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第4話 英国(風)紳士

 振り上げられた鋭い鉤爪が、太陽に反射してキラリと光る。


「ねえさん、やめ……っ」


 その鉤爪が振り下ろされるのを見て、澪路は思わず身を縮めてぎゅっと目をつむった。


 キィンッ


 衝撃が訪れる代わりに、聞こえてきたのは金属同士がぶつかるようなするどい音。


「お怪我はありませんか?」


 澪路がゆっくりと目を開けると、そこにはまるで映画から抜け出してきたかのような、一昔前の英国紳士が立っていた。

 年齢は50ほどだろうか、子どもでも分かる高そうなスーツを見事に着こなし、手入れされた口ひげがとてもよく似合っている。

 纏っている空気そのものが優雅な気がするその男は、微笑みをたたえてその手を澪路へと差し出していた。


「あ……だ、大丈夫……です……」


 この瞬間に全く似つかわしくない男の突然の登場に、澪路はなんとかそれだけ答えた。


 男はそうですか、と穏やかに頷いて、くるりと式へと向き直る。

 男が弾き飛ばしたのか、気が付くと式は少し離れたところでジジジジジ、とその羽音を鳴らしていた。


「ここは私が対処しますので、貴方はどうぞお逃げください」


 およそ子供に向けるにはふさわしくないような丁寧な言葉遣いで、男が言う。

 男は先ほど澪路に差し出したのとは反対の手に握っていたステッキを両手で持つと、ゆっくりとそこから剣を抜き取った。


 仕込み杖だ、本当にあるんだ、と、半ば停止した思考で澪路はぼんやりと考える。

 お逃げくださいと言われても、姉がいないのだ。

 自分ひとりで逃げ出すわけにはいかないし、そもそも腰が抜けてしまって立ち上がることもままならない。


 ジジジ、ジジジジジ


 態勢を立て直した式が、男に向かって突進してくる。

 その手足による斬撃をいとも簡単に受け流しながら、男はふむ、と首を傾げた。


「この式は生まれたてなのでしょうか。飛び方が少しぎこちないようです」


 ぶんっ、と体ごとひねって飛んできた式の尾を、男は迷うことなく斬り捨てた。


 ギィアアアァアアアッ


「体も小さいですし、大した力もない。もとは子どもだったのでしょうか」


「っ」


 男のその言葉に、澪路がはっと息を呑む。

 子ども。そうだ、姿かたちは違えど、確かに帆那はあの黒い化け物と同じくらいの大きさだった。


 何より、この目で見たのだ。

 姉の体が、黒い闇に覆いつくされ、化け物へと姿を変えたところを。


 ならば、あの黒い化け物は。


「ねえさん……!」


 どう考えても、それしかない。受け止めるしかない。

 理解は、全くできないけれど。


 澪路は震える体を叱咤して何とか立ち上がると、男に羽を切られ、頭を踏みつけられた式へと一歩ずつ近づいていった。


「ねえさん、ねえさん、ねえさん……っ」


 手が届きそうな距離までいったところで、澪路の前にすっとステッキが差し出された。


「それ以上近づいてはいけませんよ」


 男の口調は相変わらず穏やかだ。

 今まさに、踏みつけている式の心臓を、その剣で貫こうとしているとは到底思えないほどに。


「姉さん、姉さんなんです、その……その人は、俺の姉さんなんです!」


 その人、と言っていいのか。

 迷いながら告げられたその言葉に、男はさして驚いた風でもなかった。


「そうでしたか。とはいっても、これはもう貴方のお姉さんではありません」


「え、?」


「貴方のお姉さんは、オニに殺されたのです。これはただの抜け殻。オニの命令でしか動けない、自我のない傀儡なのですよ」


「そ、んな、こと……」


 ない。あるわけない。

 だって、その化け物は、まだ動いているじゃないか。


 ふるふると否定するように力なく首を振る澪路に、男は容赦なく言葉をつづけた。


「オニの式というのは、みなこの形をしています。今はこの一体だけですが、他の式に紛れた時、貴方はこれを見分けることができますか?」


「え、……そ、れは……」


「貴方のお姉さんをお姉さんたらしめていたものは、全て抜き取られて、もうこの体の中にはのこっていないのです。これはただの式。殺すことが、私の仕事です」


 殺す。

 その言葉に、彷徨っていた澪路の瞳がはっと見開かれる。


「だっ、だめ! やめてください!!」


 男の高そうなスーツが汚れることも忘れ、男に縋りつく。


 男に踏みつけられたままの式は、どうにか抜け出そうともがいているようだが、もはや大した力は残っていないようだった。

 それはそうだ、帆那はまだ13歳の、ただの少女だったのだから。


 もがく式に姉の姿を重ねて、澪路は涙ながらに男に訴えた。


「見た目が変わっても、姉さんは姉さんです! 俺のたった一人の家族なんですっ」


 どうか奪わないで。

 そう訴える澪路の手は、真っ白になるほど強く男の服を握りしめていた。


 だが、10歳の子どもに泣いて縋られようとも、男は一切態度を変えることはなかった。

 冷酷なまでに、澪路に同情の一欠けらも寄こしはしない。


「貴方のお姉さんは、もう亡くなられたのですよ」


 ひゅん、と男の剣が式に向かって振り下ろされる。


「だめッ!!!」


 咄嗟に、澪路は式を抱き込むようにして、式の上に覆いかぶさっていた。


 ギギギギギッ


 暴れる式の鉤爪が、澪路の腹や腕を引き裂いていく。


「およしなさい。貴方が命がけで守ろうとも、それは貴方に応えはしないのですから」


 確かに、その通りだ。

 焼けるように痛む傷口に涙を流しながら、それでも澪路は式を抱きしめたまま、離れようとはしなかった。


「俺が守るんだ! 絶対、助けてみせる……!!」


 その小さな体躯からは、殺気とも取れるような気迫が放たれている。

 傷つけたら許さない、と射殺さんばかりの瞳に見据えられて、男はすっとその目を眇めた。


「……仕方ありませんね」


 やれやれ、と男はため息交じりに肩を竦め、式を踏みつけていた足を退ける。


「わっ」


 途端に、式は澪路を振り払い、脱兎のごとく走り去っていった。


「あっ、待って……っ!」


 慌てて追いかけようとした澪路の腕を、男が掴んで引き止める。


「待つのは貴方ですよ」


「離してっ! 姉さんがっ」


「落ち着きなさい。おそらく、オニが私の存在に気付き、式に帰ってくるよう命じたのでしょう。ホームに逃げられては追いつくことは不可能です。今日は諦めなさい」


「だってっ、……え、今日は……?」


 ようやく男の話を聞く気になったのか、期待と不安が入り混じった目で、澪路が男に向き直る。

 男は澪路から手を離すと、剣をステッキに仕舞い、着崩れたスーツを丁寧に直した。


「まずは、貴方の手当てをしましょう。話はそれからです」


 そう言われて改めて自分の体を見下ろすと、あちらこちらに裂傷が走り、あたり一帯に血が散らばっている。

 父が病院長とはいえ、そんな凄惨な現場などもちろん目にしたことがなかった澪路は、その光景についに意識を手放した。

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