夜が明ける
強い武器を持ってるからと言って、誰もが強くなれるわけではないのだ。銃だって弾が当たらなければただの鉄塊だし、剣は斬れなければただの鉄の棒と化する。
能力も同じ事、一瞬で武器を生成できて、装備出来たとしても、それが使いこなせなければ無能と同じ。
まぁ、しかしこの場合、剣を握った事も無いどころか、今まで人と争った事も無いような、非力で気弱な少女に、突然出てきた武器を使いこなせという方が酷な話ではあろう。
「な、なんだ……あれ」
呉は顔を引きつらせる。
無理もない、非力な少女には酷な話……だからと言って、これは酷すぎだ。
「やぁあっ!」
掛け声と共に、ナイト・ウォーカー、もとい、八夜は剣を振り回す。しかし、その剣先は、ネズミに擦りもせず、何もない空間を弧を描くだけだった。ちなみに、ネズミが避けたわけではない、そもそもネズミに届いてすらいないのだ。
とても戦闘とは呼べない奇行に、呉はただただ困惑する。幼稚園児のごっこ遊びでも、もう少しまともに間合いが取れている。
そして、困惑しているのはネズミも同じだった。
『……さっきからお前なにやってんだ?』
「あ、あれ? また避けられた……」
『いや、俺さっきから1ミリも動いてねぇよ』
「そ、そんな」
落胆しながらも、八夜は再び剣を構える。しかし、付き合ってられんと言わんばかりに、とうとうネズミが素早く動き鋭い棘を纏った拳を彼女の胴に打ち込んだ。
「ぎゃっ!」
情けない声を上げながら、八夜は勢い良く吹っ飛ばされる。だが、コンクリートをも粉砕するほどの怪力と棘で殴られたのにも関わらず、八夜にダメージが通った様子は無かった。
『チッ、無駄に硬ぇな』
「び、びっくりした……あ、あんなの生身で当たってたら……」
まず間違い無く死んでいただろう。そう思うと、どんどん恐怖が湧き出てきた。
(も、もしこの鎧が破壊されたら、私からアサが引き剥がされて……ど、どうしよう、早くなんとかしないと、私も死ぬ、あのネズミに憑かれてる子も死ぬ……は、早く、どうにかしないと……でも、剣を振っても当たらない、そもそもこんなの使った事無いし……それに、アイツ速すぎる……ど、どうしよう、どうしようどうしよう)
「おい……おいお前!」
思考の沼にハマっていた八夜の意識を、強引に戻す声があった。振り向くと、険しい表情を浮かべた呉がこちらに向かって叫んでいる。
「あ、あの、えっと」
「お前は何だ! 何者だ! 目的はなんだ! いや、何にしても……弱過ぎるだろ! 何がしたいんだお前は!」
「ご、ごめんなさい……! あ、あの、私は……」
呉は怪異と戦う身、そんな彼から見たら、今の八夜の言葉など、とても信じられるものでは無いだろう。状況的に、運良く縄張り争いか、獲物の取り合いが始まって助かったとしか思われていないかもしれない。
余計な事を話して更に怪しまれるより、問われた事にだけ素直に答えておいた方が良い。
「私は、あのネズミを倒して、器にされている子を助けたいんです! あ、あと、負傷した貴方も」
「怪異がそんな事をして何になる? 今度はお前がその子を器にするつもりか! もしくは俺をか!」
「ち、違います! 本当に……私はただ、目の前で人が死ぬのが嫌なんです! だ、だから……」
「攻撃が擦りもしないくせに……その武器はお前のだろ、なんであんなに無様に」
「じ、実は……その、た、戦った事無くて……」
「はぁ? マジでなんなんだお前、報告にあったウサギとは別個体なのか?」
呉は怪訝な表情を浮かべ、ネズミと八夜を交互に見る。そして、深いため息を吐いてから、八夜に向いて言う。
「正直お前の事は信じられない、当たり前だよな? お前はどうしたって怪異だ、人間の敵だ、だが、俺もこのザマだし、仲間が応援に来てくれるのもまだ少しかかる……だから、今はお前に任せるしか無い、本当にお前が人を救いたいと思っている、という事に賭けてな」
呉は八夜が握ろうとしている剣を指差して首を振る。
「アドバイスだ、使い慣れていないなら、武器を使うな」
「え、で、でも、武器を持ってた方が」
「お前、運転もした事無い奴に、車のハンドル握らせて平気なのか? 使える奴が持たなきゃ意味が無いんだよ、戦いが未経験だとしても、やるしか無い状況に立たされてるなら少しは頭を使え、お前が今使えるものを最大限に使って戦え」
「私が……今最大限に使えるもの……」
必死に考えるが、思い付かない。得意なスポーツがあるわけでも無いし、天才的な頭脳があるわけでも無い。あるのは、無い無い尽くしの身体だけ。
『やっぱりお前には使いこなせねぇみたいだな! 俺ならもっと上手く使ってやれる、だから、その体を寄越せ!』
敵が大人しく待ってくれるのはフィクションの中だけ。考えがまとまらない内に、ネズミが鋭い爪を立てて襲いかかって来た。
「や、やばいっ」
ここで避ければ呉さんが攻撃されるかもしれない、ここは防御しか無い。さっきみたいに盾を使ってーー
(ダメだ、今剣を持ってない!)
やっぱり拾っておけば良かった。しかし既に後の祭り、今から拾って間に合うわけがない。
(ここにあるのは、自分の身体だけ。それを、最大限に使って、せめて呉さんは守ってみせる!)
八夜は両腕を大きく広げ、彼を庇うようにネズミの前に立ちはだかる。正直この鎧なら、ダメージをさほど受けずに防御出来るはず。
「ウサギ! 両手を前に出して掴め!」
ネズミの爪が触れる直前に、呉のそんな声が聞こえた。反射的にその指示に従い、両手でネズミの爪を掴む。
『何ぃ⁉︎』
「え? わっ! ちょ、掴んじゃった!」
「そのまま素早く引き寄せて、思い切り殴れ!」
再び出された呉からの指示に、八夜は再び従って、ネズミを引き寄せ、思い切り顔面に拳を叩き付けた。最初のへなちょこパンチとは違って、腕を伸ばし切って思い切り拳を突き出す。
『ぐおおっ!』
「あ、当たった……え?」
悶絶するネズミ。八夜は、初めて攻撃が当たった事にも驚いたが、それよりも不可解な現象に首を傾げた。拳が当たった瞬間、まるで水面に小石を投げ入れたみたいに、ネズミの顔が波紋状に歪んだような気がしたのだ。
「止めるな! 叩けるだけ叩け!」
「は、はいっ!」
ネズミの動きが鈍くなっている内に、八夜はがむしゃらに拳を打ち続ける。そして、気付く、やはり気のせいでは無かったと。
(やっぱり、攻撃が当たるたびにネズミの体が不安定になってる!)
アサが言っていたのはこの事だったのか。怪異と人間を引き剥がす、完全適合者にはこういう能力が備わっているのだろう。なるほど、確かに自分にしか出来ない。
『ぐぅっ! 調子に乗るんじゃねぇ!』
流石にネズミもサンドバッグになるつもりは無い。無数の毛を鋭く伸ばし、八夜を勢いよく突き飛ばした。貫きまではしなかったものの、激しい火花を散らして、鎧から嫌な煙が上がる。
「うわっ! い、今のヤバいんじゃないかな……」
「油断をするな! すぐに態勢を立て直して構えろ!」
呉が背後から指示を出す。不本意な協力にも関わらず、的確な指示をくれるのは本当にありがたい。あわよくばこれで敵じゃないって事を証明しておきたいんだけれど、と八夜は思う。
『クソがぁ……なんなんだ今の攻撃は……無理矢理引き剥がされそうに……』
ネズミは舌打ちして、八夜を睨む。攻撃そのものの威力は、正直そこまで脅威では無いが、こんな厄介な能力があるのであれば話が変わってくる。そもそも適合者でも無い身体を無理矢理使っているだけなのだから、始めから不利な勝負ではあったのだが、しかし、だからと言って、このまま身体を捨てて生身で戦うのはリスクが高すぎる。
一度逃げるのが賢いか。いや、今、目の前の獲物は自分の力に慣れていない。下手に時間をくれてやって、その間に力を使いこなせるようになられたらそれこそ厄介だ。
やるなら、今しかない。問題は、どうやるか。
「か、観念してその身体から出ていって! 大人しくその子を解放するなら今だけは逃してあげるから!」
八夜が少し声を震わせながら言う。ネズミが取り憑いている身体の限界が近い事に、焦っているのだろう。
その焦りを、ネズミは見逃さなかった。
『そうだな、俺だって自分に合わない身体を使うのはしんどいんだ……長持ちしねぇしな。出て行けと言うならそうしても良い……代わりの体を用意してくれるならな』
「な、何を言って」
『最初から言ってるだろうが、俺の目的はお前の身体だ。お前の身体を寄越せ、そうすれば、コイツを解放してやっても良い』
「……っ!」
八夜の明らかな動揺に、ネズミは笑みを溢す。怪異を殺し人を救う事を使命としている呉と違って、ただの小娘にはこんな人質作戦は効かないと思っていたが、人間とはつくづく馬鹿な生き物だ。自分の身か、他人の身か、天秤にかけられれば殆どが迷い動けなくなる。そんなもの、自分の身を優先させるのが正解に決まっているのに。
「な、なんでそんなに……人の体を欲しがるの……」
『余計なお喋りは無しにしようや、お前がさっさと決めないと、俺が使ってるガキはマジで死ぬぞ? わざわざお前に決定権を譲ってやってんだから早く決めろよ。ちなみに、俺はこの体が死んだって別に良い、そのまま喰うし、別の身体に乗り換えるまでだ』
ネズミはそう言って、腕が動かない呉を見る。
『人を守りたい、みたいな事を言ってるお前に、実質選択肢なんかねぇな』
ニヤリと笑みを浮かべ、ネズミは針のような毛を逆立てる。
『とりあえず、手始めにその鎧をぶっ壊してやるよぉ!』
そう叫んで、ネズミはこちらに向かって突っ込んで来た。鎧はかなりの強度を持っているみたいだが、流石に直撃は不味い気がする。
(爪を突き立ててくるはず、だったらさっきみたいに掴んで)
『バカが! お前は攻撃出来ねぇよ!』
鋭い鎌のようになった爪を振り上げるネズミ、胴がガラ空きになっているが、八夜は、そこを見て絶句する。
ネズミの腹の部分から、少女の上半身がダラリと露出していたのだ。虚ろな目で、どこを向いているのか分からない正気のない表情をしているが、辛うじて、息はあるようだ。
「酷い……!」
「この野郎ォォ……!」
この怪異は、勝手に取り憑いて、苦しめた相手を、あろう事か盾にしようとしている。八夜は狼狽え、呉は怒りで立ち上がり、動かない腕を無理矢理動かして武器を取ろうとしていた。
『なんとでも言え! お前らにできる事なんか! せいぜいその程度だろうしなぁ!』
そのままネズミは、無抵抗な八夜を両手の爪で挟むように貫いた。嫌な音を立てて、鎧が砕け、喉や肩に爪が刺さる。
「ぐぁっ! ガハッ……!」
『ザマァみろ! この身体は俺のもんだ!』
得意げに叫んで、ネズミはどんどん爪を喰い込ませていく。しかし、そんな様子を見て、呉が不敵に笑った。
「なるほど……俺みたいな人間と違って、怪異だものな、どう見ても致命傷だが、動けるってのは羨ましい」
『ああ……? あっ? な、なんだ? か、身体が、動かね』
「ゲホッ……く、くやしがる……だけじゃない……考える事だって……できる……つかえるものを……できることを……最大限に……活かせば……どんな能力より……強力な武器になる!」
八夜は、当初の予定通り、掴んでいた。
ネズミの攻撃をでは無い。人質にされた、少女を、ガッチリと掴んでいた。
『て、テメェ!』
「アンタも、ちょっとは考えるべきだったね……自分の中に隠し持ってて、私達が手出しできないからこそ……人質には意味があるのに、曝け出しちゃったら、ほんの少しでもこっちにも希望が見えちゃうのに……私達の目的は、最初からアンタを倒す事より、器にされてる子の解放なんだから!」
八夜は、掴んだ少女を力一杯引っ張った。すると、ズルズルと、ネズミの中から身体が出されていく。ネズミに攻撃すれば宿主から引き剥がせる。なら、その逆もまた然り。宿主に干渉すれば、当然の如く、ネズミから取り除く事も出来る。
『ぎゃあああ! やめろぉ! クソ! 死ねっ! 死ねぇ!』
ネズミは少女の解放を阻止しようと、爪を伸ばし針を飛ばすが、八夜は引っ張る力を緩めない。
「もう、誰かに目の前で死なれるのはごめんなんだ……! 例えよく知らない人だったとしても……守れる力があって、救える命をこの手に掴んでるなら……私は絶対離さない! どうなろうとも! 絶対にぃ!」
私生活では散々迷惑をかけてくれた馬鹿力が、存分に役立った。
最後の力を振り絞り、勢い良く引っ張ると、ネズミから少女を完全に引き摺り出す事に成功した。無理矢理分離させられたネズミは、急激に力が衰え、爪がボロボロと崩れ落ちていった。
「今だぁ! お願い! アサっ!」
八夜がそう叫ぶと、鎧が突然燃え上がり、みるみるうちに形を変えていった。
そして、現れたのは、ウサギのような化け物だった。
『流石私の親友、やるときはやるね』
ネズミを見下ろしながら、アサはニヤリと笑う。
『さぁて? 好き勝手やってくれたねドブネズミ野郎、どうなるか分かってんでしょうね?』
『なんなんだ……なんなんだお前らはよぉ!』
ネズミの問いに、アサは彼の頭を掴みながら囁くように答えた。
『人々を守る夜の騎士、ナイト・ウォーカーだよ』
そして、そのまま、大きな口を開けて、ネズミを丸呑みにしてしまった。
アサは傷が癒えていくのを確認すると、すっかり夜になってしまった空を見上げ、そして、呉と、気を失っている少女を見下ろして言った。
『良かったね、アンタ達にもちゃんと夜が明けて、明日が来る』
そう言い残して、ウサギはそのままどこかに飛び去った。
それから間も無く、応援が駆けつけ、呉と少女は救助された。
何があったか説明したかったが、どうにも上手く言葉に出来なかった呉は、救護車の天井をぼんやりと見つめていた。
絶体絶命だった。死んでいてもおかしくなった。休息の為じゃなくて、永遠に眠っていたかもしれなかった。
でも、生きている。あのウサギの怪物が言ったように、来るかどうか分からなかった明日を迎える事が出来る。
その明日は、怪異によって作られた。
「…………」
複雑な気持ちを抱えながら、いつの間にか、呉は眠っていた。貫かれた腕が痛むはずなのに、死んだように、眠りについた。
こんな風に身体が睡眠を求めるのも、生きている証拠。
もうじき、夜が明ける。