悩む二人
「本当に見に来たんだ……」
グラウンドの隅っこに集まった私たちを、金網越しに幅木さんがじーっと見つめている。屈伸運動しながら手を振ってあげたら、軽く会釈を返した。
「あら? 図書委員の子ですね」
と、古屋さん。
「知ってるの?」
「この前初めて図書館に寄ったときに対応してもらいましたから」
古屋さんも本を読む方なのかな?
「風原さんこそご存知なんですか? さっき手を振ってましたけど」
「うん、私も実はよく図書館で本借りてるから、それで」
「なるほど」
「ちなみに古屋さんはどんな本読むの?」
「ヨーロッパの現代史とか、政治の本とかですね。高校生になったのだから少しは難しい本も読まないとと思いまして。風原さんは?」
「いやまあ、私は古屋さんほど難しい本は読めないから、娯楽小説とかかな……?」
古屋さんがとてつもなく賢い人間に見えてきた。私なんか『先輩のための教科書』以外は軽めの小説しか読んでないのに。
「さあ、お昼の練習頑張りましょうっ」
何か良いことでもあったのか、今日の根尾部長は一段とご機嫌だ。
「古屋先輩、うまく風原先輩にバトン渡してくださいよー」
京橋さんに至っては、昨日に古屋さんとケンカになりかけていたことをとっくに忘れてしまったかのようだった。
「京橋さんもしっかり頑張りましょうね」
古屋さんもいつも通りだ。ひとまずは良かった。
昼休みといっても時間があるわけではないので、集中してバトンパスをみっちりとやり込んだ。しかしちゃんと掴めずに落としたり、受け渡し区間内で受け渡せなかったりと散々だった。だけど根尾部長は怒るでも呆れるでもなく、
「いろいろ課題が出てきたけど、伸びしろよ。明日はミスしたところを意識して練習しましょう」
などと某元サッカー選手みたいなことを言いながら締めくくった。
「はい、お疲れ様でした。暑いからちょっと走っただけで汗が出ますね……」
古屋さんは、持参してた水筒から直飲みで水分補給した。私は自販機でジュースを買おうとしたが、古屋さんに「風原さんも飲んでみます?」と誘われた。
「ああ、お茶はいいよ。ジュース飲みたい気分だし」
「お茶じゃなくてはちみつレモンが入っているんです。疲れに効きますよ」
「えっ。それじゃあ、頂いちゃおうかな」
甘いものが欲しいときにいいタイミングだった。
「京橋さんもいかがですか?」
「すみません。私、レモン苦手なんですよー」
つい先日交わした雑談の中でそう言ってた記憶がある。この子と唐揚げ食べる機会があったらレモンかけちゃダメだな。
「それじゃあ風原さん、どうぞ」
水筒のコップにはちみつレモンが注がれると、一気に飲み干した。
「ん、そんなに甘くないけどすっごいスッキリしてる」
「良かった。手作りなんでどうだろうかと思いましたけど」
「へー、古屋さんが作ったんだ」
「私、飲み物を作るのが好きでして。もう一杯どうですか?」
「うん、ちょうだい」
コップを差し出そうとしたら、京橋さんにクイッと袖を掴まれた。
「汗かいたら塩分も取らなきゃですよー。塩タブレットなめてください」
と言いながら、半ば無理やり私の手に塩タブレットを握らせてきた。
「あっ、ありがと……」
「京橋さん? まずいるかいらないかを聞かなきゃだめでしょう?」
古屋さんが冷たく低いトーンで諭す。これは……昨日のときと一緒だ。
「まっ、まあまあ。確かに塩分補給は大事だから、ね? 今は喉カラカラだから先に飲んじゃうけど」
改めてコップを差し出したら、古屋さんはにっこりと笑いながら注いでくれた。京橋さんはあからさまにぶーたれている。
この子、もしかして私と古屋さんがやり取りしているのが気に食わないのかな……? 昨日も古屋さんに教えているところをいきなり割り込んできたし。
どうしようかと考えたあげく、私は二杯目のはちみつレモンを一気に飲み干して、すぐに塩タブレットを口に含んだ。
「あー、やっぱ汗かいたらしょっぱいのをとらないとねー」
などととっさに口走ってしまったが、京橋さんは表情を和らげて「そうですよー」と同調した。
「古屋さんにも塩タブレット分けてあげてよ」
と言ったら、京橋さんはニタァと笑って、
「いりますかあ?」
と、あからさまにいやみっぽい口調で古屋さんに尋ねたものだから、場が一気に冷え込んだ。しまった余計なことを言ってしまった、と後悔した。私だけ塩タブレットを貰うのも悪いと思ってのことだったけど。
でも古屋さんは至って普通に「ええ、いただきます」と返事した、が。
「さっきみたいに無理やり渡してくれても良かったんですよ?」
運動でかいたときとは違う類の汗が出てきた。お互いにニコニコしながら剣呑なやり取りをして、間に挟まれた私は我慢できず、
「あっ思い出した! 五時間目の数I、宿題当てられてたから黒板に回答書かないと! じゃあね!」
と、二人を置いて早足でグラウンドから去ってしまった。宿題という口実はもちろんウソだ。
「ううー……あの二人なんで仲良くできないのかなあ……」
逃げ出してしまった罪悪感に囚われながら、二人について悩みだす。同じパート内で揉め事は本当に勘弁してほしい。せめて体育祭のときだけは協力してほしい……
二人のことで頭がいっぱいになってしまい、幅木さんがいつの間にかいなくなっていたことに気づくことはなかった。
*
「鉄は酸化還元反応で酸化鉄に変わるときに熱が発生します。これを利用したのが、皆さんもご存知の使い捨てカイロです」
理科の小板橋真悠先生が化学式を板書しながら説明しているのに、一向に頭に入ってこないのは昼休み明けの授業で頭が鈍っているからではない。
風原先輩の部活対抗リレーの練習を遠巻きに見ていたら、先輩は二人の生徒たちと仲睦まじそうにしていた。そのうち一人は古屋カロという風原先輩の同級生。図書館で本を借りに来たことがあったが、珍しい名前だったのでよく覚えていた。だけど吹奏楽部員だったのはさっき初めて知った。
一通り練習が終わった後にその古屋さんが自分の水筒の中身を分けていて、もう一人背丈が私よりもちっちゃい、中一の子がアメらしきものを渡していた。私はそれを見て、モヤッとした気持ちに囚われてしまったのだ。
この正体は「嫉妬」なのだと理解していた。
私には少ないながらも友人がいる。だけど友人が他の子と仲睦まじくしていても、モヤッとした気持ちにはならなかった。
それなのに風原先輩だとなぜなのか。
なぜなのか?
もしかして……?
「さて、幅木さん」
「……はいっ!?」
考え事をしていて、先程の話を全く聞いていない中で指名された。これはまずい状況だ。
「鉄は酸化鉄に変わるときに熱が発生する、と言いました。例えば錆びた鉄板も酸化鉄ですが、触ったら熱いでしょうか?」
「……いいえ」
質問が指名された後だったのでほっとしたのもつかの間、
「なぜだと思いますか?」
「……」
最初からちゃんと話を聞いていたら答えられたかもしれない、というのは言い訳だろうか。
「わからない?」
「はい、すみません」
「そうですね、みなさんは普段錆びた鉄板が熱を発生させているなんて思ってもいないでしょう。これは酸化反応が使い捨てカイロに比べるとかなり遅いので熱を感じていないだけなのです」
特に叱られるわけでもなく、小板橋先生は淡々と話しを続けた。それでも「喝」を入れられた感じがして、ここから放課後を迎えるまではどうにか集中力を保つことができた。
それでもモヤッとした気持ちは消えず、その解決方法を得たいがために図書館に足を向けた。
「あれっ、幅木さん今日は非番だよね?」
矢倉先生が、今日の貸出業務担当の委員と一緒にカウンターにいた。
「お聞きしたいことがありまして」
「はいはい、何かなっ?」
「ちょっとここでは……」
「うん? どうしたの?」
矢倉先生がカウンターから出てきて、私を誰もいない図書準備室に招き入れた。ここには閉架図書の一部が保管されているが、通常は委員の控室と矢倉先生や宇津森先生の仕事場になっている。
「前に先生が持ってきた『恐ろしいほど効く恋愛の呪術』ですけど、あれは本当に効くんですか……?」
矢倉先生は眉を潜めた。「何変なこと聞いてんだろう?」と思われているかもしれないけれど、私もそう思う。
この前古屋カロ先輩がお固い本でカモフラージュしてまで借りた本。もしかすると古屋先輩には恋している相手がいるのかもしれない。
その相手が、風原先輩じゃないかと私は決めつけていた。自分の水筒の中身を分けていたから、というのは全く根拠にならないのは理解している。普通の友人の間でもやることだから。
それでもこのときの私はまともな判断ができていなかった。古屋先輩に風原先輩を取られてしまうと思っていたから。名前の知らない中一の子も、きっと風原先輩を狙っている。新入生の中には風原先輩のファンがいるし、吹奏楽部員ならなおさら近づこうとしてもおかしくない。
こんな形ではあるが、私は風原先輩のことが好きなのだと自覚した。
本に書かれていることを否定してほしい一心で、私は矢倉先生を頼った。私にはまともに恋の相談を持ちかける勇気は持ち合わせていなかった。
小板橋真悠
中等部理科教員。立成20年度の中等部3年1組担任
考案者:はと子様
登場作品:『星の花で待ってて』(桜ノ夜月様作)https://ncode.syosetu.com/n8184hd/
キャラシート
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