戦闘不可能
薄暗くてよく見えないが、とても懐かしい雰囲気の場所だった。畳の床に、襖障子、ほのかに鼻腔を撫でるヒノキの香り。
典型的な和室だった。どこかの家の一室なのだろう。一瞬にして移動させられ、仲間と分断された。孤立状態へと導いた敵の意図とは……など、思考を巡らせるべき状況ではあるが、残念ながら戦士としての練度が足りない滝川考斗は、ただ困惑していた。
「な、なんだ……! どうなってんだ!? どこだよここ!」
武器をしっかりと握りながら、滝川は辺りをぐるぐると見回す。
さっきまでいたはずの仲間が誰もいない、完全に自分だけだ。まさか全員やられてしまったのだろうか、いや、それなら自分だけ生き残っているのはおかしい。どこかに連れ去られた? その可能性ならあり得る。久保川班もドライバーの二人も、連れ去られたのだ。何故かこの敵は人間を生きたまま連れ去る、その目的はなんなのだろう。自分も、その中の1人になってしまったのだろうか。
「くっそ……わけわかんねぇ! おい化け物ども! 隠れてねぇで出てこいや! 妙な小手先使いやがって……もっと正々堂々と」
ゴトリと、何かがぶつかる音がした。四方を囲う襖の向こうから、鈍い音が確かに響いた。
「……や、やっぱ隠れてやがったか! ふざけんなよ!」
目の前の襖を睨みつけながら、滝川は出来るだけ声を張り上げて言う。向こう側からは何の反応も無いが、代わりに、何やらズルズルと何か重たいものを引きずるような音が聞こえた。
「……敵とは会話しねぇって事か……いいぞ、だったら先制攻撃だっ!」
そう言って、滝川はハンマーを振りかぶって、襖を破壊し奥の部屋へと突撃した。一瞬小さく部屋全体が揺れるほどの振動が起こったが、滝川のハンマーは畳を凹ませただけで、それ以外は何も捕らえていなかった。
「……い、いない……? 逃げやがったのか!」
自然と小さく笑みが溢れそうになるが、力強く食いしばって耐える。情けない話だ、明らかにホッとしてる自分がいる。
しかしホッとしたのも束の間、さっきまで自分がいた部屋の方から、ガサガサと、何かが畳を擦る音がハッキリと聞こえた。
当然、振り向いて武器を構え直す。
──いる。絶対に何かいる。ここに来る前に現れた少女の姿をした怪異だろうか。それとも姫ちゃんが見たと言う鳥のような怪異だろうか。いずれにせよ、同じ空間に、そして決して遠く無い距離に、自分を狙う敵がいる。
「くっそ……! クソ! くだらねぇことしやがって……! 化け物が……戦うんだろ!? 俺を殺したいんだろ!? だったら姿を見せて攻撃してきやがれっ!」
声を荒げながら辺りを警戒する滝川だったが、そんな彼をまるで弄ぶように、物音の主は姿は現さず、ただその気配だけを振り撒いている。
どうやら、滝川を中心にぐるぐる旋回しているらしい。
(落ち着け落ち着け落ち着け! 呉さんや天童さんが教えてくれた事を思い出せ……! 俺が、俺が敵なら……いや真っ先に攻撃するけどな!)
旋回し、姿を隠している意味が分からない。隙をつこうと思っているのなら行動が遅い、今自分は隙だらけだと滝川は自覚する。
考えていても埒があかない。相手が動かない(動き回ってはいる)ならこちらから行動を起こすまでだ。
「ガサガサゴソゴソ! 場所だけは教えてくれるもんなぁ!」
旋回しているなら、逆回りでハンマーを振り回すだけだ。そう思って、滝川は音を頼りに飛び出して、おそらく通過すると思われる場所にハンマーを振り上げた。
一瞬、押し返されるかと思うほどの重たい衝撃が全身に伝わる。直後、何か大きなものが奥の部屋に吹き飛ばされ、ガラガラと破壊音を鳴らした。驚くほどあっさりと、滝川の攻撃は敵に直撃したらしい。
「なんだ……!? 見えなかったけど……でも当たったよな! 家具とか壁じゃねぇ、なんか生き物っぽいやつに!」
驚きと歓喜が混ざった感情が湧く。しかし、すぐに武器を構え直し、慎重に吹き飛んだ敵を確認する。引きずるような音を立てていた、ムカデのような怪異なのだろうか。いや、蛇やトカゲの特徴を持つ怪異かもしれない。もしそうなら、距離感が大事だ。さっきは偶然当たったかもしれないが、不用意に近付いて中距離から奇襲、なんてされればひとたまりもない。
慎重に近付いて、ライトで照らす。
「……あれ?」
そこに何かいた痕跡はあった。畳が凹み、箪笥が破壊され、襖が破れている。ここでナニカが倒れ、しばらくのたうち回ったのだろう。しかし、痕跡の主がどこにもいない。
「んだよ……またかくれんぼかよ……!」
素早く周囲をライトで照らし、敵の姿を探す。破壊痕以外に特に目立った異常は無いようだ、奇妙な物音も気配ももう何も無い。
逃げたのだろうか。
「……一撃受けて、即離脱。なんつか、随分呆気ないな。いや、正直こっちとしてはありが……え」
破壊された襖の向こう側にライトを向けた時、滝川の思考が停止する。そこには人の顔が浮かび上がっていたのだ、しかも、知ってる顔だった。
考えがまとまらないまま、辛うじて滝川は声を絞り出し、『彼』の名前を呼ぶ。
「く……久保川さん……?」
久保川慎太、部下3人と先行隊としてこの村に侵入し、そして行方不明になった対策局の局員だ。中堅で腕の立つ戦士で、呉も天童も、霧谷だって尊敬する実力者である。滝川本人も何度も指導を受けた事があるので、その力が本物だと知っている。
だからこそ、今回の全滅が信じられなかった。信じられなかったから、目の前の彼が彼であると、信じて疑わなかった。
「久保川さん……! 無事だったんですね!」
そうだ、この人がそう簡単にやられるわけが無い、その信頼からくる確信が、彼に思考をやめさせた。
「……おぉー、滝がワか。久しぶりだな、どうした? こんなとコろで何しテる?」
依然顔しか見えないが、久保川は滝川に笑顔を向けながらそう言った。距離があって声を張り上げているせいか、ところどころ妙なイントネーションなのが気になったが、細かい事は気にせず、滝川も笑顔向ける。
「何って……任務ですよ! 化け物どもの巣窟をぶっ潰しに来たんです! てか、久保川さんの班だってそうでしょ?」
「化け物……ああ、そうか、そうだそうだ。倒すノが仕事だな。分かってるとも、分かってるサー」
ポカンとした顔で、久保川は言う。見た感じ顔色が悪いというわけではない、むしろ見た目の印象だけで言うと元気そうなぐらいだ。襲われて、今日まで生き延びてきたのだろう、だから疲れているんだ。
「久保川さん達、いきなり襲われて大変だったでしょうけど、無事で本当に良かったです! 本当は帰って休んでもらいたいんですけど……そうもいかなくて、なんか近くに妙なのがいるみたいなんですよ」
「敵か、前に教えた事があるナ。まずは敵の立場になって考えテみるんだ。なった敵は自分のこんな隙を突いてくると」
以前指導を受けた時の事を思い出し、滝川は気まずそうに目を逸らし、小さなため息を吐く。本物だ、敵が化けているのかとも疑ったが、そんな事を知っているのは本物だけだろう。この人は間違いなく、本物の久保川慎太だ。
「あ、いや、やろうとは思ったんですけど……中々上手くいかなくて……」
「まったク……お前は……お前、滝川、か、何故、ここに……たきが……わ……!」
久保川の表情が、急に何度も変化する。笑顔だったのが、急に驚愕に変わり、そして苦悶へと歪んでから、再び笑顔に切り替わる。
疲れてるんだ。敵の本拠地のど真ん中に丸一日いたのだから、精神的にまいってしまってもおかしくない。
「……く、久保川さん……とりあえずこっち来てくださいよ……俺1人じゃ上手く戦えるか不安で……」
「たき……が、わ、たのむ……たのむたのむぅ。おレ……たてぃ。お、お、俺達を……コロ、頃ころ、殺、殺し、んんぅぅうううああアアンてうえれぇ」
彼は、滝川の望み通り、こちらに向かって来てくれた。徐々に、顔から下の胴体がライトに照らされ滝川の目前に現れる。
その姿を見て、滝川は、震え上がった。いや、本当は薄々勘付いていた。普段あんまり冴えないくせに、こういう時だけ、頭は良く回ってくれる。本当に嫌になる。
思考は止まったんじゃない。止めたのだ。考える事を放棄して、現実を見る事を拒絶した。
「……くぼかわさん……それは……『ソレ』は無理ですってぇぇええ……っ!」
顔は、久保川だ。しかし、胴体からはもう既に誰でもなかった。
簡単に言うと、不自然に胴が長かった。2人ぶんぐらい、根元で縫い合わせて繋げたような、何故動いているのか分からない。そして、続けて現れた、下半身にあたる部分も、もちろん異形だった、こちらも元々あった下半身に、別の人間の上半身と下半身がくっつけらている。
長い胴からは2対の人間の腕が伸び、それぞれが剣や棍棒を握っている。背中からも2対の腕が伸び、それはもがくように空間を掴もうとしていた。ガサガサと畳を踏むのは4対の人の足。そして、虫の腹のようになってしまった下半身の臀部からは、人の頭と思われる、突起物が3つ飛び出し、「ぶぅしゅぅううう」と奇妙な声、いや、音を鳴らしていた。
上手く例えられないが、ケンタウロスのように、上半身が人間で、下半身が獣の怪物、というのが一番近いだろうか。いや、彼の場合、上半身だってもはや人間の形では無い、肌の色と質感だけだ。辛うじて人間なのは、久保川慎太の顔だけだった。
「……これ、まさか……久保川班の皆さんですか……!? 全員が、1匹の化け物にされてるんですか……!?」
「滝川、俺達久保川班はこれカら戦闘に入る。対象はお前だ。すまないが、殺す、任務だ、殺すんだ、悪いな。ついでで申し訳ナいが、呉と天童はどこだ? それに、霧谷に白石……そうダ、末広と深夜も……とにかく、この辺が担当だっタ局の人間を全員連レテ来てくれないか? 全員殺すんだ、それが任務なんだ」
まるで普通の会話のように言葉を放って、久保川だったものは4本の剣を滝川に向けて振り下ろしてきた。
「うわァ! ぐ、ぐううぅううううっ!」
転がるように避けて、滝川は歯を食いしばる。溢れそうになる涙を必死に堪え、体を走り続ける震えに耐えながら、立ち上がって、武器を構える。
「ゆる……ゆるせねぇよ……ちくしょう……ちくしょう……! ここにいる奴らが……こんな事を」
「滝川ぁ。避けないでくれ、他の戦士ノ場所を速ヤカに教えてスグに死んでくれないか? もうすぐ娘の誕生日だかラ、何かプレゼント買わないトいけないんだ。お前も早く結婚して、子供をモッてみな。人生が楽しくなルぞ。でも死んでくれ、早く帰りたいんだ」
ガサガサと足を這わせ、その図体からは想像も出来ない速度で久保川は滝川と距離を詰める。
「うわあああああっ! ちくしょうッ!」
震えに耐えながら、必死にハンマーを振るが、しかし、今度は当たらなかった。なんと、その巨体で跳び上がって避けたのだ。しかも背中の手が天井を掴みぶら下がっている。
「な、なにぃ!」
「滝川、たき……たきぃ、がぁわんわんわ……! よけろぉ……にげろぉ。お前、お前は隙だらケだな。すぐに死ぬぞ、早く死ニなサい」
ぶら下がったまま、虫の腹のようになった下半身が、ぐねっと勢いよく曲がり、滝川に突き出される。先端から突き出た人の頭が、滝川の腹に直撃し、後方へと突き飛ばされた。
「ぐっ! おえェッ!」
人間をそのまま鈍器にしたような威力、そんなものを腹部にぶつけられたのだ。内臓が口から出るんじゃ無いかと思うほど、内側から何か込み上げてくる。抵抗虚しく、吐き出したそれは、赤黒い塊だった。
「う……が……わ……あああああっ!」
戦えるわけがない。怪異ならまだしも、彼らは人間だ。しかも元々仲間だった。それが、こんな醜い化け物にされて、尊厳を踏み躙られて、なのに、少し意識がある。
助かるわけない、そんな事分かってるが、喋られると、もうダメだった。無理だった。
戦闘、不可能だ。
「う、ああ……わあぁああっ!」
痛みに耐えながら、滝川は這って逃げようとする。ハンマーを握る力どころか、立ち上がる力も残ってない、あまりに絶望的な状況だが、もう逃げるしか頭に無かった。
「滝川、まだ、生きてるじゃないか」
そんな声が上から聞こえた。直後、強い衝撃と共に、体に強い圧がかかる。どうやら天井から飛び降りて、踏みつけられたらしい。
「うっ……おえぇ……!」
血混じりに、胃の中の物が押し出される。吐瀉物で喉が塞がれ呼吸が出来ない。
そのまま滝川は軽々と持ち上げられ、容赦無く壁に叩きつけられる。背負っていた上司の形見も、外れてカランッと地面に落ちた。
「や……や……め、で……くだ……た……けて」
「コラ。喋るとキはハッキリ喋らないと、聞こエないゾ」
「た……ずげ……て、……ど、さ」
見る影も無くなってしまった『槍残滓』に、力無く手を伸ばす。しかし、その手は一瞬にして視界から消えた。
久保川の剣が、滝川の右手を切り落としたのだ。
「……ア、あああっ!? いぎゃアアイぃぃいああああアアァァッ!」
「大きイ声を出すな! 近所迷惑ニなるダろ! これヲ拾って欲しかッたのか? ちゃんと管理しろ、返すぞ」
久保川は槍を拾い上げ、首を傾げて考えた後、叫び声をあげる滝川の左胸に突き刺した。槍は貫通し、壁に滝川を打ち付けるような形になる。
左胸を貫通。それはつまり、滝川考斗の心臓の破壊を意味していた。
「ア゛ッ……ガ……ゥェ」
「藁人形みタイだな、それらしクした方がいいか? ちょうどここに金槌があるぞ」
滝川が落としたハンマーを拾い上げ、久保川は、呪いの藁人形のように、槍を更に深くハンマーで打ちつけた。
何度も、何度も、滝川が息絶えても、打ちつけた。
「……す、まな……ィ。すま……な……い。ズまな……イ。任務、完了だ、次の目標ニ向かウぞ。」
死んだ。




