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高校野球観戦

 その日は暖かくて雲ひとつない、絶好の外出日よりだった。


 高等部菊花寮の玄関先で幅木さんが待っていた。カーキ色の重ね着風カットソーと白のロングスカートのコーデだ。


「何だか、私服だとちょっと大人っぽく見えるね」

「そっ、そうですか? 風原先輩もすごくかっこいいですよ」

「ありがとう」


 私の服装はパーカーとデニム、キャップとラフな格好。全て黒色で統一している。しかし実はこれ、全部兄貴のお下がりだったりする。兄貴とは背丈がそんなに変わらないし、ユニセックスブランドのものだから使いまわしができたのだ。


「えーと、鷹杉球場だっけ。私、地元県民なのにそこに行ったことないんだよね」

「私は地元県民じゃないですが、道はしっかり調べてきました。安心してください」

「じゃあ、道案内お願いできるかな」


 ということで、幅木さんをナビにして鷹杉球場に向かうことになった。といっても私鉄、JRと電車を乗り継いで海谷駅に行き、そこからバスに乗って鷹杉広域公園で降りるという経路で、そんなに複雑ではなかった。バスを降りたら球場がすぐそこにあった。


 球場からはブラスバンドの練習の音が聞こえている。第一試合のカードは麓南高校と市立海谷商業の公立対決。麓南高校は公立校の中で一番偏差値が高い進学校にもかかわらず、野球が強く甲子園に何度も出場している名門校。海商は女子ソフトボール部が強いイメージがあるけれど、野球もそこそこ強くてプロ選手が何人かOBにいる。


 入場料を払って中に入ると、内野一塁側と三塁側には両校の応援団が陣取っていて、バックネット裏もそこそこ人がいる。強豪校と地元校の組み合わせだから人の入りが良いのだろう。


「あの辺にしましょうか」


 幅木さんが指さしたところはバックネット裏の若干一塁側寄り、下から五段目のあたり。そこにあった空席に二人並んで座った。一塁側と三塁側内野席がよく見渡せる絶好の位置だ。


 三塁側は海商のベンチで、内野席に吹奏楽部員は見当たらないが、白いユニフォームを着た控えの野球部員に混じって隣に黒尽くめの学ラン集団が直立不動で突っ立っている。この高校は昔さながらのバンカラ応援団を持っているらしい。


 一方の一塁側、麓南高校にも学ランを着た応援団がいるが海商よりも人数が少ない。ただし吹奏楽部員の数は思った以上に多かった。


「春の県大会でも気合が入ってるなあ」

「先輩はどっちを応援します? いや、どっちの応援が好きですかって聞いた方がいいでしょうか。やはり前おっしゃってた麓南でしょうか」

「そうだね。でも、ブラバン無しだけど海商の応援は知らないからどんなものか興味がある。ところで幅木さんは故郷いたとき高校野球観に行ってたの?」

「はい。工大明電を応援してました。私の父親の出身校でもあるので」

「へー、お父さん工大明電なんだ!」


 工大明電は甲子園常連校の一つで、日本人初の野手メジャーリーガー、ハチローの出身校として知られているが、実は吹奏楽部も全国大会常連の強豪だったりする。確か最多出場の記録を持っていたはずだ。


「お父さん野球部だったの? それとも吹奏楽部?」

「いえ、文芸部でした。父は本が好きなんです」

「じゃあもしかして、お父さんの影響で幅木さんも本が好きになって図書委員になったとか」

「そうです。小さい頃から絵本、児童書、ジュブナイルといろんな本を買ってきてくれて、そのたびにいろんな世界に触れることができました」


 幅木さんの声はよく弾んでいた。


「私も小さい頃から幅木さんぐらい読書してたら、もうちょっと賢くなれたかなあ」

「今からでも間に合いますよ。いろんな本をどんどん借りて読んでください」

「うん、そうする」


 おしゃべりしていたら、プレイボールの時刻となった。先攻は海商。何か軍歌っぽい時代錯誤的なメロディの応援歌を、野球部員と応援団員が声を張り上げて歌っているが、全く歌詞が聞き取れない。選手もこれでやる気が出るのかなと思ってしまう。


 だけどランナーが出て得点圏に進んだら、野球部員が「ファンキーターン」を口ラッパで流しだした。もともとは某プロ野球チームがチャンステーマで使っている曲で、最近の高校野球応援のトレンド曲の一つだ。曲に合わせて応援団員が拳を突き出しているが、古い応援と新しい応援のが混在している光景が面白い。しかし一回は結局、無得点で終わってしまった。


 今度は麓南の攻撃。こちらは東京六大学野球の慶桜大学の応援曲を取り入れていて、スマートさが際立っている。私はこの麓南高校の応援スタイルを気に入っていた。実は私のお父さんは慶桜大学卒で、在学中は応援指導部の吹奏楽団にいた。その関係で、小さい頃はよく神宮の慶桜応援席まで連れてってくれた。それで慶桜の応援曲が頭の中に刷り込まれたのだろう。


「この曲、いいですね。何という曲か知ってます?」


 麓南も二死ながら得点圏までランナーを進めた後、幅木さんが聞いてきた。


「『突撃のマーチ』っていう曲だよ。約40年前から慶桜大学が使い出したの」

「そんなに古くからあるんですね」


 曲に合わせて「かっとばせーかっとばせーイーズーミ!」とコールが響く。それに応えてか、イズミという選手がカキーンと左中間を破る長打を放った。二塁にいたランナーはらくらくとホームイン。一塁側スタンドは大騒ぎだ。


「いきなり盛り上がってますね!」


 大声になる幅木さん。歓声が大きすぎてちょっと声を張り上げないと会話が聞こえにくい。私も「でしょでしょ!」と大声を張り上げたが、ちょっと興奮していたのもあった。


 肝心の試合内容は一進一退で、最終回まで進んで6対6の同点。ここまで来ると私は応援歌や応援曲よりも、球児たちの活躍を見る方に集中していた。


 この回は海商が攻め立ててノーアウト満塁のチャンスを作ったものの、スクイズ失敗ゲッツーで流れが途切れてしまい、その後の打者も三振で無得点に終わった。こうなるとピンチの後にチャンスが来るという格言通りで、裏の麓南は先頭打者が二塁打を放ち、次打者が進塁打でサヨナラのランナーを三塁に送る。すると海商は二打席連続申告敬遠し、満塁策を取った。


 麓南の押せ押せムードの中、ピッチャーが投じた初球はホームベース手前で大きくワンバウンドして、無情にもキャッチャーミットをかすめて後ろにすり抜けていった。三塁ランナーがサヨナラのホームを踏んで、大歓声を浴びながらガッツポーズをする。海商のピッチャーは天を仰いでいた。これが甲子園を賭けた夏の大会でなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。


「野球はこれがあるから怖いんだよねえ」

「たった一度のミスで命取りになってしまいますからね」


 それでも海商にはまだ次がある。敗戦を糧にしてたくましくなって帰ってきてほしい。


 *


 第二試合の聖クリストフ学院と常世大学付属桜山は打って変わって投手戦となり、両軍合わせて5安打しか出ないという締まりに締まった展開になったが、試合は9回表に桜山高がソロホームランを放ち、そのままリードを守りきって勝利した。試合時間は一時間ちょっとという省エネぶりだった。


 とりあえず海谷駅に戻ってきたものの、何だか物足りなさを感じていた。まるで演奏を聞き終えてもアンコールを待っている聴衆のような気分だった。するとちょうど幅木さんが、


「あの、先輩。ちょっと小腹空きませんか?」


 ちょっぴり恥ずかしそうに聞いてきた。そしたら私が返事する前に、私の腹の虫がぐ~、と神がかったタイミングで返事してしまった。


「お、お昼はコンビニで買ったおにぎりだけだったからね……」

「……あはははっ」


 幅木さんが大きく肩を揺らして笑った。めちゃくちゃこっ恥ずかしかったけれど、幅木さんの笑っている顔はすごく可愛らしかった。


「ごっ、ごめんなさい先輩。あまりにもぴったりだったからつい」


 私は咳払いをしてから、


「幅木さん、何か食べたいものある? 海谷駅の周りはあんまり知らないけど、探せば何でもあるんじゃないかな」

「そうですね、先輩は甘いもの大丈夫ですか?」

「うん、いけるよ。じゃあこの辺でスイーツの美味しいカフェを探そうか」


 スマホで調べようとしたら、幅木さんが「あれはどうです?」と、バスターミナルの向こう側の道路の方を指差した。


 三階建てビルの一階。シックでおしゃれな外装に包まれて、壁に「caffe dolce」という手書き風の文字が書かれている。


「えっ、ここにも『ドルチェ』があるんだ。知らなかった」

「有名なお店なんですか?」

「いや、元々空の宮中央駅のスイーツ小径にあるカフェなんだけど、吹部がよく利用してるんだ」


 と言いながらスマホで調べてみると、どうやら今年できたばかりのドルチェ二号店のようだ。口コミ評価も一号店同様、なかなか良い。


「ドルチェのスイーツの味は本物だよ。ここにしよう」


 そう言った途端、また腹の虫がぐ~、と。


「……」

「い、行きましょう」


 幅木さんは必死に笑いを堪えていた。

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