第6話 観覧車
結論から言うと、完全に早まった。
澪路がそう気づいたのは、怪我が完治し、ならば特訓を始めましょう、と渚に樹臣に呼び出された初日のことだった。
「オニと言うのは、前にもお話した通り、殺人を犯した死者の魂です。我々視える者にとっては、見た目は常人と違いありません」
「じゃあ、どうやって見分けるの?」
コツ、コツ、と樹臣のステッキをつく音が夜道に響く。
どこに向かっているのかも知らされないまま、澪路はただその後をついていくしかなかった。
終始丁寧な言葉遣いを崩さない樹臣に対し、澪路はいつの間にか敬語が抜けているが、樹臣が気にする素振りはない。
「大体はその言動で分かりますが、基本的に我々が見分ける必要はありません」
「え?」
「オニの情報は、各人に与えられた専用の端末に届きます。我々は指定された場所に行くだけです」
「それってどこから届くの?」
「アメリカに本部がある“アテンダント”の組織です。世界中に支部があるそうですが、詳しいことは私も知らないのですよ」
「え? 知らないって……」
仮にも自分が働いている組織のことを知らないなどということがあるのだろうか。
一気に不信感に顔を曇らせる澪路に、樹臣はにこにこと話を続けた。
「組織には、何らかの方法でオニを感知する手段があるようです。担当地域内にオニが出現すると、端末に指示が届きます」
「それで?」
「指定された場所に行けば、オニの方から襲ってきてくれるのですよ。とはいっても、オニも視える者と視えない者を外見で区別することはできないため、通常はまず式を使って攻撃してきます」
「式、は、オニには逆らえないの?」
「はい。式はオニの命令通りに行動します。また、オニが命令せずとも、オニ自身に危険が及んだ時には守るように動きます」
「それじゃあ……」
「貴方のお姉さんをオニから解放することは、極めて難しいということです」
簡単なことではないのだろうと感じてはいたが、具体的に説明されるとその重みは全く違って聞こえる。
肩を落とす澪路に、樹臣は続けた。
「式には実態があるため、物理的な攻撃が通用します。貴方も式との戦闘用に何か一つ、獲物を用意する必要がありますね」
「渚さんは、そのステッキ……?」
「ええ。拳銃などの方が効率が良いのですが、何せ調達に手間もお金もかかりますから」
それに、私にはこちらの方が馴染みが良いのです、と樹臣が言う。
拳銃や銃弾をどうやって手に入れるのかなど知るはずもない澪路は、ぼんやりと自分の両手を眺めた。
「俺、喧嘩とかしたことないよ」
「そこは今後鍛えるしかありません。式は姿かたちが変わるだけで特別な能力が身につくわけではありませんので、ある程度の戦闘能力が身に付けば問題ありません」
「そう……」
「そして、肝心のオニですが」
それまで迷うことなく歩を進めていた樹臣が、ぴたりと足を止める。
いったいどれほど歩いたのか、目の前には大きな駐車場があった。その奥には林があり、さらに奥にはゴルフ場が広がっているらしかった。
「オニには、式のように物理攻撃はききません。そこで必要になるのが、“遊具”です」
ぴし、と樹臣が人差し指を立てる。
「は?」
ゆうぐ?
ゆうぐって、遊具?
思わず間の抜けた声を零した澪路に、樹臣はもう一度、遊具です、と繰り返した。
「“遊具”とは、我々“アテンダント”の力を具現化したものです。それぞれ形が異なるのですが……これ以上は、説明するよりご自分の目で見た方が早いでしょう」
「え?」
「習うより慣れよ、と言いますから」
その言葉は、習うものにとっては試練でしかない。
咄嗟に否定の言葉も出ない澪路を尻目に、樹臣はゆっくりとステッキから剣を抜き取った。
「貴方はそこで、よく見ておいてください」
そう言った次の瞬間には、樹臣の体は宙を飛んでいた。
「えっ?!」
いったいどうやってそんなに高く飛び上がったのかと、澪路が思わず声を上げる。
キンッ
空中で何かとぶつかった樹臣は、くるりと回転して軽やかに地面に降り立った。
目を凝らすと、闇の中に姉と同じ、異形の姿をした影が二つ見える。
「式です。オニは人気のない暗い場所に好んで出現するため、式の姿が捉えづらいのですが……目と空気の動きで相手の動作を読むようにしてください」
「空気、って……」
いや、そんな無茶な。
思わずそう突っ込みを入れたくなるほどに、樹臣は軽々と式と対峙していた。
一本の剣で、二体の式を相手にしているとはとても思えない。
「式は元々は人間ですから、身体能力も異常なほどではありません。予想外の動きをしてくることも少ないでしょう」
キンキンッ
一体の式を弾き飛ばし、もう一体の鉤爪に剣をひっかける。
そのままその一帯を地面へと叩き落し、樹臣は手早くその2対の翼を切り落とした。
「とはいえ、相手は常に捨て身で襲ってきます。特に羽は厄介ですので、まずは羽を切り落とすようにしてください」
ギギギギ!と響く式の悲鳴が、樹臣には聞こえていないのだろうか。
飛び起き、空へ逃げようと飛び上がった式の体が、浮かびあがることなくその場でバランスを崩す。
「まっ……!」
待って、澪路がそう声をかける暇もなく、樹臣はその式の体を貫いた。
グァアアアアッ
獣の咆哮のような断末魔。
続くもう一体もあっという間に片づけると、樹臣は振り返ることなく澪路に呼びかけた。
「さあ、本題のオニの時間です。よく見ておかないと、次から困りますよ」
そう、言われても。
たった今、目の前で二つの生き物が切り殺される現場を見たのだ。それも、姉と同じ姿をした生き物が。
平然としていられるわけがなかった。
「はっ、はっ……」
どくどくどく、と心臓が異様に早く脈打つ音が聞こえる。
その音に急き立てられるように、ひゅ、ひゅ、と澪路の呼吸も短く早いものへと変わっていった。
それでも、樹臣は言葉を止めようとはしない。
「オニは、式が戦っている間、自身の魂で周囲の空間を取り囲み、膜を張っています。式と戦っている間に、その膜の中、どこかにある魂の核の場所を捉えます」
待って、と、澪路の唇が動く。
脂汗を流しながら、その瞳は震えながら、樹臣を見上げている。
「見つけたら、手を伸ばし、目に見えない鎖でそれを捕えるイメージをします。掴んだら、離さないように意識を集中し続けるだけで構いません」
ぐ、と樹臣の手が何かを掴む仕草をする。
それと同時に、樹臣の右側の空間がぐにゃりと歪んだ。
「え? えっ? なんで?」
現れたのは、どこにでもいそうな、中肉中背の男。
意図せず引きずり出されて焦っているのだろう。あたふたとあたりを見回すその姿は、普通の人間そのものだった。
「大切なのは、迷わないことです」
目の前にいる男など見えてもいないかのように、樹臣はただ澪路に語り続ける。
「オニを離さないように注意しながら、鍵に手をあて、“遊具”の名前を唱えます」
――光の大観覧車。
その言葉に、樹臣が手に持っていたステッキが光り輝く。
暗闇が戻って来た時、そこには燦燦と輝く大きな観覧車が顕れていた。
あまりの事態に、澪路はただ茫然とその観覧車を見上げる。
それは、オニと対抗する道具と言うには、あまりに美しいものだった。
「“遊具”が完全に具現化したら、捕まえたままのオニを、遊具にご案内してください」
ふっと樹臣が握っていた拳を開く。
すると、男――オニは、まるで見えない鎖に引き寄せられるかのように、宙に浮かぶ観覧車のコンテナへと引きずり込まれていった。
「“宵の遊び場”へようこそ。どうぞ、素敵な時間をお過ごしください」
樹臣の言葉が終わるのを待って、パタン、とコンテナの扉が閉じ、ゆっくりと観覧車が動き始めた。
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