幼馴染
奇遇だね、なんて、よくこんな状況で平然と話し掛けられるものだと、八夜は普通に引いた。さっきまで向かい合っていた少女の横を平気で素通りして、つぐみはこちらに駆け寄ってくる。
「昨日ぶりだね、どうしたのこんなところで? 八雲さんこっち方面じゃないよね?」
「あ、いや……なんか騒ぎになってるっぽかったから……気になっちゃって」
「へぇ意外、厄介ごとは避けそうな人だと思ってたけど」
「いつもならそうなんですけど……家の近くだったから心配になっちゃって……」
「あー、なるほど……気持ちは分かるけど……心配なら尚更こんなとこ来ない方がいいよ、余計な面倒ごとに巻き込まれたりするだけだよ」
そう言って、つぐみは視線だけ背後にいる少女に向ける。それに気付いた少女はキッと険しい表情になり、早足でこちらに近づいて来た。
「つぐみ! まだ話終わってないんだけど!」
「勝手に終わらせてないのそっちだろ、めんどくさいな」
「めんどくさいって……家族の事でしょ⁉︎ もっと真剣になってよ!」
「いや真剣だし、なんでそういつもいつも僕の考えを勝手に決めつけるかな」
「今は全然真剣じゃないでしょ! 弟がいなくなったのに朝練なんてどうかしてる!」
「あのぉ」
目の前で起こる喧嘩に萎縮し、動けずにいた八夜が何とか声を振り絞る。二人の視線が同時にこちらに向けられ、八夜は怖気付きゴクリと唾を飲み込んだ。
「ごめん、えっと……誰?」
つぐみに向けていた鋭い視線をそのまま八夜に向けて彼女は言う。声色から既に敵意丸出しだ。安易な推測だが、つぐみの彼女的な存在なのだろうか? だとすれば、いきなり出てきた知らない女に警戒するのも無理はない。
「わ、私は」
「おい」
怖気付きながらも名乗ろうとした八夜を遮って、つぐみが彼女の前に立つ。その目は心底軽蔑しているような冷たいものだった。
「お前がイラつくのは勝手だけど、無関係の人に八つ当たりするなよ」
「は、はぁ? 別に八つ当たりなんて」
「もういいからさっさと学校行けよ。言ったろ? もう話は終わったんだって、後は警察の仕事、僕らは無事を願うだけ、おっけ?」
「〜〜っ! もういい!」
つぐみを睨みつけ彼女は足早にその場を立ち去った。うっすらと涙を浮かべていた彼女を気にも止めずつぐみは肩をすくめる。
「自分勝手な奴だな……ごめんね八雲さん、変な事に巻き込んじゃって」
「え、いや……私の事はいいですから、追いかけた方がいいんじゃ……? その、彼女さん的な」
おろおろと狼狽えながら八夜が言うと、つぐみは一瞬きょとんとした後腹を抱えて大爆笑した。
「あははははははっ! ち、違う違う、アレはただの幼馴染で、陸部のマネージャー、特になんでもないよ……あー、でもそうだな、僕の弟とはそういう関係だったかも」
「弟……」
「あー……うん、実はね、昨日から弟が帰って来ないんだよ」
「ええっ!? それって大変なんじゃ……」
慌てた様子の八夜を見て、つぐみは苦笑いを浮かべながら手を横に振る。
「いや全然、心配しなくて大丈夫だと思うよ。昔からうろうろする奴だし……なんか最近はよくない連中とつるんでたみたいだし……それなのに、僕が弟の事を蔑ろにしてるって……どの口が言ってんだか」
なんとなく、つぐみの語気が強くなったのを感じ、これ以上踏み込んではいけない事情があるのだと察した。
気まずそうに口を噤む八夜に、つぐみは明るく笑って言う。
「ごめんごめん! 本当に八雲さんが気にしなくていいから! それよりさ、お互い学校遅れちゃうから!」
「そう……ですよね、それじゃ」
「うん、またね!」
そう言ってつぐみは走り去った。そんな彼の後ろ姿を見て、八夜は胸がズキリと痛む。
「きっと……無理して明るく振る舞ってるんだ……」
『そお? 素に見えたけど』
アサが八夜の背後から顔を出し、背中をよじ登って八夜の頬に自分の頬をくっつけながら言う。
「家族がいなくなって平気なわけ無いよ……私だって……お父さんとお母さんが」
『ヨル、それより……今の手がかりだったよね』
ニヤリと怪しい笑みを浮かべながらアサは言う。
「手がかり?」
『さっき陸上くんが言ってたじゃん、弟はよくない連中とつるんでたって、その弟が姿をくらました……って事は、何かに巻き込まれた可能性があるよね』
「……もしかして、その人達の中に虎が?」
『かもしれない、もしくは、その弟くんが虎なのかも?』
とりあえず、一歩前進なのだろうか。
「なんか……嫌な予感がする」
直接の戦闘はもう避けると決めたのに、べっとりと張り付いた不安が、拭いきれないのだった。
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とある喫茶店。平日の午前中という事もあって、店内はガランと空いていた。小さなクラシックが流れているだけの静かな空間に、三人の足音だけが響く。
一番奥のテーブル席に、静は二人と向かい合うように座る。
「大橋さん、好きなの選んで。私はアイスコーヒーで……琴音ちゃんはオレンジジュースだよね?」
「え、メロンソーダがいい、いいです」
「じゃあ私はレモンティーで……」
天童が店員に注文して、一息ついてから「さて」と言い、まずは静に頭を下げた。
「いきなりこんな、連行みたいな形になってごめんなさい」
「えっ、いや、いやいやいや、詳しくは分からないですけど……アレですよね? 私が、自分でも気付かないうちにヤバい状況に立たされてる的なアレですよね?」
「それもだし、そもそも一連の怪異騒動の正体、つまり大橋先輩が怪異そのものなんじゃないかって疑いもかけられてるの、かけられてるんです」
深夜は淡々とそう告げる。静は一瞬の硬直の後、目を見開き、身を乗り出して驚愕した。
「えぇっ!? いや、ちょっ、ちょっと待ってよ! 私は襲われて」
「大丈夫大丈夫! 貴女が人間である事はちゃんと分かってるから! 琴音ちゃん! 余計な混乱を起こすような言動は避けて欲しいな!」
静をなだめながら、天童が深夜に叱責する。当の本人は「ごめんなさい」とぽつりと言って、全く無表情のままだった。
「でも疑われてるって」
「怪異同士で捕食し合う例が度々あるから……でも、大橋さんは完全に身体を乗っ取られてた、それは以前担当した末広君が見てるから紛れもない事実。怪異が他の怪異が既に入ってる身体を乗っ取るなんて前例無いんだよ。従って、今現在大橋さんが怪異である可能性は極めて低いと判断します!」
不安そうな大橋を落ち着かせようと、天童は必死に説明する。若干早口で捲し立てるような形になってしまったが、とりあえず大橋は頷きながら席についた。
「それで……私が化け物じゃないって証明出来たのは良いんですけど……だったら私からはもう何も出て来なくないですか? 昨日の深夜ちゃんの事だって、私ほとんど状況分かってないし……逆に説明して欲しいぐらいで」
「ああ、違うの、大橋さんから色々聞きたいんじゃなくて、私達が色々説明したいから来てもらったの」
「……? んー、えっと、聞いてた話と若干違うような」
元々事情聴取としてここまで来たはずだが。
首を傾げる静に、天童は神妙な面持ちで話す。
「あの時は貴女の友達が近くにいたからね、混乱を避けるためにちょっと濁しちゃったけど……改めて、大橋さんに話さなきゃならない事があります」
天童はクリアファイルを取り出し、そこから書類を取り出して、テーブルに並べた。
「まず、怪異って何? って話から簡単にするね」
そう言って、天童は用紙を一枚静の前に出して、指でなぞりながら説明していく。
「怪異、普段は見えないけれど、生命体、特に人間に取り憑く事で実体を得る。これだけ聞くと幽霊みたいって思うかもしれないけど、実は奴ら、ちょっと特殊ではあるけど、れっきとした生命体なの」
「生命体……じゃあ取り憑くっていうよりも」
「そうだね、寄生、と言った方が正しいだろうね」
そう言われて、静は自分が牛に取り憑かれた時の事を思い出す。自分じゃない、他の意識が全身から内側にズルズルと流れ込んでくる不快さを。
思い出しただけで変な汗が垂れてくる。もう二度と経験したくない。
「見えない寄生生命体、既存のどの生物にも分類されない全くの新種……にも関わらず、実体化した怪異のほとんどが、地球上に存在する動植物の特徴を有してるんだ、この辺りはまだ調査中だから詳しい事は説明出来ないんだけど……とにかく、奴らはオカルト的な存在じゃない、ここまでは良い?」
「ええ、まぁ、なんとなくですけれど」
「で、ここからが本題。幽霊と違って簡単に取り憑いてるわけじゃない、どうやらあいつらには、寄生する宿主に一定の条件があるみたいなんだ」
「一定の条件……? というのは?」
「それがまだ分からないんだよね……怪異に取り憑かれて、あっという間に死んでしまう人もいれば、何食わぬ顔で日常生活を送れる人もいる、後者は『適合者』って呼ばれてるんだ。で、ここからが大事」
天童は別の用紙に切り替えて説明を続ける。
「私はまだ見た事無いんだけど、この世には、どんな怪異が入っても拒絶反応を起こさず、そのまま自分の異能に変える超特殊体質の人間……通称『完全適合者』と呼ばれる人達がいる……彼らの特徴は総じて、多くの怪異からその身を狙われるというものなんだけど」
「……えっと……それってまさか」
静の顔が少しずつ青ざめていく。一般的な怪異の遭遇率が分からないけれど、ここに来る前、はっきりと二人は自分に対して『多い』と言っていた。
そもそも、怪異対策局が広く認知されておらず、存在が明らかになってるにも関わらず、未だに怪異が怪談話や噂話程度にとどまっている辺り、一般的には怪異に襲われずその一生を終える者の方が多いのだろう。
つまり、そういった事実から、この話の、着地点は、つまるところ。
「そのまさか、大橋静さん、貴女は完全適合者である可能性があるんだ……それはつまり、これから貴女は、様々な怪異から常に狙われ続ける可能性がある……ってこと」
思った通りの申告をされ、静から表情が消える。無意味に小さく頬を指で掻き、一口だけ水を飲んでから、精一杯の乾いた笑みを浮かべた。しかし、その目は泳ぐまくってまるで焦点があっていない。
「え……と……あれですよね? まだ、可能性の話で」
「この短期間で3回だよね? ですよね? 探したって会える回数じゃないですよ」
丁度運ばれてきたメロンソーダをストローで吸いながら深夜が言う。天童が何か言いたそうだったが、小さくため息を吐くだけで、再び静に向かう。
「大橋さんの言うとおり、まだ可能性の話、でも、0じゃない。それは貴女を襲った過去が証明してる……だからこそ、私達は貴女を守る為に迅速に保護したい……そして、出来る事なら調べさせて欲しいの」
「調べる……? それは、何を」
「完全適合者がどういう存在なのか……それを知る事が出来れば、多くの人を怪異の脅威から守る事が出来る」
「どういう事ですか?」
「私達の調査では、適合者に寄生できなかった怪異は約10年ほどで完全に消滅する。でもその間に、適合してなくても、生物に寄生してしまえば2年〜3年ほど延命する事が分かった。逆に言えば、適合者の謎を解き明かせば、怪異をこの世から自然消滅させる事が出来るかもしれないんだよ」
「そんな事が……本当に」
「それも、まだ可能性の話だけどね」
天童が気まずそうに言うが、しかし、その横で深夜が立ち上がり、静の隣に座ってじっと彼女の目を見つめて言う。
「大橋先輩、貴女の協力があればこの世から怪異どもを絶滅させる事が出来るかもしれない、全人類を救う事が出来るかもしれないんだよ、しれないんですよ」
「ぜ、全人類って……」
表情はぴくりとも変わらない、しかし、その瞳からは希望が見て取れる。ズイッと詰め寄ってくる深夜の無表情の迫力に押されて、静は目が離せないでいた。
「お願い、します。大橋先輩、どうか私達に協力してくれませんか?」
「琴音ちゃんそんなに……いや」
あまりに圧をかける深夜を抑えようとした天童だが、一度間を置いてから、改めて静を見つめて言った。
「私からもお願い、全人類なんて大規模な事を考えなくても良い、ただ、貴女がこれ以上危険な目に遭わないようにする為にも、私達に協力してくれないかな?」
「そ、それは……」
大橋が戸惑っていると、天童の胸ポケットから着信音が鳴った。
「ごめんね」と言って、天童は少し離れた場所で通話を開始する。
「なんだろ、わざわざ天童さんに電話が来るあたり……この辺で何かあったのかな」
「え、そういう事なの?」
「今私達の班って人が足りなくてさ、足りなくてですね、他班から協力が必要不可欠でして……今二つの班が一つにまとめられてて、管轄地域が広くなっちゃって……だから前よりこういう時間の連絡多くなってしまいまいまして」
「そう、なんだ」
そんな話をしていると、天童の顔がどんどん険しくなっていき、電話を切ったと同時にお会計を済ましていた。
「怪異?」
深夜が聞くと、天童は頷いて、そして大橋を見て手招きした。
「怪異が起こしたと思われる殺人事件が発生した、本当はあまり見せたくないんだけど、貴女には一度見ておいて欲しい、私達の敵がどういった存在なのか」
「は、はい」
天童の真剣な表情に圧倒され、無意識のうちに、静は了承してしまう。
そのまま車に乗せられ、向かった先は大きな川岸の道だった。そこには、ブルーシートで隠されているがところどころに赤黒い染みが付着している部分があった。
「あの、ここで何が起こったんですか」
「怪異による殺人事件……と言っても、遺体の損傷が激しくて性別すら分からないけどね」
「それって……どんな」
「こんな状態」
深夜が一気にブルーシートをめくり、その中身を静に見せる。
一瞬、それがなんなのか分からなかった。しかし、転がる四肢の残骸と、飛び散った赤黒くテラテラと光る物体、それが内臓だと理解した瞬間、凄まじい吐き気が込み上げてきて、静は思わずその場に蹲った。
「琴音ちゃんっ!」
深夜の唐突な行動に、天童は声を荒げるが、しかしそれに対して深夜は悪びれることも無く、じっと天童の目を見つめて言う。
「敵がどんな存在か、知ってもらいたいって言ったのは天童さんだよね? ですよね? こうした方が手っ取り早い」
そう言って、深夜は蹲る静の背中を摩りながら、耳元で囁くように言う。
「怪異の好きにさせておけば、大橋先輩がいつかこうなるかもしれない。それだけじゃない、家族が、友達が、恋人が、こうなるかもしれない。大橋先輩にはそれを阻止出来る可能性がある……迷う必要、ある?」
「……っ!」
涙目で、吐き気に耐えながら、大橋はもう一度、人の残骸を見る。
あれが、親になるかもしれない、友達かもしれない……。
「……八……夜」
あの気の弱い彼女が、こんな恐ろしい目にあうかもしれない。泣き叫んで、きっと助けを乞うのだろう。痛みと恐怖で絶望しながら、殺されてしまうかもしれない。
そしてこれは、この感覚は、はじめてじゃない。
思い出す、恋人を置いて逃げた日の事を。彼も、こんな風に死んだのか。どんなに痛い思いをしたのだろう。置いて逃げる自分の背中を見て、どんなに絶望したのだろう。
(私は……また、繰り返すのか)
「だめ……私が」
静は立ち上がり、口元を袖で拭ってから言う。
「私に出来ることがあるなら何でもします……どうか、協力させてください!」
「それはもう、喜んで」
深夜がぎゅっと、静の両手を握る。
無表情のままのはずなのに、どうしてだか、ほんの一瞬だけ、彼女が満面の笑みを浮かべたように感じた。




