込めて、そして、全部をかなぐり捨てて。
ただ一匹のオーガと化して。
負けたのだ。
負けを認めて逃げれば良い。
勝ったのだ。
死んだ仲間を葬って、酒を飲みながら、眠りたい。
「なんで、俺はこんな所で、いやだ母さん!」
砲塔に縋りつき、宝珠を守ろうとした兵士の首を飛ばし。
天へ聳える砲塔を横一文字に切り裂いた。
一本、二本、三本。
自陣へと向いていた脅威を切払い、そして、魂が折れた。
何本も突き刺さる銃剣。
すでに片目は弾丸に抉り盗られ、なぜ、立っているのか不思議なほど足も曲がっていた。
正面から受けた弾丸12発。
手榴弾3発。
なんで生きているのかも不思議な傷だ―――。
どこか遠くから鈴の音が聞こえる。まるで、導くように。そして、ぶっつりと意識が途絶えた。
「―――ちゃ、おじいちゃん」
縁側で遠くを見ていた。
特に妻が亡くなって、その時間が増えた。
俺の心はあの戦場に置いてきてしまった。
「大丈夫?おじいちゃん」
孫の声だ。
下を向くと、まだ小さな孫娘の手には小さな箒が握られている。乗っても飛べないほどの振ると光って
音が鳴るだけの玩具。
そこからは、死の雨は降らないし、魔女は、今の幼い子の憧れの職業の一つだ。
箒に乗って空を守る。
あの日睨みつけた箒星は、いま、護国の空を守る箒星となっている。
戦争が終わって随分と色んなことが変わった。
ブカブカのヘルメットとサイズの合わないコートを着込んで塹壕内で震える子供たちは居ないし、鬼気として空を憎む兵士も居ない。
俺と、数少ない生き残りの夢と記憶の中でのみ、戦場という悪夢は息づいて、苛んでくる。
―――なぜ、生き残った。
―――なぜ、魂を燃やし尽くさなかった。
なぜ、なぜ、なぜと。
「あのね、あのね、おじいちゃん」
「どうした?」
ぶっきらぼうでありながら、不思議と懐いてくれた孫娘が一生懸命話すのを遮らないように、聞き返すと娘は不思議なことを言ったのだ。
「お客さんだよ」
「客か、お名前は…?」
「おおぐまさん」
小さな手に引かれて現れたのは、二十歳を越えた程度の娘さんだった。
「急にお尋ねして、申し訳ありません、わたくし帝国新聞の記者をしております大熊と申します」
礼儀正しい立ち振る舞いの娘さんだった。
「実は、私、大戦初期に護国の剣と呼ばれた防人達の事を記事にしておりまして」
「大熊光重」
「はい?」
「私が、少年兵だったころ赴任した防人小隊の、小隊長のお名前でした」
「……え」
知らなかったのか、困惑したように視線を揺らす彼女を縁側に残し、体を仏壇へと向ける。愛した妻の遺影と共に並ぶのは戦場での一瞬を白黒に切り取った一枚。
五人の防人と、ブカブカの鉄帽を乗せられて顔が半分隠れている少年兵の姿。
「お渡ししたい物があります」
姿勢を正して座る彼女に渡したのは一本の守り刀。防人の証であり、大熊の家紋が刻まれた彼の最後の遺品。
あの日、あの穴倉の中で抱きしめて、只震えるしかなかった罪の証。
「貴女の、祖父、もしくは曾祖父であろう方が、最後に私に残したものです。
残念ながら、私は防人としての素質はありませんでしたので、お預かりするだけとなってしまいましたが―――」
震える手で、守り刀に手を伸ばす彼女にそれを渡し、何かが吹っ切れたような気がした。
今なら、喋っても良いのかもしれない。
あの日、あの場所に置き去りにし、何年も淀んでしまった私の憧れた人たちの話を。
「それでは、お話ししましょうか。
少年の思い出ゆえ、訳の分かっていなかったことも多々ありますが―――」
―――彼ら防人が、何を思い、何を捨てて、そして、守ったかを……。