慣れない体
『ラビットスタイル、さぁて……覚悟しなよネズミちゃん』
ナイト・ウォーカー、もとい、アサは怪ネズミを指差して、自慢げに言った。ラビットと彼女は言い切ったが、しかし、重ね重ね言うが、頭部から垂れる長い耳や発達した脚部など、類似した特徴はあるものの、三日月のように釣り上がった眼光、鋭い牙に爪など、ウサギからはかけ離れた部位が目立っており、お世辞にも可愛らしい見た目とは言えなかった。
怪ネズミと大差ない、化け物である。
『見た目が変わった程度で、調子に乗るんじゃねぇぞ!』
明らかな動揺を見せた怪ネズミだったが、それでも爪を立てて襲いかかってくる。コンクリートを破壊するほどの威力を持つ怪力、まともにくらえばひとたまりも無い。
当然避ける、かと思われた。しかし、アサは左腕を振り上げ、その攻撃を受け止めた。
『なんだとっ!?』
『何これ、平手打ちにもならないんだけどっ!』
アサはそのまま右拳を怪ネズミの顔面に叩き込む。怯んだ隙を見逃さず、続け様に鋭い蹴りを相手の腹部へと命中させた。
態勢を立て直す暇など与え無い。アサは確実に、ここで、敵を仕留めるつもりなのだ。それを出来るだけの力が、今アサには、というか、アサと八夜には備わっているのだから。
『……あれ?』
備わっている、はずなのだ。
『いっ……てぇ!』
それでも、怪ネズミは苦痛を訴えはするものの、まだしっかりと自分の足で立ち、怒りに満ちた目でこちらを睨みつけてくる。
『おっかしいなぁ? 貫いて内臓ぐちゃぐちゃにしてやるつもりで蹴ったんだけど』
『なんだぁ? 確かに強くなっているようだが……耐えられねぇほどでもねぇぞ? もしかして……まだその体に上手く馴染んで無いんじゃねぇのかぁ?』
ネズミは避けた口を更に歪ませ、不気味に笑いながら言う。
『やっぱ勝つのは今しかねぇよなァ!』
微かな勝機を見つけ、ネズミは攻撃を再開する。しかし、今度は直接ではなく、背中の針を飛ばす遠距離攻撃だった。
針が貫通したドラム缶が衝撃で破裂する。やはり威力は洒落にならないほど高いようだ。
『素直に避けた方が良いっぽいねっ!』
アサが強く地面を蹴ると、一気に天井の高さまで跳び上がった。その真下を針が通過していく。
『ケッ! 馬鹿が! 空中じゃ避けれねぇだろ!』
勝ちを確信したのか、ネズミはゲラゲラと笑いながらアサに向けて針を放つ。
『バーカ、そっちこそ私の思い通りに動かされてんだよっ!』
アサはくるりと空中で反転し、天井を勢いよく蹴って、一気に急降下する。軌道をされた針が横切っていくのを確認すると、アサはネズミに向かって足を振り上げた。
『くたばれっ!』
そのまま振り下ろし、踵から伸びたトゲを、思い切りネズミの首元へと突き刺した。落下の勢いもあり、一気にトゲは根元まで突き刺さる。
『ぎゃあああああああああっ!』
恐ろしい叫び声が響き渡る。ネズミは苦しそうに悶えていた、しかし、それでも、アサは攻撃の手を緩めようとはしなかった。
『このまま振り下ろして、肉引き裂きながら内臓こぼしてあげるからねぇ!』
『ぐぐぐ……ぎぎぃ……! フンッ……い、いい気になるなよ……ウサギ野郎……! う、動けねぇのは……テメェも一緒だ!』
ネズミはそう言うと、アサの足をガッチリと掴み、ぐるりと背中を丸めた。針が、一斉にアサに向く。
『あっ! テメッ!』
瞬時にアサは反応し、逆側の脚でネズミを蹴り上げ、突き刺していた方の脚を解放する。そしてそのまま跳び上がり、今度は天井を突き抜けて、来るであろう針を回避した。
案の定、針は発射されていた。あと一瞬遅かったら、脳を破壊されていたかもしれない。ネズミの言っていた通り、まだ完全に体が馴染んでいるわけではなさそうだ。無茶をすれば、中身の八夜を殺しかねない。
『慎重に行動しないと……って! ああ! しまった! 逃げられたぁ!』
上から確認するが、もうどこにもネズミの姿は無かった。
『しまったなぁ、厄介な事にならなきゃいいけど』
アサは踵に残ったネズミの血を拭うと、クンクンと匂った後、ペロリと舐めて味を確認する。
『おけおけ、とりあえずは覚えた……後は、早いとこ見つけ出して殺さないと』
すぐに奴を探し出そうと思ったアサだが、しかし、思い出したように首を横に振る。ついさっき自分で気がした事を思い出したのだ。
『ダメだ、下手に動いてヨルに負担をかけられない。ダメージを全部私でカットできればいいんだけどなぁ……まずは私達がお互いの体に慣れないと』
仕方ない、とアサは呟いて、ジャンプしてその場から立ち去った。
その様子を、怪ネズミが物陰から見ていた。肩からの出血を必死で手で押さえ、歯を食いしばってアサが立ち去った方角を睨み付けている。
『どうやら……相当近付かないと匂いを覚えても場所を特定する事までは無理っぽいな……ざまみろ……あのクソウサギ……覚えてろよ……絶対食ってやるからな……だが……やはり適合者が必要か』
しかし、適合者なんてそうそう見つかるものでは無い。アタリが出るまで取っ替え引っ替えしていくという方法もあるが、それでは目立ち過ぎる。あのウサギ以外の怪異にも敵視されるかもしれない。
『なんかいい方法はねぇのか……目立たず適合者を見分ける方法はよぉ……』
ブツブツと口をこぼしながら、ネズミは適合者を探すため、街の中へと紛れて行った。
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建物から建物へとジャンプを繰り返し、たった五分ほどで、アサは八夜の自宅へと到着した。誰にも見られていない事を確認しながら、屋根の上で変身を解く。
まるで塗装が剥がれるように化け物の体が崩れていき、中から少女が現れた。
「あれ? ここって」
『ヨルのおうち、の、屋根』
「なんで屋根なの!?」
服に付いた埃を払い落としながら言うアサに、八夜は戸惑いを隠さず声を荒げる。
『えーと……目立たないように?』
「余計目立つよ! は、早く降りないと……って、うわぁ……高いよぉ」
下を見て身を縮こまらせる八夜に、アサは親指を立てながら言う。
『大丈夫! 飛び降りても怪我なんかしないって! さっきの廃工場での動きを思い出してよ』
そう言われてみれば、あそこに辿り着くまでに、変身もしていない人間の状態でありながら、到底人とは思えない動きをしておいて、八夜の体には怪我一つ無かった。着地した際に痛みも無かったし、そもそもあれだけ無茶な動きをしておいて、筋肉痛の一つにもなって無い。
「あ、もしかして、これもアサのおかげ?」
『いやぁ、それほどでもぉ』
照れ臭そうに頭を掻くアサ。しかし、正直飛び降りるのはやっぱり怖い。あの時は無我夢中だったから意識していなかったが、普通高いところから飛び降りる経験なんてする事は無い。
『高いったって二階だよ? 平気だって、なんなら私居なくても平気だって』
「私そんなに身体能力高くないよぉ」
しかし、いつまでもウダウダしていたってなんの解決にもならない。こんな所を誰かに見られる方がよっぽど厄介だ。
「や、やるしかない」
ぺたんと座って、恐る恐る片足をブラブラと垂らしてみる。当たり前だが、足場になりそうな所は無い。このまま地面に向けて落下するしか無い。
「本当に大丈夫だよね?」
『さっき自分で経験した事だし……自分の事ぐらいは素直に信じた方が良いと思うけど?』
アサの言う通りである。自分は既に高所から飛び降りるという経験をして、無事である事を立証済みなのだ。…まぁ、正確には二回で、一回目は普通に死んでいるっぽいのだが。
意を決して、八夜は目を瞑ったまま体全体を投げ出した。
ぐしゃり、とはならず、あっという間に着地して、事なきを得た。
「ひょ、拍子抜けするぐらいあっさりだった」
『だーから言ったでしょ? 今のヨルはスーパーパワーを身につけているんだから、大体の事は大丈夫だよ』
そっか、と八夜は上を見上げる。見上げて、ある事に気付いた。
「ねぇ……アサ? 二階にはベランダがあるんだから、そこから入っても良かったんじゃ……あ、鍵が空いてないか」
『あ、私鍵穴から侵入して、内側から鍵とか開けられるよ』
「え……? じゃあ、わざわざ飛び降りる必要なかったんじゃ……?」
アサはしばらくポカンとした顔で、八夜とベランダを交互に見て、そしてクスッと笑ってから
『ごめん』
と、両手を合わせた。
「もぉ〜!」
『いやでも、全く無駄なわけじゃなかったから、ね?』
「どの辺が?」
『説明するから、とりあえずヨル、家の中に入ろうよ。そして、消費したエネルギーをちゃんと補給しよ?』
そう言って、アサはお腹を両手でさする。
要するに、食事を要求しているのだった。
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『さて、ヨルはどこまで覚えてるかな? 変身したあとは、どんな感じだった?』
冷蔵庫にあった材料で、適当に作った肉じゃがを頬張りながら、アサは八夜に尋ねる。
「うーん……えっと、ぼんやりと……まるで夢を見てるような感覚だったからしっかりとは覚えて無いんだけど……とりあえず、あのネズミの怪物相手に善戦はしてた……かな?」
『まぁね、概ね正解。よかった、ぼんやりでもちゃんと視覚の共有は出来てるんだね』
「変身した後だけど……なんだろ、別室にいるような? 暗い部屋で、モニター画面でアサの見てるものを見てるような? でも部屋というよりも、空間? えっと」
上手く言葉に出来ない。その気持ちはちゃんとアサにも伝わったようで、笑顔でOKサインを出していた。
『おっけおっけ、とりあえず、私達が変身して戦える、それはちゃんと出来ていた、ありがと、ヨル、私を信じてくれて』
「あ、いや、私の方こそ……助けられてばっかりで」
やっぱり、アサは味方なんだと、再確認した。騙しているようには見えない、あの必死な様子。助けたいんだという言葉、聞こえて来るものとは別に、八夜の心に直接流れ込んでくる感情があったのだ。
恐らく、八夜の考えがアサに共有されるように、アサの感情もまた、八夜に共有されるのだろう。
『じゃあ、お互い様! 私はヨルがいないと戦えない、ヨルは、私がいないと死んじゃう、それぞれの利害が一致したって事で、理屈的にも、信用してもらえるよね?』
「う、うん」
『さて、じゃあ、ここから本題』
アサはちょっと困った顔をしながら言う。
『ヨルも見てたなら分かってると思うんだけど……倒しきれて無いんだよね、あのネズ公』
「うん、思ったよりダメージが通らなかったんだっけ?」
『そう、その原因は……残念ながら私達がお互いの体に馴染めてないから』
「それも……聞こえてたよ。でもなんで? 私は、完全適合者っていう……どんな怪異とも適合できるんじゃないの?」
『適合出来るのと、上手く扱えるのは、また意味が違うんだ。運転免許を持ってれば誰だって車には乗れるけど……、それがつまり運転が上手いって事にはならないでしょ?』
ちょっと意味が違う気がするが、アサの言いたい事は分かる。つまり、練度の問題だ。
「じゃあ、どうすれば良いの?」
『簡単だよ、変身しまくって、お互いの体をちゃんと馴染ませていけば良い』
さっきの屋根からの飛び降りは、その一環だと思ってもらえればいいよ、とアサは苦笑いを浮かべながら言う。
「絶対今適当にこじつけたでしょ」
『でもでも! 本当だからね?』
なんか納得いかないが、しかし、アサの言う事はもっともだ。馴染ませる為には変身したり、普段から、アサの力を使っていく必要がある。それがどんなに些細な事でも、だ。
それに、ちゃんと、本気で戦えるようにしておかないと、危なくなるのは八夜自身だ。
『私は鎧みたいなものだからね、私が剥がされれば、ヨルは絶対に死ぬ、か、もしくは体を取られる』
「それは……やだ」
そんな事態を引き起こしてはいけないというのは、アサにとっても八夜にとっても大前提なのである。
「じゃあ、具体的にどうしよ?」
『そりゃもちろん、決まってるよね!』
アサは手を伸ばし(文字通りゴムのように手を伸ばし)、本棚から少年漫画を一冊取って言う。
『強くなる為には修行だよ! 毎日変身して、ガンガン特訓しよう!』
「やっぱりそうなるよね……誰にも見られない、どこか目立たない場所に行かないと」
『大丈夫でしょー、例え見られたってヨルだとバレるわけないよ』
「え? そうなの? ごめん……自分がどんな姿になってたかは分からないんだ。ラビットスタイル……? とか言ってたけど……ウサギみたいなの?」
『そうそう、可愛い可愛いウサギさん』
「そ、そうなんだ……でも、なんでウサギなの?」
『……え? いや、それは私にも分かんないよ? 怪異宿しが変身した時の姿って、宿主のイメージが基礎になるもん……』
「え、じゃあ、私がウサギになりたいって思ったって事?」
『だと思うけど? ま、私ウサギ大好きだから良いけど』
二人で顔を見合わせて首を傾げる。
その時、なんとなく点けていたテレビから、速報が流れた。
今日の夕方、奇妙な生物が民家の屋根を駆け回っていると言う通報があったそうだ。通報をした人は、スマホでその姿を写真に収めていた。
その写真には、赤黒い、まるでウサギのような化け物が写っていた。鋭い牙や、巨大な爪、踵付近にはトゲまで生えている。
「怖いなぁ……アレも怪異?」
『……やっべ、全然可愛くない』
何も気付いていない様子の八夜を見て、アサは冷や汗を流す。
本当は違うと答えたい、しかし、怪異は嘘を吐けない。
『まぁ、怪異っちゃ、怪異なんだけどね……うん、まぁ、ね?』
アサは、自分を指差して訴える。
「……? あ、え? まさか」
『あの化け物、私達……』
アサが苦笑いを浮かべながら答えた。
数秒後、八夜がガチ泣きしてしまったが、とりあえず、特訓は行われる事になった。
これ以上、人に見られないようにするという事を条件に。