体育祭
立成20年度体育祭の日は少し曇りがかっていて、気温は落ち着いていた。
体育祭では吹奏楽部員の出番が多い。まずは入場行進。今年度は『コバルトの空』を流す。冒頭の軽快なファンファーレは私が担当したが、我ながら気持ちよく吹けた。
あいにく今日はコバルト色の空ではないものの、根尾部長の軽やかなタクトとともに奏でられる曲に合わせて、千人近い生徒たちが行進していく。各学年ごとに列を作っており、筆頭の高等部三年生の後に中等部三年生が続く。
その中に幅木さんの姿を見かけた。一所懸命手を振って足を大きく上げているが、緊張しているのか何となく動作が固い。演奏中じゃなかったら声をかけてあげられたんだけど。
行進のトリを飾るのは中等部一年生たち。みんな初々しさがあり、保護者たちから一番大きな歓声を貰っていた。
「せんぱーい!」
行進の列から大きな声がして何事かと思ったら、京橋さんが私に向かって手を振っていた。トランペットが吹けないので演奏に参加できなかった彼女は、さらに顔の横でピースサインを見せつけた。
すると、トランペットの音が大きく乱れた。私ではなく、隣の古屋さんの音だった。根尾部長が一瞬、トランペットパートの方をジロリと睨みつける。古屋さんはどうにか修正をかけられたものの、コンクールの場だったら取り返しのつかない致命的なミスになっていただろう。
続いて国旗掲揚での国歌演奏、校旗掲揚での校歌演奏を以て、私たちの仕事はいったん終わる。この後は閉会式でも演奏が控えている。学園長挨拶と来賓紹介(空の宮市長さんとかいろんな偉い人がいた)を経て、準備体操としてラジオ体操を行い開会式プログラムは終了した。
「変な演奏をしてしまい、すみませんでした」
古屋さんは真っ先に根尾部長のところまで謝りに行った。
「公の場でトランペットを吹くのは初めてだったから緊張したの?」
「いえ、そういうわけでは……」
私は助け舟を出した。
「ちょっと行進中に私たちに向かって変なポーズをしてきた子がいまして」
京橋さんの名前は出さなかったが、部長は「そうだったの」と納得してくれた。
「でも保護者や来賓もいるのだから、気をつけて演奏して貰わないと困るわ」
「はい、気をつけます」
「反省は今後の練習で。今は体育祭に集中して」
部長はそうしめくくった。
しかしそこへ、お説教の原因を作った人物がのこのこと顔を出してきた。
「せーんぱーい! いよいよ始まりますね! 部活対抗リレーがんばりましょう!」
「……」
古屋さんは露骨に渋い顔をした。私が小声でなだめたからどうにか一触即発の事態にはならなかったけど、無事リレーが終わるのか不安になって仕方なかった。
もっとも、その不安はもっと悪い形で的中することになるなんてこのときは思いもしなかったのだが……。
*
「せーのっ、いっちにっ、いっちにっ!」
十人一組のムカデ競争。私は声を合わせて全員が右、左と足を揃えて歩く。足並みが少しでも乱れたらこけてしまうので、速さよりもリズムの正確さが求められるがそこは私の得意分野。しかし私が得意でも他のみんなはそうではないわけで。
「うわわっ」
急ブレーキがかかったように前につんのめり、ムカデが潰れた。こんな感じで一瞬でも誰かがリズムを崩せばこうなってしまう。
「焦らずにいこう!」
私はすかさず声をかけた。実は私のクラスがリードしていて、二番手とはムカデ1.5匹分の差が開いている。まだ逃げ切れる。
「いくよ! せーのっ!」
いっちにっ、いっちにっ、いっちにっ……
結果、ラスト5メートルで一気に差を縮められたが、ギリギリのところで一着ゴール。私たちはハイタッチを交わして勝利を祝った。
「よし、これで逆転だ!」
本部横に掲げられたボードには「星」「花」両チームのポイントが表示されている。昨年までは学年別対抗戦だったが、今年度は奇数クラスの星チームと、偶数クラスの花チームとのチーム対抗戦となっている。私は1年2組なので花チーム所属だ。
ムカデ競争では5着までポイントが入るが、1着3着4着と花チームのクラスが入ったため、取得ポイントが星チームを上回って合計点でわずかながら逆転した。
『それでは前半の部、最後を飾ってお送りしますのは騎馬戦です!』
放送部の気合の入ったアナウンスとともに、騎馬が入場してくる。まずは中等部の競技からだ。
花チーム側に、幅木さんの騎馬がいた。彼女は前側の土台になっていた。花チームを示す、赤いハチマキ姿がかっこよく見える。
「ほら、美音のお気に入りの図書委員ちゃんがいるわよ」
「言われなくてもわかってる」
からかうような言い方だったのでぶっきらぼうな返しになってしまったが、視線は幅木さんからそらさなかった。
幅木さんの騎手は中学生にしては大きく、私や蘭とほとんど背丈が変わらない。その子をかついでたたずむ幅木さんがカッコよく見える。
ピストルの音とともに競技が始まった。
「うわ、何だありゃ!?」
みんな騒然とするのは無理なかったし、私も仰天した。
幅木さんの騎手が草でも刈るかのように、次々と星チームの騎手の青いハチマキを奪い取っていったのだ。しかも動きがめちゃくちゃ速い。幅木さんのちょこちょことした可愛らしい足の動きから繰り出される機動力、そして騎手の上背を活かした破壊力が相手を混乱に陥れる。
当然、ワンサイドゲームで競技は終了。花チームはなすすべもなく全滅してしまった。あまりにも凄かったから声援を送る暇もなかった。
「よし、これで花チームが突き放したぞ」
「それはどうかしら」
次は高等部の競技。高等部一、二年には7組国際科がある関係で星チームが多くなってしまうので、偶数クラスの一部から複数の騎馬を出して星・花両チームの均衡を保っている。
ただしその程度ではハンデ解消にはならなかった。なぜなら星チームには二年国際科所属、鬼軍曹の須賀野守に柔道インターハイ優勝の橘桜芽、合気道の達人と謳われる御神本沙羅が出ていたからだ。この三人は星花女子の武闘派として名を轟かせていた。
「よっしゃ、血祭りにあげてやらあ!」
我が1年2組からは太田さんが騎手として出場して、意気揚々と気勢を上げていたのだが……
「あぎゃーっ!」
開始直後にソッコーで橘先輩にハチマキを奪われた上、甲高い悲鳴を上げて落馬してしまった。それでもすぐ起き上がってなぜか観客席に手を振って愛想を振りまくが、眼鏡は泥まみれでどことなく哀愁がただよっている。
「自分が血祭りにあげられてどうすんのよ」
蘭がため息をつくが、誰が騎手でも同じことだっただろう。中等部よりも短い時間で競技が終わり、結果は言うまでもなく花チームの全滅。しかも星チームは一騎も損なわなかったので、ポイントは星チームに多く入った。
その結果、なんと同点で前半を折り返すことになった。放送部のアナウンスも興奮気味にそのことを伝え、前半の部が終了。昼食の時間だ。
部活対抗リレーが行われるのは、後半の部の一番最初だ。
昼ご飯では生徒全員に弁当が支給される。小学校の運動会だと保護者が持ってきた弁当を一緒に食べていたけど、星花では太田さんみたいに実家が遠い場所にあり保護者が来れない生徒もいるので、その生徒たちに配慮して学校側が弁当を用意している。弁当にはさまざまな種類があり、前日に予約注文したのを受け取りにいった。私が選んだのはサンドイッチ弁当だ。ハムサンドたまごサンドカツサンドいちごサンドにおかず数品とバナナがついていた。
私は弁当を受け取ると保護者席に向かった。
「よっ」
私に向かって片手を上げる男性は父さんだった。母さんもいる。しかしもう一人、兄貴までいた。
「わざわざ東京から帰ってきたの?」
「おいおいおい、そこは『私のために帰ってきてくれて嬉しい!』だろ?」
気色悪い声を出しておどける兄貴の周りの空気はどことなく微妙だ。髪の毛は紫色に染めているわ、耳にはジャラジャラピアスをつけているわ、サングラスはしているわで、お嬢様学校の礼儀正しい保護者たちの中では浮いている。高校生までの頃はガリ勉オタクみたいな風貌だったのに、大学に進学した途端反動が来たかのようにこうなってしまった。
さらにおかしいところがある。見知らぬ三人家族が私たちの家族の輪に加わっていたのだ。その人の中で中年の男性が「お世話になっております」と会釈した。
「席がお隣同士になったご縁で一緒にご飯食べてんだよ、ガハハハ」
父さんは豪快に笑った。片手にはノンアルコールビールを持っていたけれど本当に酔っ払っているみたいだ。
「まあ座れや」
兄貴が自分の隣をポンポンと叩くので、とりあえず言われた通りにした。三人家族の中で一番の年少者、多分小学生高学年ぐらいかなという感じの子が弁当を食べていたがわざわざ箸を置いて、「こんにちは」と頭を下げた。礼儀正しいな。
「こんにちは。どこから来たの?」
「O市からです」
都市名を聞いてハッ、となった。O市はA県東部の都市。ここは……
「おーい、こっちだこっちー!」
中年男性が手を大きく振る。その先にいたのはやはり、幅木さんだった。
「かっ、風原先輩!?」
そりゃ驚くよね。