呼び声
「え、深夜って書いてふかみって読むの? ほんとに?」
深夜の名前の漢字を教えてもらった静が、目を丸くさせて深夜に言う。教えた本人は無表情のまま首を傾げていた。
「多分当て字だと思う、思います。私、漢字もあまり得意じゃ無いから、全然気にした事無かったけど、無かったですけど」
「まぁ、生まれた時から当たり前にあるものに疑問持てって方が難しいよね、私だってなんで自分の苗字が大橋なのって聞かれたら答えらんないし」
「むしろ知ってる人の方が珍しいかも……八雲っていうのも珍しい苗字ですね?」
突然話を振られた八夜は、引き攣りながらも頑張って笑顔を浮かべて答える。
「う、うん……人の苗字ではあんまり聞かないよね……」
まぁ自分の場合、八夜という名前も相当変わっているが、別にそんな事はどうでもよかった。今の八夜には、多分楽しそうに雑談をする少女、深夜琴音の存在が気になってそれどころでは無かった。
(なんでこのタイミングでこの学校に? 何かを嗅ぎつけたとしか思えないんだけど……)
昨日の夕方、ほんの少し戦闘ともいえない攻防をしただけだ。痕跡は何も残さなかったはず、というか、意外な事に傷一つ付けられていないのだから手がかりなんて何一つ残っているはずが無い。本人だって、メインは惨殺した犬怪異の方だったのだろうから、ポッと出のウサギなんて相手にしてないはず。
偶然だ、偶然に決まっている。八夜は何度も心の中で自分に言い聞かせる。
「ところで、深夜ちゃんはなんでまたこんなタイミングでうちに転校する事になったの?」
心の中でも読んだのかと思うぐらいの神タイミングで、静が深夜にそう訊ねる。
「家の事情で、きり……ん、お兄ちゃんがここの高校にしときなさいって言ったから」
「きりんのお兄ちゃん……? そうなんだ、うちの学校、最近色々ありすぎて人気無いかと思ったけど、そうでも無いんだね」
「色々って? 何かあったの? あったんですか?」
急に、深夜はズイッと静に近付いて興味津々に詳細を訊ねる。やはり目的はそこにあるらしかった。
「うーん、なんて説明すればいいんだろう? 不審者がね、最近多くて、私もこの間不細工な不審者に絡まれたんだ」
「不審者? それだけですか? オバケとか怪談とか、もっと変な噂とか無い? ですか?」
「えー? あんまり聞いたこと無いなぁ……あ、強いて言えば、最近隣町に続く橋の上に怪物が」
「それはいいや、いいです」
そう言って、深夜はいきなり興味を無くす。それは恐らく、もう橋の上の怪物がいないと知っているからだろう。それを知っているのは、関係者だけだ。
ほぼ確定だろう、やはり彼女は対策局の人間で、ここには何か嗅ぎつけて調査しに来たのだ。信じられない事だが、まだ子供なのに、深夜琴音は怪異と戦う戦士なのだ。
「あの、深夜ちゃん」
遠回しにでも怪異に関わらせないようにしようと、八夜が声をかけた、それと同時に、深夜の方もこちらを向く。
「八雲さんって、どこかで会った? 会いました?」
心臓が跳ね上がる感覚がした。まっすぐ見つめてくる目を逸らせない。いや、晒した方が不自然になって余計怪しまれるだろうか。そもそも、本当に何かに勘付いているのか? もしかしたら本当にどこかで会っているのかもしれない。
思考がまとまらない、とにかく怪しまれないように無難な返事はしないと。
「ええ? しょ、初対面だと思うけど?」
「ですよね? おかしいな、どっかで会った気がする……」
「た、他人の空似じゃないかな?」
「うーん……? そう、かな? そう、かも? まぁいいか」
そんな事を言いながら歩いている間に、学校に到着していた。いつの間にか周りに他の生徒の姿も見える。深夜の視線が八夜から逸れ、一気に緊張が解けていく。
小走りで深夜が玄関に向かい、振り返って小さくお辞儀した。
「ありがとうございました。さっきの話だけど、話なんですけど、何かあったら教えてください、私はオカルト系が好きだから沢山調べたいです」
「あれ? もういいの? 職員室まで案内しなくて大丈夫?」
「大丈夫、です。お二人を遅刻させるわけにはいけないですし」
「そっか、じゃあ頑張ってね! 何か困った事があったら私達を頼ってくれたらいいからね」
静が言うと、深夜はもう一度小さくお辞儀して校内へと入って行った。
「可愛い子だったねぇ」
「う、うん……」
「どうしたの? 八夜? なんか顔色悪いよ?」
「え? そうかな? なんでかな? た、多分知らない人といきなり喋って緊張したのかも……?」
「マジか、ごめん! そんな風になっちゃうとは思わなくて」
「いやいや、静の所為じゃないよ、私のコミュ力が低すぎるのが悪いだけだから……むしろこういう事にちゃんと慣れていかないと」
八夜は大きな深呼吸をして、静に笑顔を向ける。本当はまだ心臓の鼓動が早いけど、余計な心配をこれ以上させたくなかった。
「八夜偉い、出来る事があったら私にも協力させてね」
「うん、ものすごく色々頼ると思う」
これはマジだった。何せ交友関係が少なすぎる所為で、大事な連絡事項とかたまに忘れられる時がある。人は一人では生きていけないって本当なんだなと、つくづく実感させられる。
「それにしても、あの子、危ない事に首突っ込まなければいいんだけどね」
静がシューズに履き替えながら言う。
「オカルトに興味があるっていう話? そうだね、ただの噂話ならいいんだけど……実際に怪異が関わってる場合もあるからね」
八夜が言うと、静は力強く頷いた。
「そう、そこだよ問題は、私の二の舞にはなって欲しくないからさ、でも言っても信じてもらえないんだろうなー。ああ、現実でこんな事を悩む日が来るなんて……」
まるでアニメか漫画みたいだね、と静は苦笑いを浮かべながら言う。本当にそうだ、こんな事、普通じゃ考えられない。そしてこれ以上こちら側に踏み込めば、二度と普通には戻れなくなる。
折角日常に戻れたのだから、せめて静だけは平穏無事に過ごして欲しいと八夜は思う。その為にも、彼女、深夜琴音にはもう関わらない方が良いだろう。静だけではない、自分自身の為にも。
「まぁ、最近何か変な噂があるわけでも無いし……あまり気にしなくても良いんじゃないかな?」
「え、八夜にしてはなんか不用心だね。私の時みたく、対策局の事紹介しとくのかと思ったんだけど」
「う、うん……それもアリかなって思ったんだけど……教えたら、怪異の存在を教える事になっちゃうかなって……本当にいるって知っちゃったら、もし万が一にでも遭いに行っちゃったら、その方が危ないかなって」
「……なるほど、知らないままの方が良い事もあるって事か……それもそうかもね。そういう事なら、あの子にはこのまま平和な学校生活を送ってもらおうじゃない」
そう言って、静は自分のクラスに向かっていく。
「じゃあまたお昼と放課後ね」
「うん、また」
笑顔のまま静は教室に入って行った。
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「アサ? まだ寝てるの?」
その日の放課後、日直の仕事で少し遅くなると言っていた静を待っている間、結局一度も話しかけて来なかった友人にこっそりと声をかける。怪異宿しになってから、一日アサの声を聞かない日など無かった。こちら側からの声に一切応答なし、流石に心配になる。
一応八夜が生きているので、中にはいるのだろう。
「アサ、大丈夫?」
自分の胸元を揺すりながら声をかけ続ける。
『うぅん……おかあさん?』
すると、ようやく寝ぼけた声が返ってきた。
「アサを育てた覚えないよ」
一安心して、クスッと笑いながら八夜は言う。
『……んー……んん? んー……ふわぁあ……ねっむ』
「アサ、休日のおじさんみたいになってるよ……もう一日終わるよ、今は夕方の4時、ずっと寝てたの?」
『ほぉっ!? 4時!? そマ!?』
予想以上に大きな声で、アサは驚愕する。
『そんなぁ! 私朝ごはんもお昼ごはんも食べないよ! ヨルと一緒に勉強もしてない! 折角の一日が寝て終わっちゃったぁ!』
周りに響くほどの声でアサは悲痛な叫びをあげる。学校を一緒に過ごせなかったのが余程ショックなのだろう。しかし、可哀想だが、他の生徒に普通に聞こえるぐらいの声量は流石にやめて欲しかった。
「アサ! ごめんちょっと静かに!」
『だってぇ!』
「晩御飯好きなものなんでも作ってあげるから!」
『ぐすっ……なんでも?』
「つ、作れるものなら」
『まずフカのヒレでしょ』
「ごめんフカヒレは流石に」
『じゃあ鶏のももと焼き豚、焼き豚と……それと鯉、鯉の丸揚げ』
「お、どしたの」
『鯉がなかったら他の魚でもいいよ。それと海老そばと鮑のシチュー』
「え、酔拳観た?」
『ううん、映画 食事シーン で検索して出てきた動画で見た』
「わー、悔しい、私もたまに食欲促進の為に似たようなの見る」
『良い感じでお腹空くよね、一番はドラゴンボ』
落雷。第一に感じたのはソレだった。二人の会話を遮り、晴天にも関わらず、巨大な雷鳴が轟いた。直後、八夜は音のした方へと走り出していた。轟音だけなら、気になりはしたが、正体を確かめに行こうとまでは思わなかっただろう。しかし、八夜とアサの耳にはしっかりと、その直後に上げられた男性の悲鳴が届いていた。
「普通じゃないよ! 今の!」
『かなり遠くから聞こえたね、私達しか気付いてないみたい』
朝の不本意なものとは違う、自らの意思で全力で走った。誰に見られようが関係無い、救いを求める声に、身体が勝手に反応していた。
焦る彼女を誘う呼び声のように、再び悲鳴が上がる。今度はさっきよりも人数が多く、そして距離も近く感じた。
「間に合って……!」
そんな八夜の願いを嘲笑うかのように、周囲に漂ってくる異様な匂い。普通に生活している中で近い匂いといえば、ラードが焼ける匂いだろうか、鼻にこびりつくような、脂が焦げたような匂いが辺りに充満してくる。
『ヨル……これ死臭も混じってる、これはもう』
「アサ! 『黄昏!』」
嫌な予感を拭うように、八夜は叫び変身した。そのまま一気に跳躍し、叫び声が聞こえた場所を上空から探す。
すると、黒煙が上がる場所があった。そこは、あまり見慣れない公園だった。しかし、それよりも視界に飛び込んできたのは、青白い光を放つ二足歩行の獣だった。
虎のような怪物は、空を仰ぎ雄叫びを上げる。
『アイツかぁ!』
アサは拳を固め、怪物に目掛けて落下した。凄まじい破壊音が轟き、爆炎の様な土煙が広がる。
その中で赤く光る二つの目。虎とウサギが睨み合う。
『酷いな……この黒焦げ全部アンタがやったのか』
アサは、辺りに転がる焼死体をキョロキョロと見ながら言う。
『そうだ、襲われたからやった』
虎はボリボリと首を掻きながら言う。
『お前はなんだ、何をしにきた? こいつらはお前の敵だったか? 俺はお前の獲物を横取りしたのか?』
『そんなわけないっしょ、どっちかっつーと、私達はこの黒焦げ達を助けに来たんだよ……間に合わなかったけど』
『助けに……? 何故だ? 貴様も俺と同じだろう?』
虎が首を傾げる。
『アンタと同じ? アンタみたいな野蛮な奴と一緒にしないでくれない?』
『分からん奴だ、変な奴だ、オイ、コイツも殺した方がいいのか? 俺としてはコイツの方がさっきの奴らより殺した方が良さそうだぞ』
アサを睨みつけながら、虎は誰かと話しているようだった。その意味を、アサはすぐさま理解する。
『この虎……まさか適合者と!』
『そうか、事情も知らないのに俺達を野蛮扱いした……コイツは悪い奴だな』
『なんか分からんけど絶対良くない流れになったな! ヨル! こいつ』
視界にとらえていたはずの虎が、一瞬のうちに消えた。しかし、探す暇は無かった。いや、正確には、探せる状態では無くなった。
ゴリッと、おおよそ人体から鳴ってはいけない音が、アサ、もとい、ナイト・ウォーカーの首から鳴る。顔面に重い衝撃を受け、そのまま後方に吹き飛ばされてしまう。
『ぐげっ』
フェンスにぶつかり、視界が歪む。
殴られた、それを今更理解した。
(は、速すぎ……)
『すごいな、生きてる、これぐらい手応えが無いと、やはりつまらん』
気づけば、虎がアサを見下ろしてそう言っていた。
『な、ナメんなよバーカ!』
地面を殴り、その勢いで跳び上がってなんとか虎の背後に立つ。そして、振り向かれる前に固めた握り拳を思い切り虎の後頭部に叩きつけた。
『ぐおおっ!』
ふらつく虎、しかし追撃は許さない。バチバチと電気を帯びた長く巨大な尾を振り回して、アサを払う。
『あぶなっ! 電撃……分かりやすい……シンプルな能力……けどそれすごい厄介そうだなぁ!』
『貴様……並の力では無いな……まるでもう一体か二体、合わせて三体分の力で殴られたみたいだった』
グルルルルと唸り合う二匹。
空はすっかり暗くなり、三日月が昇る。その下で赤い目を光らせるウサギと虎。
人の体を乗っ取る人ならざる怪物達の戦いが、今まさに始まろうとしていた。




