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図書館

 幅木綴理と知り合ったのは、昨年の一学期の期末テスト直前の頃だった。


 期末テスト前には部活休止期間が設けられていたものの、私は真っ直ぐ帰宅せず、図書館に寄って勉強することにした。当時の私は実家から一時間半もかけて通学していたので、いつも帰りの電車に乗るだけでクタクタになってしまい家でテスト勉強に身が入らずあまりいい成績を取れず、というのを繰り返していたから、それなら図書館で勉強した方がいいと考えたからだ。


 それまでほとんど図書館を利用したことがなかったが、自習スペースにかろうじて空きがあった。静かな環境のおかげで集中力をもってテスト勉強に望むことができ、あっという間に閉館時刻になってしまった。それでも下校時刻まで時間があったために生徒たちのほとんどは帰る準備だけはしておいてダベっていて、司書教諭もそれを咎めたりはしなかった。


 私は電車の都合があったのでさっさと帰ることにして、小説コーナーを通って出入口に向かおうとした。そのとき、たまたま棚を覗いたら一冊の小説が他の蔵書の上に乗っけられるようにして置かれていた。誰かがいい加減な戻し方をしたのだろうが、これもテストでいい成績を取るための善行だと思い私の手できちんと直すことにした。


 手にとってみたら、表紙に楽譜と音楽記号が描かれている。少しだけパラパラ適当に読んでみたが、思った通り音楽が題材になっている小説らしく、興味を引いた。テストとという世知辛い現実からの逃避がてら帰りの車内で読もうとしたけれど、もう閉館なので貸出はできない。そのため翌日、昼休みに改めて借りに行った。


 カウンターに座っていたのは、ハーフアップの髪型で赤縁メガネをかけている小柄な図書委員だった。


「生徒手帳をお願いします」


 私は生徒手帳を渡した。手帳にはバーコードが貼られていて、これを読み取ることで貸出処理ができる。


 ふと図書委員の首筋に目が止まった。


「ねえ君、もしかしてバイオリンやってる?」

「え?」


 図書委員はバーコードリーダーを持ったまま手を止めた。


「どうしてわかったんですか?」

「首にアザがついていたから。私の母さんバイオリンやってるんだけど、君とおんなじアザがついてるんだ」

「そうですか」


 図書委員は首筋をさすると、伏し目がちになった。何だか怯えているような感じに見えてしまった。


「あ、ごめんね変なこと聞いちゃって。えーと……期限は二週間だっけ」

「はい、二週間後にお願いします」


 その日のやり取りはそれで終わったものの、初対面の子にいきなりバイオリンやってる? なんて聞くもんじゃなかったかなとちょっと後悔した。アザを気にしてたかもしれないのに。返しに行ったときまた同じ子に当たったらどうしようかとも考えて。とはいえひとまずは借りた本を電車の中で読むことにした。


 偶然と言うべきか、小説の主人公はバイオリン弾きの女の子だった。音楽科のある高校が舞台で、母親のようなバイオリニストになりたくて音楽科のある名門校に最下位の成績で入学して、授業にはついていくのがやっとで、それでも入学式で見せた先輩の演奏に衝撃を受けて、先輩のようになりたくて一所懸命努力して、ある日たまたま出くわした先輩から直接指導を受けて……といった場面まで読み進めたところで実家の最寄り駅に着いた。


 小説のタイトルには「恋」という文字が入っていたものの、作風は恋愛小説というより青春小説に近い。難しい言い回しもあまりなく読みやすいし、何より登場人物の中にヘイトを稼ぐようなのがいないからストレスを感じないのがいい。主人公の技量はまだまだで足を引っ張ることがあっても、周りは呆れつつもちゃんとフォローしてくれているし、主人公もそれに甘えることはない。


 同時に、私が前にいた学校がこの小説に出てくる高校みたいな環境だったら良かったのに、ともつい思ってしまった。もう星花女子学園の水に慣れきった身が過去のことをどうこう言っても仕方ないことなんだけど。


 *


 期末テストの結果は散々だった。ギリギリ100番台は回避できたものの過去最悪の順位で、自分の情けなさ不甲斐なさに嘆くしかなかったが一方でしばらく間勉強から開放される喜びもあった。一般的な中学三年生には高校受験勉強が待っているが星花女子学園は中高一貫校。だから心配無しに部活に打ち込むことができる。


 吹奏楽コンクールが間近に迫っていたものの、部員たちの間にはピリピリした空気はなく、それでいて緩みきっているわけでもなく、適切な緊張感を持っていた。


 トランペットパートは決まって2階高等部の空き教室、吹奏楽部員の間で「2年8組(仮)(かっこかり)」と呼んでいる場所で行っていた。星花女子学園高等部はこの年国際科の7組が設置されていたが、新校舎建設時点で将来的に8組にまで増やす構想ができていたらしく、各階に今はまだ使われることがない8組の教室が設けられていたのだ。


「それじゃ最初の4小節をもう一度……」


 パートリーダーの萩屋星恵(はぎやほしえ)先輩がそこで言葉を止めて口を大きく開けたかと思うと、ぶぇっくしょーい! とおっちゃんみたいなくしゃみをした。


「萩屋先輩、大丈夫ですか? さっきからくしゃみ連発してますけど」

「ズズッ……昨晩暑くて寝苦しかったからクーラーかけっぱで寝たんだけどそれがダメだったみたい……ああ、ティッシュがもうないや……っくしょーい!!」

「ああ、ちょっと待ってください。私のをあげますから」


 かばんのサイドポケットに入っていたポケットティッシュを取り出そうとしたら、何か硬い感触が。借りていた小説だ。そしてふと思い出した。返却期限が今日だったことを。


「やばっ。先輩、ちょっと席外しますね!」

「風原さんどこ行くのー……っくしょーん!!」


 萩屋先輩にポケットティッシュを手渡すと、小説片手に2年8組(仮)を飛び出した。私としては速歩きのつもりだったけど、周りからはそう見えなかったらしく、しかもこのときはよりによって危険人物に見つかってしまったのだ。


「そこの貴様、止まれ!」


 雷のような怒声で、私は急停止した。


 中等部生の間でも(悪い意味で)噂になっていた軍曹の異名を取る名物風紀委員。新設されたばかりの国際科の生徒、須賀野守(すがのまもり)が鬼の形相でズカズカと近づいてきた。


「氏名、学年、クラス、所属部活を答えろ」

「かっ、風原美音です。中等部の3年3組、部活は吹奏楽部です……」

「なぜ廊下を走った?」


 須賀野先輩からは殺気がみなぎっていた。


「か、借りていた本を返しに図書館まで行くつもりでした……」

「その本か。見せろ」


 恐る恐る差し出す。先輩は裏表紙のバーコードを見て「確かに図書館のものだな」とあっさりと返してくれたが、


「しかし廊下を走るのは言語道断! 貴様には罰として腕立て伏せ30回を言い渡す!」

「ええっ!?」

「返事は『はい』のみだ!」


 穏やかな校風の星花女子にも怖い先生はいるけれど、この先輩はもっと怖い! ただ本を返しに行こうとしただけなのになぜ……。


 冷や汗が流れる中、私たちの脇を通りすがろうとしている子がいて、その子を見て思わず呼び止めた。


「あ、ちょっと!」

「はい?」


 赤縁メガネの図書委員の子だった。

【メモ】


須賀野守:藤田大腸考案キャラ。代々軍人・自衛官の家系で母親は元傭兵というミリタリーな生徒。彼女の中では軍人ソウルが濃縮されており、時折戦場にいる妄想を起こすヤバい人。


萩屋星恵:名前の元ネタは一定の年齢以上の関西人なら誰でも知っているであろうはぎや整形。

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