ある外交官の記録
連載として扱っていますが。不連続の短編が連なるものです。時代も、思惑も、そして、それぞれの視点から語るため、矛盾も多々起こります。
それでも良いという方だけ、ご一読ください。
『革命』とは、未来への逃避行である。
その根本は、国政であっても産業であっても文化であっても変わりはしない。
希望という名の餌をぶら下げて、民衆を扇動し、前へ前へと駆けていく、その馬車に乗り遅れた者は路肩へと振り落とし、時代という荒れ馬に引かれた馬車は、舗装の無い畦道を今にも外れそうな車輪で駆けていく。
天へと上る黒煙に、時代の先駆けを見ながら、豆を炒ったものからつくられた飲み物を片手に、私はカフェの前に置かれたベンチに腰掛け眼下の港町を見下ろしていた。
コーヒーと呼ばれる黒い飲み物は、苦く、故郷のお茶を恋しく思いながら、一口啜る。
遠く天を切り裂くような汽笛を鳴らし、黒い鉄の怪物が日の出に照らされる港へと入ってくる。外洋航行用の大型帆船と、黒煙を吹きだす鉄の甲殻船が並ぶ姿は、間違いなく時代の変革を物語るあり方を、一つの絵画として眼下に書き出していた。
「お仕事ですかな…?」
品の良い紳士が隣に腰掛けた。
「はい、国々を回るお役目をいただいております」
片言の言葉で返すと、彼は驚いたように目を見開き、手に持った新聞を開くことなく一口、私と同じようにコーヒーを口に含んだ。
「…東の方ですかな?」
「わかりますか」
「ええ、極東島国の外交官の方々が、近々、近隣を見て回るとの話は聞いておりますので。しかし、お若い、東洋の人は若く見えると聞きますが、おいくつですかな」
別件での動きではあるが、外交官の一団がこの地に来るのは、間違いない。
流暢に聞き取れないフリで首を傾げ彼の言葉を流し、私は、口に残る苦みをため息と共に吐き出した。
「私は、この景色が好きだったのですよ」
遠くを見つめながら、しかし、その瞳に何を映すことなく彼は口を開いた。
「嘗て、この丘には私の生家が建っていました。
朝早くに、村の皆と一緒に、朝焼けの中小さな小舟で漕ぎ出して、釣った魚を浜辺に干して、礼拝の日に隣町迄、塩漬けにした樽を牛車に乗っけて小麦に変えてもらっていました」
「随分と、変わりましたね」
「…ええ
お金は沢山増えましたな、隣町迄いかずとも、日に一回汽車で小麦が運ばれてくる。
この丘は、缶詰工場となり、毎月、食べるのに困らないお金が、土地代として入ってきます。私も、気取ったスーツを着て日がな一日、孫の頭を撫でながら過ごすだけで良い、家族は飢えずに、薪代にも困らなくなりました」
それでも、彼は遠くを見ていた。
失った故郷を求めるように、望郷の念か、郷愁か、その瞳に陰る後悔は飢え以上に彼を責め立てているようにも見える。
「昔は、暇を見つけては、漁港に入りびたり、竿を投げれば晩のおかずが一品増えました。
しかし、今は、塩辛く腐った魚の缶詰と、豚の餌が、小麦と同じ値段で売られております。あのヘドロのような海に竿を投げたとて、釣れるのは労働者の捨てたゴミだけだ。
我々は、いったい、何を捨てて、何を手に入れたのでしょうな?」
朝日の陰る黒煙の中、造船所から響き始めた鉄を叩く音と、朝日の代わりに輝く紫色の魔道光。
人々の活気の声と共に、各家々から天へと伸びる黒煙の束。
石煉瓦で舗装された道は、牛車では無く馬車、馬車ではなく自動車がカラカラと音を立てて走っていく。
「『土の道の先に衰退があり、石の道の先に発展があり、鉄の道の先に栄光がある』…ですね」
「パッセンジャーですな。
博識なようだ」
「ただの、聞きかじりですよ」
カツリとステッキの先を鳴らし、彼はベンチから腰を上げた。
カフェの定員にカップを返すのを見計らったように、眼前に一台の黒塗りの馬車が止まった。
「それでは、また、会いましょうか。外交官殿」
「ええ、楽しみにしていますよ。男爵殿」
すでに、郷愁を想う、老人の姿は無かった。
政治の荒波を泳ぐ捕食者の光をその目に宿し、彼は、そのスーツに見合うだけの気品を纏い馬車のタラップへと足をかける。
最もこの地の発展へと貢献し、大地主から貴族へと成り上がり、今では隣町迄含む土地を支配する彼は、すでに田舎者などではなく国政にまで口をはさむことが出来る政治家であった。
「店主、駅はどちらへ」
カップを返却し、多めに硬貨を出すと、愛想の良い店主の指さす方向へ足を向ける。
缶詰工場へと向かっていく婦人たちの一団。
響き続ける鉄を叩く狂騒を背に汽笛をかき鳴らす、貨物車の中へ身を潜ませた。走り出す汽車から一路、海が見えなくなる塩梅で影が一つ路肩に落ちた。
しばらくして、馬に乗った一団が駆けてきてその影を拾い上げる。
そこには、外交官を名乗る青年の服を無理に着させられた、煙で薄汚れた顔の男性の姿があった。
駅で一つ。
今では交通の要所として発展した街にて、汽車の火夫長の声が響き渡る。
怠け者の火夫が一人おらず、いつの間にかいて細々と働いていた、ブカブカの服を着た少年雑用も姿を消していた。
その怒鳴り声を背にブカブカの労働者の服を脱ぎ捨てた、彼は、どこかから手に入れた旅装を纏い、プッツリと足取りが途絶えることとなる。
次に、外交官を名乗る彼が姿を現すのは、海峡を越えた大陸の国内でのことであった。
その土地は、高原と呼ぶに相応しく、峻厳な山々囲まれた小さな盆地にあった。
高地にのみ咲く花畑の中で、ポツンと立つその教会は、嘗ては礼拝の旅に出る敬虔な旅人が山を越えるために建てられた一時の休憩所である。
今は、ほとんどその役目も無く、一人の年老いた修道女と彼女に育てられた数人の孤児が住まう土地であった。
「失礼、一晩軒下をお借りしたのだが」
すでに夕暮れ太陽が身を隠す時分にその男は現れた。
外交官を名乗るその男は、子供たちの目から見ても、墨よりも血にその手を染めたことの方が多そうな、しかし、思わずその言葉を信じてしまいそうなチグハグな雰囲気を纏った男であった。
「よく来たね、一晩でいいのかい?」
「ええ、山を越えるだけの気力が戻れば十分です」
どちらかといえば山向こうに住まう者達に近い顔立ちの男は、驚くほど流暢にこちらの言葉を話す。母と慕う老女と同じぬぐい切れぬ血濡れの匂いを纏い、それでも、彼女は、まるで子供を見るように、僕らへと向ける慈愛と同じ目で男を見ていた。
「ゆっくりしていきな、ガキどもにも偶には外の風を当てないと腐っちまうからねぇ」
「助かります。それでは、暫し間借りさせていただきます」
礼儀正しいとはまた別の高潔ともいうべき気風を滲ませて、男は老婆に腰を折った。
そうすることに手慣れたような見事な所作であった。しかし、微かに左の腰を寂しげにその手が撫でた。
翌日から、男は子供たちが驚くほどに働いた。
冬越しの薪を集め、保存食を作り、少ない甘味を摘んでくる。ヤギが逃げれば牧羊犬よりもしなやかに駆け抜け。木に登って降りられなくなった子ヤギを抱えて降りてくる。
離れた沢からあっという間に瓶一杯分の水をくみ上げ、湯を浴びたいという老婆の為に煤けた湯沸かし窯を綺麗にし、みなが浴びれるだけのお湯を沸かした。
たった一日で馴染んだ彼は、夜には一番年下の弟にせがまれて、一緒に寝る始末である。
朝、日の出と共にいつの間にかいなくなった彼を探して、皆で窓を覗くと、広々とした裏庭に彼と老婆が立っていた。
古びた魔動機を両手に構える老婆、対する男は訓練用の木刀を一本構え、一本腰帯で縛っている。
先に動いたの老婆だった。
年に似合わぬ軽快な動きで、魔動機を振るうと、二発、薄っすらと紫色の魔道光を纏った斬撃が男の頬を軽く裂いた。
対して、男も木刀を振る、魔動機ではない木刀にも薄く魔道光が纏い老婆の修道服の肩口にピッと切れ目が入った。
育ての親であり、生きるための師でもある老婆の強さは、子供たち全員が骨身に染みて理解している。一番下の弟を除いた全員でかかっても、傷一つ負ったことが無い彼女の体に僅かでも彼の攻撃が届いたことに、見守る全員の目に驚愕の色が浮かぶ。
彼女とは違う理を持った剣筋であった。
普段使うものとでは違う形なのか、真っすぐに削られた木刀を僅かに使いにくそうに振るう立ち姿、背筋はピンと伸び、しかし、力の抜けた自然体のままに縦横無尽に振るわれる剣線が背の高い草花を斬り飛ばしていく。
対して、老婆の方も、対の魔動機に刃の様に魔道光を纏わせて、一振りに草花を散らした。
不思議なことに、武器である魔動機よりも、男が持つ木刀の方が斬れが良く、花弁が散ることなく切り花の様に花の頭が宙を舞う。
刃の花を削るように、研ぐように、男の動きが洗練されていく。
老婆の振るった対の斬撃を、男はただの木刀で切り払った。
いつの間にか、攻守は逆転し、徐々に男が老婆を追い詰めていく、頭、胴、袈裟、浅く傷が増え老婆の顔にも焦りが徐々に増えていく。
斬撃を二発、それに隠れるように刺突の弾丸が二発。
それが、彼女の切り札か、さすがに予想外の攻撃に男は肩口から血を吹きながら、持った木刀を手放した、ニヤリと老婆は笑みを浮かべ、そして、すぐに驚愕に目を見開いた。
バッサリと胸元に一閃。
男は逆手に腰に縛っていたもう一本を握り、降りぬいていた。
その切っ先が、彼女の薄皮一枚をなぞり、鮮血が宙に散る。
二人の立ち合いは、そこで終わった。息を止めて見入っていたことに今更気が付く。隣を見れば誰もがキラキラとした目を二人に向けている。
老婆が絶対であった彼らの世界において、彼は、急に現れた異分子であり、そして、いま僕らの憧れの一つとなった。
何かを話している、しかし、遠く声は聞こえない。
しかし、老婆がひどく楽し気に彼に声をかけているのはわかる。慈愛のこもった顔ではなく、僕らにも見せたのことの無い、若々しく命の息吹を感じられる少女のような笑顔。
二人は離れていく、老婆は部屋に、男は体を洗うためか水瓶に向かって。
いつの間にか、朝日は高く、皆が目を覚ます時間を過ぎていた。
二日間の滞在を終えて、日の出と共に、孤児院を離れた。
「行くのかい?」
「…ええ、そろそろ一度、国に帰らねばなりませんから」
「あの子らが、悲しむねぇ」
「昨日散々疲れさしたので、起きるころには、峠を越えている予定ですよ」
男は、餞別代りに受け取った大型ナイフを腰に差し込み、旅装を着込む。
「愛刀はどうしたんだい?」
「外交団に預かってもらってますよ、明日、海峡を越えるはずなので、それに乗り込む予定です」
「…そうかい。達者でな、馬鹿弟子」
「師匠も、お元気で」
あっさりとした別れを終えて、峻厳な山脈へと踏み入れる。
明日には、海峡へとたどり着かないといけないため。立ち止まっている余裕はない。遠く背中から、誰かの鳴き声が聞こえた気がした。
振り向くと、小さな体をいっぱいに揺らして、手を振る子供が六人。
片手をあげる。
鳴き声がさらに増したように感じる。
その声は、遠く、孤児院が見えなくなるまで響いていたような気がした。
【人物設定】
パッセンジャー・ミュンケル
群像世界の思想家。
『土の道の先に衰退があり、石の道の先に発展があり、鉄の道の先に栄光がある
しかして、栄光の味は貧者の口には苦く、富んだ者の為にのみ道は開かれる』