組織
天井やコートの破壊は、老朽化していた、と言う事でひとまず落ち着いた。勿論、そこにいた誰もがそんなわけない事は理解しているが、痩せ細った女子高生が破壊した、なんて出来事を信じる事も出来なかったのだろう。
なにかしら、それらしい理由をつければ人は意外にも納得してくれる……みたいだ。
しかし、そんな事では全く納得出来ないし、そもそも問題の解決にならない当の本人は、机に突っ伏して頭を抱えていた。
たった一時間、それだけしか経っていないのに、八夜は既に満身創痍だった。
(まぁまぁ、怪我人も死人出さなかっただけマシじゃん)
「フォローになって無いよぉ……」
自分の中から語りかけてくるアサに、八夜は呟き返す。
(でも破壊の規模も体育館全壊とかじゃ無かったし)
「そんな可能性あったの!?」
思わず叫んでしまう。数人の視線がこちらに向けられたのに気付き、八夜は慌ててトイレに逃げ込んだ。ちなみに八夜は気付いていないが、この時のトイレまでの移動時間はたったの五秒であった(普通の人間が走っても、本来二十秒ぐらいかかる距離である)。
(そんなに怖がらなくても良いと思うけどなぁ)
「はっきり言ってもう帰りたいレベルなんだけど……下手したら学校まで潰しちゃいそう……」
個室のドアにすら、ビクビクと躊躇いながら八夜は触れる。扉の開閉はかなり慎重に行い、ようやく八夜は落ち着いて座る事が出来た。
「いじめられっ子みたいになってる気がする」
はぁ、とため息を吐く八夜の前に、アサが姿を現した。
『ヨルが勝手に逃げたんだよー、みんなの目は軽蔑とか言うよりも、心配だったよ?』
「え……そう、なの?」
『まぁ、大丈夫かコイツって感じの心配の仕方だったけど、別に敵意を持たれてるような感じはしなかった』
それを聞いて、妙に安心した。周りの自分への興味関心は、あんな事があってもその程度だったのかと、意外な事実を知れた。アサは嘘が吐けない、だから発言がとりあえずは信用できるという保証つきなのもあって、八夜は心からは、不安が随分と拭えた。
そうなると、別の問題に集中出来る。
「これ以上目立つわけにはいかない……はやいとこ、この馬鹿力をなんとかしないと」
『一時間暴れまくって、何か掴んだ事は?』
「無い……今掴んだら、ほとんどの物を握り潰しちゃうし」
『お、冗談言える元気は出たみたいだね、安心安心!』
感心したように頷くアサは、八夜の頭を撫でながら『良い事教えてあげる』と言って、八夜の手を握った。
『ヨルが体を動かす時、実はその感覚は私にも伝わってるんだよね』
「そっか、今の私の体って……ほとんどアサが作ってくれてるんだもんね」
『そ、だから、ヨルがどんな風に体を使ってるか分かっちゃうわけ、つまり……力加減なんかも分っちゃうわけよ』
「え、じゃあ!」
八夜が言うと、アサは自信満々に頷いた。
『実はもう分っちゃったんだよねー、ヨルの力加減が上手くいかない理由』
「ほ、ほんと?」
親友の言葉に八夜は目を輝かせる。この怪力地獄から抜け出す為ならどんな情報でも欲しかった。理由さえ分かれば、後は対処出来る、気がする。
しかし、アサは意地悪な笑みを浮かべて中々話そうとしない。
「あ、アサ……教えて欲しいなーって」
『えー、でもなー、ヨルの今後の事を考えると、あんまり甘やかすのは良く無いと思ったり』
「もう既に支障出てるから! お願い!」
『うーん……でも教えたところでヨルが上手くコントロール出来るようになる保証ないし……それに、変に情報に踊らされて、かえって混乱したら更に被害甚大になるかも?』
アサは色々考えてから『ヒントだけあげる』と言った。
「全部はダメ……?」
『自分の体で覚えてくれた方が確かだもん。だから、ヒントだけね? ヨル、力の入れ方は一つだけじゃないよ、ヨルは自分の体をもっと大胆に使うべきだと思う』
「そ、それが、ヒント?」
大胆に使ったら学校壊れるでしょうが、と思ったのはアサにも伝わっているだろうけど、それでもアサは何食わぬ顔で八夜の体へと戻っていく。
「え、ちょ、本当にそれだけ?」
(それだけだよ? 大丈夫、結構そのままの意味だから)
「そのままって……」
(ヨル、もうすぐ授業始まるよ?)
どうやら、アサがそれ以上の事を語るつもりは無いようだった。自分の体の事だ、自分で使い方を覚えた方が確実だろうという言い分は分かるが、だからと言って、このまま放置して置いて良いとはとても思えない。
やはり、学校ぐらい休むべきだった。
憂鬱な気分のまま、八夜は教室へと戻る。一瞬、自分に向けられる多くの視線に怖気付きながらも、八夜はおどおどと席に着く。
直後に男性教師が教室に入り、そのまま授業が開始された。
教科書やノートを開くのも、シャーペンを握って、文字を書くのも、全てビクビクしながら行わなければならない。力加減を間違えれば、ページは引き千切れ、ペンは粉々に砕け散る。
しかし、完全に力を抜いて、まともな字が書けるはずもない。案の定、ノートには、ミミズがのたくった様な文字が並んでいた。
「……読めない」
力加減が出来ない以上、誰かにノートを写させてもらう事も出来ない。
よく漫画などで、力を制御出来ない、なんて表現を見るが、アレはこういう感じなのだろうか。登場人物達は全て、こんな苦労をしていたのだろうか。普通である事が、どれだけ幸せだったか、身をもって理解させられている。
八夜は泣きそうになりながら、震える手で必死に力を抑え、汚い文字を書き続けた。
そして、昼休みに入る頃には、もはや疲労困憊で、その場から一歩も動こうとしなかった。
(ヨル、ご飯は食べた方がいいよ)
「…………」
アサが言うが、答える気になれない。もう何も、やる気が起きないのだ。
(ヨル、その……ごめんね?)
「ん、アサを責めるつもりなんて無いし、そんな資格も無い……どっちかって言うと、自分の不甲斐なさに凹んでる感じ」
そうだ、アサに責任を求めるのは、お門違いにも程がある。怪力は、怪異宿しなら強制的に現れる症状で、その怪異宿しにアサがしてくれなければ、八夜はあの夜死んでいたはずなのだ。
アサに非は無い、それは分かっているはずなのに、それに反して、口調は少しキツく、冷たくなってしまう。
八つ当たりしてどうなる。そんな暇があるなら、さっさと自分の力をコントロールできるように努力するべきだ。
しかし、心で分かっていても、体が動こうとしない。いや、分かっているつもりになってるだけで、本心は、きっとものすごく黒く嫌な感情があるのだろう。
色んな感情や思考がぐるぐると回り、脳がいつも以上に動いているのを感じる。このまま続けて、何か意味があるのだろうか。こんなペースで、先に進めるのだろうか。
「八雲さん?」
不意に声をかけられ、八夜は飛び跳ねる様に顔を上げる。そこには、担任の先生がいた。
「はい、なんでしょう?」
「お昼休みなのにごめんね、警察の人が来てるから、応接室まで行ってくれる? 昨日の事で、ね?」
「あ、忘れてた……すみません、行ってきます」
事情聴取がある事をすっかり忘れていた八夜は、そのまま応接室まで直行する。応接室は、一階にある校長室のすぐ隣の部屋で、まぁまぁ豪華な内装である。事情聴取というより、企業の面接や、営業の取り引きに向かう様だと、八夜は思い、変に緊張し始めた。
「うう、そもそも、事情なんて説明出来ないんだけど」
(見た事そのまま言えば良いんじゃない? なんなら、私が目の前に現れてみせようか、その方が話早くない?)
「いやいやアサが出てくるのは絶対ダメだから! 大混乱を招いちゃうでしょ!」
とは言え、あんな凄惨な殺人現場に、都合の良い嘘など吐けるとも思えない。いや、そもそも嘘を吐く必要は無いのだが、しかし、信じてもらえるとも思えないし、最悪自分が怪しまれるかもしれない。
(やってないんだから、素直に言えば良いんだよ? やった証拠なんてあるわけないんだから、ヨルが犯人扱いされる事無いって)
「そ、そうかなぁ」
かなり不安が残るが、しかし、もう他に手はなさそうなので、八夜は見た事をそのまま伝える事にした。
応接室の前に立ち、扉をノックする。すぐに中から「どうぞ」と声がして、八夜は恐る恐る扉を開けて、入室した。
部屋の真ん中にある大きな木製の机。そこに、自分と向かい合う様に、彼は座っていた。しかし、その姿は自分の思っている警察の姿とは違った。青い制服は着ておらず、黒いスーツに全身を包んでいた。
「はじめまして、僕は、呉真。君は……八雲八夜さん、だよね?」
「あ、はい、はじめまして……八雲八夜です、けど、あの、えっと……警察の方……ですか?」
混乱している八夜の様子がおかしかったのか、呉はクスクスと笑い、首を横に振る。
「少し訳あってね、警察の人には帰ってもらったよ。そもそも僕は、警察の人間じゃない」
その一言に、八夜の警戒心は一気に高まった。もちろん八夜の中で、アサも既に飛びかかる準備を整えている。
そのただならぬ雰囲気に気付いたのか、慌てて呉は「違う違う怪しい者じゃない!」と、その疑惑を否定した。無害である事を証明する様に、両手を広げてから、頭の高さまで上げる。
「本当に話が聞きたいだけなんだ、信じてくれ、君をどうこうするつもりは無い」
「あの……えっと、警察じゃなかったら……なんの人何ですか? 貴方は」
「僕は怪異対策局(Anomaly Countermeasures Bureau)通称『ACB』と呼ばれてる組織の一員なんだ」
彼は名刺を差し出しながらそう言った。
「か、怪異対策……?」
「そう、怪異……君は、ここの教員を殺した犯人は、化け物だったって、言いたいんじゃないか?」
「っ!」
ただの人間では無い、という事は分かった。少なくとも、怪異という存在を認知しているのだろう。しかし、そうなると気になるのは、何故警察ではなく、そんな組織の人間である彼が来たか、という事だ。
怪異絡みの事件と踏んで、調査に来るのは分かる…としても、わざわざ当事者に接触する必要あるのだろうか。それこそ、警察に紛れ込んでおけば、余計な警戒心を持たれずに済むものを。
いや、というよりも、そもそもの問題がある。
「怪異の対策って、具体的には……?」
「え、そりゃあ、人類の敵だからね、駆除するのさ」
やはり、そういうやり方か。ならば、アサの存在を知られるのは非常にまずい。この男がどこまで知ってる、もしくは、どこまで探っているのか分からないが、なるべく慎重に躱して行くのが賢いやり方だろう。
「あの……はい、実は、だ、誰にも信じてもらえないと思ってたんですけど……」
八夜は、素直に見た事だけを話した。一応、その姿はネズミの様であったという情報も加えて。
「なるほど、男性教師は仮宿にされていたわけか。それで、体の限界が来て、とりあえず身を隠せる別の体を手に入れる為に、次は生徒を狙ったと……ふむ」
呉は何やら呟きながら、八夜の話を手帳にメモしていく。
「他に気づいた事は?」
「いえ……特には……大きなネズミだったとしか……あ、ネズミはネズミでも、針っぽいのが見えたので……針鼠の怪異……なのかなって、今思いました」
「そんな可愛いものだと良いけどね」
呉はそう言ってクスクスと笑う。人の良さそうな顔をしている所為か、妙に安心する人だった。
「あの……呉さん」
「うん? どうしたの?」
八夜は出来るだけ怪しまれない様に、言葉を選びながら、気になっていた事を彼に尋ねる。
「ちょっと……まだ理解が追い付いてはいないんですけど……怪異? というのは、そもそもなんなんですか? それに、あんな化け物を駆除って……どうするのかなって」
「あー、やっぱり気になるよね……先にこれだけは言っておくけど、君の見た事は全て真実だ。怪異は確かに存在するし、その為の組織も確実に存在している、深く理解する必要は無い、ただの事実だからね」
彼はそう言って、窓の外を見ながらこっそりと話し始める。
「怪異は、元々この世界に少数だけど居たんだ……でも、人に危害を加えるなんて事は滅多に無かった。十年前、あの大震災まではね」
「『終焉』……」
あの地震は、一連の怪異事件と関係があったのか。
「あの震災直後さ、この世界に異常な数の怪異が現れ始めたのは、そしてその怪異達は、皆人類への強い悪意と敵意を持っていた……」
「な、なんで」
この「なんで」は、呉にでは無く、自分の中の怪異へと発したものである。
(ごめん、分からない、私そもそも八夜に会うまでの記憶が曖昧なんだよね)
「その理由は、未だ解明出来てない、分かっていることは、皆異常に人の体を欲しがっているという事だ、いや、人の、というより、生物の、と言うべきか……人と融合した怪異はすごく強くなるからね」
「融……合」
「そう、怪異は、自分に合う適合者を探してる……強くなれるからね。でも、僕はこの行動自体が少し異質に見える」
「異質?」
ほとんどアサから聞いた話ばかりだったので、おさらい気分だったが、彼の反応に、思わず言葉を繰り返す。
「そう、何故彼らは、そうまでして強くなろうとしているのか……怪異は人知を超えた力を元々持っている、わざわざ怪異宿しなんてならなくても十分強いのに、それ以上を求める理由が分からない」
呉は神妙な面持ちを浮かべたまま続けた。
「簡単に人を捕食できる様になる為だ、とか、仲間には言われたが、俺には……まるで彼らは、何かを恐れている様に見えるんだ」
「怪異が……恐れる?」
アサが、自分の中で大爆笑していた。しかし、八夜には、それが全くの見当違いだとは到底思えなかった。
だって、実際に、ネズミは焦っていたのだから。
「何かを恐れ、それに対抗する為に、強い力を手に入れようとしている様に見える……僕はそれが実に不気味でね。怪異達が恐れるなんて」
「何が、起ころうとしているんでしょう」
八夜が沈んだ声で言うと、呉は慌てて笑顔を作り「大丈夫大丈夫」と、笑った。
「何が起こっても、君達を守る為に作られたのが、我々ACBなんだから! 怪異のスペシャリストなんだよ? 特に戦闘班は同じ人間とは思えないぐらい強くてね! 特に琴……!」
そこまで言って、呉はわざとらしく口を噤んだ。恐らく、一般人に対して喋りすぎたのだろう。
「ごめん、捜査への協力ありがとう、怖い記憶を蘇らせてしまってごめんね。君達がもう怯えないで済む様に、必ずその怪異は討伐するから」
「えと……はい、よろしくお願いします」
失礼しました、そう言って、八夜は解放された。大袈裟に言ったが、八夜にとっては、まさに解放の二文字が似合う気分だった。
(良かったね、ヨル)
「何が?」
(あんな風に、怪異の特殊部隊なのがいるなら、ヨルが無理に戦わなくて良さそうじゃん)
アサが嬉しそうに言うが、八夜の不安は拭えない。
「あの人……怪異は駆除するって言ってた」
その対象には、怪異宿しも含まれているのだろうか。そうなった場合、自分はどうなるのだろう。
「できれば関わりたく無いなぁ」
もう出会いません様に、そう願いながら、八夜は貰った名刺を隠すように財布のポケットへとしまった。
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「……あ、もしもし? 呉です」
八夜が立ち去ったのを確認すると、呉はおもむろにスマホを取り出して、電話を始めた。
「はい、やはり怪異と思われます。意外にも、有力な情報も掴めました。ネズミの様な姿だったと」
電話の相手は、淡々と呉に指示を出す。
「はい、分かりました……では、自分は引き続き調査を続けます……あ、それと」
呉は、手帳のページをめくり、内容を確認しながら言う。
「例の『ウサギ』については、そちらに任せてよろしいのでしょうか?」
電話の相手は、それに答える。
「なるほど、分かりました、では、自分はネズミの方に集中させていただきます」
それでは、と言って、呉は電話を切った。
「ふぅ……本当に、最近ますます出現率が高くなってるな」
来客用の椅子に座り、呉はやれやれとため息を溢す。
「ネズミに……ウサギか。どれもこれも可愛らしい小動物みたいな名前のくせに、人を食ったりするんだもんなぁ」
呉は手帳を見ながら言う。
「まぁ、でも、ウサギは既に解決した様なものかな。彼らが担当するなら仕留め損なうはずないし……僕は自分の仕事に専念させてもらおうかな」
一服したくなり、駆け足気味で、呉は応接室を後にする。
八夜達に迫る不穏な気配は、どうやら怪異だけでは無さそうだった。