思惑
「何を笑ってるんだ」
「あ、あれ、なんででしょう?」
怖いはずなのに、自然と溢れた笑みだった。八夜本人もその正体が分からない。顔を両手で数回叩いて、緩んだ表情筋を引き締めてから、恐る恐る立ち上がる。
「俺を殺せれば大抵の奴には勝てる。世界征服も夢じゃない」
「いや、別に世界征服したいわけじゃ……」
「……力を持ったら、必然的にそうなるだろ」
「ならないですよ、仮にそうでも手に余るのでしないです」
「必然だと思うがな。まぁいい、来い」
カイシはそう言って、月明かりしか光源の無い廃墟をさっさと歩いて行く。数秒遅れて慌てて追いかけるが、視界と足元が悪くて思うように進めない。
案の定、脛をガラクタで打って悶絶した。
「いっっっっっ! てか……なんであの人はあんなにサクサク歩けるの……」
『マイホームだからじゃない?』
アサに前方の障害物を退けてもらいながら、慎重に進む。カイシは少し進んだところで、八夜がついてくるのを確認してから、再びさっさと行ってしまう。物が散乱した廊下を進み、ところどころが崩れ、変な水溜りがある階段をいくつも降りる。
どれほど進んだ事だろう、遂には月明かりすら届かない地下深くに辿り着いていた。ポケットのスマホを取り出して、ライトを点けるが、相変わらず視界は最悪だった。
「どこまで行くんだろ……」
『まさか、罠かも』
無いとも言い切れないところが怖い。隙を見て逃げようかとも思ったが、八夜は自身の傷があった箇所をチラリと見て、歩みを進めた。
「罠の線は……多分無いよ。どうやったかは分からないけど、私の怪我を治したのはあの人だ……殺すつもりならわざわざそんな事する必要が無い」
そもそも罠に嵌める、なんて回りくどい事しないだろう。回復させたのが情報を聞き出す為で、用が済んだら殺す事だって出来るはずだ。
「ここだ」
そんな事を思っているうちに、カイシがそう言って立ち止まる。その目の前には、体育館のような大きな金属の扉があった。
「ここは……」
「用途は知らん。だが、便利だ」
カイシが扉を開ける。埃を舞わせながら現れたのは、どこまでも闇が広がる空間だった。闇のせいなのか、途方も無い広さに思えてしまう。
「何かの、競技場でしょうか……」
「だから用途は知らん。だが、俺がここに住み着こうと決めた理由の大部分はここが気に入ったからだ」
そう言って、カイシは壁を拳で軽く叩く。すると、不思議な事に、パチパチと音を立てながら、なんと天井の照明が光を放った。ぱんぱんぱんっと、あっという間に広間全体を明るく照らす。
「え……電気が、通って」
「今通した」
「??????????」
カイシの言葉を理解しないまま、八夜は再度明るくなった空間に視線を移す。そこには、かなり頑丈そうな石造りの空間が広がっていた。競技場、なんて表現したけれど、そういうのとは違う気もする。頑丈な造りにも関わらず、床には擦れたような傷が、しかも大きな傷があちこちにある。何か、巨大な物を引き摺ったような感じだ。
「競技場なんかじゃない……多分、作業場?」
「何か作っていたのか、何か修理していたのか、知る由も無いが、俺にとっては好都合だ」
「好都合……」
「思い切り暴れられる」
「…………」
背筋が凍るのを感じた。いや、自分が望んだ事ではあるけれど。
「あの、お手柔らかに」
「ああ?」
血の気が引いて行くのを感じた。いや、今のは自分が悪い。そもそも手加減などされたら特訓の意味が無いのだから、全力で鍛えてもらわなければ。
全力。1割以下の力で瀕死にされるほど強い男の、全力。果たして人の形は残るのだろうか。
「心配しなくても、いきなり木っ端微塵にしたりはせん」
「そうなる可能性があるんですか……」
「さっきも言ったが治癒が遅い。意識が無くなると更に遅くなるようだしな。しばらくは『体を治す』という事を意識付けるところからだ。例え手足を捥がれても、内臓をぶち撒ける事になっても」
「そうなる可能性があるんですか……!」
もしかして死ぬのでは? いや、これからきっと現れる強敵に勝てなければどちらにせよ死ぬのだから、それぐらい緊張感がある方が良い、のか。いやでもここで特訓中にぶっ殺されるのはなんか違う気がする。
『死なないように気をつけてよね。私達をここでぶっ殺したって、アンタにとっても得とか無いんだしさ』
「得も無いが損も無いぞ。見込み違いの期待外れで失敗するなんて珍しい事でもなんでもない、むしろいつもの事だ」
『……アンタの見る目がないだけじゃないの』
そうかもな、と、カイシは再び壁を叩く。すると部屋の明かりが消え、再び漆黒で満たされる。
「あれ、今日は何もしないんですか」
「しない、まずは体を万全にしろ。話はそこからだ」
カイシはそう言って、さっさと階段を上がって行く。今度は置いていかれないよう、素早くスマホのライトで足元を照らし、一生懸命ついていった。
「あの、じゃあ明日からとかですか」
「別にいつでもいい。お前のスケジュールなんだから、暇な時か、時間作ってここに来い」
「でもお仕事の都合とか」
「労働は滅多にしない。大抵ここに昼夜問わずいる」
無職である事をそんなカッコよく言われても、と、危うく喉まで出かけたのをグッと堪えた。アサは警戒心丸出しで噛み付くような言い方をしていたが、自分にそんな度胸はない。というか、無職かどうかなんて関係ない。カイシが強いのは事実で、そんな彼が鍛えてくれる、ただそれだけの関係なのだから。
「分かりました。じゃあ明日もう一回ここに来ます」
「万全にしてこいよ」
そんな話をしているうちに、広い、ロビーのような場所に出た。受付のような場所には『千歳工務店』と書いてある札が立てられていた。
「工務店……というわりには立派なビルだな……」
「帰れるか」
玄関の扉を開け、さっさと帰れと言わんばかりに八夜を見つめながらカイシが言う、
「場所は分からないですけど、スマホがあればなんとかなると思います」
ほら、と、八夜がマップアプリを開いた画面を見せると、カイシは不思議そうにしていた。
「よく分からんが、帰れるなら明日に備えてさっさと帰って寝ろ」
「ああ……はい、分かりました」
まだ色々聞きたい事はあるが、いつまでも開けっぱなしでは申し訳ないので、今日のところは帰る事にした。外に出て、一言挨拶でもと思い振り返った時には、既に玄関は閉まり、カイシの姿はどこにも無かった。
「い、いつの間に……音も無く……」
『実は幽霊だったりして』
「にしては物理的に強すぎるよぉ……」
『これが本当のフィジカルお化け』
「面白くないよぉ……」
ていうかアサはそれに近いのでは、と、言いかけたのを喉の奥で止めて、八夜はマップアプリで現在地を確認する。
「お家、帰れるかな」
不安がよぎるが、それはあっという間に解決した。自宅近くの駅から二駅ほどしか離れていない場所。超近所だった。
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軽率だっただろうか、と、自室のベッドの上で八夜は思う。あの後普通に帰宅出来たのだが、電車に乗ろうにも財布を持ってきて無かったので、結局走って帰って来たのだ。時刻は深夜の2時50分。
『ヨルの決めた事だし私は文句ないけどさぁ。あのボケ、女の子を殴るって、信じられないんだけど』
布団からモゾモゾと這い出てきたアサが、悔しそうに歯をギリギリと食いしばる。
「あはは、でも今までの相手も全部そうだったよ?」
『それはそうなんだけどさー、なんかアイツは特に気に食わないんだよね』
「その割にお話中は大人しかったよね、ありがと」
アサが大暴れしていたら、もっとややこしい事になっていたかもしれない。いや、単純に殺されてしまうか。だからこそ、お行儀良くしていたのかもしれない。
『あのまま戦っても勝てなかったしねー。私達の身の安全を確保する方が優先するべきって思ったんだよ』
悔しそうに言うアサの頭を慰めるように少し撫でるが、八夜も視線を落として小さなため息を吐く。
「そうだよね。本当に勝てない、というか、相手にもならないんだろうね」
勝負にすらならない。こっちが本気で戦っても、彼は半分以下の実力で容易に頭を潰してくるだろう。ていうか変身すらしてなかったよな、あの時。
思い出すほど、不安になってくる。でもそんな彼が言ったのだ、素質があるから鍛えてやる、と。自分を殺せるようになるぐらい。
「あの人、あんな所で結局何してたんだろう?」
『猿がどうのこうの言ってたね。殺すつもりだったのかな』
「猿……てかてか、人攫いの怪異は結局いるって事だよね。な、何にも解決してないよ……どうしよう、お兄ちゃん心配だなぁ」
『でも、今の私達じゃその怪異に勝てないって言ってたよアイツ』
「うぐ……でもやりもしないで」
『残念ながら、私達より強いアイツがそう断言したんだ。確証あっての事なんだよ、悔しいけど』
むしろ救われた、とでも言いたそうだった。アサの悔しいという気持ちは、『勝てなかった』事より『助けられた』という結果的な事実から来るものなのだろう。
相当気に入らない相手みたいだし。
「早く強くならなきゃ……いろんな人を見殺しにする事になる……」
『ヨル、それは違う。手が出せないんだから、助けるも見殺しも無いよ』
キッパリと、アサは否定する。八夜が「でも」という前に、二重に三重に否定する。
『もどかしい気持ちは分かる。何が起きてるか知ってるのと知ってないのとじゃ、気の持ちようが全然違うからね。でも、それでも、ヨルが責任を感じる事も気を落とす事も無い。全部奪う側が悪いんだから、だから、今の悔しさ、全部強さに変えよう』
ムカつくけど利用できそうだし、と、アサは不敵に笑う。
「そう、だよね。ありがとう、アサ」
そうだ、まず、やれる事をやらなきゃ、やりたい事なんて出来ない。
やれる事、やらなきゃならない事、やりたい事、まずは一つずつだ。とっ散らかった状態じゃ、全てが中途半端で、結果的に、きっと失うものの方が多くなる。
人の命が悪戯みたいに奪われる。もうあんな光景見たくない。だからこそ、今はまず力を付ける事を最優先にしなければ。
そう思えば、間違いなく今の状況は『幸運』だ。強くなる為のピースが、向こうから来てくれた。
「利用……か。いいね、利用しよう、あの人を」
くっくっく、と、2人の少女の怪しい笑いが、真夜中の部屋で静かに共鳴していた。
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都合よく利用してやる、なんて甘い妄想は、翌日見事に打ち砕かれた。
「あっれー……ここ、同じ場所なはず」
『どうなってんのコレ』
約束通り、朝からカイシの住処にやって来た2人。しかし、目の前に聳え立つのは廃墟のビルなどでは無かった。
ただ、ここに入るぐらいなら廃墟の方がマシだった。
血管のように見える赤と青の管が建物全体をびっしりと覆い、この世のものとは思えない風貌に変わっている。目の錯覚であって欲しいのだが、ところどころ、ドクンと脈打つように動いている、気がする。
「やる気があるのは良い事だ。万全か?」
立ち尽くす2人の前に、カイシがいつの間にか現れて言う。
「……体調は、万全です。なんならいつもより元気です、ちょっとしか寝てないのに……」
「万全なら良い、その感覚をしっかりと覚えろ。今、その状態が、『万全』なんだと、」
「……? はい」
「早速始める、ついてこい」
そう言って、カイシはさっさとビルの中に入って行ってしまう。昨日までは確かに手動だったはずの玄関が、一人でに開き、自動ドアと化していた事などの説明は全く無く、最初からこうだっただろと言わんばかりの無関心っぷりで、行ってしまう。
全てのリアクションが追いつかず、結果的に、八夜もまた、無言で無表情のまま、後について行った。




