激走
『位置について! よーい!』
企画委員がピストルをパーンと鳴らして一斉にスタート。体育祭お決まりの曲、クシコス・ポストが流れ出した。
『吹奏楽部の根尾さんがいいスタートを切った!』
実況が叫ぶ。根尾部長の足は速くないが、目をひん剥いて走るその姿は迫力がある。
それでも他のチームは根尾部長より後ろにいた。ソフトボール部はキャッチャー防具の重さがたたってかドンケツだし、バスケットボール部はドリブルしながら走ってるせいでいくら運動部でも足の速さを発揮できていない。写真部は高そうなカメラを大事にかかえていて正しいフォームで走れていない。マジック部はなぜかハットから鳩を出して大歓声を浴びている。唯一、まともに走れているのはボランティア部で、ゴミ袋とトングを持っていた。しかし根尾部長よりも足が遅い。もしも京橋さんなら今頃大差でぶっちぎっていたかもしれない。
『あーっとボランティア部がこけた! これはいろんな意味で痛い!』
さらに、不謹慎ではあるけれど私たちに天の助けが舞い降りた。ボランティア部は立ち上がってリスタートしたものの、それまでに根尾部長はリードを広げた。
『さあ吹奏楽部がトップのままテイクオーバーゾーンに入っていきますが、根尾さんはそのまま走り続けます!』
後続の各部も次々に第二走者にバトン、もしくはバトンに準じたものを渡していく。バスケ部はドリブルを放棄してボールを脇に抱えた状態で走り出したが、片手しか振れないので走りづらそうだ。マジック部はステッキがバトン代わりだが長いのでこれまた走りづらそう。写真部はカメラをバトン代わりにしているが、ヒモでたすき掛けにしているので駅伝のたすきリレーに見える。ただ壊したらいけないものだからか片手で持った状態で走っている。トングバトンのボランティア部は第二走者の足が第一走者よりも遅く、ドンケツだったソフトボール部に抜かれてしまった。
歯を食いしばって走る根尾部長。リードは全然縮まらない。必死の奮闘にざわめきに近い歓声が起こっている。とうとう第三走者のところまでやってきた。
「いけーっ!! 部長ー!!」
私は声の限り叫んだ。問題はバトンパスだ。部長は全くリレーの練習をしていないが、ここでミスしたら全部無駄になる。ただひたすら成功を祈った。
「はいっ!」
根尾部長が合図して、次走者が手を向ける。バトンはしっかりと次走者の手に握られた。
「よし!」
私はガッツポーズする。根尾部長はスピードを落としてコースの内側に入り込むと、そのまま倒れてしまった。直ちに保健委員が酸素ボンベを持ってきて吸引させる。ピンチランナー、根尾小町の大奮闘に大きな拍手が起こり、部長も片手を上げて応えた。
これを見た部員たちの士気が上がらないはずがなく、続く走者も激走して他部を寄せ付けなかった。それでも相手のお遊びムードがだんだんなくなっていくにつれ、リードもだんだん縮まっていった。第七走者の時点でバスケ部が二位に詰めてきて、後はマジック部写真部ボランティア部と続き、そして意外なことにソフトボール部が最下位だった。
「吹部の人!」
企画委員に呼ばれて、最内レーンに入った。昼休みに何度もやったバトンパス練習を思い出す。本当なら古屋さんから受け取るはずだったバトン。彼女のためにも、京橋さんのためにも絶対勝たないといけない。
第七走者の子がやってきて、テイクオーバーゾーンに入ったのを確認して走り出した。
「はいっ!」
手のひらを向ける。バトンが押し当てられる感触がして、しっかり握りしめた。最後のバトンパスは成功だ!
『アンカーの風原さん速い! 名前の通り風みたいだ!』
実況に笑う余裕はない。手足がちぎれようが構わない。そのつもりで手を振り、足を動かした。
「風原さーん!!
「頑張ってー!!」
浴びる声援がとても心地いい。声援が急に大きくなった。しかしその対象は私ではなかった。
『おーっと! 何とボランティア部、塩瀬日色さんがここで一気にごぼう抜きっ! トップの風原さんに迫っていく!』
私は後ろを向いた。塩瀬日色先輩。そのショートヘアの中性的な顔立ちを私は知っている。早朝によく学校の周りをランニングしている姿を見かけているからだ。
「わははは! 悪いけど勝つのは僕だ!」
すごい。笑いながら走ってる。どこからそんな余裕が出てくるのか。しかし速い!
私は前に向き直った。そのとき。
「風原せんぱーい!!」
私にははっきりと声が、そして姿が見えた。中等部生の席はホームストレッチ側にある。その中に、幅木さんが私にエールを送っている姿を見たのだ。
「うおおおお!!」
私は吠えて、最後の力を振り絞った。
「負けるかー!」
塩瀬先輩が猛追してくる。でも私が絶対に勝つ、勝ってやるんだ。
『さあ風原さんか塩瀬さんか、うわわっ!!』
ゴール寸前で実況が悲鳴じみた声を上げた。塩瀬先輩に並ばれかけそうになったところ、反対側に何か黒い影が走ったかのように見えて、私たちよりほんの先にゴールラインを突っ切ったのだった。
『な……なんと最下位だったソフトボール部がゴール前で追い込み大逆転!! 一位でフィニッシュしたのは根積千宙さんでしたー!!』
私の同級生、一年三組にとてつもなく足が速い子がいるのを忘れていた。その子がソフトボール部の根積千宙ということも。
根積さんの周りにソフトボール部員たちがたかって、胴上げが始まった。私は燃え尽きたのかすっかり気が抜けてしまっていて、悔しいとか悲しいとかはなかったが、ただ、京橋さんと古屋さんには申し訳ない気持ちがあった。
「負けちゃったな……」
「わははは! でも、風原さんといったかな? 素晴らしい走りだったよ!」
塩瀬先輩んは握手を求めてきたので、私もしっかり握り返した。
『ただいまのレースの成績を発表します。一位、ソフトボール部、二位、吹奏楽部とボランティア部。同着です』
おおおお、と大きなどよめきと拍手が起きた。塩瀬先輩は私の手を取って高々と掲げると、より一層大きくなった。気分が高揚した私はもう片方の手を振って愛想を振りまいて、締めていたハチマキを外してギャラリーの中に投げ込んだ。とんでもない悲鳴が上がった。
「二位で調子乗りすぎじゃない?」
後ろを振り返ると、すっかり回復した根尾部長が仁王立ちしていた。
「いや、つい……あはは」
「まっ、エース二人が抜けて二位なら上出来も上出来でしょう。よく頑張ってくれたわ」
「ありがとうございます。部長も凄い走りでしたね」
「本気出せばこんなものよ」
根尾部長が眼鏡のブリッジを押し上げるが、よく見るとフレームが歪んでいる。さっき倒れたときに歪んだのかもしれないが、私の目には名誉の負傷に映った。
ゲストですよん
塩瀬日色(桜ノ夜月様考案)
根積千宙(藤田大腸考案)