悲鳴の先に
夕飯の支度をしながら、八雲八夜は考えていた。牛との戦いの中で得た『望まぬ支配』という謎の存在。あの地震の日から急に活発になった怪異達の動き、それは、『望まぬ支配』に対抗する力を得る為だと言う。
『望まぬ支配って、名前長くない? 支配ちゃんとか支配くんで良いんじゃない?』
テーブルの上にあったゆで卵に手を伸ばしながら、アサが言う。
「そ、そんな軽い感じで良いの? 怪異の牛があんなに警戒してたんだよ? アサも一応は怪異なんだから……無関係じゃないと思うけど」
サッと卵をアサから取り上げながら、「それにさ」と八夜は続ける。
「怪異だけじゃなくて、人間にとっても脅威になるかもなんだよね? ということは、怪異以外の何か別の存在って可能性だって」
『それは無いね』
八夜の言葉を遮って、アサはきっぱりと否定する。
「ど、どうして?」
『怪異の気配を感じ取れるのは怪異だけだからね、人間に対してさほど脅威を感じてない怪異が嫌な予感がするなんて、もっと凶暴で凶悪な怪異の気配を感じ取ったとしか考えられないかな』
「そうなんだ……でも、アサは感じてないんだよね? その嫌な気配」
『まーったく、変身した時ですら分かんないもん。だから、正直今もちょっと疑ってる部分はあるんだよね、ほんまかいなって』
でもなぁ、とアサは首を傾げて言う。
『ネズミと牛の必死感を見るとなぁ、何にも無いって事は絶対無さそうだから気持ち悪いっちゃ気持ち悪いんだよねぇ。特に、ここ10年間で怪異の覚醒現象が多発してる件に関してはね』
「こ、怖いね……何か対策できれば良いんだけど……」
不安そうな八夜に、アサはにんまりと笑顔を向けて言う。
『まぁまぁ、そんなに考え込まなくても良いじゃない! 今すぐ直ちに何か起こるってわけでもないんだからさ、焦ったって良い事ないよ』
それに、とアサは胸を張って続ける。
『どんな脅威が相手でも、ヨルの事は私が守るよ。邪魔するものはぜーんぶ取っ払って、平和な日常を取り戻そうよ』
大丈夫、と笑顔を向けるアサに、八夜も表情を和らげる。
「アサ……そう、だよね……私達の力なら、何があっても……きっとなんとかなるよね」
なんだかんだで二体の敵対的な怪異と対峙して、どちらにも勝利を収めている。敵を恐れる気持ちは変わらないが、2回の勝利は僅かながらでも八夜の中に自信を生むに十分な結果となっていた。
一人じゃない、親友と二人でならどんな相手でもなんとかなる……気がする。多分。
『なんでちょっと保険かける!』
「いや、慢心は自殺行為かなって……よくよく考えたらどっちもなんとか勝てたってだけで、楽勝じゃ無かったし」
『それはまぁそうだけど……ん、というかさ、牛の時は私からかかって行ったから仕方ないんだけど、基本的に戦いは避ける方向だからね? 私達が目指すのは、あくまで平穏だからね?』
「それは、もちろんそうしたいよ。平穏無事に暮らせる事に越した事はないから……でもほら、やっぱり誰かが助けを求めてたら……どうしてもね」
10年前、目の前で親友を死なせてしまった。その後悔と罪悪感を埋めるように、八夜は怪異宿しとしての力を手に入れた日から、手当たり次第に人を助けようとしている。
良い事ではある、アサにとって、親友として誇らしい事ではあるのだが、同時に危なっかしくて見ていられない事でもある。一歩間違えれば死、どころか身体を乗っ取られ八雲八夜という存在が消えてしまう恐れだってあるのだ。
だからと言って、八夜を無理矢理止めれるほどの強制力はアサには無い。基本的な行動の主導権は全て八夜に譲っている。体を動かせる時は、八夜からの許しがあった時か、八夜が強いストレスを感じた時にだけ一時的に肉体の主導権を握れる、そんな程度だ。
『無理はしないでね』
「大丈夫、私だって死にたいわけじゃないから……」
八夜が言うと、アサは一瞬驚いたような表情を浮かべた後、にんまりと笑った。
『その言葉聞くと安心する』
「アサのおかげで、もう生きるのを拒絶する必要は無くなったからね……」
そこで、八夜はふと思う。
「あの黒いオバケ達は……私が完全適合者だって分かってたのかな……ネズミも牛も、後から気付いてた感じだったけど……いや、そもそも……あんな風に攻撃出来るなら、最初っから私の体奪えば良かったんじゃ……? なんで途中まで見てるだけだったんだろ」
『知能が足りないからだよ、アイツらは怪異ほどハッキリとした自我を待ってないからね、何かするつもりだったとしても、それが何の為だったか、直前で分からなくなったんじゃない?』
「そ、そんな事あるの? なんかものすごい悪意とか敵意とか感じてたけど」
『一番分かりやすい感情だからねー、特に何もなくてもキレてるでしょ』
「そんなわけなくない!? アサって怪異に対してすっごい塩いよね!?」
親友とはいえ、八夜はいまいち今のアサが考えている事が掴めずにいた。向かってくる敵とは戦う、これは分かるが、その為に敵対する怪異の事を知ろうとすると途端にいい加減になるというか、適当になる。
戦闘はやむなしだが、それ以上関わらせないようにしてるというか、遠ざけようとしているというか。
しかし、一度でも敗北してしまえばそれはお互いの死を意味する。それほど命懸けの勝負になるというのに、敵を理解させないのは、なんというか、矛盾している。敵を知らなければ対応の仕様が無い。どうしても出遅れる。
「ね、ねぇ、アサ? アサって、なんか私から」
『いや、それよりも気になる事があるんだよ、ヨル』
八夜の言葉を遮り、アサは深刻そうに首を傾げている。
「な、何? 何か重要な事?」
『塩いって……なに?』
「……え、冷たい態度とかの事を塩対応って言うから……それの派生?」
『あ、そういう事か! やばいなー、10年間死んでたもんなー、最近の言葉わからんっす』
「最近の言葉と言っても、もう既に聞かなくなりつつあるけどね……私も流行りには疎い方だし」
『そんだけ言葉の使い方とか意味とかを勝手に増やしたりしてよくみんな混乱しないよね、私既についていけるか自信無くなってきたよ』
「今は増えるのに、言葉自体は略されすぎてるからね。短いものだと一文字とか二文字にされるからね」
『そマ?』
「使いこなしてるじゃん! もう大丈夫だよ、アサはちゃんとやっていけるから考えすぎないようにね?」
『りょ!』
適応早いなぁ。アサのこういう柔軟性を見習いたいと八夜は思う。こういうところで、交友関係を広く持てるんだろうな、昔から友達多かったし。
いや、そうじゃなくて。
「アサ、あのね、アサって私から」
『ヨル』
アサは再び八夜の言葉を遮り、人差し指を口元に当てる。
「え……? なに」
突然の事に困惑したが、しかし、すぐにアサに静寂を促された理由を理解した。
不思議な感覚だった。普段聞こえる音とは違う、かなり遠くから声が聞こえたのだ。何故か分からないが、近くでは無い事は分かる、それでも、ハッキリと方角までわかるほど確かに聞こえたのだ。
耳をつんざくような悲鳴が。
「これ人の声……!?」
『やばいよね』
恐らく女性のものと思われる悲鳴。それを理解した瞬間、八夜は家を飛び出していた。
怪異宿しとして強化された脚力をフルに使い、猛スピードで駆けていく。まだ18時を過ぎたばかり、まだまだ人が活動する時間で、誰かに見られるリスクもあったが、そんな事を考える余裕は無かった。
「どこ……!」
『あの一回だけだから詳しい場所がわかんない。でも明らかに何かに襲われてる、助けを求める悲鳴だった……だとしたら、逃げてて声があげられないとか?』
それとも、と、最悪の予想が頭をよぎる。恐怖に怯え、助けを求めるあの悲鳴、もしかしたら怪異に襲われているのかもしれない。いや、例えそれ以外だったとしても、今の八夜には放ってはおけなかった。
「もう一度だけ……なんでもいいから声が聞こえれば」
そんな八夜に答えるように、再び悲鳴が聞こえた、それも今度はかなり近くで。
まだ悲鳴の主は生きている、しかし、その事実に安堵するより、八夜は焦っていた。
悲鳴に混じって、硬いものが地面に擦れる鋭い音もしたのだ。例えるなら、刃物が擦れる音。
「あっ! アサッ! 『黄昏』!」
叫ぶと同時に、八夜の体が噴き出した赤黒い肉塊に包まれる。
ウサギの怪物、ナイト・ウォーカーへと変身し、その脚力を更に上げた。そして三歩、大股で助走をつけて、天高く跳び上がる。はるか上空から見下ろして、目標を探す。
『さぁて、どこだぁ? って、アレか!』
視線の先には路地があり、そこに一人の少女と、その少女より二倍の大きさはある明らかに異常な存在がいた。例えるなら二足歩行の犬、狼男といった方が分かりやすいだろうか。頭部がドーベルマンのようになっており、その巨躯は荒々しく黒い毛に覆われている。
両手にはとても犬とは言えない巨大で鋭い爪が生えており、それを少女に振り上げていた。
『って、冷静に分析してる場合じゃない!』
体を捻り、少女と怪異の方へ急降下する。
しかし、このままでは間に合わない。着地より先に爪が少女を切り裂くだろう。
『くっ……! 間に合え!』
咄嗟に自身の腕に生えている棘を引き千切り、犬の怪異へ向けて投げつけた。
否、投げたようとした。しかし、その行動を起こす事は無かった。
目の前で起こった光景に驚いて、こちらの攻撃を躊躇ってしまったからだ。
犬の爪が少女に届く寸前、その爪が犬の腕ごと消えたのだ。よく見れば、二の腕辺りから斬り落とされているようだった。腕は鮮血を撒き散らしながら犬の後方へと転がっていく。
『は? え?』
なにより驚いたのは、腕を落とされた犬があげた悲鳴、それこそ、八夜達が聞いた悲鳴だった。
『何が』
理解するよりも先に、犬の後方に着地する。その足音に、犬が気付きこちらに向く。その目は怯え、全身が酷く震えていた。
『ちょ、どうなって』
『なかま……! おねがい! たすけて! たすけ』
犬が残った腕をこちらに伸ばす、しかし、その手が届く事は無かった。
次の瞬間、犬の首が上空に飛び、頭があった場所からは噴水のように血が噴き出したのだ。
犬の巨躯が、グラグラと揺れ、糸の切れた人形のようにバタリとその場に倒れた。
その死体を踏みつけて、向こう側に居た少女が姿を現した。一瞬、人形かと思うほど彼女は無表情で、先程まで怪物を目の前にしていたとは思えないほど落ち着いていた。犬の方がそれらしい反応を見せていたほどで、若干混乱する。
全身に返り血を浴びているが、恐らく白い制服に身を包み、右手には、いわゆる日本刀のようなものを握っている。
これらの装備を、アサも八夜も知っている。知ってはいるが、あまりに信じられなかった。だってそれは怪異と戦う為の武器で、呉や末広のような大人が扱うものであって、人間の、ましてや少女が握っているのがあまりにも不自然だった。
頭から犬の鮮血を被り、赤黒くなった彼女は、落ちて来た犬の頭を無感情に見つめて、刀で突き刺した。
「あ、あーあー、しまった……なるべく生け捕りだったっけ……任せてっていった手前……これまずいな……霧谷さんに普通に怒られるパターンのやつだ……まずったな、どうしよう」
刀に突き刺した犬の頭部をプラプラと揺らしながら、少女はブツブツと呟く。
『アンタ……対策局の人間なわけ……?』
唖然として、そして衝撃的過ぎて、冷静な判断が出来ずにいたアサは、思わずそんな風に声をかけてしまった。
「……あれ、もう一匹いる……じゃあこいつでいいか」
刀を一振りして、頭と血を振り落とし、少女が無表情のままコチラに近付いて来る。
『は? ちょ』
言い終わる前に、アサは身を屈め、そのまま跳び退いた。そして、反撃などする余裕も無く、一目散にその場から立ち去った。
そうせざる得なかった。そうしなければ、次は自分が犬のように。
その証拠に、屈んだ瞬間、さっきまで自分の首があった場所を少女の刀が通過したのだから。
本当にギリギリだった。しかもそれだけなら良かったのだが、恐ろしい事に、避けたその直後、頭上には既に刀の切先がコチラに向けられていて、振り下ろされる寸前だった。
刀を振った直後に、一瞬で攻撃を切り替えて来た。あのままあの場にいれば、そのうち斬られていただろう。致命傷じゃなくても、何処かを斬られて動きが鈍り、そこからはもうサンドバッグのように斬られ続ける。
鮮明に、自分のそんな姿がよぎったのだ。だからこそ、何も考える必要も無く、逃げる一択だった。
『アイツ、アイツやばいよ! この間までの男達の方が数百倍マシだった! 絶対関わっちゃいけない奴だ! 次は殺される! 確実に!』
思考と感情がぐちゃぐちゃのまま、アサは背後を一切振り向く事なくただその場から逃げ出した。
アサと八夜の今後を不安にさせる、たった一瞬の出来事だった。
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「ちっ」
ウサギの怪異が去って行った方を見つめながら、彼女、深夜琴音は舌打ちする。そのまま壁にもたれかかり、小さくため息を吐いた。
「戦いにくかったなー、生け捕りなんて無理だよ……どうしてもぶっ殺したいって気持ちが勝つもん」
血塗れの刀を見つめて、深夜はふと思い出したように顔を上げる。
「あ、今の……ウサギか……元々のターゲットだった……今日の私ダメダメだな……失敗ばっかり」
攻撃も避けられたし、と、無表情だが、ほんの少し拗ねるように頬を膨らませる。
ひとしきり拗ねた後、深夜はスマホを取り出し、犬の怪異を討伐した事と、ウサギに遭遇したというメッセージをグループで送った。
数分もせず、数件の返信が来た。
ほとんどが班長である霧谷からの連絡だった。労うメッセージが2件、目標を殺してしまった事を咎めるメッセージが1件、そして、任務連絡が1件だった。
何気なく眺めていた深夜は、任務内容に目を止めて、無表情のままプフッと笑った。
「なにこれ、面白そう……結果的に怪異を殺せるならなんでも良いけど……」
呟きながら、深夜はその場を去っていく。殺した怪異には見向きもせず、たった一つの目的を果たす事だけを考えて。
「怪異を殺す……全部殺す、この世から絶滅させてやる」
それぞれの物語が動き出す。血と臓物、痛みと恨みに塗れた運命に引き摺られながら。




