辿り着く
部活を終え、手洗い場で顔を洗い、着替える為に部室に向かう。その足取りは軽く、今にも踊り出しそうなぐらい機嫌が良かった。
『つぐみ、嬉しそうだな』
内側から虎が言う。誰もいない部室とは言え、学校で話しかけるのはやめて欲しいと言ったはずなのだが、忘れているのか油断しているのか、構わず虎は続ける。
『傷は治ったが、昨日の事だ、もっと怖がっていると思ったが、今日はずっと嬉しそうだったな』
「トラ子、声デカいよ、誰かに聞かれたら厄介だよ」
『ぐるぅ、周りに他の気配は無い、俺達だけだ』
姿は見えないがきっと不満げな表情を浮かべているのだろう、そんな声色の虎とは裏腹に、つぐみは上機嫌に言う。
「今日の練習、他の連中のマヌケ面見た? 傑作だったでしょ」
突如復帰したかと思えば、怪我する前よりタイムを伸ばすつぐみに、部員達は唖然としていた。称賛も喝采も無い、むしろ不気味がっているほどだった。しかし、それが逆につぐみの心をくすぐった。自分を侮蔑していた彼らが、今や自分を恐れている。まるで化け物でも見るかのように萎縮している。
最高に気持ち良かった。
「あの馬鹿どもさ、ロウがいなくなったらワンチャンあると思ったんだろうね。昨日実力の差見せてやったのに、勘違いしちゃったのかなぁ? あんな雑魚どもとロウとじゃ雲泥の差だっつーのにさ」
もっとも、本当にロウはいなくなってしまったわけだが。もうこの世のどこにもいない。元々実力は自分の方が上だったが、もう誰も、本当に誰も僕には追いつけないだろうと、つぐみは耐えきれずニヤリと笑みをこぼす。
笑いが込み上げてくる、実際に体験するのは初めてかもしれない。胸の奥がうずうずして、自然と口元が歪む。
『本当に嬉しそうだな、自分から死のうとしていたとは思えない』
「ホントだね、なんで僕死のうとしてたのかな? 自分が死ぬぐらいなら、敵を殺せば良かったのに」
着替えが終わり、辺りに誰もいない事を確認してから駆け足で帰路につく。その途中、突然虎がつぐみの中から姿を現し、行手を阻んだ。虎の姿ではなく、前回と同じ人間の女性の様な姿で。
相変わらず全裸である。
「おぉおい! 何やってんのトラ子!」
慌てるつぐみとは裏腹に、虎は怪訝な表情でつぐみを見ていた。
『つぐみ、俺との約束は忘れていないだろうな?』
「え?」
『身体をくれる、そう約束しただろ』
「あー、うん、もちろん。やる事やったら必ずね、トラ子には恩があるから、ちゃんと返すよ」
つぐみがそう言うと、虎はフンとため息を吐いた。
『ぐるぅ……ならいいが、死にたがっていた割には随分と楽しそうだから、身体を渡すのが惜しくなるかと思ったぞ』
「……あー、なるほど、不安にさせちゃったわけか」
『不安とかじゃない、無理矢理取ろうと思えばやれる、俺が言ってるのはそういうことじゃないんだ、お前は』
虎は続けて何か言いかけたが、つぐみは意に介さずヘラっと笑った。
「トラ子のおかげで、死ぬ前にやりたかった事がほとんど出来た。もう自分には何も無くなったと思って、何一つ成し遂げられないって絶望してたんだ」
つぐみは歩けるようになった足を見ながら言う。
「でもそんな絶望から、トラ子は僕を助けてくれたんだ。絶望しながら死ぬんじゃなくて、満たされて消えていく、しかもこの体は君の役に立つ、こんないい事ってないでしょ」
『お前は……満足すると消えても良いと思えるのか? その幸福にしがみついていたいとは思わないのか?』
「一人だったら思ったかもね、でも、僕はトラ子がいなきゃダメだったから、だからトラ子にも幸せになってほしいんだよ、僕を救ってくれた君のためなら、死ねる」
笑って言うつぐみに、虎は理解出来ず唖然とする。当たり前だ、身体を奪おうとする相手の幸せを願う人間など今まで一人もいなかった。
(今まで……一人だって……うん?)
今まで一人も。それはまるで、自分は何度もこういう事を繰り返しているみたいな言い方じゃないか。というか、何故ここまで疑問系ばかりなのだろう、どうして自分の事なのに、こんなにも分からない事が多いのだ。
(俺は……俺はいつから続けているんだ)
「トラ子、どうしたの? とりあえず今日は家に帰ろうよ、約束は近いうちに必ず果たすからさ、今はまだ色々勉強しなきゃでしょ? お箸の持ち方とか、全然ダメだったじゃない」
戻って、とつぐみは手を伸ばす。自分の疑問に釈然としないまま虎はその手を握り、つぐみの内へと戻っていく。
虎が完全に自分の中に入った事を確認してから、つぐみは駆け足で自宅に向かった。
虎に言った事は全て本音だ。満たされて、十分に人生を充実させた。思い残す事は何もないから、もう交代。どんな形であれ、必ず人生に終わりは来る。遅かれ早かれ、順番が回ってくるのだ。
(僕は幸運だ。次があるって分かったなら、代わってあげるための準備が出来る)
少しでもいい人生が送れるように、出来るだけ身の回りは綺麗にしておきたい。
邪魔者は消して、愚か者と決別して、残すところは後ひとつ。
そんな事を考えているうちに、目的地まで辿り着いた。表札に『竹水』と書かれた二階建ての家。
「さて、親孝行しますか」
つぐみはにこやかにそう呟いて、にこやかに玄関を開け、元気に声を上げた。
「たっだいまー!」
しかし、それに対して返事は無く、廊下の奥のリビングからは、入っていないのに分かるほど、暗い雰囲気が漂っていた。
変なの、と思いながら、つぐみは靴を脱いでリビングを覗く。そこには、両親がテーブルに向き合って座っていた。母親は何やら両手で顔を覆ってブルブルと震えている。そんな彼女の肩を抱き、父親が慰めている様子だった。
「なんだ、二人ともいるじゃん。返事ぐらいしてよね」
何食わぬ顔でそう言って、つぐみは冷蔵庫を漁る。そんな彼の様子を見て、母親は更に泣き、父親はつぐみにこちらに来て座るように言った。
「ちょっと待って、練習の後だから喉乾いてんの、なんか飲み物……お水が一番だね」
つぐみは天然水とラベルに書かれたペットボトルを手に取ると、言われた通り席に着く。父は何やら深刻そうな顔をしているが、何かあったのだろうかと、少し不安になってくる。
「つぐみ、昨晩公園で大量の焼死体が見つかった事件は知ってるな」
「知ってるよ、学校の近くだし、めっちゃ警察来てた」
「そうか、それでな……遺体は全て酷い状態だったんだが……身元は全て分かったそうだ……その中にな……ロウだと思われる遺体が見つかったそうだ」
父は搾り出すような声でそう告げた。悔しそうに歯を食いしばって、今にも泣き出しそうだ。なんなら母さっきからずっと泣いている。
「ロウ……そういえば昨日から帰ってないね」
「でも、まだ確定したわけじゃない、DNA鑑定してもらって、それから」
「いや、ロウでしょ、状況的に」
つぐみは呆れたようにそう言って、水を一口飲む。実際呆れていたのだ。
深刻そうに話すものだからどんな重大事件が起きたのかと思えば、なんだ、そんなことか。
「つぐみ……?」
「一緒に死んでた奴らって、近所でも迷惑がられてた不良でしょ? ロウはそんな奴らとつるんでたってことか。なんていうか、自業自得っていうか、人様に迷惑かけてる奴らなんて死んで当然でしょ」
「お前何言ってるんだ」
父は目を泳がせながら、口を震わせてそう言った。母も泣くのをやめ、つぐみを凝視している。
はて? 何か不思議な事を言っただろうか。
「ロウ……だぞ、お前の、弟の」
「そんな名前の奴僕の弟の他にいないってば、それよりさ、僕陸上復帰できたんだよ、これからまたドンドン活躍して、たくさん優勝して、いっぱいトロフィー飾ってあげるからね」
自信たっぷりな笑みを浮かべてつぐみは言う。
「社会のカスと一緒に死んだ恥晒しなんかより、僕の方がずっと優秀だからね、あんな奴いなくなって、僕が二人分の記録を」
突如、顔面に痛みが走った。激痛というほどでもないが、衝撃はまぁまぁあったようで、気付けばつぐみは後方へとひっくり転けていた。
はしゃぎすぎて転倒したか。いや、いくらなんでも椅子に反動をつけるほどバタバタした覚えはない。そもそもそれなら、顔面を強く押されたような衝撃の説明がつかない。
冷静に考えて、もしかして、殴られた? いやでも、誰に? まさか昨日のウサギの化け物か? いや、それにしては弱いし。
色々考えていると、不意に上体が起こされた。思わず「ぐえっ」と間抜けな声を上げてしまう。
そこまで来てようやく事態を把握できた。今自分は父親に胸ぐらを掴まれて、持ち上げられているのだ。つまり状況的に、さっきは父に顔面を殴打されて、その衝撃で倒れた、という事だろうか。
「……って、は? なんで?」
気付いたところで、つぐみの第一声は疑問だった。
「なんで僕殴られ……ってかうるさっ!」
何やら大声で怒鳴り散らかされている。目の前には、涙を目にいっぱい浮かべながら、拳を振り上げる男の姿。それを必死に押さえ、叫びながら静止する女の姿。
怒り狂う父と、錯乱する母。こんな姿見たこと無かった。
へー、こんな顔するんだ、などと思っていると、二発目の拳が顔面を直撃した。怪異宿しとして強化された肉体にはカスほどのダメージも入らないが、重力には逆らえないので、そのまま後方に吹き飛び、壁に背中を打ち付ける。
なんだ? なんでこんな事になっている?
「……何がそんなにダメだったの? 僕、走れるようになったんだけど?」
とりあえず宥めようと声をかけたが、目の前の男はますます激昂して、怒鳴り散らしながらこちらに向かってくる。
目の前の男、まるで他人に見えるこの人は、自分の父親だ。竹水つぐみをここまで育てた一家の大黒柱。いつも優しくて、困った事があったらなんでも相談できて……。
(いや、違うな……こいつ、そういや、怪我した僕を情けないと言って見下してきたんだ)
つぐみは至って冷静だった。冷静に、ひとつひとつ思い出していた。
(隣でピーピー泣き喚いている喧しい女は、母親。こいつは僕が怪我した時、真っ先に弟の心配をしてた奴だ。貴方まで走れなくなったら、とか言いながら、オロオロしてたっけ)
さっきまでの満たされた気持ちが、嘘のように消えていき、代わりに湧いて出るドス黒い感情。
(なんで、なにを、勘違いしてたんだろう? ここにも、どこにも、最初っから、居場所なんて無かったんだった)
自分が走れるようになれば、喜んでくれるなんて、思い違いも甚だしかった。どっちにしろ、こいつらも、他の連中と同じように、弟しか見てなかったのだ。
あんな出来損ないの方が大事だから、居なくなった今も気持ちを切り替えずにずっと想っている。今も走れる自分よりも、死んだ奴の方が大事なのだ。
その証拠に、父の拳が再び顔面に向かってくる。
「……あっそ」
だったら、だったら望みを叶えてあげるね。
パシャンッと、弾ける音がした。乾いた木材が押し潰されたような、裂けるような音。
直後、張り裂けんばかりの悲鳴が家中に轟く。
「……きったないな……てか、痛いぐらいで大人が叫ぶなよ、情けない」
つぐみはそう言って、握っていたモノを放り投げた。赤黒く、ところどころ白い物体が混じった球状のソレは、コロコロと転がって母親の足元で止まる。
ソレが握り潰され、引き千切られた夫の拳だと理解した瞬間、声にならない悲鳴をあげながら、腰を抜かしてガタガタと震え出した。
「なに、なになんで」
「ロウが大事で大好きなんだろ? だったら会いに行くといいよ、そっちで家族団欒してるといい……僕の方こそお前らなんていらないから」
千切れた右手を押さえ、疼くまる男の頭を掴み、力任せに持ち上げる。全身の筋肉が硬直しているせいなのか、怪異宿しの力を持ってしても、意外と重かった。
結果を思えば、別に関係無い事だったけど。
グッと、掴む手に力を込める。すると激しい閃光を放ち、連続する破裂音が響いた。男は酷く醜い悲鳴をあげ、奇怪な動きでバタバタしながら、あっという間に黒焦げになった。
「……くっさ! コイツ大人のくせに小便漏らしてやがんの、きったねー……ってか僕って優しいな、同じ殺し方してあげるんだもんな」
我ながらナイス判断、と、つぐみは自分で自分の頭を撫でる。
「さて。あ、さて、さて、さてさてさて」
バチバチと音を立てる両手を擦り合わせながら、つぐみはブルブルと震える中年女へ歩き出す。
「……ぷっ、あははははははっ! なにその顔! 泣きっ面ブサイクすぎでしょ! マジかよ渾身の変顔じゃん! 大丈夫? ちゃんとした死に顔できるまで待とうか? そのまま死ぬのはあまりにブスすぎるって! あははははははははっ! きっも」
大笑いしたかと思いきや、一瞬で軽蔑の表情に変わり、震える女を蹴っ飛ばした。
豚のような悲鳴をあげながら吹っ飛び、テレビに叩きつけられた。衝撃で、液晶画面に蜘蛛の巣のようなヒビが広がる。
「あーあ、60インチの高価なテレビが、それ279500円もしたんだよ? せめて物ぐらい大事にしろよなー」
歩み寄りながら、つぐみは言う。
「あ、無理か、なんせ子供も大事に出来ない人間だもんなー! そんな悪い奴には正義の鉄拳で浄化してやるんだから!」
ケラケラと、笑いながら言うつぐみの両手がバチバチと音をたてながら青白く光る。それがなんなのかは分からないが、どうなるかは分かる。目の前で見た光景、次は自分がああなるのだ。
とてつもない恐怖が胸の奥底から湧いてくるが、全身に走る激痛のせいで体が動かない。あと数秒後に訪れる恐怖の瞬間を、ただ泣きながら待つしか無かった。
青白い手が伸びて、体に触れるその瞬間。
さっきまでの弾ける音とは違う、割れて砕けるような激しい音が轟いた。
直後、目の前の青白い手は、その本体ごと部屋の隅に移動していた。
「……なに……これ」
激しい殺気を感じ、無意識につぐみが掴んだもの。ソレは鋭い矢のようなものだった。いや、矢ではない、それよりももっと大きくて長いもの……陸上競技をしているつぐみは、自然と答えが浮かび上がる。
「槍?」
「さいっあくだ! 遅かった!」
横たわる中年とは別の、若い女の声。白いスーツに身を包んだこちらを睨む彼女は、手で合図を送り、後方にいる人影に指示を出す。
「塚田さんと平岡さんは私と一緒に目標の対処をお願いします。滝川君はその人を安全な場所まで」
彼女の言葉で一斉に動き出し、つぐみは二人の男に挟まれ、指示を出した女に通せんぼされる形で囲まれてしまった。その間に、もう一人の若い男が、瀕死のつぐみの母親を破れた窓から運び出した。
まさに一瞬、プロのなせる技だった。
「……人ん家の窓ガラスぶち破って押し入ってくるとか……常識とかないの?」
「黙れ、人殺しの化け物に常識とか言われたくない」
彼女はそう言って、いつの間にか握っていた黒い筒状の物体のスイッチを押す。その途端、つぐみが握っていた槍の先端が高速回転を始め、更に展開し、回転する刃となって、つぐみの掌を引き裂いた。
「いっった! 何これ! どうなってんの⁉︎」
裂かれる激痛に思わず手を離す。すると、槍はまるで蛇のようにグネグネと曲がり、女の持つ筒の中へと吸い込まれていった。
「どういう仕組み」
「撃て!」
女の合図で、両側の男が一斉に構えていたマシンガンの引き金を引いた。至近距離からの一斉射撃、逃れられるはずがない。
相手が普通の人間であれば。
弾がつぐみの体に届く寸前に、彼は飛び上がり、右側にいる男に飛びかかった。そしてそのまま彼の背中の陰に隠れて、女を睨み、呟いた。
「……『雷光』」
強烈な閃光に包まれ、少年の身体は異形へと変異する。物陰にされた男、怪異対策局の戦闘員だった塚田道人の感電死体を引き裂いて、巨大な虎が姿を現した。
『ぐるるぅ……コイツなら、昨日の小娘より危なくなく、昨日の雑魚どもより楽しめそうだな』
「……この化け物めっ!」
彼女、天童鳴子が筒を突き出す。すると、一瞬にして先程の槍が現れた。
怪物と人間との戦いの火蓋が切って落とされた。




