完全体
昔はどんな相手にも挑んでいた、気がする。
昔は、自分に勝てる相手など、ほんのひと握りしかいなかった気がする。
昔は、死ぬ事など、ましてや傷を負うだけの事なんて、何も怖くなかった気がする。
昔は、自分の事さえ良ければ、後はどうでもよかった気がする。
全て不確定な、遠い遠い昔の話。その時の自分が何を思っていたかすら思い出せないほど、自分は自分でいすぎたらしい。
二人、援護も含めて三人の戦士を相手にしながら、虎は何故かそんな事を考えていた。戦いには集中出来ている、拳を打ち、蹴りを上げ、牙を剥いて、電撃を放つ。敵は攻撃を避けながら、こちらに攻撃をしかけてくる。勿論黙って受けてやるつもりもないので、虎も避け、攻撃を繰り出す。
この繰り返し、相手が増えようが減ろうが変わらない、戦いとはそういうものだった。
だが、なんだろう、昔はもっと、何か熱く、何か楽しかった気がする。この戦いで死ねるのならそれも悪くないと思えるような、心がワクワクするようなものだった気がする。
分からない、何故に今自分はこんなにも、生きる事に執着しているのだろう。何故、ここで死ぬわけにはいかないと、必死になっているのだろう。
強い相手なんかと戦わない。あの言葉だって、嘘ではないが、自分の主義では無い気がする。
『ぐるるっ』
回転刃と化した槍が虎の足を斬り裂いた。そういえばこの武器は、蛇みたいにグネグネと動くんだったと今更思い出す。
両足を斬られ、たまらずガクンッと膝をついてしまう。その間も決して攻撃は止む事なく、今度は強力な蹴りが顔面に打ち込まれた。咄嗟に両腕を上げてガードするが、今度はその腕を斬られてしまう。
(再生が出来ん……鬱陶しい石の毒か……これは……マズいぞ)
多勢に無勢、圧倒的に不利な状況での戦い、とは言えないはずだった。この程度の修羅場など、昔は、何度も。
(衰え……か。感覚が鈍ったのもそれが原因か)
気持ちはいつまでも若いまま、なんて、まさか自分が使う事になるとは思わなかった。
気付かなかった、そんな風にいつの間にか老いを感じるほど、自分は長く自分でいすぎた。途方もない時間を、自分のままで過ごしすぎた。
ウサギの拳がガラ空きの胴に直撃する。押し出されるような、無理矢理突き飛ばされるような、不気味な感覚が全身に走り、つぐみとの繋がりが無理矢理引き剥がされそうになる。
(コイツのこの力はなんなのだ……前回戦った時と姿も能力もまるで別人だ……しかし、同じヤツだということは分かる……コイツまさか)
つぐみの体からズルリと押し出されたその瞬間、喉を素早く槍が斬り裂く。つぐみの肉体という殻無しのダイレクトアタック、今までとは比べ物にならない大ダメージだった。
『ぐおおぉ……!』
一瞬意識が飛びそうになるが、辛うじて再びつぐみの中に避難する事に成功する。しかし、もう限界だった。
(つぐみの肉体を消費すれば、逃げる事ぐらいは出来るか……しかし……その後はどうする、俺は死ぬ……その後つぐみはどうなる……んん?)
虎は、自分が妙な事を考えている事に気付いた。
(なんだ? 俺は今……心配したのか? たかだか俺の器……入れ物にすぎないつぐみを……何故だ)
ここで、大人しくウサギの攻撃を受け入れて、つぐみから出て、あの槍に狩られてしまえば、もしかしたらつぐみは助かるかもしれない。今の人間達がどういう基準を持っているかは詳しく知らないが、乗っ取られていただけの被害者と見てくれるならば、厳しい罪には問われないかもしれない。
だが、本当にそれでいいのだろうか。家族も、他の人間も沢山殺してしまった少年が、元の生活に戻れるのだろうか。そもそも、つぐみ自身がそれを望んでいるのだろうか。
(何故俺は、さっきからこんな事ばかり……)
立ち上がりきらないうちに、再びウサギの拳が顔面に直撃する。
もう限界だった。虎とつぐみは完全に分離し、お互い吹っ飛んで地面に突っ伏した。
「がはっ! ハァ……ハァ……なに、なんで……トラ子!」
つぐみは自分の隣でぐったりと倒れ、静かに消滅しようとしている虎に駆け寄った。
「トラ子! トラ子しっかりしてよ! なんで、逃げなかったんだよ……! なんとなく、分かってたんだよ! 僕の体をもっと使っちゃえば、ここから逃げる事ぐらいできるって! なのに……」
『……さぁな、俺にも分からん』
虎は呆れたように乾いた笑みを浮かべる。本当に、なんでこんな事になっているんだと、むしろ笑いが込み上げてくる。
「い、今からでも遅くないよ、僕を食べて、それからすぐに逃げて、別の」
『つぐみ、もういい……もういいんだ……俺は分かってなかった……生き続ける事に、どんな意味があるのか……ただ過ごすだけでは、ダメなんだ……もう俺のままじゃダメなんだ』
「トラ子……? 何言って」
「君! その怪物から離れるんだ!」
槍を向け、天童が叫びながらコチラに向かってくる。つぐみは咄嗟に抱きしめるように虎を庇った。
どうせ死ぬなら一緒で良い。この先、もう普通の人生なんて送れるはずがない。トラ子が救ってくれた命なら、トラ子の為に捨てたって構わない。
もう一人で死ぬなんてごめんだ。
『つぐみ』
虎が起き上がり、逆につぐみを庇うように抱えながら、目の前の地面を力いっぱい殴りつけた。軽く地面が盛り上がり、破裂したように土煙が舞う。
急に視界が塞がれて、天童は足を止めざる得なくなる。
『つぐみ……聞いてくれ、時間がない』
「トラ子……どうするの」
『ここから脱出する、俺が不甲斐ないばかりに、お前を危険に晒してしまってすまなかった……お前は、生き残るべきだ』
「ト……トラ子がそう言うなら……いいよ、これからも一緒に」
『一緒には無理だ、俺はお前になって消えてしまう、これからは、お前が虎だ』
「……なに……言ってんの? 意味わかんないよ……逆でしょ、僕がトラ子になるんでしょ? だから、その為にトラ子は僕の身体を欲しがって……」
『そうだったが、そうじゃない。俺は間違っていたんだ……俺がお前になろうとしたのは……義務感のようなものだった。そうするのが自然だと思って、なんとなくそうしようとしてただけだ……でも、それはあまりに無意味だったんだ』
「そ、そんな事ないよ! 僕はトラ子に生きててほしいよ! トラ子がいなきゃ、僕の方こそ無駄死にしてたんだ! トラ子が僕を救ってくれたんだ! 僕よりトラ子の方が生きるべきなんだ! お願いだよ……ねぇ、お願いだから消えるなんて言わないで……いっしょに」
『聞け、つぐみ』
虎は優しくつぐみの頭を撫でて、ぎゅっと抱き寄せた。その姿は、もう虎の姿は保てなくなっており、時々つぐみを困らせた、長身の女性の姿に変わっていた。
『俺は、沢山生きた。自分でも思い出せないぐらい沢山だ。でも……生きただけだった、何か残したわけでもなく、ただ、時間だけを消費しただけだった』
虎は思い出す。思い出せない過去よりも、こんな人間の、自分の胸の中で顔をぐしゃぐしゃにして泣いているちっぽけな小僧と過ごした数日間を思い出す。
『俺には、生きる意味も、死ぬ意味も無かった……つぐみ、お前に会うまではな』
つぐみが嬉しそうに自分に言ってくれた言葉を思い出す。
──トラ子にも幸せになってほしいんだよ、僕を救ってくれた君のためなら、死ねる。
『俺も同じだ、俺を救ってくれたのは、お前なんだ、つぐみ。俺の全てに意味を与えてくれたのはお前だ……お前の為なら、死ねる』
全く、馬鹿げた話だと思う。思い出せないほど生きてきた自分が、考えもしなかった事を、たかが十数年しか生きていない、しかも自ら命を経とうとしていた人間が答えを出し、そして全うしようとしていたのだから。
「いやだぁ……いやだトラ子……いかないで……ひとりにしないで……」
子供のように泣きじゃくるつぐみの頭を虎はよしよしと撫で続ける。
『大丈夫だつぐみ、お前は強い、お前は誰よりも才能に溢れている。お前のおかげで俺は分かったんだ、命は、誰かに繋げる為に使うんだと……化け物の一生に意味を与えたんだ、誰にでも出来る事じゃない、お前はすごいヤツなんだ』
「僕なんて……何も出来ていない……まだ君に……胸を張って恩を返せるような事なんて……なにも」
『つぐみ……お前は……ぐぅっ』
ハードオニキスの毒がまわり、虎の体はどんどん崩壊していく。その前にと、虎はさらに強くつぐみを抱きしめた。強く強く、めり込んでしまうのでは無いかと思うほど強く、たった数日で受けた大きな恩を返す為に。
もう、長く言葉を交わす時間は無い。
『つぐみ、お前に出会えて本当に良かった……俺はお前に出会う為に今日まで生きて来たのかもしれん』
「トラ子……僕だって……僕だってトラ子に会えて良かった……」
『つぐみ、俺の最後の願いだ。俺は命を全うできた、だから、今度はお前が生きて、命を全うしてくれ。俺じゃない他の誰かの為に死んでも良いと思える日が来るまで、お前はお前として生きてくれ』
「トラ子……僕ひとりじゃ」
『俺はお前になる、消えるなんて言ってしまったが……俺たちは一つになるという事だ、つまり、俺は今以上にお前と繋がって、もう離れる事は無くなる、言葉は交わせなくなるが、お前さえよければ、いつでも俺を思い出してくれれば良い、俺は必ずそこにいる、お前の中に、ずっといる、ずっと一緒だ』
「……ずっと、いっしょ……一緒に……戦ってくれる?」
つぐみも、虎を抱きしめ返す。寂しさは拭えない、でも、トラ子の覚悟も想いも無駄に出来ない。トラ子の命をここで無碍にする方が、ひとりぼっちになるよりもっと嫌だった。
『ああ、共に戦おう、だからつぐみ』
俺の魂を受け取ってくれ。
激しい光に包まれて、虎の姿が薄く消えていく。しかし、それが霧散しているわけではないと、つぐみは分かった。トラ子の魂が、まるごと自分の中に入っていくのを感じたから。
乾いた弾ける音が連続して鳴り、大きく瞬く光が、徐々に小さくなっていく。光が小さくなっていくと共に、つぐみの中で、自分がもっと大きな自分に変わっていくのを感じた。ひとつだけど、ふたつぶん。ふたつぶんの、大きなひとつ。
身体と魂がひとつになって、完全体へと完成する。
「何が起こってるんだ……あの子は……自分から怪異に……?」
土煙の向こうで何が起こっているのか、天童には分からなかった。竹水家の二階からマシンガンを構えている平岡にも、よく見えていない。
ただひとり、いや、正確にはふたり、この状況を良くないものだと察していた。
「ねぇ……アサ、なにこの感じ……今までに無いっていうか」
(マジかよ……ヨル、ヨル! 私に代わって!)
「え、なんで」
(めちゃくちゃヤバいッ! あの虎、いや、あの陸上ボーイ……完全体になりやがった!)
「……なにか、分からないけど……あの! 天童さん! 離れてください! そいつ……なんかヤバいみたいです!」
「なんで私の名前……言われなくても一旦距離……お゛っ!?」
何か飛んだ。すぐには分からなかった。何か塊だという事は分かったけど、目前にソレが来るまで、何か分からなかった。
ナイト・ウォーカーの目の前に落ちてきたソレは、白いスーツの腕の部分で、中にはまだ入ってて、手、右手、指、五本あった。それぞれの指がピクピク動いてて。まだ動いてるから大丈夫かもなんておもったりして、でも、腕だけがここにあるなんて普通じゃなくて、これ、そもそも、腕? なんで、この腕は。
誰の腕?
「〜〜ッ! 〜〜ッ!! 〜〜ッ! 槍ざ────ッ! しイ゛ッ」
再び飛ぶ。今度は二つ。
一つは左腕、もう一つはその左手が握っていた槍型の武器。
「……あ、て、天童さんっ!」
「天童さん!」
ナイト・ウォーカーと平岡が同時に叫ぶ。二人の視線の先にいる天童には両腕が無かった。スパッと綺麗に、肘から先が消えていた。
「……っ! こ……れ、やば」
ばしゃあっと、およそ流血のものとは思えない音が天童から鳴る。ぐらぐらとふらつき、倒れそうになる彼女を、ガシッと支える者がいた。
いや、支えるなんて綺麗なものじゃない。倒れそうになった天童の首を右手で掴み、ソイツは倒れないように持ち上げた。
「お前……お前だよな……散々トラ子の事斬り刻んでくれたのは……クソ野郎……この死に損ないの生ゴミがぁッ!」
怒声をあげるソイツは、虎の特徴を持っているが、しかし、さっきまで戦っていた虎とは細部の形状が異なっていた。
まず、さっきより大きくなく、むしろ小柄だった。しかしその手は大きく、爪は鋭くなっていた。虎のような特徴を持っていると言ったが、うなじから腰にかけて、そして手首足首などに荒々しく生えた鬣らしきものがあって、ライオンのような印象も受けた。
「……なんだコイツ……天童さんを離せッ!」
平岡は銃口を向け、震える声でそう叫ぶ。
「クソウゼェ、黙ってろザコ」
そう言って虎(ライオン?)は左手を平岡に向ける。
それはあっという間の出来事だった。
一瞬手のひらが光ったかと思えば、光の玉のような物が現れて、それが平岡に向かって猛スピードで放たれた。為すすべもなくその光弾に直撃した平岡は、もはや人間から出る声では無い、凄まじい音を立ててバチバチと弾けて、真っ黒の物体に成り果てて、粉々に崩れ去った。
「お前はあんな楽に殺ろさねぇぞ……折角の美人を台無しにしてやるからな……! 無様に中身を地面にぶち撒けてやるっ!」
「……っ! ……っ!」
天童はもがくが、抵抗する術はない。両腕が無いのだから、どうしようもない。蹴って抵抗も試みたが、力が入らないうえに、掴まれて持ち上げられてしまった。
「……や、やめてっ! やめろぉ!」
ナイト・ウォーカーが叫ぶ。地面を蹴って、間を詰めようとする。
しかし、ヒーローみたいに、間に合う事は無かった。
「────────ッ!」
虎は天童の頭と足を左右に引っ張り、ピンッと伸ばして、まるでポテトチップスの袋を破くように、上半身と下半身を分断させてしまった。
予告通り、天童の中身が地面に撒かれ、虎の顔が血に染まる。
「ざまぁみろ……トラ子を傷つけたバツだ……とりあえず……栄養にもなってもらうけどね」
虎は彼女の下半身を放り捨て、残った上半身から更に頭部を引き千切る。そして、大きく口を開け、頭部を丸ごと放り込み、バキバキと咀嚼して飲み込んでしまった。
「げぇぇええっぷっ! ……あー、なんか脂っこいっていうか、びみょーな風味……トラ子が食べたおっさんの方が美味しかったな」
「……」
最早言葉を失い、立ち尽くすだけのナイト・ウォーカーに、虎は手についた血を舐め取りながら憎悪に満ちた視線を向ける。
「次はお前がこうなる番だ……覚悟しろよ……復讐してやる……絶対に殺してやるからなァ!」
「……ざけるな」
ナイト・ウォーカーは怒りで震える拳を上げて、人生で初めて声を荒げた。
「ふざけるなぁあああああああああああッ!」
「こっちのセリフだぁああああああああッ!」
虎とウサギの拳が再びぶつかり合う。互いの打撃音が、周囲に虚しく響いた。




