月下の獣達
「そ、そんなはず……じゃあ背後のは誰……な、なんでぇ!?」
鮮血を吹き出しながら背後に視線をやる。虎のその目が驚愕を通り越して、恐怖に染まっていく。
それはそうだろう、あり得るはずがない。背後で槍を突き立てているのも天童鳴子だったなんて、理解出来ても信じられない。
死んだはずの人間が現れて、しかも増えている。理解出来るが、意味が分からない。
「おいウサギの化け物、アレどうなってる」
ナイト・ウォーカーに問う深夜の顔は、既にいつも通りの無表情に戻っていたが、しかし、瞳の奥に微かな怒りを感じた。
「……アレは、あの武器の元からあった機能に私の能力を加えたんだ。立体映像を出現させる機能に、ソレを一時的に実体化させる能力を」
「……何でそんな事が出来る」
「いや、分かんないけど……なんか出来る気がして」
「チッ……そういうことを言ってるんじゃ」
「来るよ!」
実体化させたとはいえ元は時間制限付きの立体映像、その効果は5秒が限界のようだ。虎を突き刺していた二人の天童はいつの間にか姿を消し、彼を解放していた。
貫かれた本人は、怒り心頭でコチラに向かって突っ込んでくる。
「卑怯な手使いやがって! やっぱお前から殺」
「バリアを解いたな」
呟いた深夜は、次の瞬間には虎の背後にいた。直後、虎に無数の斬り傷が現れる。
「誰が武器が無くなったって言ったよ、お前らを殺す手段なんていくらでも用意してるわ」
そう言う深夜の両手には、砕かれたものと同じ刀が握られている。どうやら複数あったらしい。武器が無いように見せたのは油断させる為の罠だったのか。どうやら全然心配は要らなかったようだ。
いや、それはそれでその矛先がいつこっちに向くか分からないから怖いという不安に変わっていくのだが。少なくとも、虎を倒すまでは、戦力的に有利と考えて大丈夫、だと思いたい。
「ああああっ! もおおおおおおお! サクサクサクサク手軽に斬りつけやがって! 攻撃さえ当たればお前なんかなぁ!」
傷口を押さえ、グネグネともがきながら虎は叫ぶ。確実に、ダメージは入っている。
「全然効いてないな」
「あとちょっとで勝て……あれ?」
ものすごく意見が食い違った。効いてない? あれだけ苦しんでいるのに。
見ると、深夜がコチラを見つめていた。表情は変わっていないが、その視線から感じられるのは、「お前マジ?」と言いたそうな呆れであった。
「お前マジ?」
実際に言われた。そんな引かれるほど的外れな事言っただろうか。
「だ、だってあんなに苦しんでるし」
「……ダメージが入ってるなら、弱るでしょうがよ。アイツ見てみ? 痛い痛いとギャアギャア喚きながら、その実動きは全く衰えてない、ずっと同じだけのパワーとスピードで襲ってきてるじゃん」
「……え、あ! た、確かに……」
傷に驚いたり、怒ったりはしているが、息が上がったり、フラフラと意識がなくなったりなどの弱体化が全く見られない。そもそもあれだけ攻撃を食らっておいて、痛いだけで済むわけがない。
「……どういうわけか知らないけど、自分の力を持て余してる感じだな……それを自分で気付いてない……か、能力に目覚めたて、というか、生まれたてって感じか……?」
両手の刀をブラブラと、ゆらゆらと揺らし、自身もフラフラと揺れながら深夜は言う。
あの動きは知っている、あの技は、さっきまでの素速い動きとは訳が違う。通り過ぎた後のそよ風を、ほんの少し感じるかどうか、それを意識した時には既に首も胴も両断されている。瞬足、どころの話ではない、風、瞬殺の風。
「死なないなら逆に都合が良い。死にたくなるまで痛めつけてやる。」
「あのゆらゆら……ああ」
さっきまで青筋立てて怒っていた虎が、フンッと鼻で笑った。そうだ、深夜の技を知っているのはナイト・ウォーカーだけではない。なんなら直撃を受けたのは虎本人なのだ、つまり、誰よりもあの技の威力と速度は知っているはず。
それを踏まえて、笑っている。かなり嫌な感じがした。
「深夜ちゃん! 気をつけて! ソイツは君を知っ」
言い終わる前に、深夜は消えていた。さっきまで彼女がいた場所には、木の葉が小さく舞っているだけだった。
……当の本人は。
「……チッ」
「チッチッチッ、その速度、追いつけるんだなぁこれが!」
両腕を握られ、動きを封じられていた。刀を掴んでも斬られるか、もしくは武器を捨てて回避されるか、対峙していないナイト・ウォーカーでも分かる、虎も理解していたのだろう。
更に言えば、コチラに向かってくるのなら、バリアを張ろうとも考えた。しかし、バリア展開までの一瞬を掻い潜る速度、張ろうとした直後攻撃されるか、そもそも近付いてこないか、あまり良い賭けとは言えなかった。ならばあえて攻撃させる、自分の手の届く範囲までおびき寄せて、ダメージ覚悟で相手に触れる。
触れてしまえば虎のもの、電撃を流して真っ黒焦げだ。
「まんまと僕の作戦に引っかかったなメスガキ。その澄まし顔を真っ黒な塵に変えてやるからな」
「……嫌だな」
表情を変えず、声色も変えず、彼女は言う。その言葉を聞いて、虎は恍惚の表情を浮かべた。自分を好き勝手に痛めつけた生意気なガキが、命乞いをしている。そのうち助けを求めるかもしれない、自分を痛ぶろうとしていた相手の生殺与奪の権をガッチリ握っている。
なんという優越感。なんと満たされる征服欲。
気持ちは良いが、だからと言って生かす気は無い。無表情が絶望に染まった瞬間、電撃で一気に。
「お前のその能力、本当に嫌だ、私の仲間を……武器みたいに扱いやがって」
どすんっ! と、強い衝撃。今日何回目だろう。いや、何回でも続くんだろう。虎を仕留めるまで、彼女はずっと現れる。
「あぎゃああっ! またか! またお前か! どっから湧いて出るんだ!」
二人の天童に両腕を貫かれ、痛みで深夜を離してしまう。解放された深夜は、息つく間もなく高速で虎に斬りかかった。
何度も、何度も何度も、何度でも。
「鬱陶しい! マジでうざい! 死ねっ! 死ねっ! 全員死ねぇっ!」
両腕を振り回し、電撃を放つ。偶然に一発だけ深夜へ直撃コースだったが、残念ながら当たる事は無かった。いや、正確には、狙い通り当たる事は無かった。
「……おいウサギ、それマジでやめろ」
拳が深夜に届く直前、天童が立ちはだかり代わりに粉々に砕けてしまった。
「ご、ごめん、でも今はこうするしか無い」
「……調べるまでもなく……お前もきっちり化け物だよ」
諦めたように呟いて、深夜はゆらりと揺れる。
「……ぐるぅ! これ、まずいっ」
先程と同じ対処を試みるが、敢えなく失敗に終わる。今もなお増殖し続ける天童の猛攻が止まらない。頭を砕いても胴を千切っても、また別の彼女が槍を持って突っ込んでくる。5秒ほどで槍ごと消えるが、それでも、トドメを刺されるには十分過ぎる時間だった。
両腕を縫う様に串刺しにされてるから掴む事が出来ない。足を地面に打ち付けられているから逃げる事もままならない。おまけに胸を貫かれているから呼吸が出来ない。硬直し、力めないから電撃が上手く使えない。
呼吸が出来ないという事は、声も出さないという事で、恨み言を吐く事も出来ない。
全ての行動を封じられた彼に、容赦無く、死期の風が吹いた。
ふぅっと小さな風が吹き、虎の前から深夜が消える。振り向く事は出来ないが、きっと背後にいる。
というか、そんな事もうどうでもいい事だった。
「ゴブッ! ガボボッ!」
首と胸に今までで一番深い斬撃が刻まれ、鮮血が噴き出し、壊れた機械の様に小さな火花がパチパチと溢れていた。そのままバタリと仰向けに倒れ、虎は動かない。
「……流石に、あの猛攻には耐えられなかったか」
「次はお前がああなる番だけど」
そう言って、深夜は刀を向けてくる。
「……分かってもらえないのも無理はないけど……ちょっとで良いから話を聞いてほしい。私は敵じゃない」
「命乞いとか意味無いよ、もうお前に用はないもん。みんなお前を調べたがるけど……結局化け物は化け物だ、人の心なんてカケラも持ち合わせてない……現に」
深夜はチラリとナイト・ウォーカーが持っている槍見て言う。
「……仲間の形見を変に改造して、かと思えばそっくりそのまま命の無い分身を作り出して、それを捨て駒みたいに使って……人が死ぬ事をなんとも思ってないんでしょ」
「そんなことないっ! 確かに……自分でも酷い力だとは思ったよ……でも、それでも使ったのは、貴女に死んでほしく無かったからだ! 私は、何より誰かが目の前で死ぬのが嫌なの!」
「だったら、なんで天童さんが死んでる? その時に力を使えばよかったでしょ。最初から天童さんを利用する為に見殺しにしたんだ」
「違う……違うよ、私は」
「御託はもう良い、つか、そもそも会話する意味が無い。怪異は殺す、絶対に殺す、全部殺す、お前も殺す」
「……う、ぐぅう……!」
話が通じない、というか、会話の意思すら感じられない。最初から怪異の言葉を否定して、そもそも聞かない様にしているんだ。言葉も気持ちも、絶対的な拒絶の前ではなんの力もない。
言葉が通じない、それならもう、力で分からせるしか無くなる。
最悪だ、たまらなく嫌だ。何度も戦ったけれど、傷付くのも嫌だが、傷つける感覚はもっと嫌だ。これっぽちも好きになれない。本当は虎の悲鳴だって聞きたくなかった。
こうなる事は予想していたはずなのに、やっぱり心のどこかで都合の良い事を期待していたのだろう。共通の敵と戦えば、きっと信じてくれると。命の奪い合いなんかにならないと。
改めて実感する。自分は、化け物側の存在なのだと。
渋々槍を構える。このままみすみす殺されるわけにもいかない。親友と生きていかなければならないのだから。
「ゲボッ! ガハッ! ゴホッ!」
二人の武器が向かい合ったその時、息絶えたはずの虎が吐血し、大きく咳き込んだ。バラバラと、ボロボロと、虎の巨体が崩れて、中からつぐみが現れる。
涙と血でぐちゃぐちゃになって、体なんか穴だらけだというのに、彼は意識をはっきり持って生きていた。
「あぁあああぁぁあああなんでぇえええ! なんでなんでなんでぇええええええ! 体がぁ、急に動かなくなってさぁ! こんなのおかしいでしょお! どうやったらどうなったら……今僕がこんな目にあう展開になるんだよぢくじょおおおおお!」
起き上がろうとしているようだが、結局頭を少し上げる事しか出来ず、ひたすら己の惨状を悲観し、喚くだけしか出来なかった。
しかし、それだけで、ナイト・ウォーカーと深夜琴音を驚愕させるには十分だった。
「嘘でしょ……まだ生きてるの!?」
「流石にここまで死なない怪異は初めてだ……」
驚愕しながらも、しかし、深夜の行動は早かった。ウサギに向けていた刃を虎に移し、スタスタとトドメを刺しに行く。
「……あ、待って!」
ナイト・ウォーカーは叫ぶが、そんな言葉を聞き入れるはずもなく、完全に無視して深夜は歩みを止めなかった。
つぐみは悪人だ、殺されても仕方ない。それでも、彼に会いたい人がいる。せめて彼女には一目会わせてあげたい。こんな状態のつぐみを見ても辛いだけかもしれないけれど、それでも、このまま行方不明扱いとかになって待ち続けるよりずっとマシなはずだ。
「……し、死ぬわけにはいかないんだぁ! せっかくトラ子がくれた命なのにぃ……! こんなことで! こんなとこで! くそぉ! くそぉおお!」
喚くつぐみ。必死に深夜から遠ざかろうとするが、体が動かずウネウネと芋虫のようになるだけだった。
「もう……さっきので死んでろよめんどくさいな。私は私で結構忙しいんだから」
「深夜ちゃん! お願い待って!」
必死に止めようとする彼女の前に、狐が現れた。狐の面をつけた奇妙な人物が、ポンッと、なんの前触れもなく、突然現れた。勢い余ってぶつかってしまうが、特に反応は無い。
「……あ、ごめんなさい……えと」
「コイツら……まだいたのか」
見ると、深夜の前にも複数の狐面が立っている。彼らは何をするわけでもなく、ただ行手を阻んでいた。
……何の為に。
「おぃーっす」
そう言って、つぐみの前にも狐面が現れた。しかし、ナイト・ウォーカーや深夜を阻んでいる輩とは少し、いや、かなり雰囲気が違う。同じような姿をしているはずなのに、何か、圧倒的なものを感じる。
「え……誰だ……アンタは」
「見ての通り、狐さんだ」
そう言って、狐面はつぐみを抱えて持ち上げる。
「は? ちょっ、なにすん」
「いや、このままじゃ殺されるなーって、もったいないなーって、磨けば輝く原石だなーって思って」
つぐみを抱えた狐面が「帰るよ」と言うと、立ち塞がっていた狐面達もその後に続く。しかし、すんなり帰らせるわけもない。
深夜の刀が最後尾の狐面の首を落とした。
「おいおいおい、おいおいおいおいおいおい、待てコラ、お前も怪異だろ? その虎置いてついでにお前の命も置いてけ」
「うわこっわ、急に殺すとか情緒どうなってんの。あとコレはあげんよ、元々俺ンだし、つかどうせ殺すだけでしょ?」
「当たり前だろ、怪異は殺す、全部……つかお前のってどういう」
「今じゃなくてよくない? 俺この後色々したい事あんのよ、新しいゲームも買ったし、アニメ観てハマった漫画も全巻まとめ買いしたからそれも読みたいし」
狐面は「じゃあね」と手をヒラヒラさせながら去っていく。完全に相手にしていないようだった。しかし、そんな事深夜には関係ないようで、既にゆらゆらと揺れている。
「ナメてくれちゃってさぁ……漫画もゲームも人間が楽しむ為のものだから、お前ら化け物が触れていいもんじゃあないんだよぉ」
今夜何度目かの死期の風。狐面の後に続いていた狐面達の首を次々に落としていき、その勢いで
「あーっ! 俺の部下がめっちゃ死んだ!」
その勢いで、つぐみと狐面の首を落とす事は無かった。というか、出来なかった。刀と腕を掴まれて止められたから。
「……丈夫な尻尾……邪魔だなぁ」
深夜の腕と刀が、狐面の腰から伸びる尻尾に巻きつかれ動けなくなっていた。獣、犬とか、それこそ狐のようなふわっと、モフッとした尻尾が、合計で九本、彼の腰から伸びている。
「九尾の……狐? いっ……! 痛いっ……!」
それを見た、その瞬間。激しい頭痛に襲われて、ナイト・ウォーカーはその場に蹲ってしまう。頭の中から何かが突き破ってくるような、息苦しくなってしまうほどの痛み。
八夜だけではない、その中にいるアサも同じように苦しんでいるらしかった。
「お前……流石に何もしてない奴をいっぱい殺すのはどうかと思うぜ? 一寸の蟹も……魂百までとか言うだろ? とにかく、命は大事にしようぜ」
「怪異が綺麗事並べるな、その虎は何の罪もない人を大勢殺してる、そんな奴を庇ってるんだから同罪だよ」
「いやいや、その殺されたのだって、どっちが悪いか分かんないじゃん? 殺されても仕方ない事したんかもよ?」
はい、終わり。そう言って、狐面もとい、九尾の狐はヒラっと手で深夜を払う。たったそれだけの事だ、頭が痛んでよく見ていなかったが、他に特別な事をした様子もない。
なのに、一瞬で深夜がその場から消えてしまった。まるで映像をカットされたかのように、跡形もなく消えてしまった。
「また今度また今度、事を急いでバタバタしても楽しくないからな。お前も、もう帰りな、コイツは俺が持って帰るから、また今度遊んでやって」
九尾狐はそのまま手を振って歩き去っていく。
「ま……待て!」
彼に追いつこうとするが、しかし、頭痛が一向に引かず、それどころか追おうとすると頭が激しくなり、ついには変身まで解けてしまった。
『ヨル! 一旦ここは退こう、何をどうするにしたって部が悪すぎる……特にアイツは……』
「アサ……さっきの狐の事何か……あぐううっ!」
『話は後だよ、サムライガールの仲間達が集まってくる前に、はやく!』
色んな思いが込み上げてくる。結局何一つ成し遂げられなかった。一緒に戦ってくれた人は死に、助けを求めていた少女の願いは叶えられず、逃げ帰るのが精一杯。
ただただ無様に負けただけ。
「こんな……こんな事じゃ……」
狐の姿はもう見えない。彼がいた場所には、闇が広がっているだけだった。その闇を悔しそうに睨みつけて、八夜もその場を後にした。
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竹林からあっという間に移動して、どこかの廃墟のような場所に辿り着いた。
「ぽーいっ!」
辿り着くなり狐に乱暴に放り投げられ、硬い地面に叩きつけられたつぐみは小さく呻く。全身が痛むし、傷だって塞がっていないのに乱暴に扱われたのだから当たり前だろう。
「あれぇ? まだ治ってねぇの? 遅くない? てか、本当はそんなに傷つかないんだぞ、完全体なんだから、もっとこう、サクッとやれるはずなんよ」
「何のこと言ってんのか分かんないよ……僕は一体……どうなって……このまま……死ぬんじゃ」
「おう、死ぬ、だからほら……アレ」
狐が指差す先、そこには目隠しされた少女が横たわっていた。小さく震えている様子から、まだ生きているらしい。
「アレ……なに」
「見てみたら? 会いたがってたぞ」
狐に促されるまま、つぐみは体の痛みに堪えながら少女に近付き、その目隠しを外した。そして、その顔を見て驚愕する。
「りょ……良子?」
「つぐみ……つぐみなの? なんで……それより、あんた酷い怪我してる……!」
酷い怪我、確かにそうだ、体中穴だらけの斬り傷だらけ、この傷でよくもまあ動けるものだと、改めて異常さを実感する。
いやそれよりも、と、つぐみは目の前の少女に困惑する。
何だよ、その目。なんでそんな心配そうな面してんだよ、どの面下げて、そんな目で僕を見てる。足を怪我した時は、呆れたような、何故か困ったような目を、部員や家族と一緒になって向けてたくせに、化け物になって、こんな傷だらけになって、ようやく人並みの扱いって事か?
「つぐみ……ごめん、ごめんね……私、あんたを一人にした……」
「……は?」
自覚あったのかよ、コイツ。
「つぐみが一番辛い時に、信じるなんて綺麗な言葉に甘えて、ほったらかしにして……つぐみがどんなに厳しい環境で、苦しんでたかも知らないで……ごめん、ごめんなさい」
「……あ、ああ、うん、痛かったし、辛かった」
何言ってんだコイツ。そんなこと、分かってたんじゃないのか? 分かった上で、捨てたんだろ? そうじゃなきゃ、それはつまり、僕の事なんかはなっから興味無かったって事になるじゃないか? 考えようともしなかったんだろ? なんだ、なんなんだよ、今更、どうしろってんだ、どうしようってんだ、こんな事になって、こんな目に遭って、人間ですらなくなって、もう、後戻りできなくなって、何もかも手遅れになった今、よりによって今になって、ごめんなさいだと。
ズキリと痛む。傷口のような気もしたし、別の、もっと奥深くの痛みのようにも思た。
「痛かったよね、辛かったよね……ごめんね、私、ずっと後悔してて……だから私決めたんだ、つぐみがどんなになっても、もう一人にしないって、ずっと、私がずっと側にいるから!」
「……そばに、いる。僕と一緒にいてくれるの?」
「……うん、だから、元の優しかったつぐみに戻って、心まで怪物にならないで」
「元の、僕」
ズキリと、痛む。
傷口かもしれないし、奥深く、いや、傷口だ。刀で斬られたところだ。かなり奥深くまで斬られた、だからこんなに奥の方が痛む。
元に戻る。そこが妙に引っ掛かるのも傷口のせい。痛くて、体だけじゃない、精神的にも参っているんだ。
その、元の自分を、お前らは見てくれなかったんだろうが。イライラ、ムカムカ、怒りが沸々と湧いてくるのも、きっときっと傷のせい。斬られた上に刺されたんだぞ、そりゃ、痛むし弱るに決まってる。
ずっと一緒にいる。こっちから願い下げだね、お前なんかに、何が出来る。トラ子はずっとそばにいてくれて、最後まで一緒にいてくれて。そんなトラ子に、僕は何もしてあげられなくて、せっかく貰った命を、危うく捨てかけた。一度ならず二度までも、命を無くしかけた。両方とも、トラ子に与えられた命だ、トラ子に救われた心だ、断じてお前じゃない。
傷が痛む。奥が痛む。このままじゃ死ぬ、死んでしまう。トラ子も斬られていた、こんなに痛かったんだ、僕はあの子の力を利用して、与えられた力の上でふんぞり返ってただけで、何の役にもたっていない。
まだ、死ねない。
元に戻ってほしい。
「お断りだね」
「え」
つぐみは良子の首を掴み、ぐいっと持ち上げた。
「今の僕は、虎だ。大事な人が救ってくれた命と心で生まれ変わった僕だ! 元に戻るなんて、お前らの都合の良い当て石になるなんてまっぴらごめんだね!」
「つ……! つぐ……! わたしは……!」
苦しそうに踠きながら、何か言おうとしているが、別に聞く意味もないだろう。どうせ都合の良いペラッペラの戯言しか吐かないのだろうから。
それより、ちゃんと役に立ってもらおう。
「お前、僕のそばにいるって言ったよな? ずっと一緒にいてくれるって」
その言葉に、良子は小さく、何度も頷いた。その姿を見て、つぐみはとても安心した。
本人からの許可を得たのだ、何も躊躇う事はない。
「じゃあ、僕の傷、治すの手伝ってよ」
ニヤリと笑い、そして小さく「『雷光』」と呟いた。コンディション最悪のせいか、派手な閃光は起こらなかったが、パチパチと弾けるような音を立てながら、つぐみの体は虎へと変身した。
「……! むぐっ! んんんんんんっ!」
巨大化した手に、首だけでなく口まで押さえられ、良子はもう、何も喋れなくなってしまった。しかし、目の前で起こっている事、そして、自分がこれからどうなるのかを悟り、必死にバタバタと抵抗した。
怪異宿しのナイト・ウォーカーや、超人レベルで武器を使いこなす戦士の深夜琴音でさえ倒せなかった虎を、たった一人の非力な少女に何とかできるわけも無かった。
声にならない悲鳴をあげ、涙を溢れさせながら、彼女が最後に聞いた言葉は、幼馴染の嬉しそうな声だった。
「いただきまぁすっ!」
頭蓋骨を噛み砕き、溢れでる脳をたっぷり口に含んで、ゆっくりと咀嚼して飲み込む。信じられない多幸感に包まれながら、やっと彼は幼馴染に感謝した。腕、胴体、足、余す所なく食べ尽くし、食べ終わる頃には、傷は完全に塞がっていた。
「いえーいっ! 完全復活だな!」
「アンタが連れてきてくれたんだよな、ありがとう、おかげで助かった」
「言ったっしょ。ここで死ぬのは勿体無いって、お礼なら、俺の仲間になってくれ」
狐はそう言って、手を差し出した。どうやら握手を求めているようだ。
「……仲間。アンタの目的どころか、正体も分からないのに?」
「んだよノリ悪いな、せっかくヒト喰わせて回復手伝ってやったのに」
仮面の奥で頬を膨らませ、おそらくは唇を尖らせながら狐は言う。
「……分かったよ、確かに命の恩人だし、もう他に行くところも無いし」
ため息を吐いて、つぐみはその手を握り返す。
「僕は竹水……いや、つぐみだ、うん、つぐみでいい、アンタは?」
「え、俺の名前とかそんな重要? ってか、もう見たまんまだけど、さっき鎧ウサギも言ってたし」
狐は、九本の尻尾をふりふりさせながら、胸に手を当てて言った。
「俺は……九尾狐だ。俺の目的はただひとつ、みんなが仲良く暮らせる平和な世界を作る事さ!」
「うっそくせぇ……!」
月の光に照らされながら、手を取り合う狐と虎。
得体の知れない闇が、動き出そうとしていた。




