強くなる為の提案
痛い。痛い痛い痛い。どこが、とか、もう判別出来ないぐらい、体のあちこちが痛い。外側も内側も痛い、ずっと痛くて、怖い。これが死ぬという事なのだろうか、こんなふうに直前に受けた痛みを、ずっとずっと感じ続けなければならないのだろうか。
「……つ……治……が……いな」
音だけは、微かに聞こえる。誰かが、近くで喋っている気がする。なんでもいい、誰でも良いから、助けて欲しい。もう痛いのは嫌だ。怖いのも苦しいのも嫌だ。なんでずっとこんな目にばかり遭うんだろう。頑張って戦ったのに、どうして。
理由は、散々言われたな。弱すぎる、ボコボコにされながら、ずっと言われた。
「まず……礎の基…………える……が……な」
いくつか危機を乗り越えて、何か勘違いしていたのだろう。自分は戦いの事など何も知らないド素人で、偶然発現した能力に助けられていただけで、自分の力だけでは、手も足も出ないほど弱いんだということを忘れて、ずっと自分は戦えると、勘違いしていた。
強くなりたいと願うだけで、明確なプランがあるわけでもなく、咄嗟の思いつきだけで行動した結果が、このザマだ。自分が瀕死という事は、アサだって痛い思いをしているという事。
最低だ、何より誰よりアサを傷つけていたのは、他の誰でも無い自分だった。
痛い、痛い痛い、こんな思いを、親友にもさせている。
「おい、起きろ」
突然ハッキリと声が聞こえて、直後、口の中が熱くドロリとした何かで満たされる。吐き出す力も無く、そもそも朦朧とした意識ではそんな選択も思い浮かばず、そのままゴクゴクと飲み込むしかなかった。
気持ち悪い。得体の知れない何かを体の中に注ぎ込まれている。何より気持ち悪いのは、あんなに痛くて苦しかったのに、ソレが口の中に入った瞬間、凄まじい多幸感で満たされて、飲み込んだ瞬間、全ての苦痛が消え去った事だろう。
「……えっ」
目が開く。目を覚ました。つまり生きている。一瞬でボロ雑巾のようにされたのに、今は痛いところはどこも無く、むしろいつもより快調なぐらいだ。
眼前に広がる薄汚れた灰色の天井、漂うほのかなカビ臭さ。残念ながら、病院などの医療施設では無さそうだ。むしろそんな清潔感とは正反対の場所。散乱したテーブルや椅子、かつてはその役目を果たして、人々の生活を支えていたであろう物品達が、それぞれの個性を無くし、一様にガラクタと化している。
要するに、廃墟である。
「こ、ここどこ……なんで私」
「遅すぎる」
聞き覚えのあるそんな声に、八夜はビクリと体を震わせ、恐る恐る声のした方を向く。そこには、あの朱色の髪の男が、不機嫌そうにパイプ椅子に座っていた。相変わらず不気味な目でこちらをジッと睨んでいる。
「な……! やだっ」
身を捩った瞬間、地面が揺れて、そのまま崩壊する。どうやら机をいくつか並べて簡易的なベッド代わりにしていたようだ。
「いだっ! ぐっ、げほっげほっ!」
1メートルも無い高さとはいえ不意のことだ、落下の衝撃と舞い上がった埃を吸い込んだせいで激しく咳き込み、逃げ出すどころじゃ無くなる。
「恐怖を感じるのは悪い事じゃない。己の力が及ぶ範囲を理解している証拠だ」
怯えた様子の八夜を意にも介さず、男は倒れたテーブルをさっさと片付ける。
「咄嗟に退避を選んだのは、まぁ概ね正解だが、問題は判断が遅すぎる事と、その割に慌てすぎな事だ」
「……あ、貴方なんなんですか! なんでいきなり私を襲って……というか、なんで私は無事なんですか!? コテンパンにやられて、腕だって折れたし、お、お腹に……穴も……うぇ」
鮮烈に状況を思い出し、八夜は込み上げるものを必死に両手で押さえた。そうだ、全てが異常だが、そもそもこんなふうに動けるはずが無い。生きているのがおかしい状況だった。虎と戦った時のダメージも大概だったが、今回は明らかにそれ以上だ。
そういえば、虎に粉々にされた腕は数秒で元に戻ったが、今回は治る兆しすら無かった。ダメージの大きさに反映されるのだろうか、いや、だとしたら今現在の全快はどういう事なのだろう。
「五月蝿い、パニックになるな」
「うぐ……」
男に睨まれ、八夜は思わず口をつぐむ。
「ひとつめ、俺はカイシ。ふたつめ、お前がコソコソと怪しかったから。みっつめ、俺が少し手を加えたから」
「え、あ、全部答えた……」
「お前が質問してきたからだろうが。それに、俺は名乗ったんだから、お前も名乗れ」
「あ、私は……」と、言いかけて、八夜はハッとしてカイシを睨む。
「ゆ、誘拐犯に名前なんて教えないですっ!」
「誘拐? 治療する為に連れてきただけだ。帰りたかったら帰れ」
出口だらけだろ、と、カイシは視線を向ける。確かにあちこち窓は割れていて、ところどころ壁に穴だって空いていて、そのどれもが外に通じている。脱出は容易そうだった。
「え……でも、か、帰してくれるんですか?」
「いくつか確認してからな」
椅子に座り直し、近くにあった車輪付きの椅子を八夜の方に転がす。
「座れ」
「……」
渋々八夜は起き上がり、カイシの様子を伺いながらゆっくりと座る。気味の悪い目で睨まれ、逃げ出したい衝動に駆られるが、負けじと八夜も睨み返しながら対峙する。
「ひとまず、あんな所でなにしてた?」
「……ここ最近、あの道を通った人が消えるって噂になってて……怪異の仕業じゃないかって」
「……で、怪異の仕業だったとして、どうするつもりだったんだ?」
「それはもちろん、やっつけるんです」
「今のお前が猿を? 無理に決まってるだろ、さっさと奴隷にされるのがオチだ」
顔の半分を覆うほど大きな白いマスクで表情が上手く読めないが、この時ばかりは、カイシが心底バカにしたように笑っていると確信できた。
「奴隷に……というか、やっぱり怪異がいるんですか? しかもその正体を、貴方は知ってる……まさか、仲間とか」
「仲間、俺にそういうのはいない。猿に関しても、こっちが仕掛けなきゃ大人しい奴だ、ほっとけ」
「ひ、人が襲われてるんですよ! ほっとくなんて」
「そうは言っても、お前何も出来ねぇだろ」
「う、ぐ……それは……!」
「次の質問だ」
言葉に詰まる八夜を無視して、カイシは質問を続ける。気持ちや、感情など、まるで興味が無いという様子である。
「九尾狐、と言っていたな。アイツの事を知っているのか? もしくは会ったのか?」
「……会った事があるだけです、会話という会話もしてません……だから、何も分からないんです。私が知りたいぐらいで……ただ、異様な雰囲気でした、その、丁度貴方みたいな感じで」
全身を、掴まれた。巨大な手で、全身を握り潰された──ように感じた。その場から動けなくなり、視線すら移せなくなった。数秒して、それが目の前にいる男から発せられる殺気だという事に気付き、戦慄した。
「……俺が、アイツと、同じ……?」
「あ……のっ、す、すいません……」
舌と唇を辛うじて動かし、なんとか言葉にする。それでも、無意識に咄嗟に出た言葉は、謝罪だった。
周りの風景が歪んで見え、全身がズタズタに引き裂かれそうな感覚を覚えるほど鋭かった殺気が、徐々に和らいでいく。
「……いや、いい、今ので十分お前が何も知らんという事は分かった」
辺りに漂っていた異様な雰囲気が薄れて消えていく、その途端、八夜の全身から汗が吹き出した。緊張が一気に解け、足が震えて立てそうになくなる。今の所立つ予定が無いのが幸いだった。
「次、お前は何者だ」
「……私は……ヨルです」
どうあれ本名を明かすのは避けたかった。普通に怖いし。
しかし、カイシは「違う」と首を小さく横に振る。
「お前、2回も姿を変えたな。しかもその針の攻撃で出来た傷の治りが異常に遅かった。普通じゃない、お前は何者だ」
「な、何者と言われましても……あ」
そこで八夜は自分が『完全適合者』という存在であるとアサから教わった事を久しぶりに思い出す。いや、本当に久しぶりに。
「私は、『完全適合者』らしいです……」
思い当たる節がそれしか無かった。
「……そんなわけないだろ」
しかし、何故だかカイシはその事を信じようとはしなかった。
「そんなわけない、と、言われましても……」
「そんなホラを誰に吹き込まれた」
「……今まで戦った怪異達が、それらしい事を」
アサから教わった事だが、コレも隠しておく。敵が味方かも怪しい人物、謎多き男に素性を全部明かすほど、八夜の警戒は薄くない。何か色々知ってそうだが、相手がその情報を開示しない以上、コチラだって全部を教える必要は無いのだ。
カイシは腕を組んで、しばらく俯いて考え込む仕草を見せる。
「……確かに妙な力だが……だがその場合、この戦闘能力の無さに辻褄が合わん……」
「あの……なんで、そんなわけないんですか? とても珍しいけど、無いわけじゃないって」
「街をライオンがウロウロしてるようなモンだぞ、珍しいとか呑気な事言ってる場合じゃなくなるだろ。飼育してる動物園が潰れてもおかしくない大惨事だろうが」
「……?」
その例えはちょっとよく分からなかった。とにかくカイシは納得してくれない。でも心当たりはそこにしか無いのでもうどうしようもない。
「意味が分からないが、つまりお前自身もよく分かってないって事だな」
「そう、なりますね。『完全適合者』の線が消えたなら、もう分からないです」
「特殊体質の才能、という事か、それはそれでアリだな」
何か無理やり納得した様にふんっと鼻を鳴らして、カイシは人差し指を立てて言う。
「では最後だ。お前、これからどうしたい?」
「……それは、本当に質問の意味が分からないです」
「簡単な話だ。今まで戦った怪異、と言ったな? つまり、お前は戦いに身を投じる存在だろ。そのままでいいのか」
「その、まま」
「力の1割も使っていない俺に半殺しにされるほど弱いままで良いのかと言っている」
「い、いちわり……」
変身した八夜は、決して脆くない。コンクリートを粉砕出来る威力の攻撃をまともに受けても、無傷でいられるほど頑丈だ。例外として虎にはボコボコにされたが、それ以外なら致命的なダメージを受けた事は無い。
なのに、1割、なんなら以下の力で、砕かれた。抵抗する間も無く、ボコボコにされた。
「あ、貴方こそ、一体何者なんですか……怪異宿し、なんですか、それとも完全体なんですか」
「……完全体、とは違うな、俺は言うなれば『変異体』だろうな。そして俺の事は今どうでもいい、お前は質問に答えろ」
カイシは立ち上がって言う。強く八夜を睨みつけながら。
「お前はこれからどうしたい。今のまま手の届く範囲で戦い続けるか、それとももっと上を目指すか」
「上を……目指す?」
カイシは自分を指差して、言う。
「具体的には、俺を殺せるぐらい強くなりたいか」
「……そ、そんなの」
「素質はあるぞ。今は弱いが、素質自体はかなりある。だからこそ、今日まで生き残ってきたんだろう」
「……」
今は治っている、腕。しかし、直近で2回も砕かれている。腕だけじゃない、首は斬られかけ、腹には穴を空けられた。
今日までの惨状を思い出し、痛みと、恐怖を思い出す。
「強く……なれるんですか」
「ああ、なれる」
カイシはハッキリと答える。多分とか、恐らくとか、そんな曖昧に濁す表現なんて、最初から使うつもりが無いぐらいハッキリと言った。
「どうやって……」
「俺が鍛えてやる。弱点は山ほど見つけたから、あとはそこを一つ一つ調整していけば良い」
ハッキリ言って信用なんて出来ない。何者かも分からない、そもそも教えてくれないような人を、信じられるわけがない。しかし、不安や葛藤を嘲笑うぐらい、彼が強いという事実が身体に刻み込まれていた。
そもそも、頼れる人が他にいない。弱いままで、手段なんて選んでいられない。
「強く、してくれるんですか」
「くどい。お前の才能を引き摺り出すだけだ。それで勝手に強くなる、その力をどう使おうが、あとはお前の勝手だ」
「どのぐらい……強くなれますか」
「さっき、言ったろうが」
カイシは、マスク越しでも分かるほど顔を歪ませ、空気も歪ませる。悍ましい殺気が、再び八夜の身体を押し潰そうとする、そんな感覚に襲われる。
呼吸が苦しくなるのを感じながら、それでも八夜は、顔を上げ、カイシの目を見た。
「俺を、殺せるぐらい、だ」
息苦しく、身動きがとれないまま、怖いはずなのに。
「……あはは」
八夜は、笑っていた。
怒っているのか、笑っているのか、カイシの表情は、残念ながら読めなかった。




