宴もたけなわ
猿の怪異こと、エンコウの能力は大きく分けて2つある。
ひとつめ、『猿界迎』。範囲を指定し、そこを自分の領域とする事が出来る。領域内では、エンコウ自身と、彼が仲間とした者のステータスを通常の倍ほどに引き上げる事が出来る。シバガミがノータイムで縮小化が出来ていたり、キジマが自分を模せるほど羽を操れるようになっていたのは、この能力に依存していた部分がかなり大きい。
ふたつめ、『狂言猿目』。彼がその目で見た者の行動をひとつだけ発言、指定し、操る事が出来る。ただし、この能力も前述の効果で強化されており、エンコウ自身、またはエンコウが指定した生物、物品などを、他者が『見る』その声や発生した音を『聞く』その事を誰かに『話す』という条件を一つでも満たせば数分間、全て満たせば永遠に対象を操る事が出来るという能力へと変化している。
特殊能力といえばこのぐらい、条件が揃い決まらなければどうということは無い地味で使い勝手の悪い能力だと、エンコウは自負する。その他にこれといった特別な能力は無い。
強いていえば、人よりちょっと力が強いぐらいか。ただそれだけの事。
エンコウは、地面に指を突っ込み、捲り上げながらそう思う。
「出た出た馬鹿力っ! 地面持ち上げるってなんだよ! ……地面持ち上げるってなんだよ」
迫り来る地面からパタパタと逃げながらボヤく九尾狐に、エンコウもまた呆れたように言う。
「珍しいモンでも無いやろ。こんなもん草引きしたって周りの土が一緒に捲れることもあるんやから、要領覚えたら誰でも出来る」
もはや岩盤と化した地面を、そのまま九尾狐に投げつける。高速で迫る分厚く重い土の壁に、九尾狐は肩をすくめて、やれやれという風に右手をかざす。
「三ノ尾『狐誅天地』」
九尾狐の右から3本目の尻尾が淡く黄金色に輝く。岩盤が右手に触れた瞬間、まるで弾かれたような、滑るような動きで急上昇し、空中で停止した。その部分だけ一時停止でもされているように、ピクリとも動かない。
「持ち上げるなんて誰にでも出来るわけねぇだろ。だいたい、地面は持ち上げるもんじゃなくて、操るもんだろうが」
言いながら、右手の人差し指をエンコウに向ける。その瞬間、宙に浮いていた岩盤が向きと形を変え、巨大な銛のようになって、エンコウに突撃していく。
「小賢しいの」
慌てることなくエンコウは、自分に向かう地面の銛を拳でかち上げ粉々に砕いた。コントロールを失った土の塊が墜落し、凄まじい土煙を捲き上げる。一瞬で互いの姿を隠し、強制的に様子見となった。
それも束の間、土煙の向こうから、小さな青白い光が灯った。チカチカと瞬いているソレは、やがてその間隔を早め、やがて強い閃光となり。
「いかんの」
一筋の線となってエンコウの右肩をかすめた。体毛が消し飛び、剥き出しになった皮膚が赤く焼け爛れている。
光は高温の熱線であった。
「一ノ尾『狐火』」
右手の指で鉄砲の形を作り、九尾狐はまるで射的でもしているように片目を閉じて、舌を出しながら狙いを定める。人差し指に青い炎が灯り、再び瞬き始める。
「的がデケェからなぁ、大体の場所は分かるけど、あのジジイ見てから避けれるんよなぁ。俺が下手なのか、あのジジイがものすごいのか……ハァ」
ため息を吐き、心底うんざりして、九尾狐は言う。
「欲しかったなぁ」
親指を内側に倒す。それが引き金となって、青い閃光が放たれる。
大猿の影が光線を避け、一時的に見えなくなる。
「隠れたか?」
「ここや」
背後から声がする。それに気付き、九尾狐はしまったと思う。背後を取られた事にでは無い、彼の言葉を聞いてしまった事にである。
「動くな」
何の躊躇いもなく、何の疑問も持たず、九尾狐は言われたとおり、そのまま指一本動かさなかった。動けないのでは無い、動かさない、そう『言われた』のだから。
直後、背中に凄まじい衝撃と、重く全身を押しつぶすような激しい痛みが襲う。その勢いのまま、九尾狐は吹っ飛ばされてしまう。
「くっそ、痛ぇなぁ」
あーやだやだ、と、くつろぐように頭に両手を当てて、迫り来る壁への衝突から頭部を守る。正直勢いが凄すぎて両手は粉砕するし、普通に頭も痛いしであんまり意味は無かったが、九尾狐は特に気にしない様子で立ち上がり、今しがた自分をぶん殴った相手の様子を窺う。
相手も自分がこんな事で死んだとは思っていないだろうし、あんまり考える時間は無いかもだが、一応作戦らしいものを立てたい。このままじゃ負けはしなくても余計なダメージを食らいそうだ。というかもう指が痛ぇ、これは明らかに余計なダメージ、日常生活に支障をきたす。
これ以上は避けたいな、と、九尾狐は思う。
(でも作戦っつったってなぁ、視界に入れるのもダメ、声を聞くのもダメ、話しかけるのもダメって、当たり判定デカすぎるよなぁ。最悪話しかけるのは何とかなるとしても、後のふたつよ)
見る事もせず、相手の声も聞かず、つまり視覚と聴覚を遮断したままどうやって戦えというのか。更に言うなら聴覚に関しては『声』だけでは無い。やろうと思えばエンコウは、手を叩く音や足音にだって能力を乗せられる。
現に霧谷班の面々を村の入り口に集合させたのは、たった一回の手拍子だった。
何故そんなに謙遜しているのか、九尾狐には理解出来なかった。間違いなく最強クラスの実力者なのだから、コソコソしていないで堂々としていれば良いのに。
自分を殺しうる数少ない可能性。だからこそ仲間になって欲しかった。腰を上げるのに重荷があるのなら、全部取っ払って動きやすくしてあげようと思っただけだ。全ては親切心、むしろ感謝して欲しいぐらいだったのに、向けられたのは怨みと殺意。
「意味が分からない。どう考えても俺と一緒にいた方が都合が良いのに……」
「お前は昔からそうやの。狐の坊」
再び背後から声が聞こえ、九尾狐はうんざりする。
「……あのさ」
「動くな」
これも再度、動きを封じられる。
指一本動かさない。唯一出来る事と言えば、喋ることぐらいだ。一番避けたいはずの事が唯一出来る事だが、だからと言ってまんまと餌食になってやる筋合いは無いので、実質その全てを封じられている。
結果として選んだ九尾狐の行動は
「はぁぁぁぁ……」
大きなため息だった。ここに来てからため息しか吐いてねぇな、と、言葉にはしなかった。
「お前の考えは分かっとる」
自分の姿を見せつけるように、エンコウは九尾狐の前に現れて言う。
「あの頃からなんも変わっとらん。狐の坊、お前のやっとる事、お前のやろうとしとる事はな、簡単やけど残酷や。やから敵を多く作る」
「…………」
九尾狐は何も喋らない。フンと、呆れたように鼻を鳴らすだけだった。
「必要と不必要、だけやないんや。狐の坊、下を作っとるだけでは計れへんモンがある」
九尾狐は喋らない。だが微かに、口元が緩む。
「狐の坊。お前はワシを仲間にしたがっとったけどな、ワシが思うに、逆の方がええんやないかな。お前の方がワシの下について、色々学ぶべきなんや、その方がお前にとって」
「ンフッ……プフフ」
堪えきれない、そんな風に笑う。嘲笑う。さっきまで目も合わせなかったのに、心底見下した目で、目の前の大猿を見上げる。
「おかしいか」
「おかしいね」
そして、答える。エンコウの問いに、九尾狐は口元に皮肉たっぷりの笑みを浮かべながら堂々と答える。
「穏健派だっけ? 誰も傷つけず、誰からの干渉も受けず、基本的に無関心を軸にする集団」
エンコウを指差し、九尾狐は続ける。
「なんか深い事知ってますよ感出してるけどよぉ、俺に言わせりゃアンタの存在そのものがアンタの派閥を否定してんだよなぁ」
「……動く──」
熱線が、エンコウの喉を貫き声を途切らせる。九尾狐の指先からは小さな煙が出ており、本人はニコニコと優しさまで感じるほどの笑みを浮かべていた。
ゴポゴポと血と空気が漏れる喉を押さえながら、エンコウはよろよろと後退る。
「なんだ? 不思議そうな顔だな? 技の名前言わなくても技くらい使えるぞ? カッコいいから言ってるだけで。それともアレか? 『お前発射する前チカチカ光ってたじゃーん』とか思ってんの? これね」
指先を青白く瞬かせながら、九尾狐は笑う。
「演出です。さらに言うとさ」
中指もエンコウに向け、チョキの形を作る。そして2本の指先から、青白い熱線を放ち、エンコウの目を焼いた。
「────!!!!!」
声にならない悲鳴をあげ、エンコウはその場に蹲る。ついに自分の腰よりも姿勢を低くした大猿を、九尾狐は肩を揺らして大いに嗤った。
「どんだけ条件を満たせてても、声に出して命令出来なきゃ意味ねぇよなぁ! ついでに視界も奪ってみたけど、まだなんか出来る? あるなら言って。あ、声でないか」
ものすごい剣幕で、焼けて潰れてしまったはずの目で、殺意丸出しで睨み付けるエンコウの顔に、九尾狐は膝を叩き込む。鼻血を吹き出し倒れ込む大猿の焼けた喉を踏みつけながら、耳をほじりながら言う。
「バカだよな、マジで俺を殺せるとこまで来てたのに、能力にハマって油断するとか、まさに策士策に溺れるって奴? いや、自業自得の方がしっくりくるか。あ、てかさてかさ」
ぐりぐりと足に力を込めながら九尾狐は呑気な声で続ける。
「さっきの続きだけどよ、アンタの存在が穏健派を否定してるってヤツな、なんでかっつーと、アンタめっちゃ強いじゃん」
エンコウの首を掴み、自分の目線まで持ち上げる。苦しそうに血混じりの息を吐き出しているが、エンコウから殺気と闘気は消えていない。
そんな様子に肩をすくめながら、九尾狐は続ける。
「干渉されないもなにも、相手がアンタの力にビビってるだけだろうよ。相手を生かすも殺すも選べるのは、アンタが強いからだろうよ。何にも深い事なんかありゃしねぇ、俺に偉そうに言ってた割にはさ、アンタの方こそ簡単な事してるだけじゃねぇか。要するに、力に物言わせて『関わるな』っつー支配を身内に他人にもしてただけだ」
九尾狐はチラリとエンコウが部下を埋葬した場所を見て、鼻で笑ってから言う。
「それマジでなんの役に立つの? あのザマが結果じゃねぇかよ。力を持ってるのに使わねぇ、使い方を教えねぇ。どこへも進まず停滞するだけ……そりゃ、おかしいねってなるだろ」
九尾狐は、エンコウの眉間に指先を当てて言う。
「アンタの在り方は大賛成だ。主義も主張も、力があって初めて表に出せる。何もない奴には、そもそも意志を持つ事さえ許されねぇ。対等な立場の者同士で、互いの正義を正し合う、これが普通だ。普通の世界で、当たり前の生き方だ。だからな、最後にもう一度チャンスをやる、アンタは俺の下につくべきだ。俺ならアンタの使える力を正しく使ってやれるから、だから、俺の仲間に──」
眉間に当てた指を掴まれ、潰された。ぎゅっと、握り潰された。
理解と同時に、次の手が飛んでくる。大きな両手の平が九尾狐の顔面を挟んだ。とても顔が叩かれたとは思えない鈍く重い音が鳴り、九尾狐の膝から力が抜ける。脳が揺らされたのだ。外側から頭蓋骨の内壁へ、脳を叩きつけられたのだ。吐き気に眩暈、朦朧とする意識、様々な脳震盪の症状が九尾狐を襲う。
「いっっってぇっ!」
吐き出すように言葉にする。とにかく意識を保つ事が最優先だ。頭部を粉砕されてないのが不思議なレベルの怪力の持ち主を前に、気絶などしてしまった日には、きっとそのまま目覚める事は無くなるだろう。
しかし、喉も目も潰されているのによくもまぁ正確に。
「ああ?」
気付くと同時に、エンコウと目が合う。焼き潰したはずの目が、しっかりとこちらを捉えている。
そして、九尾狐と耳元に口を開ける。
「死──」
手の甲でエンコウの顎を打ち、咄嗟に言葉を止めさせる。視界不良ではあるが、ここまで近付いて貰えれば当たるのは容易い。
しかし、それは同時に、ハッキリと言葉を聞いてしまう事を意味する。
「あぶねぇ! こンのジジイ! それ言っちゃダメだろ! 言っていい事と悪い事がだなぁ! つか、もう回復して──」
「動くな」
「あっ」
順当、と言わざるを得ない。あまりに迂闊であるだろう。喋る、触る、聞く、全ての条件をクリアして、操られないわけが無い。たった一言『死ね』と言うだけで絶命させられるこの状況で、動きを封じ無いわけが無い。
一撃必殺の即死技に加え、圧倒的フィジカルと自らに利となる戦闘領域を作れる能力。平穏を望むと謳う穏健派のリーダーを務める者にしては、あまりに強すぎる。
だからこそ、九尾狐は言う。
「やめとけ!」
懇願するように叫ぶ。しかし、今更命乞いに耳を貸すほど、エンコウは甘くなかった。
「死ね」
───────────────────────。
一瞬にして、静寂に包まれる。打撃音も破壊音も聞こえない。
決着が、ついた。
「……どういうことや」
エンコウは、自分の左胸に空いた穴と、そこから立ち上る煙、そして、目の前で悔しそうに歯を食いしばる九尾狐の姿を見て、呟いた。
「〜〜〜〜っ! だ〜か〜ら〜やめとけっつったのにっ! だってもう……こうなったら、やるしかなくなったじゃんかよぉぉぉぉお!」
握り潰されたはずの指先からタバコのように煙が上る。いや、治っているのは指だけでは無い、あちこちに受けていた傷が、着物の破れや汚れまで、綺麗さっぱり無くなっていた。
「四尾『友死尾』」
九尾狐の右から4本目の尻尾が、暗い紫色に瞬いて、何かをどこかに飛ばした。その様子を眺めながら、九尾狐はがっかりと肩を落とす。
「タダじゃ済まないと思ってたけど……勘弁してくれよぉ……マジで今は貴重なんだって……」
「……貴様……自分の死を……そうか……だから、それで、支配……貴様、本当に、もう」
朦朧としながらも言葉を発する老人を蹴り倒し、九尾狐は舌打ちする。
「もういい、ほんとにもういい! これじゃ全然釣り合わない! 骨折り損のくたびれ儲け……儲けてねぇし!」
九尾狐の体がふわりと空中に浮き、その高度をどんどん上がる。村全体を見下ろせる高さまで浮き上がってから、九尾狐は両手で円形を作り、その中に見える範囲に向かって呟いた、
「せめて仲間と一緒に火葬してやるよ。一ノ尾『狐火』烈火『焼九里』っ!」
空が燃えた。そう表現するのが最も適切だと思った。今やその感想を共有する相手はいないが、エンコウは村を覆い尽くさんとする燃える炎を前に、己の不甲斐なさを呪った。
「……狐の坊、お前は一体……どこに向かうんや」
老人ごと村を焼き、勝利を収めたにも関わらず、悔しそうに飛び去る九尾狐には、その言葉は届かなかった。
地図から消え、再び現れた怪村は、今度こそ本当に、跡形も無くなってしまった。




