不本意な撤退
パンッ、と、手を叩く音が響く。気付くと、4人は再び集められ、村の入り口に立っていた。4人のうち、1人は姿が変わり果てているのだが。
「今度は……新手か」
突然だというのに、霧谷は即座に魚に反応し武器を構える。
「最初っからいるー! すごい大胆!」
続いて白石もケラケラ笑いながらセットを展開した。
ブレードとセットが素早く魚に向けられている、にも関わらず、当の本人は特に抵抗することも無く、ぼんやりと立ち尽くしたままであった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
震えた声で言いながら、静は慌てて魚を庇うように2人の前に立ち塞がる。そんな彼女の行動に、2人の表情は一気に険しいものになった。
「どういうつもりだ大橋。裏切りか、それとも操られているのか?」
「違います! この怪物は敵じゃないんです! 見た目は不気味だけど……私を助けてくれたんです!」
「シズちゃん、ソイツのその行動の思惑が私達には判断出来ない。どこでどんな状況だったのか。ただの獲物の取り合いかもしれないしね」
「でも、今だって襲ってきません。ウサギの例だってあるでしょう? 全ての怪異が敵対してるわけじゃない可能性だって」
「……滝川はどこだ」
視線を逸らさず霧谷は言う。誰に言ったというわけでは無いが、全員に嫌な緊張が走った。
「え……そういえば」
「……この状況、『そういう事』なんじゃない? 特に怪しいのは目の前にいるコイツがさ」
「で、でも……!」
『ジュシュルルルルルッ!』
突然、魚が唸りだす。霧谷と白石は更に警戒心を高めるが、その牙が自分達に向けられているものでは無い事に気付くと、すぐさま魚の視線の先に振り向いた。
そこには、よく知る顔の女性と、見覚えのある小さな老人が立っていた。仲間が声をかけるより早く、老人の横にまるで孫が娘のように立っている久茂野が霧谷と白石を交互に指差しながら言う。
「2人とも武器を下ろして、その子は敵じゃない」
「久茂野さん……どういう事ですか。なんでそいつと一緒にいるんです」
「それはごめん、私にもよく分からない。説明がちょっとややこしくなる。ただ、もう分かってると思うけど、この爺さんは怪異だ。しかもとびきり強い『完全体』ときてる」
冷や汗を垂らしながら、皮肉っぽく笑みを浮かべ、久茂野は言う。情報が多くて思考が停止しそうになるが、とりあえず2人とも武器を魚から老人へと向け直した。
「久茂野さん、操られてるわけじゃないですよね」
霧谷の問いに、久茂野は少し自信無さげに首を傾げる。
「多分、大丈夫だと思うんだけど……自分じゃ分からない、でも、この爺さんはやろうと思えばやれる、だって」
「わざわざ仲間に言わせたのに、聞こえんかったんか? 武器を下ろせ、言うたんや」
老人が、小さな手で地面を指差しながら言う。たっぷり蓄えた髭のせいで表情が読みにくいが、老人の声色からは僅かな怒りが感じられた。
霧谷と白石は、すぐに武器を下ろす。
「……は?」
「あれ?」
無論、敵の威圧に恐れ慄き、指示に易々と従う戦士では無い。というか、本人達は武器を下ろしきるまで自分の体が動いている事に気付いてすらいない。
「……これね、私も何回か味わったんだけど、怖すぎるよね。この爺さんの能力なんだろうけど、こんなのどうすりゃいいんだよって感じ……」
タハハと乾いた笑いを浮かべる久茂野。彼女の尻をペチンと叩き、老人は言う。
「見事やった。もう仲間のところに帰ってええよ。殺しもせん、勝負はワシの負けや。ホンマに恥ずかしい」
「あのね、いくら怪異だからって女性のお尻を軽々しく触るっていうのは……」
言い終わる前に、久茂野は霧谷達の元へ当たり前のように歩いて合流した。宣言通り、その間に老人が攻撃を仕掛けてくる事は無く、むしろそのまま彼らに背を向けて帰ろうとすらしていた。
「おい、俺たちの用はまだ終わってない。お前は何者だ、なぜ急に俺達を逃すような事をする、俺達の仲間がもう1人、いや、攫った人達もどこにいる、彼らも解放しろ」
「いっぺんにごちゃごちゃ言うな、一個ずつにせえ」
「分かった、まずは他の人間は何処にいる?」
異様な空気だった。静も白石も、発言した霧谷すらも、ただならぬ異様さを感じていた。何故、老人の言葉に素直に従ってしまうのだろう。一色触発の空気の中、誰1人として、老人に逆らおうとしない。
「他のはもう使うてしもうた。最初に自分らが始末したんと、途中で槌持ちの坊主が4つまとめたんを仕留めて、後はチョキのアホが使ったまま死んでもうたから、今ここで生き残っとる人間は自分らだけや、無事なんやから早よ帰り」
槌持ちの坊主、おそらくは滝川の事であろう。老人曰く、彼は接敵して、打ち勝ったらしい。ただ、なら何故今この場に彼はいないのか。
「その槌持ちの戦士が今ここにいないのは何故だ。お前の言い方なら、敵に打ち勝ち生き残っているはずだ」
「……仲間の話聞いとらんかったんか? そこの魚、敵やない言うてるやろ。この中で、自分らの敵がワシだけなんやったら、自ずと答えは出るやろ」
「……ま、まさか……」
「霧谷さん、それについては私から詳しく」
「いや、ここでせんでええ。ワシにはワシでやる事が出来たんや、早よ帰ってくれ。お前ら全員、はよ帰れ」
気付けば、全員が入ってきたトンネルの入り口に立っていた。慌てて振り返るも、何故かトンネルは跡形もなく消えており、周囲を不気味な空気が包むだけだった。
「な、なんで私達、いつの間に」
「いやそれよりも、この化け物がタキ君ってあのお爺ちゃん言ってなかった!?」
「そうだ、そんなわけ──」
一斉に注目を集めた魚が、糸が切れた人形のようにぐしゃりと後ろ向けに倒れ込む。そしてその恐ろしい怪物の姿が、左胸の方に集まって吸収されていき、最後に残ったのは全裸の滝川考斗だった。
「……」
全員が、何も言えなかった。色々言いたい事があり過ぎて、何から言えばいいか分からず、沈黙するしか無かった。
『とりあえず救援じゃないですか?』
誰かの声で、やっと全員の意識が戻る。そうだ、まずは救援を呼ばなければならない。そもそも最初に移動手段を奪われてしまっているのだから。
「そうだな……俺は局に連絡が取れるか確かめる。久茂野さんは車の残骸から使える部品を探してください。白石と大橋で滝川の介抱を」
『ああ、心配ご無用。考斗君なら私が見てますから。それより、姫ちゃんには周囲の警戒をさせておいた方が良いんじゃないですか? ここまだ一応敵の領内だし』
「それもそうか、なら……え?」
さっきから誰が喋ってる? そんな思いが全員の行動を一致させた。もう一度振り返って倒れ込んだ滝川を確認する。
仰向けに倒れる彼、そんな彼の頭を抱え上げるように、小さな少女がいた。身に覚えのある白いスーツに身を包み、気まずそうにこちらに向かって半笑いを浮かべる少女。
突如現れた謎の少女、にも関わらず、その場にいる全員が、彼女の顔に見覚えがあった。
恐る恐る、霧谷が口を開く。
「て……天童……鳴子?」
『えと……おひさしぶり……なんちゃって』
とてもじゃないが、ここでまとまる話では無かった。
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能力を発動させ、全員が退却するのを確認してから、エンコウはとぼとぼと村の中を散策する。
村役場の2階に通じる階段の手前で、首を切断され、両腕を破壊されたシバガミの発見した。両腕も使い物にならないほど破壊されているので、完全敗北だろう。
「……阿呆が」
体育館の真ん中で、全身をバラバラに引き裂かれているキジマを発見した。床一面を埋め尽くすほどの羽毛を使って尚このザマなのだから、彼女もまた、完全敗北なのだ。
「……予想外やな」
人体改造をする為に使う特殊な薬液、強制延命薬の保存倉庫は半壊していた。そこから少し離れた広場で、焼け焦げた地面と共に、元がなんだったか分からないほど木っ端微塵になったチョキらしき物体を発見した。若者の中で最も状況判断能力に長けていて、油断というものを嫌う性格だったから、期待していたのだが。
「経験が足らんかった……いや、素直に彼奴等の実力を認めるべきやの。混ざり程度やったら殺せてしまう……えらいこっちゃな」
さて、と言って、エンコウはまるで景色に溶けるように姿を消し、そして再びその場に現れる。その両手には、シバガミの亡骸を抱えていた。
「キジマは小こいから持ちやすいわ」
同じ要領でキジマの亡骸を回収。そして3人をひと所に集めると、あっという間に穴を掘り、まとめて埋葬した。
「おっつー、うわ、優しすぎんだろ……殺した敵まで埋葬してやるの?」
背後から、そんな軽い声がした。エンコウはその声の主に振り返らずに言う。
「……敵やない」
「あん? 死力を尽くして戦った戦士は皆同士、みたいな感じのヤツ? ぶしどー的なきしどー的な、俺にはよく分からんけど。あ、それはそうと、これさ、ゲーセンでいっぱい取ってきたの、みんなで食べてー」
声の主、九尾狐は菓子がたんまり入った袋を差し出しながらエンコウに歩み寄る。
エンコウは、ため息をひとつ吐き、低い声で言う。
「死んだんはウチのもんや、シバガミ、キジマ、チョキ、一番腕っぷしに自信があった若いのが軒並みやられた」
「え? ええっと……ええ? マジ?」
「狐の坊、ワシもちょうどお前に会いに行こおもてたんや……話がある」
表情は読めない、だが、その口調と声色に、明らかな怒気が含まれていた。九尾狐はそれでも調子は変えず、欠伸をしながらのんびり答えた。
「なぁにぃ? なんで怒ってんの、部下が殺されちったから?」
「今回の話、ワシの技術をお前に提供する代わりに、お前はワシらの安全を保証するゆう約束やったよな? なんで3人も死んどるのや」
「いや、それはさー、仕方なくない? いや、ごめんとは思うけど、まさか負けると思わないじゃん? たかだかヒト風情よ? こうなるとむしろ負ける方が」
「やってきたヒトの戦士の中にワシらの同類みたいなのが紛れとった。アレはどういう事や、ヒトの戦士は全部ヒトで構成されとる話やなかったんか」
「え、マジ? いよいよおかしい事になってきたな……よし分かった、分かりました、とりあえず今からアンタの可愛い部下を殺した奴らを懲らしめてくるから、どこにいんの?」
わざとらしく額に手を当て、キョロキョロと辺りを探す素振りをする九尾狐に、エンコウは初めて向く。
「狐の坊、お前、ハナからワシの技術だけ取る気やったやろ」
「あー? なになにジイさん。俺がアンタをハメたって言いたいわけ? なんだ、ついにボケたか?」
「元々なんや違和感はあったんや、『素体にするならなるべく強い肉体の方がいい』いうて、警察でも運動選手でもなんでもおる中からわざわざワシらを討伐する力を持っとる『白服』の奴らを標的に選ばせた。そら所詮はヒトの集まりやし、やられてしまうと思ってなかったいうんは理由として成立せん事もない」
「……いや、じゃあなんの問題もないじゃんね。ちょっとイラついて冷静じゃなくなってんじゃねぇの? 一旦落ち着けてって」
「せやけど、やっぱ必要が無いんや。わざわざ『白服』なんか狙って、万が一の不利益背負うより、無害な利益を得る方が効率がええ、というか、それが当たり前や」
エンコウはゆっくりと九尾狐に近付きながら言う。
「お前にはワシらに白服を狙わせる必要があった、ワシらに白服を標的にさせたんやない、ワシらを白服の標的にする必要があったんや。警察と違うて、アイツらはワシらを殺す事が第一目標やから、仲間が殺されたらより強い戦士を送り込んでくる。ワシは負けんでも、戦い慣れとらん若連中は翻弄されるやろうな」
「……その戦いで成長するかもしれんじゃん」
「楽観的やな。お前が同じ立場やったとして……ええわ、お前に立場が違う者の気持ちなんか分かるわけないわな」
「ジイさん、そりゃ当たり前だって。どんな綺麗に取り繕ってる奴だってさ、人の気持ちなんか分かりゃしねぇし、分かりたくもないって思ってるよ」
「それ以上にお前は他人の事をなんとも思ってないやろ」
エンコウはキッパリそう言って、九尾狐を指差す。
「今回のお前の思惑もまさにソレや。元々派閥が違うて協力関係を結べそうに無いワシを味方に引き入れる為に、ワシがお前の下につかなあかん状況に追い込みたかったんやろ」
その為に、エンコウが守るべき者を全て消してしまいたかった。必要なのはエンコウの能力と技術だけ、余計なものは弱点にしかならないから。
「んーーーーーあーーーーー」
九尾狐は天を仰ぎ、ダルそうに、本当に面倒くさそうに唸ってから、小さなため息を吐いてエンコウに向き直る。
「うん、で? その、全部ジイさんの推理が当たってたとして、どうするよ? アンタの言う俺の思惑通り、俺に協力してくれんの?」
「せやな、ワシの守るもんはなんも無くなってしもうた。ワシだけやったら自由に動ける、お前のとこにでもどこにでも行けるやろな」
「だったら」
「そんで、お前をシメてワシがお前のとこの頭になるのもアリやな」
九尾狐に向けられていた指先が拳に変わり、更に、老人の身の丈に合わないほどの剛腕となって九尾狐の頭部を狙う。
「おいジ」
「避けるな」
エンコウが発言すると、ダルそうに回避しようとしていた九尾狐の動きが止まる。老人の発言通りに、その声を聞いた者は動いてしまう、または止まってしまう。
「チッ、これ欲しかったな」
迫り来る老人の剛拳を、柔らかい尻尾で受け止めて、九尾狐は諦めたように吐き捨てる。
「せっかく俺が役に立ててやるっつってんのにアホ老害がよぉ。テメェんとこの小さい集団でコソコソしてて何の意味があんだよ、能力も技術もさぁ」
「狐のくせに化かすのが下手やの。狐の坊、お前は昔から性悪な餓鬼やったけど……今は違うな、ただの性根の腐った悪党や」
「あー、マジでやだやだ、この展開は避けたかったのに、まいったな、最悪だよ……これ、殺すしかないかぁ……?」
「身の丈弁えて、あんまりデカい面せんほうがええぞクソガキ。クズは死んでも治らん、でも死んだ方がマシや」
エンコウが髭をひと撫でし、低くしゃがれた声で呟く。
「『猿幕』」
黒い、カーテンのようにも見える霧が一瞬でエンコウを包み、そして舞台の幕のように上がる。
再び現れたエンコウは、もう老人なんかではなく、筋骨隆々の巨大な獣だった。長い両腕はオランウータンを彷彿とさせるが、その太さと、全身の屈強さはゴリラを思わせる。
「仇討ちや」
大猿が吠える。狐は尻尾を振るわせた。




