圧倒的で驚異的
すぐに決着がつくと、心のどこかで思っていた。戦闘に関してド素人だが、自身の『怪異と人を切り離す能力』さえあれば何とかなると。怒りに身を任せ、冷静では無かった、それでも、いや、だからこそ、うっすらとそう思っていた。思ってしまった。
勿論、そんなに甘い話などあるわけもなく、現実とは非情なもので、あろう事か状況は予想を遥かに上回る最悪へと向かおうとしていた。
ぶつかり合う拳を先に砕いたのはつぐみの方だった。ぶつけてそのまま振り抜いた、本人にとってはその程度の感覚だった。しかし、砕かれた八夜は何が起こったか理解出来ないまま後方に突き飛ばされ、塀に激突する。ここで厄介なのが、怪異宿しは頑丈である事、つまり、通常なら死んでいてもおかしくない勢いで叩きつけられても無事、なんなら、意識もはっきり保てているほど頑丈だ。
それが仇になった。いっそ気でも失う事が出来たなら、まだ楽だったかもしれない。
「いっぎゃああああああぃいいいいいいいいいいいあああああああああああああッ!」
絶叫しながら八夜は右腕を押さえる。押さえたところでどうにもならないが、他にやる事も無い。叫ぶ事と、自分の腕から乱雑に飛び出た骨を押し戻そうとする事ぐらいしかやる事は無い。
ガチガチと奥歯が鳴る。痛みで震えているのか痙攣しているのか分からない。ただ痛い。ものすごく痛い。目の前で二人も殺された、その怒りすら今は吹き飛んでしまった。まるで爆弾でも握ってしまったのかと思うくらい、拳は粉々になり、腕は破裂した。どういう折れ方をしたのか分からないが、右腕のあちこちから鋭く尖った白い骨が突き出ている。鎧のように硬く変化しているはずの腕を突き破っている。
立ちあがろうと思うが、すぐに痛みが思考を止め、行動を勝手に決める。腕を押さえて蹲る、ただそれだけしか出来なくなる。つぐみの方を見る事さえ出来なくなる。
この状況で、敵の動きを見れなくなるのは、致命的だと気付いた時には遅かった。
「お゛ぇっ!」
蹲り、さっきまで全身が触れていたはずの地面が突如として消える。代わりに感じる激しい鈍痛。内臓が全て掴まれて、握り潰されてるんじゃ無いかと思うほどの衝撃。そして触れるものがどこにも無いこの浮遊感。
どうやら蹴り上げられたらしい。元々痩せ型で、50キロにも満たないほど軽い方だが、しかし今は変身していて、体重は倍近くなっているはずだ。なのに、こんなにも軽々と、だいたい3メートルぐらいだろうか? 蹴り上げられた。
重力に抵抗する事など出来るはずも無く、浮かび上がった体はそのまま地面に向かっていく。一瞬で叩きつけられるだろう、そう思ったのも束の間、地面に到着するよりも先に顔面に凄まじい衝撃が走った。
落下に合わせて、顔面を蹴られたのだ。もはや声すらまともに出ない。再び塀に叩きつけられ、今度こそ地面に突っ伏し、動けなくなってしまう。
「よ……よわぁ〜!?」
倒れたまま動かないナイト•ウォーカーに、つぐみは驚きを隠せなかった。怒りに任せて拳で突いたが、まさか一方的に砕けるとは思わなかった。その後は戸惑いながらも隙だらけだったので、とりあえず攻撃したが、まさか全て命中するなんて思わなかった。
打ち合うと思ったし、受け身を取られて反撃に出られると覚悟していた、戦いってそういうものだと思っていた。
こんな風に蹂躙できて、もうすぐトドメをさせるところまで来るなんて、簡単すぎて、呆気なさすぎて、怒りもどこかに吹っ飛んで、驚くほど冷静になってしまった。
こんなに弱くなかったはずなのに、コイツの一撃で、一度は引き剥がされたのに、突然弱くなった。
「いや……僕が強くなったのか……?」
つぐみは自分の両手を見つめる。人間の時より3倍は大きくなったであろう手に、太く鋭い爪。全身を荒々しい体毛が覆っていて、なんなら尻尾が生えている。
冷静になって、ようやく気付く。自分が人間の姿をしていない事に。
しかし、恐怖なんてこれっぽっちも無かった。この姿も、この力も、怖くない、一番信用できるものだから。
「すごいね! トラ子! これ……ああ、そうだった」
冷静になって、思い出す。自分を心の闇から救ってくれた友は、もういない事を。全てを自分に託し、消えてしまった事を。その原因を作ったのが、喰い千切ってやった女と、目の前に転がるウサギの化け物だという事を。
「そうだ、そうだそうだ。僕ムカついてたんだ、お前に。よくも僕の友達を死なせたな……トラ子はすごく良い子だったのに……何も悪い事なんかしてないのに!」
あれだけ人を殺しておいてよく言う。そう思ったが、声には出せなかった。呼吸がまともに出来ないのでそれどころでは無い。まずは立ち上がらないといけない。このままじゃ遅かれ早かれ殺される。
塀にもたれながら、ヨロヨロとなんとか立ちあがろうとするナイト•ウォーカーを見て、つぐみは低く唸る。
「ガルルル……そうだ、まだ死ぬな、立ち上がれよ、別に励ましてるわけじゃないからな? トラ子が受けた痛みはこんなもんじゃない……女の方があっという間に死にやがるから……とりあえずお前を徹底的に痛めつけて苦しめて後悔させて、トラ子の仇を取ってやる……!」
歯を食いしばり、憎悪を向けてくるつぐみに、ナイト•ウォーカーは怒りよりも、困惑を覚えた。
「な……なんで」
「ああっ!? この期に及んでなんでだと! お前、お前お前お前ぇっ! 自分が何をしたか分かってないのか! 悪い事をしたっていう自覚がないのかっ!」
「そ、その気持ちがあるなら……失う苦しみが分かるなら……! なんで! こんなにいっぱい人を殺したの!」
「ああん?」
つぐみは首を傾げて、めんどくさそうに辺りを見る。上半身と下半身で分かれて転がってる首の無い女の死体と、もはや人の形を保ってない粉々になった黒い物体、ポテトチップスの袋みたいにバリッと破かれた男の死体、と、もう一つコゲコゲの死体。
それらをしばらく眺めてから、俯いて、大きなため息を一つこぼしてからつぐみは言う。心底めんどくさそうに言う。
「あー……お前アレか、あのー……アレ、死刑囚にも人権をー! って言うタイプのヤツか……マジかー……だっるいな」
頭を掻きながら「ぐるるぅ」と唸ってつぐみは続ける。
「あー……あのな? 僕が言ってんのは、なんの罪もない人を傷つけて死に追いやった事に対して怒ってんの、分かる?」
「……そ、そっちだって」
「えー! もうわっかんないかなぁ!? お前含めて僕が成敗した奴らは僕とトラ子を傷つけた悪い奴なの! で、僕らは傷つけられた、いわば被害者なわけ! 死んで当然の加害者と! 理不尽に傷つけられた被害者の命を同列に語るとか……おかしいでしょ? どう考えても!」
「……は?」
いや、言ってる事は分かる。残念、というか、自分でも嫌になるが、理屈は分かった。分かってしまった。ちゃんと理解した上で、これっぽっちも納得出来なかった。つまり、ようするに、目の前で牙を向けてくるこの虎は、あろうことか、自分は悪くなくて、あくまでも悪い奴を倒しただけだと本気でそう思っているのだ。
怒り、が、何故か湧いてこない。代わりに溢れてくるのは、困惑だった。なんで、そんな、無茶苦茶な理屈がまかり通ると思ってるのか、とか、自らが作り出したその惨状のどこに正義があるのかとか、いや、そもそも殺し自体良くない事であって。
「あーっ! お前! よく見たら傷治ってんじゃん!」
「え……何言って……あ、ああっ!?」
言われて初めて自分の変化に気付く。完治不能と思うほど完膚なきまでに破壊されていた右腕が、綺麗に治っているのだ。それだけではない、顔も腹も、いつの間にか痛みが消えている。以前から回復力には長けていたが、ここまで瞬時に完治する事なんて無かった。
この間の力の暴走といい、何か変だ。しかし、今は助かった。
「まだ……戦える」
そう言って、ナイト•ウォーカーは両の拳を強く握る。
「会話を長引かせて回復する隙を作ってたのか……まぁいいや、つまり気が済むまでボコれるって事だもんねぇ、ねぇ?」
つぐみはニヤリと口を歪ませて、大きな舌舐めずりをする。
残念ながら、つぐみの言う事は正しかった。傷が治ったところで、戦力差が埋まったわけではない。シンプルに力負けした、そして、恐らくだが、相手はまだ本気を出していない。
圧倒的で驚異的な戦力差。何度回復したってそれは変わらない。ただ一方的に嬲り殺しにされるだけだろう。一旦退いて、よく作戦を練った方が良い。
問題は、良い逃げ場が見当たらないという事だ。
ぐるりと高い塀で囲まれた竹水家。この塀を飛び越える事は容易い、が、空中では回避が難しい。近接攻撃ならまだしも、局員の一人を黒焦げにして粉々にしたあの電気弾を放たれれば、直撃を免れたとしても再び攻撃の隙を与えるだけだろう。
(そもそも住宅街に逃げ込みたくない……彼の電撃は危険すぎる……となると……あっちか)
向かいの塀の向こうに見える竹林。あそこに入れば、上手く隠れながら攻撃に転じる事が出来るかもしれない。もっとも、目の前に立ちはだかる虎を突破できればの話ではあるが。
虎から距離を取るために、虎の攻撃を掻い潜らなければならないのは、本末転倒な気がする。というか、そのものだろう。そんな事が出来るなら、もっと他にいい案がある気もする。
しかし、代案に思考を巡らせる余裕は、もう無かった。
「何考えたって無駄だよォ!」
一瞬でつぐみが目の前に迫り、剛腕を振るう。たった一度瞬きをしたその瞬間に、距離を詰められた。
「ぅうあっ!」
ナイト•ウォーカーは咄嗟に盾を展開し、直撃を防ぐ。あの拳とは打ち合ってはならないと、記憶に残る痛みが教えてくれる。
「なにそれー!? 盾なんか出せんの!? ズルいズルい! こっちは手ぶらなのにさぁ!」
さらに力を込め、連続して拳を叩き込まれる。牛の使った強化弾を防いだ時、いや、それ以上の衝撃で、ズンズンと体が後退し、沈んでいく。
「お……もっ! でも!」
牛の時と違うのは、相手が直接攻撃してくれている事だ。威力は上でも、本体がコチラの間合いに入ってくれていれば、反撃の幅が広がる。
「モード……ニードル!」
ナイト•ウォーカーが叫ぶと同時に、盾の表面から無数の針が突き出し、一斉に発射された。狙いが定まっているわけではないが、無数の針が拡散されたのだ、当たらないわけがない。
「いてっ! あいてっ! うわあっ! チクチクするぅ!」
しかし、つぐみは小蠅を払うように嫌がるだけで、ダメージは全く無いようだった。この針にも、人と怪異を分離する能力は備わっているはずなのだが、揺れる様子は全く無い。
(そもそも砕かれたけど、最初に拳をぶつけ合った時も、虎が剥がれる様子が無かった……いや、考えるのはあと!)
瞬時に盾を剣へと変形させ、跳び上がり、つぐみの顔、というより、目を狙って斬りつける。横の大振り、当たり前だが針を払っていた手でそのまま払い除けられる。
しかし、それこそナイト•ウォーカーの狙いだった。
「あっ!」
払い除けられたその勢いで、ナイト•ウォーカーはつぐみの背後に移る。そのまま剣を鎧の内に戻し、目の前に見える竹林の中に飛び込んだ。
「あーっ! このウサギ野郎ッ! 僕の防御を利用しやがって……しかもあの竹林……僕とトラ子の思い出の場所……そんな場所で殺し合うってか……思い出の場所なのに……穢すってかぁ!」
地団駄を踏みながら、つぐみは声を荒げる。全身の体毛が逆立ち、バチバチと弾ける音が鳴った。憎悪が膨れ上がるたび、内に秘める電気の力も上がっていく、そんな感覚を覚えた。
しかし、その事について深く考える余裕は、今のつぐみには無かった。
頭の中は、殺意でいっぱいだから。
「むっかつくぅ……ウサギがさぁ……! 虎に勝てるわけないだろぉっ!」
獲物を追って、虎が竹林へと消えた。
竹林に飛び込む二体の怪異、その様子を遠く離れたビルの屋上から見つめる男がいた。狐面を被り、白装束を身に纏った異様な雰囲気のその男は、うんうんと小さく頷きながら「いいな」と呟いた。
「そういう展開になるのか。だったらちょっと計画変えた方がいいかもしれんね。つかアイツ欲しいな……まぁ、どちらにせよ、もうしばらく観察だなぁ」
狐面の男は、仮面の奥でクックッと笑っていた。




