動き出す戦士
「……アンタ、一人暮らしなの?」
リビングに入った彼女は、周りをキョロキョロと見回して言った。
「あ、はい基本一人です。兄がいるんですけど、仕事が忙しいらしくて、ほとんど家に帰ってきませんね……最後に会ったのも、もう随分前な気がします」
「……親は?」
「父も母も、その、十年前の震災で」
ああ、と彼女は察して少し頷いた。
「お兄さん、家に帰ってこれないほど忙しいって……何の仕事してるわけ?」
「それが、情けない話、私もよく知らないんです。例え家族でも外部に情報は漏らせないって」
「なにそれ……なんかヤバい事してるんじゃない?」
「兄に限ってそんな事は無いとは思うんですけど……か、完全に否定しきれないです」
「いや、冗談だし、そこはアンタも否定してあげてよ」
なんか調子狂う。彼女は自分の中からどんどん怒りが消えていくのを感じた。そもそも、なんであんなに怒っていたのだろう、この八雲八夜という少女が何かしたという証拠も根拠もどこにも無いのに。
八夜の邪気の無い姿を見ていると、どんどん恥ずかしくなってくる。冷静じゃなかった、どころの話では無い。正気じゃなかった。混乱していたとはいえ、突然他人の家に乗り込んで怒鳴り散らすなんて。
「とりあえず、座ってください。あ、今お茶いれますね」
八夜に席に着くよう促され、彼女は若干の後悔で重くなった足を動かし、渋々座る。しばらくして、お茶を持ってきた八夜が向かい合う形で座り、「えっと」と、気まずそうな笑みを浮かべながら言った。
「まず……自己紹介から……必要ですよね? 私は八雲八夜って言います。河合高校の二年一組で」
「知ってる、アンタ結構有名人だし」
「え゛」
予想外の言葉に、八夜は思わず変な声が出る。それもそうだろう。だって、今までずっと、自分は目立たずに生きてきたと思っていたのだから。事実がその真逆だと聞かされれば驚くだろう。というか、それもそうだが、肝心なのはそこじゃない。一体何故、いつから、どこでどんなふうに有名人になってしまったのか、という事だ。
「わ、私なにかしましたっけ……? というか、いつから……?」
「割と入学当初から、特に何もしてないけど……強いて言うなら、物珍しかったんじゃない? なんて言うか、その、生きてるのに、死んでるみたいな、変な雰囲気が珍しかったのかな」
「分かってはいましたけど……あんまり良い意味で有名だったわけじゃ無いんですね」
苦笑いを浮かべながらも、あからさまにショックを受けている八夜を慰めるように、彼女は続ける。
「いや、別に悪口言われてたわけじゃないから気にしなくていいでしょ。少なくとも私の周りでは嫌ってる雰囲気は無かったけど」
あ、でも、と彼女は思い出したように言う。
「つい最近、アンタが体育館ぶっ壊したとかなんとかわけわかんない噂流れたけど」
「話を戻しましょうか」
追加された情報が、全力で今避けたい話題だった。
「すみません、私は……その、貴女の事をよく知らなくて」
「……まぁ、クラスが違えば学年が同じでもそんなもんか。私は二年四組の大橋静」
彼女、大橋はそう名乗ってお茶を一口啜る。
「大橋さん……早速ですけど、その、何があったか教えてもらえませんか?」
八夜が言うと、大橋は少し視線を落として、一瞬何か躊躇うように口をつぐんでから、ぽつりぽつりとゆっくり話し始めた。
「先週……彼氏と肝試しに行ったんだけど……隣町に繋がる橋、知ってるでしょ? 最近あそこに怪物が出るって噂、ソレを確かめに行ったんだ」
「怪物……」
申し訳ないが全然知らなかった。ここ最近力加減の練習ばかりしていたから、周囲で何が起こってるかなんて把握してなかった。
「それで、彼氏が言ってたんだ、最近そういう噂が増えてるって。その時に、アンタの話題も出た、最近……急に元気になったっていうか……いきなり雰囲気が変わったって、もしかしたら、本物のアンタは死んでて、化物が化けてるんじゃ無いかって」
「……」
思わず顔が引き立った。すごいな彼氏さん。半分どころか八割当たってる。
「そんな事してたら……信じてもらえるかどうか分からないけど……本当に出たんだ……化け物が。牛みたいな姿をしてるのに、人間みたいに立ってる奴が」
大橋はそこで顔を強張らせる。思い出したく無い、嫌な記憶なのだろう。
「それで……私は……私だけが無我夢中で逃げて……気付いたら彼氏が居なくて……急いで探しに戻ったんだけど……どこにも居なくて……警察に相談したけど全然見つかんなくて……もうわけわかんなくなっちゃって、彼氏が言ってた、アンタが化物かもしれないって……変な事考え出しちゃって……」
大橋は俯いて、大きなため息を溢す。落ち着いて話して、より一層自分の行動の浅はかさを悔いているようだった。
「あの……今更だけど……ごめんなさい。かなり冷静じゃなかった……ホントに馬鹿な事した……何の証拠もないのに」
「いや、あの……無理もないですよ。その……変な怪物を見て、その後大切な人が突然居なくなったら、そんなの、冷静でいる方が無理ですって。そんな時に手掛かりになるかもしれない人間がいたら、私だって話を聞きに行くぐらいはすると思いますし!」
頭を下げる大橋に、八夜は慌ててそう言った。そんな彼女を、大橋はキョトンとした顔で見つめる。
「え、もしかして……な、慰めてる? アンタ……私の事怒ってないの……?」
「え、ええ、別に怒ってないですけど……?」
「いや、でも……引いたでしょ。だって、見ず知らずの女がいきなり怒鳴り込んできたんだよ? しかも身に覚えのない事にキレながら……」
「まぁ、びっくりはしましたけど……事情を聞いたら納得出来ましたし……引いたりも……別に」
「……通報したり?」
「あ、そうですよね。彼氏さん探さないと、もう一度警察にお願いして」
「いや、違う、そうじゃない……え、あの、え?」
「え?」
大橋は酷く混乱したように頭を抱える。
アレ? これって自分の感覚がおかしいの? 今の状況、普通なら殴られて追い出されても文句言えない状況だし、そもそも最初の段階で警察に通報されてないのも……。
「あ、それより大橋さん。警察には、化物を見たって言いましたか?」
「え? いや、言ってないな……。どうせ信じてもらえないだろうし……それこそ真面目に探してもらえなくなるかもしれないし」
「やっぱり……。実は私も、見たことあるんですよ、化物」
八夜は、スマホであの日の事件の記事を検索し、そのページを見せながら言う。
「ウチの学校の男性教師が惨殺された事件、私、アレの目撃者なんです」
「コレ……彼氏が言ってた……本当だったんだ。化物って、まさか……私が見たのと同じ」
「いえ、私が見たのはネズミみたいな形をしてて……その事に関して取り調べを受けたんです」
「取り調べ……って、警察に言ったの? ネズミの化物を見たって。そんでもって、信じてもらえたわけ?」
目を丸くして驚く大橋に、八夜は首を振って答える。
「いえ、その時私の取り調べをしてくれたのは……警察の方じゃなかったんですよ。その人は、こういう、化物による被害に立ち向かう組織の人らしくて……一般的にはまだあまり知られてないそうなんですけど」
そう言って、八夜は貰った名刺を大橋の前に出した。彼女は眉をひそめながら、その名刺を受け取る。
「……なにこれ、怪異対策局?」
「化物が関係しているなら……そこに連絡してみてはどうでしょうか。きっと力になってくれると思いますよ」
「……いつもなら胡散臭いって鼻で笑っちゃうところだけど、今は藁にもすがる思いだし……頼ってみようかな」
大橋は名刺をポケットにしまうと、立ち上がって八夜に頭を下げた。
「本当にありがとう、見ず知らずの私の話を聞いてくれて、解決案まで考えてくれて」
「いえ、どこまでお役に立てたか分かりませんけど……でも、貴女の気持ちは分かるんです……私も、十年前に大切な人を目の前で失ってしまって……すごく辛かった。だから、同じ思いをしてる人が目の前にいるなら、何とかしてあげたいって、ただ、それだけなんです」
「大切な人って……家族?」
「いえ、でもそれと同じくらい仲の良かった親友です」
「そっか」
それ以上は何も言わず、大橋は玄関の方へと歩き出す。
「早速連絡してみる、改めて、ごめんね、それから、ありがとう」
「気にしないでください、彼氏さんが見つかる事を願ってます」
「アンタ……本当いい人だね、友達多そうなのに、何であんな変な噂流れるんだろ」
「いやぁ……まぁ、私暗いですし、仕方ないんじゃないですかねぇ……あはは、別に気にしてないですし、大丈夫ですよ」
「でも、気分良いものでもないでしょ。今度アンタの変な噂聞いたら、私が訂正しといてあげる。八雲八夜はいい奴だって」
クスクスと笑い合ってから、大橋は「じゃあね」と言って小さく手を振って去っていった。
その姿が見えなくなるまで見送って、玄関の扉を閉めてから、八夜はぐったりとその場に座り込んだ。
「つ、疲れた……」
『お疲れ様、相変わらずお人好しというか、人見知りなくせに他人を優先しちゃうんだねぇ、ヨルは』
「だって、気の毒だもん……それにしても、呉さんには迷惑かけるな……」
八夜もアサももちろん知っている。名刺をくれた呉真が重傷を負って戦える状態では無い事を。しかし、それ以外に頼れるところは無かった。人が解決できるなら、極力任せたい。
「私達だって、下手に動けないもんね」
『だね、それよりさ、カレーどうなった?』
「え? あ、ああ!」
ぐつぐつと煮え立ち、上の方が焦げたカレーを見て、なんなら米を炊き忘れている事に気付いた八夜は、更にぐったりと疲れるのであった。
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歩きながら、大橋はスマホを取り出し、名刺にある電話番号を打ち込む。
二回コールが鳴った後、明るい女性の声が聞こえた。
『はい、こちら怪異対策局です。担当職員を向かわせますので、ご用件をどうぞ』
「えっと、一週間ぐらい前に、牛みたいな化物に襲われて、彼氏が行方不明になってしまったんですけど」
『怪異による襲撃ですね、では一番近い職員を向かわせますので、お手数ですが、お名前とご住所をお願いします』
「大橋静……住所は」
自分の住所を伝え終わると、電話の向こうの女性は『分かりました、すぐに向かわせます』と言って、電話を切った。
慣れない電話に少し緊張したが、本当に何も疑われる事なく話を聞いてもらえたので安心した。
「本当にある組織なんだ……ってか、やばっ。家に来るって事じゃん、早く帰らないと」
スマホで時間を確認し、大橋は小走りで帰路を駆ける。
しかし、その足はすぐに止まった。
「……なに、アレ」
前方にある街頭に照らされ、見慣れない何かが道を塞いでいる。四つん這いで、顔面を地面に擦り付けているように見えるそのシルエットは、明らかに人間では無かった。
耳を澄ませば、その何かは、息を荒げて地面に顔面を擦り付け続けている。
特徴的に言えば、豚や猪に近いだろうか。
「……」
嫌な予感がした大橋は、思わず後退る。しかし、運が悪い事に、足がもつれ、勢い良く尻餅をついてしまった。
「痛っ……え、あ、ヤバ」
案の定、その奇妙な物体は、その音に反応し、こちらを見上げた。擦り付けていた顔面の全貌が明らかになった瞬間、大橋は思わず「ひいっ」と情けない声を漏らした。
その顔に目や鼻は無く。顔面全体が巨大な吸盤のような形をした口のようになっており、無数の牙のようなものが乱雑に突き出ていた。
その気持ちの悪い顔面から、フゴフゴと息を漏らしながら、その化物は大橋に向かって突進の態勢を取る。
「……やだ、やめて……来ないで!」
声を荒げてそう叫ぶが、まるでそれを合図にしたかのように、化物は大橋に向かって突っ込んで来た。
物凄い速度で向かってくるソレから思わず顔を背け、目を瞑る。現実から目を背けてみたところで、嫌でも数秒後叩き付けられる。様々な記憶が脳内を駆け巡り、激しい後悔に襲われながら、大橋は最期の時を待つしか無かった。
しかし、覚悟していた現実は、激しい銃声のようなものが鳴り響き、打ち砕かれた。
恐る恐る目を開けると、さっきの化物が、その気持ちの悪い巨大な口から黒煙を上げながら倒れ、両足をジタバタと動かしている。
「……なに、なんなの」
「よっ、お嬢さん、大丈夫か?」
背後から、男の軽い声が聞こえた。振り向くと、白い服を着た金髪の男が、ニヤリと笑みを浮かべながら立っていた。恐らくこちらに話しかけたのだろうが、その視線はジッと化物を捉えており、両手に握る銃を向けていた。
「……だ、誰」
「自己紹介は後でいいかい? とりあえず、アレ片付けてからだ」
男はそう言って、化物に向かって走り出す。その事に気付いた化物は飛び起きて、再び突進を開始した。
「はぁ? あったまわる! そんな単調な攻撃で俺に勝てるわけねぇだろ!」
そう言って、男は化物に向けて発砲した。両手に握る銃から放たれた二発の弾丸は、問題無く化物の異形の口へと命中する。
その瞬間、化物の動きが鈍くなり、ブルブルと震えだした。そして、まるで内側から沸騰しているかのように全身がボコボコと膨らみ始める。
「効果抜群だな、お前みたいに弾丸が体内に入りやすい奴はやり易くて助かる……さて、罪の無い可愛い女子高生を怖がらせた罪はめちゃくちゃ重いぜ? 俺と戦った事を後悔して」
爆散しやがれ、と、彼がそう言うと同時に、化物が全身から血を噴き出し、直後粉々に破裂した。
肉片と血が飛び散り、辺りが真っ赤に染まる。
「うぇえっ! きもっ! 汚ねぇ! しまった! もう少し離れればよかった! カッコつけてる場合じゃなかった!」
さっきまでドヤ顔を浮かべていたくせに、ぎゃあぎゃあと騒ぐ男に、大橋は恐る恐る近付いていく。
「あの……」
「お? おお、無事なようだな、良かった良かった」
大橋の姿を確認すると、男は一安心といった風にそう言った。
「貴方は……一体」
「あ、そうか、コイツを始末したら自己紹介だったっけ、そうだったな。その前にさ、君、大橋静ちゃんで合ってる?」
「え、そうですけど、どうして私の名前を」
「そっかそっか、なら問題ないな、じゃあ名乗らせてもらうぜ」
男は得意げな笑みを浮かべながら名乗る。
「怪異対策局の末広望だ。通報を受けて、君の話を聞きにきた職員ってとこだな、よろしく」
末広はそう言って、手を差し伸べてきた。
本当に助けに来てくれた、八夜の言う通りだと感激したが、残念ながら、大橋にその血塗れの手を握る勇気は無かった。
怪異殺しの戦士が、また一人動き出した。