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エッセイ 

算数のできる優秀な考えない人たち

作者: NOMAR

(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる。


 1+1=2


 算数の基本、単純な数式。これに文句をつけた子がいる。泥の団子を二つ手にして、その二つを合体させてこねて、大きな泥団子にして。


「ほら、1+1=1になるよ」


 こう言って教師を困らせた、発明王エジソンの子供の頃のエピソードである。教師の思う通りにならない自由な発想が数々の発明へと結びついた、という。

 教師が子供にものを教えることの難しさ、というのも解る話だ。


 算数で優秀な子とは、この1+1=2をすんなりと納得できる子となる。


 A=B


 こう書けば、AとBが同じとなる。ではA=Bとなるとき、次の式は、


「ちょっと待って。どうして、AとBが同じなの? AはAで、BはBで、AとBは違うものでしょ?」


 こうなるとなかなか次に進まない。だが、学習につまづく時とは、こういうことが気になって解決できないまま、先に進めないということが多い。


 ここに二つのリンゴがあります。


「ちょっと待って」


 またかい。


「二つのリンゴ? こっちはそっちよりも色が赤い。大きさもこっちの方が大きい。重さも違う。色も大きさも重さもこんなに違うこの二つを、どっちも同じ『リンゴ』と言うなんて、おかしくない?」


 こういう子に、次はブドウを見せてみる。

 皿の上にリンゴとブドウ、二つの果物があります。


「なんでだ? こっちは赤、こっちは紫、色も大きさも形もゼンゼン違うのに、どっちも同じ『果物』だなんて、そんな乱暴なまとめ方なんて」


 リンゴが二つ、ブドウが三つ、合計で、果物はいくつになるでしょうか?

 こんな問題を出すと、この子は大混乱することになるだろう。


 数字に記号、文字や言語を使う思考とは、画一化になりやすい。これは言語でしか思考できない、人の思考のクセでもあり、思考の欠点でもある。

 ここから、語りえないもの、言語ゲーム、へと発展していったのが哲学者、ウィトゲンシュタイン。


 だが、算数を子供に教えるところでは、赤かろうが青かろうがリンゴはリンゴであり、リンゴとして記憶して覚えろ、納得しろ、ともなる。まだ哲学者に用は無い。

 ここに引っ掛かり、なかなか算数の学習が進まない子もいる。そんな子は、リンゴを含めた植物のことを先に学んだ方がいい。


 国光、紅玉、柳玉、祝、倭錦、紅魁、紅絞

 青森県のリンゴ七大品種。ほかにも、ひめかみ、ひめりんご、と様々なリンゴがある。

 植物の中に果物を成らせるものがある。その中にリンゴという種類の木があり、この木から成る実をリンゴの実と呼んでいる。

 まずはここを理解して、納得してからでないと先に進めない子もいる。


 一方でこの算数の問題をスラスラ解ける子もいる。これはこれで不安になる。リンゴとブドウと果物を、頭の中でどのように分類整理し、理解して納得しているのか。端から見れば分からない。

 算数の問題として解けることと、現実をどのように理解しているのか、という、他人の頭の中というのは見ることができない。


 ここに二つのリンゴがあります。


「はい」


 リンゴとブドウ、二つの果物があります。


「はい」


 あなたと私は同じ人間です。


「はい」


 あなたと私は同じです。


「はい」


 こういう答え方をする子は、ちょっと不安になる。

 だが、算数のテストをしてみれば、こういう子の方がリンゴの違いに悩む子よりも、テストの点数は良くなる。

 個性の違い、細かな差異、こういったところに名称というレッテルを張り、分類し、細かい違いに疑問を感じない鈍い人間の方が、優秀となってしまう。


 ここに個性を伸ばす教育の難しさがある。違いに拘らないこと、考えないこと、考えることを面倒に感じ、記憶に入力した情報の思い込みで判断する方が優秀となってしまう。


 『右翼』『左翼』『脱成長主義者』『敗北主義者』『共産主義』『社会主義』『民主主義』『非国人』

 様々なレッテルを人は人に貼りつける。そして、あいつは〇〇だから、と貼りつけたレッテルで分類し、深く考察はしない。優秀な人が陥りやすいところだ。


 冷戦時代、テロリストやテロリストの支援者に多いのは、中流階級で大卒以上の高学歴者。いわゆるエリート。教育を受けた、高い生活水準の者がテロリストになりやすい、というもの。

 オウムの事件においても、毒ガステロを起こした新興宗教組織に高学歴者が多かったことが話題になった。

 頭のいい人がなぜ? と、当時のニュースでも取り上げられた。

 だが歴史を見ればテロリストには高学歴者が多い。


 優秀である、ということはなんなのか?

 どうも優秀な人とは、安易な分類を悩まずに納得し、考えるところがズレている。理解し納得するまでに悩んだ経験というものが足りない。そのために想像力も足りない。


 細かいリンゴの違いを気にしないまま、リンゴはリンゴだと素直に受け入れてしまう、ある意味では寛容さと素直さ。それを頭がいいと褒められて大きくなると、世界平和の為に毒ガスを散布する、という思想まであっさりと飲み込んでしまうようだ。

 おかしいと思わずなんでもハイと応える優秀な子は、ときに危険な思想も疑わずに納得してしまう。

 

 60÷1=60

 60÷60=1


 算数としては間違っていない。計算では正しい答えだ。

 しかし簡単な計算でも前提条件次第では、間違った答えになってしまう。


 1人の人が1つの時計を組み立てるのに60分かかるとしよう。

 ならば60人で1つの時計を組み立てれば、1分で組み立てられることになる。これは計算上は間違っていないことになる。

 ちょっと想像してみて欲しい。

 60人の人がその右手にドライバー、左手にラジオペンチを持ち、ずらり並び、1つの時計の部品へと一斉に群がる様子を。

 これで1分で時計が完成するのだろうか?


 しかし、組織の中で優秀な上司が出す指示とは、こういうことがある。厄介なのは計算上は間違って無いことだ。

 部下がそれは無理だ、と進言すると優秀な人はキョトンとする。


「何故だ? 60÷60は1になるだろう?」


 ここで何故、無理になるかを説明する。作業する対象が小さくて、1度に共同作業できる人数には限界がある。全員に持たせる工具が足りない。あの手この手で無理だという条件を言葉で説明する。

 しかし、これは算数の計算が正しいと信じている優秀な人には分からない。

 なにせ、これはリンゴとリンゴの違いについて説明するのと似たようなものだからだ。その部分について、悩んだことも考えたことも無い優秀な人には思考の埒外のこと。まさしく語りえないものとなる。


「何をわけのわからんことを言っている? リンゴはリンゴだし、60÷60の答えは1だ。できないのは努力が足りないからじゃないのか?」


 違いに気づけない者には分からない。言っても分からないとなると、現場で指示を受ける方は、ダメだこりゃ、と諦める。それでも仕事は仕事で、やらなきゃいけない。


「これ、どうする?」


「どうするも何も、やるしかないだろ」


「いや無理だろ、こんなの」


「やるだけやるしかない。これで出来が悪かろうが、不良ができようが、知ったことか。俺たちは上の言うとおりのイカれたやり方で仕事してりゃいいんだよ」


「また、クレームが来るぞ」


「いいんじゃね? クレームが欲しくてこんな仕事のやり方をしてるとしか思えねえし」


 日本の組織には、こういうところが多い。わかってない上司に、上司をバカにしながら働く部下。非効率化を求める結果に、日本人の労働時間は増えていく。

 派遣労働が増え、時給計算するところでは、稼ぎを増やすために二時間で終わる仕事に三時間かける、というところも増えるわけだ。

 オランダのように非正規労働者の給料は、正規労働者の給料の約95%と、所得格差の少ない労働条件を作るのは、日本では不可能なのだろう。


 話を戻そう。

 考える力をつける、思考力を高める、というのを売りにする学習法などあったりもするが。

 悩む者はそこで考える。悩まない者は考えない。一方で悩んでばかりいると愚図と呼ばれ、何も悩まず事を進める者が優秀とされたりする。

 ここから、自分の頭で考えない偽凡が生きやすいという風潮にもなる。これはこれで突き詰める者もいるだろう。

 

 個性とは、個人や個体の持つ、それ特有の性質、特徴のこと。様々な個体が関連しあうことを多様性とも言う。

 個の違いがよく分からないまま、優秀な人を集め、そうで無い者を排斥していくとどうなるか。


 100万人を越える引きこもりがいて、一方で人手不足で移民を迎えよう、という訳の分からないことになる。算数ができる人が陥りやすいのは、こういうところにある。

 利益だけを見て個人の商店や商店街がシャッターを下ろし、大型チェーン店ばかりになったらどうなったか?

 地方から買い物難民という言葉が産まれた。今では東京でも買い物に不自由する地域がある。


 こうなって初めて、1団体が、1個人がこうしたら儲かる、ということを第一にして動くと、社会全体の効率は悪くなる、ということが解ってきた。


 個性を大事にする、ということは欠点や最下位を大事にすることでもある。

 1番出来の悪い人がいなくなったらどうなるか? 2番目に出来の悪い人が繰り上がり1番出来の悪い人になるだけ。

 最下位には最下位の役割がある。平等とはときに重要な役割を、不都合だと目を剃らすことになる。

 そこに目を向けないと、社会から人を排斥しておいて、生活保護受給者に文句を言う、というおかしなことになる。社会を構成する一員である者達が、自分達のしたことの結果を、他人事のように言う。自分達で作り出したシステムとそのシステムを利用する者に不満を言う。

 あなた達が作った物ではないのか?


 ムカデやヤスデなど、足の多い虫がいる。

 この虫の脚を1本抜いても、脚が多い虫は1本抜かれたくらいでは、構わずに前に進める。

 だが、良く見れば抜けた脚の分をカバーするために、他の脚の動き方は変わっている。1本抜けたことで脚全体の動きが変化している。

 しかし、『前に進める』という結果だけ見れば、その違いは分からない。気がつかない。


 会社に必要だった技術者をリストラし続けて、後になって、しまったやり過ぎた、という会社とはこういうものだ。ダイエットのために指を引っこ抜くようなもので、指が無くなったから物が掴めなくなった、という笑い話にもならないことをしている企業が現実にある。

 単純な引き算で経営を維持する上では、計算上間違いは無かったことだろう。


 算数のできる優秀な人とは、こういう陥穽に嵌まりやすいところがある。


 ではここで頭の体操だ。


 A=A


 これが間違いである場合を考えてみよう。いろんなケースが考えられる。

 イコール記号で結ばれた以上、=の左右は同じものということになる。

 では、左のAと右のAの違いとは?

 答えは様々にあり、エレガントなもの、思わず笑ってしまうもの、うなされてしまうもの、そうきたか、と膝を打つものなどあることだろう。狙うのは、聞いた人が納得してしまうようなものを。


 ケーキが切れない非行少年たち、という書籍が話題になったことがある。目測でケーキを三分割できない、認知機能に問題のある少年達が犯罪を犯すという、社会問題を取り上げている。

 では丸いホールケーキを3分割するには?


 数学の得意な者に挑戦状が送られた。最もエレガントにケーキを3分割せよ。この難題に挑んだ数学者の出した答が、おもしろかった。


 円を上から4等分にする目線を引き、これを目安に1番下の線と円周が交わるところ、円の中に正三角形をイメージした、その頂点から中心へとケーキを切る。

 実用的ですぐに応用できるところがいい。


 縦、横に十文字に切り4分割する。その内ひとつを更に4分割する。その内ひとつを更に4分割にする。これを繰り返す。

 延々と4分割にし続けて3分割へと無限に近づける。3分割に限りなく近づくが、永遠に3分割にはならない。

 まるで延々と続く円周率を、およそ3、約3.14とする計算に対する皮肉(アイロニー)のようでもある。


 他にも渦巻き状に切るもの、ピザの定理を応用したもの、美しい曲線で切り分けたものなどあった。

 中でも素晴らしいものは、丸いケーキの中、中心点からやや左下のところに六芒星を描いたもの。これで面積はキッチリ三等分だ。


 円の中に小さな正三角形をいくつも並べて描き、その正三角形の数の合計が3等分になるように切るというもの。実際にこの図の通りにケーキを切るのは難しそうだが。

 ケーキを3等分にするだけでも、美しい図や、笑わせてくれるような答がある。

 1÷3の答えの種類と考え方に、驚きと笑いを感じるおもしろい問題だった。


 さて、シンキングタイム終了。


 A=A


 これが間違いである場合とは?


「ジョン君の書いたAは、元気があって伸び伸びとしている。ユキちゃんの書いたAは、おさまりが良くて綺麗だ。どちらも性格が出ている」


 書道で、『A』という文字を書いてもらった場合。同じAでありながら、書いた人によって違いがあり、完全に同じものはひとつとして無い。だが、どれも同じAである。


 故に書道とは個性を伸ばすには、良い教材であると言える。

 この問題の答えには、これだ、という正解は無いので、A=Aが間違いであるケースというのを考えてみてはどうだろうか?


 他にも、4つの桃を3人の子に均等に分けるには、どうするか?


 単純に考えれば、ひとりにまず1つずつ。残る1個を3等分して3人に分ける。

 しかし、均等に、という部分を重要視すると厄介なことになる。

 正確に均等にするには、重量を測らねばならない。何故なら、全く同じ重量の桃は存在しない。最初に3人に分けた桃が、重量で見れば均等では無く、不公平となる。

 全ての桃の重量を量り、総重量で3等分になるように、最後の1つを切り分ける。切り分けた4つ目の桃を3人に分けて、これで均等に。


 だが、本当に正確に均等だろうか? 体積は? 桃の糖度は? ありとあらゆる要素から見て3等分とするには?


 もうめんどくさい。全部ミキサーに入れて、ジュースにしてしまえ。これを3人に分けて3等分だ。これでどうだ?

 コップに入った桃ジュースを見る子供の顔を見れば、不満そうだ。


「桃を、丸かじりしたかった……」


 3等分に拘るあまりに、子供の期待に応えられなかった。こういうのが悪平等である。

 平等にするために、条例と法律が大量に増えていけばいい、とする考え方は息苦しい世の中を作る。完全な均等という桃のジュースでは、そこそこの均等で桃をかじりたい、という欲求に応えられない。


 個数、重量、体積、という要素での三分割をやってみるとこうなる。

 今度はここに時間の要素を足してみよう。


 3人の子供に桃を1つずつ分ける。

 残る1個の桃は地面に埋める。

 やがて桃の種が芽が伸び、桃の木はすくすくと育つ。

 大きく育った桃の木に成る実、これを3人で均等に分ける。

 未来において3人で分けようというものだ。


 3人の子供は桃を丸かじりしながら、未来の桃の木に想いを馳せる。

 時間をかけて重量を量って配った桃ジュースは、平等だが子供には不満だった。

 皆が納得して皆が幸福になることを目指すのが、公平、なのだろう。

 単純に、どっちがほっこりするか、で考えた方が丸くおさまることもある。


 そして単に算数が得意なだけの人には、平等と公平の違いというものが分からない。そんな細かい違いは気にしないし、気がつかない。

 しかし、そんな細かい違いの分からない優秀な人が、組織の上に立つことが多いようだ。

 成績だけで人を見る世の中は、平等かも知れないが、公平とはほど遠い。

 

 平等と公平を目指した政治。独裁主義の反対、民主主義。

 だが、高齢化した民主主義は、老人達の最大公約数でしか無い。算数で見ても、未来の為の政策とはなりにくい。

 若者の投票率を上げたければ、ノルウェーのように学校でデモの仕方など、政治に関わる手段を教えるべきである。数の力で為政者に圧力をかけてこそ、数の暴力、多数決というものだ。


 だいたい選挙の投票率を上げるだけなら簡単だ。

 投票日に選挙に来た人に、ベーシックインカムでは無いが金を出せばいい。交通費も出せないのに義務というだけで、政治を勉強し、経済を学び、投票する者が増える筈も無い。

 民主主義の理想とは、国民全員に王の覚悟と宰相の知恵を強いるものであり、年間二千時間と働かなければならない社会人にそんな学習をする暇があるものか。


 逆に徹底した能力主義、学力主義であれば、学習する時間を増やす為に、仕事時間を減らしたい、ともなるだろう。

 45歳定年制が広まる中、定年後の再就職、個人起業など、そのために学ばなければならないことも多い。定年を迎えても年金を得られるまで20年近くある時代なのだから。


 これからはますます、新しい答えという違いを楽しむ余裕が無ければ、生き苦しい世の中になるだろう。

 昔から、大人とは違いの分かる者だろう。

 コーヒーもそう言っている。違いの解る大人のブレンドと。

 誰もが同じ答えを出すところに、おもしろみも変化も無い。

 考えることを諦めるとつまらない。


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