夜になる
『すごいねぇ、人間って』
アサは『タリスマン』と呼ばれた武器を凝視しながら言う。あんまり見つめていると、バレそうな気がするので本当はもう少し引いて欲しいと思う八夜だが、アサが視線を逸らす気配は無い。
じっくりと、目の前の死闘を観察している。
人間の呉と、怪異のネズミ。両者の攻撃は熾烈、そして苛烈で、次の一瞬でどちらかが死んでいてもおかしくないと思うほどだった。
しかし、ただの一般人である八夜の素人目から見ても、少しずつその戦闘の実態が明らかになってきた。
意外にも、呉が優勢なのである。ネズミは、回避と防御行動が多く見え、決め手となる攻撃に転じる事が出来ていない。
「す、すごいね、呉さん」
『仕組みとかは、全然分からないけど、生身の人間が怪異のボディ削るとか相当ヤバイよ。しかもあんな近接戦闘、下手すりゃ即座に首を持っていかれるのに、彼、全く動じてない』
それどころか、あえて自分から敵の間合いに入り込み、わざと攻撃させ、その軌道を読み取り、カウンターへと変えている。
もちろんネズミもそれに対応し、咄嗟に針のような毛を飛ばす事で、呉との距離を取り回避しているが、それもほんの僅かな時間である。
構わず呉は突っ込んで来るのだ。
『コイツ……! ビビったりしねぇのか!』
「しないな」
拳を振るう呉、しかし、ついにその拳が弾かれてしまう。
『なら、こんなやり方はどうだ』
ネズミは、いつの間にやら、長い槍のような武器を持っていた、それで呉の拳を弾き上げたのだ。
「……驚いたな」
『ハッ、ナメるのも大概にしておけよ人間! 俺ら怪異には、お前らには無い、ちょっとした特殊能力が備わってるんだからよ!』
そう言って、ネズミが自分の毛を一本抜き取ると、一瞬にしてそれは長く太く、そして鋭い槍へと変化した。それと同時に、ネズミの腰辺りに、無数の鋭く長い針が生えはじめる。
まるで、ヤマアラシのようだった。
『ぶっ貫いてやる!』
突き出された槍に、呉は拳を叩きつける事で対抗しようとするが、しかし。
「──っ!」
ネズミの鋭い爪を砕いたグローブの刃が、槍に触れた途端、激しい火花こそ散ったものの、傷一つつける事は出来ず、そのまま勢いよく突き飛ばされてしまった。
『チッ、内臓潰してやろうと思ったのに』
「……なるほど、硬度が格段に上がってるな、それと共に、貫通力も抜群って事か」
呉は刃こぼれを心配するようにグローブを見つめてから、再び構え直す。その姿に、ネズミは思わず苛立って歯を鳴らす。
(コイツ、戦意喪失とかしねぇのかよ!)
その様子に気付いたのか、呉は「フンッ」と小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、再びネズミの間合いへと、自ら入っていく。
確かに硬く鋭くなって、こちらにとって致命傷となる攻撃が増えたのは厄介だと思う。接近戦が主である呉にとって、迂闊に近付けないというのはあまりに不利だ。
しかし、だからと言って、それが彼の戦意を喪失をさせる理由にはならない。命令とあれば撤退もするが、それ以外なら、例えどんな状況だろうと、呉は敵に背を向けたりはしない。
敵を目の前にしたら、目標を沈黙させる、もしくは、自分が死ぬまで戦う事はやめない。呉は常に、そんな事を胸に抱えながら戦っている。
怪異を殺し、人を守る、その圧倒的な使命感。そこからくる気迫のようなものは、時に怪異ですら怖気付かせる。
今まさに、ネズミがそうだった。
『ぐっ! コイツ!』
伸ばした針にわざとグローブの刃を当てて滑らせ、掻き分けながら一気に突っ込んでくるのだ。硬化させているとは言え、元は体毛、ガッチリ固定されているわけではないので多少動いてしまうから。
「ナメるのも大概にしておけ? それは俺の台詞だな。お前ぐらいの怪異なら、何体も討伐してきたさ、能力が分かれば、それなりの対応は取れるんだ!」
グローブの刃が、ネズミの頭部を斬り刻む、はずだった。
しかし、呉は振り抜けるはずの拳を寸前で止めてしまった。その結果、呉の両腕を太く鋭い棘が貫通してしまった。本来なら呉の頭部を狙っていたもので、防御ゆえの咄嗟の行動だったが、しかし、そのせいで、唯一の攻撃手段である両腕を使用不能にされてしまった。
実質的な、戦闘不能である。
『それなりの対応がどうしたってぇ? ああ? 出来ねぇよなぁ? 人を守る為に戦ってるお前に! 人間のメスガキを殺す事なんて出来ねぇよなぁ!』
「テメェ……!」
何が起きたのか、アサも八夜も、ちゃんと見ていた。その様子に、アサは面白くなさそうに舌打ちし、八夜は唇を震わせ動揺を隠せないようだった。
ネズミの顔面に刃が近付く瞬間、ネズミは、一時的に中の少女を解放したのである。虚な表情の彼女に驚き、呉は咄嗟に攻撃を緩めてしまった、その隙を突かれたのだ。
『まぁ、シンプルかつ一番効く作戦だけど、カッコ良くも気持ち良くも無いよね、あのネズミ、プライドとかないの』
「ま、まずいよアサ! このままじゃ呉さんが!」
『負けちゃったね』
「ま、負けちゃったって……早く助けないと!」
『……? どうして?』
「どうしてって……あのままじゃ呉さんが死んじゃう」
八夜が言うと、アサはため息をついて、気怠そうに頭を掻く。
『だからぁ、私達はまだ変身できないんだよ? それに、力を使い過ぎればその分ヨルに負担が来る、ただでさえギリギリの状態なのに、私が引き剥がされた時点でヨルは死ぬよ?』
「だからって見殺しは」
『それはあの人の自業自得、力量差も読めず、ましてや甘さを捨てきれなかった、敗因は全て呉さんにある、ヨルや私が助ける義理はない』
そう言ってアサは突っぱねる。共有している感覚で、アサが本気で彼を見捨てようとしている事は伝わっている。だから、本気で八夜は焦っていた。どうにかしてアサを説得できる方法はないか。
呉は必死にトドメの攻撃を凌いでいる。動かない腕を遠心力で動かして、防御し、躱している。しかし、もう長くは持ちそうに無い。
このままじゃ、本当に目の前で殺される。人が、目の前で死んでしまう。
嫌だ、それだけは、本当に嫌だ。自分が死ぬのも嫌だが、他人に目の前で死なれるのだけは
「嫌だ……」
『ヨル?』
八夜は、すがるような顔でアサを見つめて、言う。
「アサは、なんで私を助けてくれたの?」
『そんなの友達だからだよ、大好きな私の親友だったから』
「あの日も?」
『あの日って……ああ、うん、そうだよ? ヨルには生きてて欲しかった、だから、私は』
そこまで言って、アサは自分の発言の矛盾に気付く。そうだ、あの日、他の誰でもない、アサ自身が、友達を守る為に自らの命を犠牲にしている。見殺しにすれば、自分は助かったのに。
「私はね、アサが助けてくれて、アサが、私に生きて欲しいって言ってくれて……本当に嬉しかった」
誰かに生きてる事を承認されるのが、こんなにも嬉しくて、満たされる事だなんて思わなかった。生きてて欲しい、たったその一言だけで、本当に生きようと思えたのだ。
でも。
「でも、それと同時に、アサも生きてて欲しかったって思った……こんな風にアサともう話せないって思ってたから、死ぬほど後悔したよ、目の前で誰かが死ぬ事が、耐えきれないトラウマになった」
『ヨル……』
「アサ、あの人は確かに私達にとってほとんど無関係な他人かもしれない……でも、目の前で死にそうになってて、私には助ける力があるのに、何もしなかったら……また、あの後悔をする事になる、せっかくアサが救ってくれたのに、私はまた、アサの嫌いな私になっちゃうかもしれないよ!」
『私の嫌いなヨル?』
「失う事を恐れて、前に進まない、私はきっと、今度こそ止まったままの私になる……例え体が元に戻っても、アサと楽しく生きていくなんて、思えないほどに」
『えー……そんなぁ』
アサは本当に悲しそうな顔をする。罪悪感が溢れ出てくる、こんなの、ただの脅しだ。自分は最低の人間だと、自覚する。
自分が嫌な思いをしない為に、親友の思いを踏みにじろうとしているのだから。
それでも、これだけは譲れない。あの時とは違う、私には、人を救えるだけの力がある。いや、私だけの力じゃない、大好きな、私を求めてくれる親友が与えてくれた、二人の力。
「アサが私の力になってくれたのは、多分この時の為だって思った……アサがくれたチャンスは、きっと、過去を乗り越える為の力……もう二度と、目の前で誰かを死なせたくない! だからお願い! 力を貸して! アサ!」
『……もーっ! 半分は私の責任か……こうなったら、もうどうしようもない……』
アサは、ぎゅっと八夜の手を握って、言う。
『半分こね』
「は、半分?」
『私はヨルのお願いを半分だけきく、だから、ヨルは私のお願いを半分きいて』
「わ、分かった」
八夜が頷くと、アサはニヤリと笑い、八夜の中に入っていく。
(とりあえず、ヨルの要求は、助けたい、だよね? 分かったよ、助けよう)
「あ、ありがとう! じゃあ、た、黄が」
(ちょいまち、このまま戦ってあのネズミ殺したら、体取られてる女の子も死ぬよ、そうなると、八夜のお願いは聞けなくなる)
「そんな、じゃあどうすれば」
(方法は一つ、怪異と人間を分離させる、それで怪異だけを倒す)
「なるほど、分かったじゃあ」
(でも、それは私には出来ない、怪異と人間の分離が出来るのは、適合者だけなんだ、だから、昨日とは逆、私がヨルの体を使って戦うんじゃなくて、ヨルが私を武器にして戦うしか無い)
「わ、私が!?」
(ヨルが助けたいって言ったんでしょ? じゃあ、覚悟しなきゃ……大丈夫、ヨルの使う武器は、すごく強いよ)
正直かなり怖いが、アサの言う通りだ、やると言ったのは他の誰でも無い、自分自身なのだから。
「わ、分かったよ……私にしか出来ないっていうなら、私は、私がやる!」
(おっけー、じゃあ行こうか……その前に最後に一つ、ヨルに聞いて欲しい、私のお願い)
「あ、そうだったね、私はどうすればいい?」
(簡単だよ、私がヨルを助ける為にする事を、あんまり否定しないでほしいな)
少しだけ、心が痛んだ。当たり前だ、必死に助けようとしてるのに、その本人が命を投げ出そうとしている、こんなにも報われない事は無い。
この戦いが終わったら、ちゃんと謝って、ちゃんとお礼しよう。
「……分かった、じゃあ、行くよ」
(おけおけ、いつでもどうぞ!)
八夜は、深呼吸してから、声を張り上げて叫ぶ。
「────ッ! 黄昏っ!」
あの時と同じ、身体が燃え上がるような感覚に包まれる。しかし、前回とは違い、八夜の意識ははっきりと、むしろ覚醒していった。
(さぁ、夜になる)
そんな声が聞こえて、気付けば八夜は、再び異形へと変身していた。
しかし、その姿は前回のものとは形状が異なっていた。
ウサギっぽい耳や、赤黒い色など、全体的な特徴は同じなのだが、まるで鎧、西洋の甲冑のような形に変わっていたのだ。確かに、武器だ。人である八夜が、武器として怪異のアサを装着している。
「わぁ……カッコいい」
と、見惚れている場合では無い事を思い出し、八夜はその場から飛び降りる。
下では、既に限界に達した呉が、その場に崩れ落ちるように倒れた瞬間だった。そこへ容赦なく、ネズミの爪が襲いかかる。
『死ねや! クソ雑魚がぁ!』
そんな二人の間に割って入るように、上からウサギみたいな甲冑が降って来た。
突然の事に驚いて、ネズミは素早く後退し、乱入者の姿を確認する。
『なんだぁ……テメェ』
「わ、私? えっとえと……ナ、ナイト・ウォーカー! モードラビット!」
高らかに名乗ってみたが、凄まじく恥ずかしくなって来た。誰からも反応を貰えない。
『ナイト・ウォーカー? って! 昨日のウサギ野郎じゃねぇか! なんだ? 随分と姿が変わってるじゃねぇか』
「……コイツが……ウサギ……? 報告にあった姿とだいぶ違うが……」
ネズミはガチガチと歯を鳴らし、怒りを露わにしている。
『ちょうど良い……もうすぐこの体も限界だ! テメェの完全適合者を寄越せ!』
「やだよ! というか、急がないと限界なのか……と、とにかく戦わないと……やぁっ!」
喧嘩素人丸出しのへなちょこパンチをネズミに繰り出す。
そして当たり前のように避けられた。
『なんだお前、昨日のやつとはまるで別人じゃねぇか!』
ネズミは叫びながら怒りに任せて大量の棘を飛ばす。呉の腕を貫き、コンクリートブロックでさえ破壊する威力、八夜は思わず「ひいぃっ!」と情けない声を上げながら、無意識に右手を突き出していた。
その瞬間、騎士の盾のようなものが突然現れ、棘の攻撃を防いだ。
「へぇっ!?」
『なんだ!?』
盾を出した本人ですら混乱している間に、さらにその盾が形状を変え、一本の長い剣になった。
「す、すごい……確かに、アサは強いや!」
急に勇気が湧いて来て、八夜は自信満々に武器を構えた。
八夜が戦っているが、決して一人じゃ無い。二人で一緒に戦っているんだと思うと、すごく安心できた。
「よし、やれる……必ず助けるから!」
八夜はそう言って、剣を振った。