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「聞いたよ、暴行事件に巻き込まれたんだって?」


 昼休み。職員室の隣にある会議室で、志音と太一は向かい合う。彼の困った様な顔を見て、志音は胸がギュッと締め付けられる感覚に襲われた。


「うちの女子生徒が、うちの野球部員に乱暴されかけていたんです」


「それは、良くないね。俺の方から話を聞いておくよ……それで、君が仲裁に入ったと」


「はい……」


「なんて無茶を……一歩間違えば君だって襲われていた……いや、実際襲われたんだろう?」


「で、でも……あのまま警察に通報して、到着を待っていたら、間に合わなかったかも」


「通報した事を示せば、彼らだってモタモタせずに逃げたはずだ。捕まえる事より、救う事が優先だったんだろ?」


「あ……」


 言われてみればその通りだ。わざわざ止めに行かなくても、さっさと通報して、その場でその事を言えばよかった。


 全然冷静じゃなかった。非常事態とはいえ、あまりに軽率だった。


 みるみる顔が赤くなっていくのを感じる。彼に失望されたんじゃないかと、自分の馬鹿さに呆れられたんじゃないかと、いやそもそもこんな事に彼の貴重な時間を使わせてしまって申し訳ないと、色んな感情が頭の中をぐるぐる回る。


「その、もう1人の被害者っていうのは?」


「あ、えと……私のクラスでは無いです。何組とか、何年生とかは、薄暗かったので分かりません。でも、あの時、野球部の人がスマホで彼女に何か見せて、それで彼女は酷く怯えていました! それが証拠になるかもです」


「持ち物検査、スマホのチェック……は、ちょっと難しいかもだけど、出来る限りの事はしてみよう」


 太一は今話している事をノートにメモしながら、小さくため息を吐いた。


「警察から学校に連絡が来て、君が酷い目にあったんじゃないかって、気が気じゃ無かったよ」


 ズキリと、胸が痛む。彼の声は、少し震えていた。もしかしたら、怒りで震えているのかもしれない。とんでもない迷惑をかけてしまったのだから。


「……ごめんなさい……私」


「謝罪が必要なのは俺じゃない、ご両親だろ!?」


「っ!」


 太一の瞳が、真っ直ぐに志音を捉える。そこで初めて、彼の目が少し涙ぐんでいる事に気付いた。


「俺がこれだけ心配したんだ。君のご両親は……どんな思いだったか……」


「……ごめ、ん……なさい……!」


 堪えきれず、涙が溢れ出した。眼鏡を外して拭うが、とめどなく溢れる涙の雫がスカートを濡らしていく。


 彼のいう通りだ。あの後、両親に抱きしめられた。無事で良かったと必死に抱きしめてくれた。大勢に迷惑と心配をかけて、自分は正しい事をしたなんて、なんて傲慢だったんだろう。自分の愚行は、周囲の人間に、毒のように侵食する不安を与えてしまったのだ。


 止まらない涙を必死に拭っていると、ポンッと、優しく温かな感触が、頭の上に乗せられた。


「……ごめん、キツく言いすぎた。泣かせたかったわけじゃないんだ。君は良くやったと思う、咄嗟に人を救う行動が出来るなんて、中々出来る事じゃない」


「でも……そのせいで」


「それも事実だけど、人を救えたのも事実だろ? 心配しすぎるあまり、君の気持ちを無視してた、俺の方こそごめん」


「あ、謝らないでください! 先生は、何も悪く無いじゃないですか……!」


「いや、以前から野球部の素行には気になっていたんだ……俺がもっと早く行動していれば」


 頭を撫でる太一の手が、震えているのを感じる。ふと視線をあげると、悔しそうな、苦しそうな表情をしていた。


 いやだ、先生にはそんな顔して欲しくない、させたくない。


「先生……あ、そうだ。先生、行方不明だった生徒、竹水つぐみを覚えていますか?」


 無理矢理にでも話題を作り、空気を変えようとする。どうせならもっと関係無い事を話したかったが、こっちも、というか、どっちかと言えばこっちのほうが事件だ。


「もちろん知ってるよ、陸上部の期待だったからね。今も捜索が続いてるはずだが……まさか君を襲ったのが!?」


「ち、違います! むしろ逆なんです、彼が、助けてくれたんですよ」


「行方不明の生徒が……? ど、どうなっているんだ……どうやって助けてくれたんだ?」


「それが……少々乱暴で、でもその前から少し様子がおかしくて」


 志音は、事細かに当時の状況を話した。太一は常に信じられないという顔をしていたが、頷きながら最後まで聞いてくれた。


「じゃあ、野球部の数人が今日欠席している理由は……」


「恐らく怪我と、精神的ダメージによるものかと……」


「なんてこった……警察が総力を上げて探しているんだぞ……? なのになんの手がかりも掴めていない……彼の家族も、父親と弟が死亡し、母親は精神を病んで今は入院している。ああ、訳がわからない、本当に何が起こっているんだ」


 深刻な顔をして、太一は頭を抱えてしまう。


 しまった、余計に悩ませてしまったと、志音は再び反省する。ダメだ、どうにも今も自分は冷静じゃ無いらしい。


「あの、先生……」


「あ、ああ、すまない。ちょっと情けないところを見せてしまった……彼は他に何か言ってた?」


「いえ、特になにも……そうなんです、彼は今特殊な状況に立たされてるはずなのに、不自然なほど普通でした」


「分かった……警察には俺から説明する。さて、もう昼休みも終わるし、教室に戻りなさい」


「分かりました、ありがとうございます。それと、改めて、申し訳ありませんでした」


 ペコリと頭を下げて、志音は会議室から出て行った。


「……良い子すぎるね」


 やれやれと、太一は首を横に振った。


──────────────────────


 放課後。早速反省を活かす出来事が起きてしまった。出来ればこんな事頻繁に起こって欲しくないのだが、残念ながら、世の中は志音の望み通りにはなってくれない。


 一階にあるあまり使われない女子トイレから、高笑いが聞こえ、何かと思えば数人の女子生徒が個室にバケツに入った水をぶちまけていた。


 笑い声が響く中に呻き声のようなものも混じっている事に気付き、すぐさま止めに入った。もちろん反省を活かし、教師に電話しているフリをわざとらしく見せつけた。


 女子グループは慌てて志音を睨みつけながら逃げて行く。残ったのは、志音と個室の泣き声の主だけ。


「……もう出てきても大丈夫ですよ」


「う、うう……ほ、ほっといてくださいぃい……!」


 震える声で、彼女は言う。その声は、昨日の少女と同じものだった。


「ほっとけませんよ。貴女がこんな仕打ちを受ける理由が無い。不満があるなら話し合えばいいのに、暴力に頼って相手の意思を踏み躙るなんて、そんなのあって良いわけが無い」


「は、話して分からない人もいるんですぅ……た、耐えていればいつか終わるんだから……放っておいてくださいぃ……! た、助けられたなんて……! はぁっ! ハァッ……!」


 個室の彼女の声が震え、だんだんと呼吸が荒くなっていく。過呼吸気味になりながら、独り言を叫び続ける。


「これで、も、もし私、余計に恨まれたら……今度こそ殺されちゃうんだ……よってたかってリンチにされて……ボコボコにされて殺されちゃうんだぁ! こ、今度こそ死……死ぬっ……やだ、やだやだやだ!」


「お、落ち着いてください! 大丈夫です! 私が証拠写真も撮りましたし、証言もします! こんな悪質ないじめ……いえ、暴行罪から、貴女を守ります! だから安心してください!」


 閉じられた扉のせいで彼女の姿は確認出来ないが、精一杯の声をかけ、なんとか落ち着かせようとする。すると、なんとか落ち着きを取り戻したのか、志音の声に彼女が答えた。


「ま、守る……? 誰が、何を……どうやって……いっぱいいるんですよ? あちこちに、私を殺そうとしてる人がいる……のに、どうやって、誰が」


「頼りになる先生がいます。貴女の恐怖は……ごめんなさい、計り知れません。それでも、私を、私が信じる先生を信じてくれませんか?」


「…………」


 しばしの沈黙。しかし意外な事に、個室の彼女の方からその沈黙を破った。


「わ、たし……綿畑わたはた夢月むつきです……」


「え? あ、ああ、私は吊星志音です。風紀委員長を務めてます」


「風紀委員……」


 夢月は呟いて、何か決心したように言う。


「わ、私……この後、呼び出されてるんです……心霊スポットで有名な、廃病院………」


「廃病院……岡花おかばな病院ですか?」


「は、はいぃ……な、なにをされるか、想像できますけど……も、もし本当に助けてくれるなら……証拠写真を撮って……警察、とかに」


 そこまで言って、再び彼女の呼吸が荒くなる。ガシガシと、どこかを掻きむしる音も聞こえた。


「だ、だめだ……ダメダメダメなに考えてるの私! そんな事して、もし、バレたら……わ、私が仕組んだ事だってバレたら……! こ、殺されちゃう……殺されちゃうよぉ! 首を絞めたりぃ! トンカチで頭を割られちゃったりぃ! い、痛い目にあって、苦しんで死んじゃうんだ……!」


「だ、大丈夫です落ち着いてください! とにかく、貴女はここにいてください。岡花病院には私が行って、貴女に危害を加える人達の正体を突き止めます。明日から貴女が平穏な学校生活を送れるように尽力します! だから、落ち着いてください」


「う、うう……ここに、いれば、いいんですか」


「ええ、決して動かないでください」


 志音はそう言って、トイレから飛び出し、一目散に信頼する人の元へ向かった。タイミングよく、職員室から出てくる彼を見つけ、志音はホッと胸を撫で下ろす。良かった、間に合った、と。


「鎌手先生!」


「あれ、吊星? まだいたのか? どうした、何か」


「暴行を受けている子がいるんです! その子は今夜岡花病院に呼び出されてて、先生も一緒に着いてきてほしいんです! 証拠を掴んで、彼女を助けたいんです!」


 捲し立てる志音に、太一は「待って待って」と彼女の肩をポンポンと叩く。


「一旦落ち着いて、暴行を受けてる子って、昨日の子? 岡花病院って、もうあそこ廃屋みたいになってるよ? 何か犯罪に巻き込まれそうって事?」


「そうです、本人から聞きました」


「そっか。オッケ、まずその本人からもう一度話を聞こうか、俺に相談したのは正解だよ、ちゃんと反省を活かせてて偉いね」


「あう……でも、今はそれどころじゃ無いです!」


 唐突に褒められてものすごく嬉しかった。しかしそれどころでは無い、赤面するより救助に向かう方が圧倒的に絶対的に優先的だ。


 2人は小走りで先程のトイレまで向かう。その場でジッとしているように言っておいたから、滞り無く話は聞ける、はずだった。


「……あ……れ?」


「……その子は、どこに?」


 先程まで会話していた個室が開き、中には、誰もいなかった。


「嘘でしょ……自分から? それともあの一瞬で連れて行かれたの?」


「ねぇ吊星? 一旦帰って冷静に」


「先生! 今すぐ廃病院に向かってください! 車をお願いします!」


「まいったな……困っちゃうぐらい良い子だ」


 先生を困らせてしまった。しかし、心苦しいが、今は助ける事が第一だ。学生の自分はまだ免許を持っていない、大人を頼るしかない。こんな時、頼れる大人がいるというのは、本当に心強い。


 間に合う、絶対に間に合って、彼女を助けられる。先生に教わった正しいやり方で、誰も傷つけず、自分の信じる正義を全う出来る。


 車で現場まで向かう途中の道に、夢月の姿が無いか隈なく探した。チラホラ下校中の学生を見かけたが、彼女の姿はどこにも無い。


(おかしい……妙だ。あの一瞬で? もしかして、まだ学校内にいるんじゃ……)


 この行動が軽率だったのではないかという不安が湧き上がるが、しかし、迷っている時間は無い。自分が止まっている間、相手が都合良く待ってくれる訳ないのだから。


 見つからないまま廃病院が見え、少し離れた所に車を停めて、コッソリと近付く。


 胸の鼓動が高鳴っていく。危険があるかも、では無い、

危険があると分かっている所に近付いている。絶対に何か起こるという嫌な確証の中、それでもゆっくり進んで近付いていく。


(……あ)


 思わず小さく声を漏らしてしまう。


 薄暗い廃墟の入り口に、ガラの悪い数人の男と、さっきの女子グループ。そして、ブルブルと震える夢月の姿があった。


 もう既に来ていたのだ。怯える彼女を他所に、男達と女子グループは楽しそうに話している。近くにワゴン車が3台停まっているので、ここから更にどこかへ向かう様子だった。


「先生……アレって」


「そうだね、ただ事じゃない」


 こんな状況でも、太一は慌てる事なく、冷静に様子を伺っている。なんなら志音の背中に手を当てて、落ち着くようにさすってくれてもいる。


 本当に優しい。大好きな人だ。この人と、同じ正義感を持てて良かったと、こんな状況にも関わらず、志音は胸が熱くなった。


 女子グループの1人が、しきりに時間を気にし始め、何度もスマホの画面を見ている。苛立つ様子を隠そうともせず、もう1人が夢月の髪を掴んで何か怒鳴っている。声は聞こえるが、何と言ってるかまでは聞き取れない。


 しかし、状況が最悪な事だけは分かった。


 夢月が顔をくしゃくしゃにし、泣きながら弱々しく抵抗し始めたところで、もう志音は我慢できなくなった。


 いま耐え切れば、これからの彼女を救える。でも、今負った心の傷は、永遠に残り、彼女を苦しませ続ける。


「吊星……何してるんだ」


「もう、見てられません!」


 志音は立ち上がって、走り出した。


 否、走り出そうとした。


「う゛ぐっ!?」


 感じた事のない痛みと衝撃が首の後ろから全身に伝わる。何か、硬く冷たいもの、いや、熱い? 何かを押し当てられたようだ。


 バチバチと音を鳴らすその正体も、どこか安心した様子でこちらに指を差す夢月の意図も考えられないまま、志音は意識を手放してしまった。


──────────────────────


「ぐるる……この辺にもソワソワが残ってる」


 感覚を頼りに、肺病院に辿り着いたつぐみは、辺りをキョロキョロと見回し、地面の匂いを嗅いだり、しながら首を傾げる。


「絶対この感じ適合者なんだろうけど……なんか別の感じもするなぁ……しかも、()()()()()()()


 つぐみは周囲を探索していると、地面に何か落ちているのに気付いた。


「なにこれ、メガネだ」


 何かに踏みつけられたのか、フレームが少し曲がったメガネ。その匂いを嗅いでから、もう暗くなった道路を見つめて、やれやれと言うふうに肩をすくめた。


「ぐるぅ、昨日の今日でまた困ってんじゃん。世話の焼ける子だなぁ」


 つぐみはメガネの匂いを頼りに、暗い道を歩き出す。


「もーえるあーかーいーろーひかりーかーがーやーくーそのけものー」


 楽しそう歌いながら、虎が向かう。

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