第1話 オニ探し
「ねえオージ、本当にそっちに行くの?」
今にも泣きだしそうに震えた少女の声が、街灯もまばらな夜道に響く。
「暗いし、狭いし、オバケが出そう……ねえ、普通の人ならこんな道通らないよ」
ゆるくウェーブのかかったセミロングの髪に、白いレースをあしらった上品なカチューシャ。
ふわりと裾が広がったワンピースには、白地に色とりどりの花が散りばめたように描かれている。
少女の言葉通り、暗く、狭く、オバケが出そうなこの道には、まるで似つかわしくない出で立ちだ。
縋りつくようにして腕にしがみついてくる少女に、オージと呼ばれた男――蒲原・澪路は大きくため息を吐いた。
「そのオバケを探しに行くんだから、当たり前だろ。そんなにくっつかれると歩きにくいからちょっと離れて……」
まったく、こんな道を通ることなど日常茶飯事だというのに、この少女――蒲原・帆那は毎度のように怖がって帰ろう、引き返そう、道を変えようとなどと言い出すから困る。
かるく腕をゆすって縋りつくその手を振りほどこうとすると、帆那は慌てたようにひしっとしがみ付いてきた。
「ちょっと! お姉ちゃんに向かってその口の利き方はなに?!」
“お姉ちゃん”と言っても、帆那はせいぜい中学に上がるかどうかといった年齢で、対する澪路は今年でハタチだ。
だがその呼び方を訝しむ者は、この場にはいない。
ごめんごめん、と苦笑して、澪路は帆那の歩幅に合わせてゆっくりと歩を進めた。
「……ねえ、ほんとにここに、オニが出るの?」
チカチカを点滅する街灯にびくりと身を震わせながら、すぐに沈黙に耐えきれなくなった帆那が問う。
今日何度目かのその問いに、澪路は確信をもって答えた。
「出る。絶対に」
オニ。
それは、殺人を犯した死者の魂。
澪路たちが探しているオバケの通称であり、澪路たちが捕獲すべき対象だ。
人が死ぬと、体は朽ち、魂は輪廻の輪に還る。
それは善人も悪人も変わらないが、唯一、殺人を犯した者――それも、死ぬその時まで憎悪や憤怒、嫉妬などの狂気を持ち続けた者だけは例外らしい。
彼らは輪廻の輪には還れず、地上を彷徨う霊となる。
その姿は生前のそれと変わらないが、実体がないため、普通の人間にはその姿は見えない。
だが、それはあくまでも一般的には、という話だ。
人間の中には、常日頃からオニを視ることができてしまう、いわゆる霊感が強い人間が一定数存在する。
また、霊感など全くない人間であっても、たとえば強い恨みや憎しみなどの感情に支配されることで、一時的にオニが見えるようになることがある。
そういった“自らを視認することができる人間”に対しては、オニの側からも干渉が可能となってしまう。
オニはそんな人間を探して襲い、自らの体の一部を取り込ませ式とすることで、実体のある手足を得るのだ。
そうなると、もはや相手がオニを視ることができる人間かどうかは関係がない。
式を持つオニは、実体のある式を使って人間を脅し、弄び、殺す。
そんな事態を一つでも多く防ぐため、オニを捕えることが、澪路たち“アテンダント”の仕事だった。
「ねえ、オージ、絶対離れないでね? 絶対一人にしないでね?」
「わかってるって」
街灯が瞬くたび、風が吹き抜けるたび、大袈裟なほどに身を竦める帆那。
毎度のこととはいえ、今日はいつにもまして怖がっているようだ。
ここ最近は都心での捜索が続いていたため、こんな郊外の舗装もされていない細道を通ることは久しぶりだからかもしれない。
空き地や古びた家々の間を抜けていくと、人がいなくなって何年経つのか、廃屋となった大きな屋敷が、細い道を覗き込むようにして建っていた。
「きゃっ」
いよいよ恐怖で体が固まってきたのか、足をもつれさせた帆那の体がかくっと崩れ落ちる。
咄嗟に、澪路がその体を抱きとめた時だった。
「ッ」
シュッと空気を切り裂く音と共に、澪路の頬を一筋の血が伝う。
澪路はすぐに身を翻し、屋敷の庭を取り囲む鉄の塀を背に、帆那を隠すようにして暗闇へと向き直った。
ジジジジジ
虫の羽音を何倍にもしたような音が、暗闇に響き渡る。
澪路の正面、黒い影の中に、一対の赤い瞳が浮かんでいた。
「ほんとに出たーっ! いやいや気持ち悪いこっち来ないでーっ!!!」
澪路の背にしがみついた帆那が、ぶんぶんと首を振りながら叫び声をあげる。
「姉さんは絶対にそこから動かないで」
静かにそう言うと、澪路は懐から伸縮式の警棒を取り出し、ひゅっと振り下ろした。
対峙する赤い瞳が、右に左に、ゆっくりと揺れる。
その赤い瞳がふっと下に落ちたのと同時に、澪路も一歩踏み込みながら警棒を振りかざした。
「っ」
キン、と音がして、警棒が何かに捕まる。
闇と同化しているが、よく見れば、龍の手足のような鋭い三本の鉤爪だとわかる。
澪路は握られた警棒をそのままくるりと回転させ、その鉤爪の持ち主を力任せに引き倒した。
ギィッ
耳障りな異形の叫び声が響く。
そんな声は気にも留めず、澪路はそのまま倒した体を横から踏みつけた。漆黒の体から生えた、蜻蛉の羽のような2対の翼を1枚掴み、力任せに引きちぎる。
ギィイイイイイッ
劈くような咆哮。
痛みのあまり力の制御が外れたのか、押さえつけていた澪路の体を弾き飛ばすように押しのけて、黒い体が跳ね起きる。
薄暗い街灯の下に、その姿が照らされた。
獣の胴に龍の手足、爬虫類を彷彿とさせる太い尾に、背中には2対の蜻蛉の羽。
その頭は人の形を模しているが、その額からは人間にはない、4つの棘のようなものが隆起している。
化け物としか言いようがない、全身が闇に溶け込む影のような漆黒のこの生き物こそ、オニの式だった。
「今回の式はずいぶん小柄だな」
式はどのオニの式であってもみな一様に同じ姿になるが、大きさは元となった人間の体躯によるらしかった。
そして、その力もまた、人間であったときから大きく変わることはない。
宙を舞う羽と鋭い爪、邪魔者を薙ぎ払う尾という武器を得るとはいえ、式になった途端に戦闘能力が身につくわけではないのだ。
「オージっ、大丈夫?!」
弾き飛ばされながらも呑気に式を観察している澪路に、悲鳴に近い帆那の声が飛ぶ。
言われた通りその場から動かず、しかし怖くて心配で仕方がないといった様子だ。
「大丈夫、今日のは簡単そうだ」
澪路はひらひらと帆那に片手を振って、ふう、と息を整えた。
ちょっと空を飛ぶところがやっかいとはいえ、特殊な能力があるわけでもない、ただの化け物。
オニとは違うそんな式を相手に、澪路たち“アテンダント”の戦いはいたってシンプルだった。
すなわち、物理的な攻撃で息の根を止めるべし。
オニとは違う実体をもつ生き物である以上、式は殺してしまえばそれで終わる。
必要になるのはそれ相応の身体能力と、迷わないこと。ただそれだけ。
『貴方は、何か勘違いをしているようですね』
いつか言われたその言葉が脳裏で蘇り、澪路はそれを振り払うように小さく頭を振った。
今は、帆那が気絶する前に、目の前の式を倒さなくては。
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