これから
ネズミと戦闘した次の日、八夜は学校を休んだ。全身が筋肉痛で、指一本動かせず、そこに追い討ちをかけるように、40°を超える熱が出たのだから当たり前であろう。
『ほらぁ、無茶するからぁ』
「うぐぐ……」
ベッドから動けず、呻き声を上げるだけの八夜の隣で、アサは呆れた表情を浮かべながらリンゴの皮を剥いている。
『一回変身するだけでも相当な負担がかかるのに、無理矢理二回目やるなんて、その場で体がぶっ壊れてもおかしくなかったんだからね』
「うう……でも、二人とも助けられて良かった……」
『どうだろうねぇ、女の子の方は良かったかもしれないけど、やっぱり私は、あの呉って人はタダで帰すべきじゃなかったかもって思ってる』
「ど、どうして? あの人、私に戦い方を教えてくれたし、悪い人じゃないよ?」
『うーん、単純なヨルめっちゃ可愛いんだけど、残念ながら私的には、それだけじゃ良い人とは言えないなぁ』
切ったリンゴを八夜に食べさせながら、アサは言う。
『呉さん的には普通に私達を武器として使っただけだろうし……あの人の怪異を殺すっていう使命感みたいなものは半端なかったから、私達の警戒を解いたとは思えない、物凄く都合良く見積もって、敵視はされてないって感じじゃない?』
「えぇ……じゃあ、もし次に会ったら」
『敵になるかもね、変身してたらの話だけど』
勝てる気がしない。生身で怪異とあれだけ戦える相手に、戦闘ド素人の自分が勝てる道理がない。何より、あの武器に耐えられるとは思えない。
『あー、あれね、なんだったんだろうね? ネズミの硬質化した針すら削れてた、ってか、そもそも実体化した怪異に傷をつけれる事自体普通じゃないのに……流石怪異対策ってだけ言う事はあるね』
「あんなのまともに受けたらひとたまりも無いよ……何か対策考えた方がいいのかなぁ」
うんざりした顔を浮かべる八夜に、アサは不思議そうに小首を傾げる。
『ヨル? 敵になるかもしれないとは言ったけど、それは変身状態で出会ったら、とも言ったよね? つまり、正体がバレなきゃ済む話なんだよ?』
「それはそうだろうけど、アサが言ってたじゃない、これからも私は狙われるって……私が何もしなくても、これからの怪異との遭遇率は今までとは桁外れに高くなっちゃうわけでしょ? そうなると、対策局だって動くでしょ? 現場で鉢合わせ、とか、なくは無い……ってか絶対あるよね」
自分で言っておいて、気分が悪くなってきた。胸の奥底が重苦しくなる。そんな生活がこれから待っているのだ。
「ああ……憂鬱」
『ヨル偉いね』
「なにが?」
唐突に褒められ困惑する。しかし、アサは感心したと言わんばかりに小さく頷き、パチパチと小さな拍手をしていた。
『襲われる事を前提に、ちゃんとこれからの事を考えてたんだね、しかも立ち向かう意志まであるなんて……』
三日ほど前の、すぐに逃げ出そうとしていた彼女とはまるで別人のようである。ネズミとの戦いに勝利し、僅かながらにも自信のようなものがついたのだろうかと、アサは思う。
「いや、そうせざる得ない状況に追い込まれてるから考えてるだけで、基本私は嫌だよ……襲われるのも、戦うのも」
『でも逃げようとはしてない、すごい成長だよ』
「それは……逃げる場所なんて無いし……それに、戦うのは私一人じゃないって分かったから」
八夜は、不安げながらも少しだけ笑みを浮かべてアサを見る。
「アサと一緒に戦えば、なんとかなったし……アサと一緒なら、大体の事は乗り越えられる気がするから……」
『ヨル……私は嬉しい!』
感極まったアサが、弾けるような笑顔を浮かべ、八夜に飛び付いた。全身が筋肉痛で動けない八夜に、それが避けられるわけもなく、無抵抗なまま全身に衝撃を加えられた。
「ぎゃあああああああああああっ! いったぁあああああああああああいっ!!」
『私の事を信じて戦う意志を決めてくれるなんて本当に嬉しい! これから一緒に頑張ろうね! 必ずわたしたちの平穏を取り戻そう!』
絶叫する八夜をよそに、アサは喜びを全身で伝える。
「そ、その為にも……クリアしなきゃいけない課題が色々あるよね……」
『そだね、とりあえずちゃんと変身できるようになる事からだね』
決意を固め、二人はこれからの事を話し合う。
これから起こるであろう最悪を想定して。
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一方その頃、怪異対策局の会議室で、呉の報告書を見つめる四人の男女がいた。
皆思い思いの顔を浮かべているが、中でも一番深刻そうな面持ちをしている男が、ため息を一つこぼした。男は二十代前半ほどに見える若い容姿をしているが、その髪だけは、何故か老人のように白髪だった。
「まぁ……知っての通り、呉がしばらくの間戦線に復帰出来なくなった」
「マコちゃんが死にかけるとか、そんなにヤバい敵だったのかね? そんなん増えたら、俺やキリでもめっちゃ苦戦しそうだな」
白髪の男の隣で、まじまじと報告書を見ながら金髪の男が言う。
「技術課の方で装備の強化は進めてくれてるんだけど……まだ当分時間はかかりそうだ」
「それまでは生身でなんとか頑張れって? すげー無茶振り!」
心底嫌になり、つい大声で叫んでしまう。
「いきなり大きい声出さないでよ末広くぅん、姫ちゃんそういうの苦手ー」
そんな金髪男をジトリと睨みながら、向かいに座る女が言う。『末広くん』と呼ばれた金髪男は、それに対して慌てて謝罪した。
「ごめんよ姫ちゃん! 今度から、いや、今この瞬間から気を付けるから許して!」
「いーよ、姫ちゃんファンには寛容だから許してあげる」
そう言って、姫ちゃんと自称する彼女は、末広に向かって微笑む。その瞬間、末広は何かに撃ち抜かれたように頭をくらくらさせながら「マジ可愛い、マジ天使」とうわ言をしゃべり出した。
「話を戻すが、班長である呉の離脱によって、当然ながら呉班は担当区から外される、で、その代わりに派遣されるのが、俺達の班だ」
白髪の男は、資料を見ながら言う。
「早速明日から現場入りする事になるから、各自くれぐれも間違えないように、そして、これは常に気を付けていると思うけど、絶対に油断はしないように」
「りょーかい」
「了解ですぅ」
末広と姫ちゃんが手を上げながら言う。そんな中、一人だけ、ぼんやりと報告書を眺めたまま返事をしない人物がいた。
「……どうした、なんか気になる事があるか」
「……ん、んん、あのさ……ですね、新しい担当区の主な調査対象って……このウサギってやつ……ですか?」
白髪の男の問いかけに、感情のこもっていない声で答えたのは、少女だった。四人の中で一番若い、どう見ても高校生ぐらいにしか見えない少女。
「ああ、そうだろうな、ただ、怪異がそいつだけな訳が無いからな、他の奴が動いたら順次対応していく形になるから、ウサギだけに集中する事は無いと思うが……それがどうした?」
「このウサギ……報告書によると、形が途中で変わったって書いてあるし……ありますし、おまけにネズミを最終的にやったのはこのウサギらしいんだけど……らしいんですけど、この『調査』っていうのは……どういう調査なの……ですか?」
「……何が言いたい?」
「呉さんを殺そうとした怪異を倒して、結果として助けた形になるからって……まさか友好的だ、なんて考えてないよね……ないですよね? まさか、味方にできるかどうかの調査じゃないですよね?」
無感情な声色で、彼女は尋ねる。しかし、その瞳には、明らかな殺意が込められていた。
そんな彼女に、白髪の男は呆れたようなため息を一つこぼしてから言う。
「それも含めての調査だ、なんせ、人間を助ける怪異なんて前代未聞だからな。分からない事だらけだ、だから、ちゃんと調べないとダメだろ」
「でも怪異だよ……ですよね?」
「ソレを決めるのはお前じゃない。言いたい事は分かるが、いいか、くれぐれも先走るなよ?」
白髪の男にたしなめられ、少女はつまらなさそうに「分かりました」と言う。
「よし、じゃあ今日はこれで解散、詳しい指示は明日現地で出すから」
そう言って、それぞれ会議室から出て行く。
少女も会議室から出た、しかし、その視線は未だに報告書に向いている。
「前代未聞、か……そっかぁ……このウサギ……悪い奴だといいなぁ……」
少女は無感情な声で言う。
「そしたら誰にも文句言われず殺せるもん」
無感情な声で、まだ見ぬ獲物に殺意を向ける。
「怪異は殺す、全部殺す、慈悲無く殺す、容赦無く殺す、遠慮なく殺す、完膚なきまでに殺す……絶対に」
敵は怪異だけじゃない。
八夜達のこれからは、波乱に満ちていた。