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まさかのお誘い

 吹奏楽部顧問、眞利子花鈴(マリリン)先生はこの頃ずっと機嫌がいい。それもそのはず、今年は中高合わせて相当な人数の入部希望者がいたからだ。それでも私は手放しでは喜べなかった。


「ほらほら中等部の子たち、ずっと美音のことキラキラした目で見てるよ~」

「う、うん」


 詠里の言う通り、中等部からの新入生はどうも私目当てで入部したのが大半らしい。そして全員が楽器未経験者だ。今までも中等部新入生は楽器未経験者が多かったけれど、全員が未経験というのは少なくともマリリン先生が顧問になってからは初めてらしい。これだけの人数をまず音を出せるレベルまで持っていくのは大変そうだけれど、マリリン先生は「どこまで育つか楽しみだわ」と全く問題視していない。


 一方、高等部新入生は全員が楽器経験者で、中でも上手い子が三人いた。北村瑠奈(きたむらるな)さんは華奢な体つきとは裏腹に重厚なトロンボーンの音色を響かせたし、矢板文乃(やいたふみの)さんはおちゃらけているけれどフルートの音色は繊細で、竹田輝夜(たけだかぐや)さんは背丈が小さいのに力が強くてチューバを楽々と扱うから、かぐや姫というよりはマサカリ担いだ金太郎みたいなイメージがついた。


 もう一人、上手いなと思った子がいた。古屋(ふるや)カロというホルンの子は柔らかい音を出していて、淀巳先輩が抜けた分を埋めることになりそうだな、と思っていた。ところがマリリン先生の前で演奏したら「ちょっとトランペットやってみない?」の一言でコンバートされてしまったのだ。


 パート変更は珍しいことではない。自分の楽器が合わないなと思ったら変更を志望する子もいれば、編成人数の都合や適正で変更させられる子もいる。しかし一回演奏を聞いただけでパートを変えられてしまうなんてことは今まで無かった。


 とにかく、私が古屋さんの指導係となった。


「要は戦力外ってことですよね……」


 うなだれてボソボソっとしゃべる古屋さん。漫画だと後ろにたれ線が入ってそうだ。


「気にしちゃだめだよ。先生に何か考えがあってのことだろうし。古屋さんはトランペットできっと輝けるって」

「私、あまり目立ちたくないんですけど……だからホルンを選んだわけですし……」

「ま、いっぺんやってみようよ。あと古屋さん、同級生相手に敬語使わなくていいから」

「すみません、癖なんで……」


 うーん、大丈夫かな。少なくとも性格がトランペット向きじゃない気がするけど……。


 こうして、星花女子学園吹奏楽部立成20年度新体制が本格的にスタートしたが果たしてこの先どうなるのか。


 *


「早かったですね」


 幅木さんの声色がほんのちょっと上ずって聞こえたけれど、私はいつも返却期限ぎりぎりで返していたから9日間で返してくるのは意外だと思われたのだろう。


「うん、結構読みやすかったから」

「そうでしょう。私もそれ読んだことがあるんですよ。花澤先生の作品は平明な文体が特徴ですから。野球以外にも陸上ものや水泳ものの小説も書いてるんですよ。もしよかったらそちらを――」

「あ、ごめん今度にするね。今日はこっちを借りたくて」

「失礼しました」


 今回借りるのは小説ではなく『先輩のための教科書』という、中高生向けの後輩指導の指南書だ。


「後輩の指導で何かお困りですか?」


 と、幅木さんは言いつつバーコードリーダーを裏表紙にかざす。


「後輩というか同級生がね。ホルンからトランペットにコンバートさせられた子がいるんだけど、積極性に欠けるというか、やらされ感があるからどうにかしてあげたくて」

「やりたくもないことをやらされるのは苦痛でしかないですからね」


 私もあの忌まわしき日々を少し思い出してしまう。個性を殺され、教師の望む音が出るまで罵倒じみた指導を繰り返し受けて。私はそんな屈辱を人に与えることは絶対にしないと心から誓ったから、古屋さんには優しく接しているつもりではいた。だけど古屋さんはただ機械的に吹いているというだけで、音色に全く感情がこめられていない。このままではコンクールに出すことは難しい。


「それでは2週間……いや、もし先輩がお望みでしたら延長しますけど」

「えっ、そんなことできるの?」

「一応、貸出予約が入っていなければさらに2週間延長ができます。もしそれでも足りなければその、便宜を図ることもできますが」

「ありがとう。でも借りっぱなしはさすがに良くないから、1ヶ月で読んで理解するよう努力するよ」


 本を受け取って帰ろうとしたとき、幅木さんが「待ってください」と呼び止めた。


「まだ何かある?」

「その……本とは全く関係ない話になるんですけど、風原先輩は野球がお好ききなんですよね?」

「うん」

「……」


 幅木さんが急に黙りこくってしまった。


「う、うん。野球がどうしたのかな?」

「……あのっ、今月末の土曜日……お暇でしたら観に行きませんか。高校野球を」


 それが幅木さんが勇気を振り絞って出したであろう、お誘いの言葉だと理解するのに数秒かかってしまった。


 私が作ってしまっていた壁を、まさか向こうから打ち壊しにかかるとは思っていなかった。


「あの、やはりご迷惑でしたか……?」

「とっ、とんでもない!」


 幅木さんは右手を振って「ダメダメ」という仕草をしながら、左手で自分の口を塞いだ。


「ごめん、声出ちゃった。その日はちょうど休みだし、行こう」

「ありがとうございます」


 幅木さんの表情の変化は乏しかったけれど、すっごく嬉しそうなのが雰囲気だけでもわかってしまった。私もすっごく嬉しかった。


 *


「ティーチングとコーチングの違い。ティーチングはスキルが低い相手に対して自分の持つ技能や知識を教えること。コーチングはある程度スキルが身についた相手に対して、自分から答えを見つけ出せるよう導いてあげること……」

「風原さん、どうしたの?」

「あっ、君嶋先輩」


 菊花寮の大浴場が空いていたのを良いことに、浴槽の中で『先輩のための教科書』の内容を復唱していたら、いつの間にか隣に君嶋知代先輩が。


「ちょっと後輩の指導方法についてブツブツ呟いてました」

「もしかして古屋さんのことかな?」

「はい。ホルン失格と捉えちゃっててだいぶ落ち込んでまして」

「かなり繊細そうだものね。パート違うけど、私も何か手伝えることがあればいつでも言ってね」

「ありがとうございます」


 君嶋先輩はしっかりしている。でも星花に入りたての頃はコンプレックスを抱いていて、ろくに友達もできず、吹部にほとんど顔を出さなくなっていた時期があったという。しかし大切な人と出会えたことがきっかけで前向きになり、今では吹部に欠かせないフルートの名手だ。


 そういえば私も淀巳先輩に叱られてしょぼくれてたときにはいつも君嶋先輩に慰められてたなあ、と思い出す。


「ところで風原さんって、この頃よく図書館行ってない?」

「あ、はい。よくご存知で」

「お昼ご飯のとき、カフェテリアから図書館に行くところを何度か見たし」


 よく見てるなあ。


「それに、図書委員に中等部のお友達がいるって聞いたんだけど」

「誰から聞いたんです……?」

「淀巳先輩」


 ええー、という気分になった。淀巳先輩は孤高の人って感じで、周りに他人のことをしゃべるイメージがなかったし、君嶋先輩と会話していた記憶は私の中ではまったくなかったのに。


「他に何か言ってました……?」

「いや、特に」


 君嶋先輩が目を逸らしたのを見逃さない。


「何か言ってたでしょ。ねえ、教えてくださいよー」

「うーん……実はね、『あいつ、たぶんできとるで』って……」


 やっぱり、変なこと吹き込んでた! 卒業前に置き土産するなんて。後でLANEで抗議入れとこう。


「あっ、あの子とはそんなんじゃないですからね!」


 君嶋先輩以外だれもいない大浴場に、私の声が響くと先輩は「う、うん」とたじろいだ。


 お風呂から上がって部屋に戻り、ベッドの上で『先輩のための教科書』を読み返してみるがどうも頭に入ってこない。かわりに幅木さんの顔がチラついている。淀巳先輩が変なこと言うから意識しちゃってるんだ。淀巳先輩が聞いたらまた「人のせいにすな」ってチョップ入れられそうだけど、きっとそうに違いなかった。

ネームド新入部員の名前の元ネタは昔関西ローカルテレビでCMを流していた家具店。

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