四日目
気付けばまた夜が明けました。
時間の感覚もなくただ彷徨っている……こんなに詰まらない事初めてかもしれません。
誰にも見えない、言葉も聞こえないそんな私が言葉を交わしたくて旦那様に話しかけるのは馬鹿なのでしょうか。
例え馬鹿だろうと滑稽だろうと関係ありません。
ただもう一度、一度だけでも私をその瞳に映して欲しいだけなのです。欲を言えば名前を呼んで愛して欲しい。そして、幸せに暮らしたかった。そんな事は願っても無駄だと分かっています。
何処かで私は何かを間違えたのでしょう。こんな半透明の姿になっているのですから、まともには生きていなかったのかもしれません。
「カミル様……貴方には私の姿など見えない事は分かっています。しかし、貴方に一度でも名前を呼んでもらえれば成仏できる気がします。」
こんな言葉を紡いだってこの広い部屋に虚しく響くだけ……いえ、誰にも聞こえないのだから響くのは私の体にだけでしょうか。
「今宵は月が綺麗だそうですよ。満月までにはもう少しかかりますけどね。侍女の皆さんが話していましたよ。それに旦那様の事……心配されていたのですよ?」
カミル様は綺麗だ。私が触れてはいけないくらいに。
恋をしたのは何時だったかしら。思い出せないわ。きっと大切な思い出だったのでしょう。残念ながらだけれども忘れてしまったようだわ。
なんだか一人で切ない気持ちになってしまったわ。
今夜は空に一番近い所で月を見ましょう。月の光には不思議な力があると思うのです。
人を感傷的にさせたり、心を揺さぶったり……。
何かの間違いで私の姿も見えるようにしてくれないかしら?
ふわふわと実体のない身体が浮くのが自分でも分かった。
知らずの内に私は眠っていたようです。幽霊が眠るとは不思議な話ではありますがね。
侍女の皆さんが話していたのは本当のようです。
今宵は月が綺麗です。もうすぐ満月ね。私は満月が嫌いだったような気がするわ。なんでだったかしら?
丸いものが嫌いなのかしら?それとも眩しいからかしら?
思い出せない事ばかりでもどかしいわ。それも死んだ私が悪いのですけど。
「旦那様もこの月を見ていらっしゃるのかしらね。少しだけバルコニーからお部屋を覗きましょう。」
盛大な独り言ともに私は旦那様の屋敷に戻りました。覗こうと思っていたバルコニーにはワイングラスを片手に持った旦那様がいました。
私の想いが届いたのかしらね。同じ月を見上げているだけで私はもう充分です。
月でも見て物思いにふけているのでしょう、そう思って覗いた旦那様の顔が今にも泣き出しそうで私まで胸が痛くなったのです。
「泣かないで……泣かないで下さい。わたしが貴方の傍にいます。」
返事のない言葉だと分かっているのに言わずにはいられなかったのです。
「君に悲しい思いばかりさせた罰かな。君の姿が見えるようだ。」
そんな私の瞳をはっきり捉えたカミル様の瞳が月光に照らされて神秘的な光を放ったように見えました。
「私の姿がみえるのですか?」
また、意味の無い言葉を紡ぐ。震える声は幽霊だから……ということにしておきましょうか。
「見えるさ……これは私への罰」
「違います。私は傍にいます。」
夢中に叫んだ私を見つめる瞳はどこまでも柔らかく優しいものでした。
「戻ってきてくれたのか……?」
「しかし、君は死んだ。私のせいで。」
旦那様は夢だと思っているのでしょう。うわ言のように絞り出す言葉に隣にいることしか出来ませんでした。
「私の事嫌いでしたよね。」
旦那様の夢ならば少しくらい言葉を交わしたって許されるでしょう。
「嫌いだったよ。」
旦那様はそれきり狐につままれたように何も言いませんでした。ただ呆然と未完成な月を見上げるばかりで。