揉め事発生
さすがに放課後は部活動の時間を削ってまでリレーの練習をするわけではない。トランペットパートはいつもの「2年8組(仮)」に集まった。
まず、私が指導している古屋さんの演奏を聞いてみる。日を追うごと上達しているのがよくわかり、今では全く熟練者と遜色ないほどの音色に仕上がっていた。
「いかがでしたか?」
「うん、もうこれ以上教えることあるかなっていうぐらい上手になったよ」
「そこまで言われると、照れますね」
古屋さんがはにかむ。
「何か、古屋さんってガラッと変わったよね」
「そうですか?」
「リレーに立候補するとは思わなかったし、上手く言えないけど、エネルギッシュというか積極的になったというか……」
「学校に慣れたからでしょうか」
そう謙遜するが、入学してまだ二ヶ月ほどでそこまで変わるのは慣れた、というレベルではないと思う。
「風原せーんぱーい!」
京橋さんが急に割って入ってきた。
「私のも聴いてくださーい! お願いします!」
京橋さんを教えているのは中等部二年の淡路さんだが、彼女は今日体調不良でお休みしていた。
「えーと、一応音は出せるようになったんだよね……?」
「はい、出せまーす」
京橋さんはそう言ってトランペットを構えてマウスピースを口に当てたが、出てきたのはまさしく屁のような間抜けた音だった。力が吸い取られるようだ……。
「唇の当て方がダメダメだよ。こんな感じでしっかりと……」
私は手持ちのトランペットを使って見本を見せたが、京橋さんは眉毛をハの字にした。
「うーん、何が違うのかよくわかんないんですけどー」
「ええ?」
お手本見せたのに?
「京橋さん」
古屋さんが、とてつもなく低い声を出した。
「前から思っていましたが、あなた、先輩に対する口の利き方がおかしくないですか?」
京橋さんの眉毛が今度は逆ハの字になった。
「はあ? どこがおかしいんですかあ?」
「一から十まで言われないとわかりませんか?」
2年8組(仮)の空気が一気に凍りついていく。
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて」
私は『先輩のための教科書』に書かれていたことを必死に思い出そうとする。揉め事の解決法は具体的に書かれていなかったが、相手が冷静でないときの対処法は書かれていた。これを利用しよう。
「古屋さん、ちょっと一緒に外に出よう」
しばらくの間、お互いを引き離して落ち着かせようと試みた。東階段にあるラウンジのソファーが空いていたので、古屋さんと一緒に座った。
「なんなんですかあの子、昨日のリレー練習でも風原さんに失礼な口の聞き方して」
「まあまあ、渋谷さんにもちゃんと礼儀も教えなきゃだめだよって言っておくから」
私たちが直接教えてもいいのだが、京橋さんの面倒を見ているのは渋谷さんだから、彼女を通じて指導させるのが適切だろう。
「でも、京橋さんのことを思って注意してくれたんだよね。それはいいことだよ」
「え、まあ、一応は同じパートですから……」
「あとは言い方の問題かな。多分、あの子単に何が悪いのかわかってないだけだと思うから、具体的に何がダメなのかちゃんと言ってあげる必要はあるかな」
「うーん……そんな甘い対応でいいんでしょうか? 私のいた中学の吹奏楽部だと……」
「古屋さん、ここは星花女子学園だから」
「すみません」
一気にシュン、となる古屋さん。ちょっと釘さした程度なのに。しかしこんなに感情がわかりやすく出る子とは思わなかった。
「ちょっとは頭冷えたかな?」
「はい」
「よし、じゃあ戻ろう」
問題は京橋さんの頭が冷えているかどうかだったが、戻ったら「おかえりなさーい!」と、それはそれはキラキラした笑顔で迎えてきてくれた。
「古屋先輩ごめんなさーい。私、ちょっとカーッとになりやすくて。でも落ち着きました! これからは気をつけまーす!」
「……」
私と古屋さんは顔を見合わせた。火に油を注ぐような態度だったものの、どういうわけか怒る気がみるみる失せてしまい、苦笑いしか出てこなかった。
*
「あー、今日はめっちゃ疲れたなー……」
帰寮するなり、私はベッドの上に倒れ込んだ。本当にいろいろあって疲れてしまった。
スマホをいじろうとしたら、メッセージが届いているのに気がついた。
「幅木さんからだ」
アプリを開くなり、『たすけてください!』という切羽詰まった文が目に飛び込んできたから一瞬ギョッとした。しかしよく読むと、数学の問題でわからないことがあるから教えてほしい、というものだった。
私は数学が嫌いで中学で習ったことも覚えているかどうか怪しいのだけれど、質問の内容に関しては解決できそうだ。数学の田辺先生が授業中の余談で教えてくれた、裏技的解法を当てはめることができるからだ。田辺先生は星花では少数派の男性教師で物凄い強面だけど、教科書に載っていない数学のおもしろ話をしてくれる。それに関してだけは私の頭の中にもよく入っていた。
ちょうどノートに書き写していたのでカメラで撮影し、補足のメッセージを添えて画像を送信する。すぐに既読がついて、『ありがとうございます!!』と返事がきた。役に立ってよかった。
これだけじゃ何か愛想なしだなと思って、私はメッセージを続けた。
『ところで体育祭は何の種目に出るの?』
早くも返事がきた。
『玉入れと騎馬戦です』
『騎馬戦出るの? 大丈夫?』
『大丈夫、とは?』
しまったな、と悔やんだ。幅木さんが運動苦手とは限らないのに。古屋さんみたいに。
『ごめんなさい。失礼だけど何だかイメージできなくて』
正直に伝えた。土下座の絵文字をつけて謝罪の意を示しつつ。
『私、力はそこそこある方なんですよ。いつも本を持ち運びしてるので。馬になって頑張ります』
そう返ってきたもののやはりどうしても、幅木さんが馬になっているイメージがなかなか浮かばない。偏見なのはわかっているのに。
『先輩は何に出るんですか?』
『ムカデ競争と大縄跳びと部活対抗リレー』
『部活対抗リレー! 盛り上がるやつじゃないですか!』
びっくりした顔の絵文字つきで返してきた。幅木さん絵文字使うんだ。かわいいな。
『だけど昼休み潰して練習させられてるんだ。たまらないよ』
『じゃあしばらく図書館来れませんね』
しょんぼりした顔の絵文字つき。かわいいなと思いながらごめんね、と打とうとしたら、
『明日からしばらく非番なんで練習見に行きますね』
「ええ?」
文末に添えられた、にっこりとした笑顔の絵文字をしばらく見つめていた。




