雷鳴と咆哮
「ああいう人は良い人だから、襲っちゃダメだよ」
学校までの道を走りながら、つぐみはひっそりと声をかける。周りには誰もいない、たった一人である。誰もいない、そのはずなのに、彼の声に答える声があった。
『弱そうな奴だった、敵にもなら無い奴をわざわざ襲ったりしない』
そう答える声は、つぐみの中から聞こえた。
「というか、基本的に人は襲っちゃダメ。色んな人がいるけど、基本誰にも危害は加えちゃダメだよ」
『ぐるぅ、不便だな。どうやって、人間は身を守ってる』
「どうって言われても……身を守らなきゃいけないほど追い詰められる時なんてそうそうないよ」
『そんなバカな、生きてる同士が、殺し合わないのか』
つぐみの中の声、虎の怪異は抑揚は無いが驚いた声を上げる。殺し合わない事が異常だなんて、一体どんな修羅の国にいたんだ、と、つぐみは思う。
(こいつ、物事をよく知らないけど、知性自体は高いんだな……)
昨晩、虎に身体を渡したはずなのに、気付いたら自室のベッドにいて、何故かつぐみはつぐみとして目を覚ましたのだ。混乱していると、虎の声が自分の中から聞こえ、もうちょっと今の世界の事を勉強したいと言う。記憶を見る事で、なんとなく理解はするが、馴染めるかどうかはまた別の話らしい。
自分の限界を理解して、分からないなりに対処しようとする。何気に当たり前に生きてる現代の人間が、出来ていそうで出来ていない事だ。そこに感心したつぐみは、昨晩した約束を守る事を条件に、しばらく自分の生活を見せる事にしたのだ。
(まぁ、僕の体で代わりに生きて貰うんだから、サポートはしっかりしないとね)
『俺は、つぐみの代わりと違うぞ』
心の中で思った事に対してのまさかの返答に、つぐみは心臓が跳ね上がるのを感じた。
「え……考えてる事とか分かるの?」
『分かるぞ、知性が高いと褒めたのは良い、だがお前の代わりに生きるのは違う、俺は俺だ』
どうやらばっちり聞かれていたようだ。取り憑けるし、その相手の考えまで読めるなんて、怪異という存在はなんでもありなのか。
「というか、ごめん、ちょっと相談なんだけどさ」
つぐみは辺りを気にしながら、誰もいない公園に入る。
「そもそも、僕が最初に言ってれば良かったんだけど……僕の体の中から声を出すのやめて欲しいな、まずそこは社会のルールとか以前の問題で、生物として異常だからさ」
なんとかスマホでスピーカーをオンにして通話している感じを出せないかとも思ったが、それにしては虎の声がデカすぎる。そもそもスマホ本体も手に持っていないし、ワイヤレスイヤホンもつけてない時点で不自然極まりない。
『ぐるる、ではどうすれば良い? 声を出さないとつぐみと話せないぞ』
「じゃあ……とりあえず一回出てくれる?」
つぐみが言うと、虎は素直に彼の中から外に出た。昨晩見たものと同じ、黄色と黒の縞模様が特徴的な巨大な虎だった。決定的に違うのは、二足歩行である事と、人語を話す事。
『出たぞ、こうやって話せばいいか?』
「まだダメだよ、二足歩行で喋る虎なんて、大騒ぎになっちゃうからね」
『ならどうすれば良い?』
「うーん……どうしようかな……君が何を出来るのか、全然知らないんだよな」
『お前と繋がってる、この状態なら、昔よりも出来ること増えてると思う』
「というと?」
『姿形を変えられる』
そう言うと、虎の体がぐにゃぐにゃと歪み、まるでスライムのように溶けていく。そして、ドロドロの塊になった虎は、再び自分の体を形成していった。
「うわっ!?」
変化したその姿に、つぐみは思わず声を上げ、赤面し顔を隠す。それもそのはず、現れたのは全裸の女性だったのだ。つぐみよりもやや歳上と思われる長身の女性。頭に生える猫のような耳と、黒と黄色の縞模様がついた尻尾が、彼女が先程までいた虎だということを証明していた。
彼女は一向にこちらを見ないつぐみに、不思議そうに首を傾げる。
『つぐみ、どうして顔を隠す、こんなふうに人間の姿になれるんだ、これなら話しやすいだろう』
「なんで女の人の格好なの!」
『なんでと言われても、とりあえず人間の形になったらこうなった、俺の意思じゃ無い』
「もともと女の子だったのぉ!?」
まさかの事態につぐみは慌てながらも、とりあえず彼女(虎)にしゃがんで茂みに隠れるように促した。
「確かに声じゃ分かりにくかったけど……普通に口調的に男だと思ってたよ……まいったな、どうしよう」
『なんで隠すんだ、俺の人間の形は間違ってるのか? 上手くいったと思ったんだが』
「耳と尻尾出てるよ……って、いや、ごめん、それどころじゃないんだよ! まず! 全裸! それがまずい!」
『耳と尻尾か、気付かなかったな、直そう。それで、あとはなんだ、ぜんら? どうすればいいんだ?』
「服を着て欲しいけどよく考えたら無いじゃん! 僕のサイズ合わないだろうし! ごめんやっぱ一回戻ってくれる!?」
『あれこれと忙しないな』
やれやれというふうにため息をついて、虎はつぐみの中に戻っていく。つぐみも大きなため息を吐いてから、誰もいない事を確認して、足早に公園を出た。
「あーびっくりした……女の子だったなら最初からそう言って欲しかった……というか、人間になった時裸になるのも言って欲しかった」
『ぐるるぅ、騒ぐほどおおごとだとは思えないが。何がまずかったんだ? 女だったのがだめだったのか?』
「いや、性別に関してはいいや、ごめん、僕に全くそういう耐性が無かっただけだから……それよりも問題は服を着てなかった事だね」
『服? ああ、つぐみや他の人間が被ってるペラペラの皮のことか? アレそんなに重要な皮なのか、俺は一枚も持ってない』
「近いうちに買ってあげるよ……安いやつね」
まさかのハプニングはあったが、そんな事をしてる間に、無事に登校は出来た。既に多くの生徒があちこちにいる。
「ここが学校、僕達は子供のうちは、ここに通って色んな事を学ぶの……一応言っておくけど、人が沢山いるんだから、君は出てきちゃダメだよ?」
『わかった』
「ごめん、喋るのも無し」
『ぐるぅ』
虎が不服そうに唸り声をあげる。正直それもやめて欲しかったが、ペラペラ喋られるよりマシだろう。というか、目立つといえば、今のつぐみも相当目立つ。なにせまだジャージ姿なのだから。
「さっさと着替えなきゃ」
「え、つぐみ?」
更衣室に向かおうとした彼を呼び止める声がした。振り返ると、一人の女子生徒が驚いた表情を浮かべながらこちらを見ていた。
「良子……」
彼女の名前を呟くつぐみの声は、暗く沈んでいた。彼女を見る目も、虎と会った時より警戒するものに変わる。
「ウソ……もしかして……走ってたの!? お医者さんにもう走れないって……」
「治ったけど、どうしたの、何か都合悪かった?」
「そんな事ない! 復帰出来たら嬉しいけど……でもどうやって」
「どうでもいいだろ、着替えたいからもう行っていい?」
彼女の返事を待たず、つぐみは足早にその場から去る。背後から色んな視線を感じたが、全て無視して更衣室まで直行した。
『……アレは敵か』
虎が小声で訊ねる。
「上杉良子、僕の幼馴染で陸上部のマネージャー。敵でもなんでもないよ、相手にしなくていい」
『そうか、ものすごい敵意を向けていたから、強い敵かと思った』
「そうだね、大切な事だし、ちゃんと敵を教えておくね」
つぐみは制服に着替えながら小声で言う。
「この学校にいる人達は基本いい人達だけど、陸上部の選手と顧問、コイツらは潰して良い」
『潰す』
「完膚なきまでに叩き潰して良い、目にもの見せてやれば良いよ」
『具体的にはどうする?』
「……僕の体はものすごく強化されてるんだよね? 断裂した靭帯が治っただけじゃなくて、筋力まで上がってるんだから」
『その通りだ、どうやらつぐみは、俺の適合者だったらしいからな、並じゃない』
「ありがと、じゃあ、とりあえずは僕に任せて」
そう言って、つぐみは更衣室から出る、そして教室に向かう途中の廊下で、数人の男子生徒と目が合った。その全員が、つぐみを見て怪訝そうな顔を浮かべる。
そのうちの一人が、ニヤニヤと笑みを浮かべながらこちらに近づき「すげぇな」と言った。
「マジで家からここまで走ったんだ、なにそれプロ根性?」
「ロウ」
竹水ロウ、つぐみの一個下の弟。つぐみが怪我をして退いた事で、エースの座を手に入れた人物である。弱っていくつぐみを、情けないと影で笑っていた、つぐみにとって紛れもない敵である。
つぐみは出来るだけいつもと変わらない態度を心がけながら、見下した視線を向けてくる敵に言う。
「そっちこそ、朝練しなくて大丈夫なの? 繰り上がって一位になっただけで、相応の実力がついたわけでもないのにさ」
「はぁ?」
「見ての通り、治ったからさ、監督に言って今日から復帰させてもらうつもりなんだよね」
つぐみは弟の肩に手を置いて、笑顔で言う。
「今日からまた、良きライバルとしてよろしくね」
「お前……分かった、今日の練習来いよ、400で勝負な」
「良いけど」
「俺に負けたらお前部活辞めろよ」
ロウの提案に、周りの生徒達がざわつく。しかし、不穏な感じではなく、ロウの勝利を確信して、面白がっているようだった。
「ロウが負けたら?」
しかし、その空気に全く動じる事は無く、つぐみは相手が持ちかけた勝負のルールを確認する。
「マジで言ってんのお前、勝てるって? 靭帯切れてた奴が病み上がりで俺に勝てるって? やば」
「いや、先に言ったのそっちでしょ……どうする? シンプルに引退賭けて勝負する?」
「分かった、監督にも言っとくからな? 復帰初日で引退させてやるよ」
そう言って、ロウは取り巻き達と共に去っていった。とても家族とは思えないほど、憎み合った敵対する存在となった弟。しかし、つぐみにはもう、なんの未練も無かった。
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部内の空気は最悪だった。周りにいた生徒も、監督でさえも、目の前の光景に唖然としていた。
竹水ロウ、タイムは47.16秒。
竹水つぐみ、タイムは45.08秒。
よって、つぐみの圧勝だったのだ。
「怪我する前より伸びてる……」
自分のタイムを見て、呆然とするロウの隣に立ってつぐみは言う。
「お前……! なんっ……どうやって!」
「諦めずに努力し続けた……みたいな」
「ふざけんな! そんないい加減な事で」
胸ぐらを掴もうとするロウの手を、つぐみは素早い動きで掴み上げ、睨みつけながら言う。
「努力する事がいい加減? それ本気で言ってんの? そんなんだから、相手を怪我させないと勝てないんだよ」
「な、なんの話だよ」
「別に、今更あの事をどうこう言うつもりは無い……けど、今後一切卑劣な事はしないってここで誓ってほしい」
つぐみはロウの手を離して、代わりに優しく握り直して言う。
「ロウは小細工しなくてもちゃんと才能ある、ちゃんと努力すれば、正しい実力が身につくから、だからもうあんな事は」
「うるせぇんだよ!」
そんな兄の手を振り解き、ロウはその場から走り去った、憎しみに満ちた視線を送りながら。
「……あの、監督」
つぐみは監督に、弟を辞めさせないでほしいと伝え、今日はもう帰ると言って荷物をまとめた。校門を出て、しばらく歩き、朝虎とやり取りした公園まで行く。自販機でスポーツドリンクを買って、一口飲んでからにっこりと笑った。
「あーっ、スッキリ!」
『俺、何もしてないぞ』
気持ちよさそうに伸びをするつぐみの中から、不服そうに虎は言う。
「何言ってんの、トラ子が体を強くしてくれたからだよ」
「トラ子、知らない奴だな、俺以外にも」
「ああ、ごめん、君の名前だよ、なんて呼べば良いか分からなかったし、自分でも名前分からないって言ってたからさ、勝手に付けさせてもらったんだけど……ダメだった?」
つぐみが照れくさそうに言うと、しばらく『ぐるる』と唸った後『良いな』と言った。
『よく分からんが、良いな、俺はトラ子だ』
「気に入ってもらって良かったよ、さぁ家に帰」
「何一人でぶつぶつ言ってんの気持ち悪りぃ」
不意に、背後からそんな声がした。振り向くと、そこには先に帰ったはずのロウと、その周りに金属バットや鉄パイプなどの物騒なものを持った乱暴そうな男達がいた。
「ロウ?」
「お前さぁ、ほんと……調子乗んなよマジでさぁ……いっつもいっつもチヤホヤチヤホヤされてたくせにさぁ……ちょっと挫折したくらいで」
「ロウ、それは良くない」
「黙れ、俺に偉そうに説教すんな、お前さえいなくなれば全部俺のものになるんだ……欲しかったもの全部」
ロウは、分厚い茶封筒を突き出して言う。
「アンタ達、遠慮はいらないから、そいつぶっ殺して」
報酬は弾む、と言って、一人の男に茶封筒を渡した。その中身を見た男は満足そうに笑って、「やるぞ」とつぐみに近づいて行く。
「悪いね、恨みはないんだけど金が欲しくて」
ガラの悪い男は、精一杯作った優しい声でつぐみに言う。
「働けばいいじゃないですか?」
「だからこうして体張って働いてるんだよ」
「……ロウ、失望したよ……なんていうか、もういいや」
そう言って、つぐみは胸に手を当てて、中にいる友を解放する。
「トラ子……やってくれ」
『任された』
目の前の少年から響くもう一つの声、男達が困惑したまさに一瞬、稲妻のような激しい光が辺りを包んだ。
「なんだ……どうなっぺぎゃッ!」
困惑していた男の一人が、そんな声を上げて、生暖かい液体を噴き出しながら倒れた。
『ぐるるぅ……敵……にしては弱いな。握っただけなのに頭が潰れたぞ、死んでいる』
閃光の中から現れたつぐみでは無い別のナニカ。唸り声を上げながら現れたソレは、握りつぶした男を捨てて取り囲む男達を睨みつけた。
「な、なんだよ……コイツ!」
「ば、化け物……」
目の前に現れた、二足歩行の虎のような怪物。バチバチと、何かが弾けるような音を立てながら、咆哮を一声上げて言った。
『俺の名はトラ子、命のやり取りをしようか、敵共』
その瞬間、一斉に鉄パイプや金属バットが振り下ろされる。見事にそれらは全てトラ子に直撃した。何度も何度も頭部に叩きつけられる。しかし、そんな攻撃は、もはやトラ子にとって攻撃と認識すらされないほど無意味だった。
『つぐみからもう少し色々学びたい、さっさとケリをつけるぞ』
そう言うと、トラ子は自身に叩きつけられた金属バットと鉄パイプを両手で握る。
その意味を理解する間もなく、トラ子の攻撃は男達全てに決まっていた。
青白い光が鉄を伝ってバチバチと男達の体に流れる。
「ぎゃああああああああああいああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!!!!」
取り囲んでいたせいで、一人から全員に高圧電流が伝わっていく。
目から、鼻から、口から、血と煙が噴き出し、あっという間に人体を丸コゲにしていった。
一瞬で、残るはロウ一人となる。
『お前は戦わないのか』
「ば……化け物!」
震える声でそう叫んで、ロウは逃げ出した。
『残念だ、逃げる奴に興味は無いが、つぐみとの約束だ、お前は逃がさんよ』
一瞬、まさに落雷の如き速度でトラ子はロウに追いつき、首根っこを捕まえた。
「うわぁあああっ! は、離せぇっ!」
『ああ、すぐに離す』
ロウの首を掴む手に、力が籠る。バチバチと音を立てて、手が青白く光った。
「嫌だぁあああああああああっ! ぎぃやあああああああああああああああああああああああばああああっ!!!」
少年の体がぐねぐねと動き回り、血を噴き出しながら焼け焦げていく。10秒ほどその状態を続けた後、ゴミのようにポイっと捨てた。
『敵は排除したぞ、俺たちの勝ちだな』
トラ子は、ふと空を見上げる。もう暗くなり始めていて、三日月が顔を出していた。
勝利の雄叫びと言わんばかりに、月に向かって吠えた。
その咆哮は、街全体に轟いた。
雲一つない空の下で、雷鳴と共に一匹の蒼白い虎が、誕生した。




