三日目
「旦那様。朝ですよ。起きて下さーい!」
昨日はぼんやりしている内に夜が明けてしまったのです。今はこうして無意味にも旦那様を起こしてる途中ですわ。
「うーん。眠い……。」
それだけ言ってまた目を閉じてしまいました。こんなあどけない表情初めて見ました。
「お仕事ありましてよ!頑張るのです!」
昨日の仕事の量を見ると今日も多いのでしょう。寝坊してしまったらきっと辛いのは旦那様ですわ。
起こせないのが歯痒いわね。
「私が代わりにやりますわ!」
そう言って机に向かおうとした瞬間……
「起きる……起きるから。」
旦那様が起きたのです。夢でも見ていたのかしらね?私の声は届かなくても夢の誰かが彼を起こしてくれたようね。
「私はこんなに愛してるのに、旦那様には姿も見えないし声も聞こえない。はぁー。残念だわ。」
無駄に大きく独り言を言ってみましたが虚しさが増すばかりでした。
どんなに素敵な旦那様でも反応してくれなければ詰まらないです。お庭でも散歩してきましょうか。
階段を下りなくても簡単に外に出れますね。広い御屋敷ですもの。庭も広いのです。
庭もあの時と変わりませんね。私はとても好きな花がありました。毎日お世話をしていたのが懐かしいですわ。
紫蘭という花でしたね。珍しい花だと誰かが言っていました。素敵な花言葉があると聞きましたよ。今の私には残念ながら思い出すことは出来ませんがね。
今頃は世話をする人もいなくなって枯れてしまったのでしょう。大切にしていたので美しく咲いていると嬉しかったのですが。
期待せずに見に行ってみましょうか。
「わぁ!綺麗……」
これは、想定外ですわ。こんなに美しく咲き誇っているなんて。私が育てていた頃よりも綺麗な気がしてしまうわ。この屋敷の誰かが私と同じようにこの花が好きなのでしょうね。
感動して流す涙も幽霊にはありませんが、あるか分からない心が暖かくなるような気持ちです。
一輪だけ、貰ってもいいかしら?
そう思って手を伸ばしたのだけれど相変わらず私の手は宙を掴むばかり。
好きだった花にも触れないなんて酷い仕打ちね。
まず、私が幽霊になった意味はあるのかしら?新しい奥様も見えませんし旦那様を呪ういい方法も見つかりません。
二日見て気づきました。旦那様は新しい奥様を娶らなかったようですね。想い人がいらっしゃると思っていたのは間違いだったのかしら?
だからと言って私の事が好きだった訳でもないようですけどね。
やはり、貴方を呪います。愛してくれなかった貴方には愛されない苦しみを知って欲しいのです。身勝手でしょう?死んでも付き纏ってくる元妻なんて最悪ね。私だったらごめんだわ。けれどどうすればいいのか私にも分からないの……。
「旦那様。いつもいつも仕事ばかり、いつか倒れてしまいますよ。」
旦那様の部屋に戻っても時が止まっているのではないかと思うくらい、いつも同じ光景が目に入ります。
わたしが嫉妬する相手はどこぞの女ではなく仕事だったのかしらね。私等に構う余裕旦那様にはきっとなかったのよね。
「やはり、私の事は邪魔だと思っていたのですよね。役に立てなくてごめんなさい。貴方を支えられなくて……」
背も高くて引き締まった体をしているはずの旦那様の背中があまりに弱々しく見えて心が痛みます。痛んでいるこれが心なのかも怪しいですけれど。
「違う……君は悪くない。」
旦那様が何か言ったような気がしますね。君は悪くないと言ったのでしょうか?
君とは誰ですか……聞こえない独り言すら出てこないわ。
「私があの時止めていれば君は死ななかったのか……?」
悲痛な声でそう言ったカミル様を見ているのがだんだん辛くなってきました。
少しでも寄り添えたら良かったのに……
私に体温があって髪を撫でられる腕があればどんなに良かったでしょう……
ごめんなさい、言いたくても喉の奥に詰まって出ない言葉を呑み込んで私はそっと部屋を飛び出した。
生前も私は無力でした。今の私は無力化だけでは足りないくらいに意味の無い存在なのでしょう。
神様は残酷です。
死んでもなお彼を見せ続けることに悪意すら感じますわ。
部屋を飛び出したからといって私が行く場所等ないのです。
辛いのだからもうここに戻ってこなければいいのでしょう。しかし、何度でも来てしまうのは旦那様への思いを昇華できていないからでしょうね。