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吹奏楽コンクール東部地区大会

 立成19年8月、S県吹奏楽コンクール東部地区大会の日。全国に行くには地区大会と県大会、二つの予選を突破しないといけない。星花女子の吹奏楽部は全国大会に出場したこともあるのだが、近年は楽器の聖地、湖濱津(こはまつ)市の学校が立ちはだかり県大会ダメ金で終わることが多い。


 私が演奏するのは高校の部だった。吹奏楽コンクールは中高一貫校の場合に限り、中学生でも高校の部に出場できる。しかし私が吹奏楽コンクールに出るのは、実はこのときが初めてだった。


 小学校の頃はいろんなコンクールの全国大会に出場した経験があり、金賞も取ったことがある。だけど中学に上がって自分の音が出せなくなり、トランペットを持つのも怖くなった時期があった。何とか元通りになるまで二年間のブランクが空いてしまったため、舞台に立つことが不安で仕方がなかった。


「大丈夫、いけるいける絶対にいける……」


 リハ室でブツブツつぶやきながら音出しをしていたら、肩を叩かれた。


「風原さん、もっとリラックスして!」


 顧問の眞利子花鈴(まりこかりん)先生が満面の笑みを浮かべていた。勤続二十年を超えるベテラン教師で、生徒たちの間でマリリン先生というあだ名がついていたが、鞠のようにまんまるっこい顔と体格をしていたからというのもあった。


 リラックスと言われてもそう簡単にできるものではない。それでもマリリン先生は私をほぐそうとしてか、今度は肩を揉んできた。


「初めてだからこそにこやかにいきましょう!」


 私にはマリリン先生の丸っこい笑顔が太陽のように見えた。前の学校での私の事情を知った上で引き取ってくれて、再び音楽の楽しさを思い出させてくれた恩人。この人のために恩返しをしなきゃいけないと思うと、緊張感がだんだんと使命感に置き変わっていくのを感じた。


 マリリン先生は他の部員の音をチェックしに行って、代わりにホルンのパートリーダーの淀巳鮮花(よどみせんか)先輩が声をかけてきた。


「めっちゃ期待されとんなあ」


 最上級生だからか、淀巳先輩の表情と声色には余裕がある。


「先輩の最後の大会に華を添えられるよう頑張ります」

「アホ、ウチのことはどうでもええがな。まず自分のことだけ考え」


 叱られてしまったが、マリリン先生みたいに肩を揉んできた。


「マリリン先生とウチが教えたことをちゃんと守ったら結果は出るからな。楽しんでいこうや」

「はい!」

 

 そして、私たちの出番がやってくる。深呼吸を繰り返し、マリリン先生の「練習では本番のように、本番では練習のように」という口癖を何度も頭の中で反芻する。


 空の宮市民会館大ホールの暗転が解け、観客の姿が見えるようになった。保護者や吹奏楽ファンが詰めかけている中、私の真正面、中段の席にはっきりとその姿を見て、私は目をしばたたかせた。


「本当に、来てくれた……?」


 私は両目とも視力1.5。だから見間違えようがなかった。幅木綴理さんの顔を。行けたら行く、は社交辞令ではなかっのだ。


 マリリン先生が一礼をして、指揮棒を構えた。


 演奏は課題曲と自由曲合わせて12分間。私はこの12分間が短いのか長いのかすらよくわからない、奇妙な時間感覚に囚われた。まるで自分が時間の速度を支配しているようで、それどころか空間も支配しているような感じで、観客席にいるはずの幅木さんがマリリン先生よりも前にいるような感覚がした。


 聴覚も違っていた。みんなの奏でる音一つひとつがいつも以上に大きく、澄んでいた。トランペットのピストンは私の手の一部になっていて、マウスピースは口の一部になったかのようで、私のイメージした通りの音が面白いように出てきた。


 演奏が終わって大きな拍手が湧き上がった瞬間、不思議な感覚がスーッと引いていって、夢から醒めたような心地になった。幅木さんの方を見ると、周りの聴衆と一緒に拍手してくれていた。


 結果は金賞で県大会代表選出。マリリン先生は「まあこのぐらいはねえ」と、さも当然でしょといった感じでそんなに褒めてくれなかったけれど、顔はニコニコしていた。


「やったやん、できたやん」


 淀巳先輩は頭を撫でて褒めてくれたし、他の先輩や同級生からも褒めてくれた。今まで迷惑かけてきた分を少しだけ取り戻せて良かったなと心の底から思えた。


 高揚感に包まれたまま帰りのバスに乗ろうとする直前、私は会場から出てきた幅木さんを見かけた。「すみません!」と周りに一言断ってから駆け寄った。


「幅木さんありがとう、来てくれて!」

「えっ……」


 幅木さんは自分がお礼に来ることを想定していなかったのか、驚く仕草を見せた。


「あ、ごめんね驚かせて……」

「いえ、こちらこそ失礼しました。あの……」


 幅木さんは恥ずかしそうに伝えた。


「風原先輩に誘われるまま来てみましたけど、すごく良かったですね」


 ごくシンプルだったけど、嬉しい言葉だった。


「おい風原ー! 何しとんねん! もうバス出るでー!」


 淀巳先輩が呼んでいる。私は「ありがとう。じゃあ!」と言い残して、ダッシュでバスに乗り込み、淀巳先輩の隣の座席に座った。


「誰と話しとったん?」

「図書委員の後輩です。この前風紀にやられた話したでしょ。あのときに巻き込まれた子ですよ」


 バスが走り出して、幅木さんの目の前を通過した。幅木さんはバスの方を向いていたので窓越しに手を振ってあげると、ぺこり、と会釈で返してくれた。


「ふーん、眼鏡かけていかにも図書委員って感じやな。で、君が誘ったんか?」

「ええ。でも正直来てくれるか微妙だったんですけど」

「もしかして君、その気あるん?」

「えっ!? なっ、ないですよ!」

「そやけど君、親呼んでへんのに何で後輩だけ呼んだん?」

「わざわざ家から空の宮市まで来てもらうの悪いじゃないですか。県大会は来ますって」


 県大会の会場は、距離的に空の宮市と比べると私の実家に近い。


「おい、何顔赤うしとんねん」

「い、いや先輩が変なこと言うから……」

「うちのせいにすな。うりゃー」


 軽く頭にチョップを入れられてしまった。私は何か粗相をやらかしたらよくチョップをくらっていた。それはあくまで悪ふざけの類だけど、幅木さんに見せたくない姿だった。

キャラ紹介編に続き、煉音さまの淀巳鮮花さんをお借りしました。

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