吹奏楽部恋模様
「いつか美音に言うつもりだったんだけど、ズルズル先延ばししちゃってさー」
「結局一年かかっちゃったわね」
あのキスの翌朝、登校後に詠里と樟葉に問いただしてみたらあっさりと恋愛関係を認めた。しかも昨年の春かららしい。よく隠し通せたなとかえって感心してしまった。
「いったい、樟葉のどこが気に入ったの?」
「うーんと、クソまじめそうに見えて意外とはっちゃけてるところ? この前のスタパレのときとかさー」
「ああ、わかる」
子どもの日にスターパレスショッピングモールで演奏したとき、樟葉がサックスのソロパートを吹くことがあったがこれがまたノリノリで、演奏曲が某探偵アニメのメインテーマだったこともあり子どもたちに大受けしていた。
「逆に詠里のどこが気に入った?」
「不真面目そうに見えて演奏になると真剣なところ。そのギャップが魅力的だったの」
確かに。詠里の演奏に対する姿勢はとても真面目で努力家でもある。
「見事に真逆だな……」
昨日古屋さんに話したように、やはり性格が違うものどうしだとかえってうまくいくことがあるようだ。
「とにかく、おめでとう。私も知ったからには二人の仲を応援させてもらうからね。よろしく」
「ありがとう。じゃあ、今度は美音の番だ!」
「え?」
「え、じゃないよ。美音にもいるんじゃないの? 気になる子が」
「いや、それが……」
どういうわけか、「いないよ」という否定語が出てこなかった。だけど二人はいない、と解釈したようで、
「ファンの子いるでしょ? その中で気になる子とかいないの?」
「全然……」
「一人も?」
「一人も」
はあー、と二人が大きなため息をついた。
「良い顔してんのにもったいないなあ」
「自分で言うのも何だけど、堅物呼ばわりされてた私でも恋を知ったんだから美音に恋人ができないのはおかしいわよ」
「そんなこと言われても……」
「まあ、あたしたちの応援してくれるのはありがたいけど、自分のことも考えなよ。その気になったらあたしも応援するからさっ」
詠里の言葉に、樟葉もうなずく。いまや恋人どうしになった友人たちの気持ちはありがたく受け取ることにした。
*
憂鬱な行事、中間テストが迫ってきていた。期末テストと違って部活動を休止するかどうかは顧問次第だが、吹奏楽部ではテスト三日前から自主練のみとなる。テスト勉強に集中したければ部活に出なくても良いということだ。
私は当然部活を選んだ。何もテストから逃避したいわけではなく、いや、その気持ちが無いといえばウソになるけれど……古屋さんが急に上達しはじめたからだった。ただ機械的に音を出していただけだったのが、感情がこもった音色を出せるようになっていったのだ。
「いいねー、どんどん上手くなっていってる!」
「自分でもこういう音が出せるんだって、びっくりしてます」
「テスト明けのマリリン先生に聞かせてあげたいなあ。すっごい喜んでくれると思うよ」
ついでに指導係の私も褒めてくれるかなあ、とか考えてしまう。
「風原さんの言う通り、ちょっとだけトランペットに歩み寄ったおかげです。ありがとうございます」
古屋さんが深々と頭を下げてきた。同級生にやられたら恐縮してしまう。
「もー、そんな大層なことしてないから。でも、これからトランペットをもっともっと好きになってくれたら嬉しいな」
「はい、頑張ります!」
いまだに敬語使いだけれど、声は明るくなった。ひとまず安心だ。
自主練が終わって帰ろうとしたら、昇降口で幅木さんとばったり出くわした。
「部活帰りですか?」
「うん、自主練だけど。幅木さんも図書委員の仕事してたの?」
「いえ、今日は非番でしたので。でも図書館でテスト勉強していました」
「まじめだなあ……って、勉強するのが当たり前なんだろうけど」
「高校受験に無縁とはいえ、テストの成績が悪すぎると『肩たたき』がありますからね」
ごくまれに成績不良で高等部に上がれない生徒が出てくる、と聞いたことがある。実際は入学以来ずっとドンケツの成績を取っていない限りは上がれるらしく、どちらかというと素行不良で追い出されるケースがほとんどと聞く。事実、ちょっと前に複数の不良生徒が外部進学を強いられたことがあったようだ。
私のように学校に嫌気が差して退学した、というケースは幸いにも見聞きしていない。
「私もちょっとは頑張らないとなあ。一応菊花寮だし」
「そうですね。私の同級生、菊花寮目指してる子が多いですから。来年になったら先輩の部屋に同級生がお邪魔してるかもしれませんよ?」
「うっ、もっと頑張らないと。でも勉強はどうしてもなあ……どうやったら身が入ると思う?」
「うーん、教科書に名前をつけてみる、とか?」
「な、名前?」
なんだか、突拍子もない答えが返ってきたけど。
「先輩、トランペットに名前つけたりしてます?」
「うん、してる」
吹奏楽部では自分の楽器に名前をつける部員が少なからずいる。例えば、詠里はクラリネットに「チョコ」と好きなお菓子、樟葉はサックスに「青」と好きな色を名前にしている。私の場合は、
「『ヨド』って名前」
「ヨド?」
「淀巳っていう入部してからお世話になった先輩がいて、その人から取った。先輩が側にいて、下手な演奏したら叱ってくれる気がするし」
「なるほど。だったらそれと同じく教科書に先生の名前をつけてみませんか? 勉強に身が入りますよ」
「イヤだよ」
即却下したら、幅木さんにプフッ、って含み笑いされた。
「逆に、幅木さんはバイオリンに名前つけてるの?」
「つけてますよ。本体に『ケイカ』、弓に『オウカ』ってつけてます」
ケイカは桂の花、オウカは桜の花と書く、と教えてくれた。菊花と桜花だったら寮とおんなじだったけど。
「何か由来があるの?」
「私が読んだ小説の主人公二人から取りました。かなり古くてマイナーな小説だからここの図書館にも置いてないんですけど、話がすっごく切なくて泣いてしまうんですよ。世に出るのが速すぎて評価されなかったのが悔やまれるぐらいで」
「好きな小説の登場人物の名前をつけるぐらい、バイオリンが好きなんだね」
幅木さんの頬が、ほんのりと赤くなった気がした。
「そろそろ、帰りますか」
「そうだね」
お互いの寮に着くまでは他愛もない話をして、その日は終わったのだった。
*
私、古屋カロの自宅は空の宮市南部の海沿いにある。ごく平凡な家庭の育ちで、良いところのお嬢様が多い星花女子学園に入学した直後は不安が尽きなかったが、一ヶ月以上経った頃には校風に慣れていた。
引っ込み思案な性格でも、友人はちゃんと作れている。その第一号の竹田輝夜――吹奏楽部の同期生と電話をしながら中間テストに備えて勉強をしていた。
「ここをyでくくりだしてやればx二乗マイナス1が出てくるでしょう?」
『あー、わかった! あとはxプラス1xマイナス1になるから……できた! ありがと! さすがカロちゃんだわ』
「どうも」
私の得意科目は数学だ。同期は揃いも揃って数学嫌いなので、宿題を見てほしいと頼まれることが多かった。とりわけ竹田さんは勉強熱心で家にいても電話で教えを請うてくることがしばしばあるが、嫌な気はしなかった。勉強の話だけで終わらないからだ。
『そういやカロちゃん、最近トランペットの調子良いよね』
「ええ、コツを掴みましたから」
友人第一号に対しても敬語を使う。
『コツかあ。それにしても急に音変わりすぎじゃない? このまま頑張ったら風原さん越えちゃうかもよ』
「いやいや、そんなの恐れ多いですよ」
『でも、上手い人をライバル視して越えようと頑張ることで上達するもんよ? これは私の中学校の吹奏楽部の顧問が言ってたことだけどね。だから私もライバル作って頑張ってんの』
竹田さんはチューバパートに配属されているが、もう一人、チューバパートの同期がいる。ライバルとはその子のことだ。吹奏楽部の強豪中学出身らしく、それが返って竹田さんのライバル心に火を付けている。
「うーん、でも私にとってはライバルではなく師匠というかなんというか……」
『カロちゃん、すっかりトランペットの人だね。いつもホルンに戻りたい、ってため息ついてたのがウソみたい』
「自分でもそう思います」
私は勉強をしながら会話を半時間ほど続けて、それが終わると教科書とノートを閉じた。
「そう、今の私はすっかりトランペットの人なのですよ」
独り言を言いながら、机にあったポーチを開ける。そこにはトランペットのマウスピースが入っていた。
私はマイ楽器としてホルンを所持しているが、トランペットは学園の備品を使用している。当然持ち出し禁止なので、代わりにマウスピースだけをこっそりと持ち帰っていたのだ。
何も練習のためだけに使うものではない。これはあの人の分身だ。
「風原さんのおかげでトランペットが好きになりました。つきっきりで指導してくれて、中等部の子にやっかまれたこともあったけど、あなたのおかげで新しい自分を見つけられました」
そう独り言を言いながらマウスピースを愛おしく撫で、ついには口づけをした。
「好きですよ、ミネ」
私はトランペットに名前をつけていた。トランペットに歩み寄るため、ひっそりと想い続けていた人の名前を。
昂ぶった気持ちを持て余してしまい、二度と勉強をする気にならなかった。
2024.7.21改稿
最後のシーンを一人称にしました。