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隣で眠る彼は  作者: 青木りよこ
31/32

隣で眠る彼の本当

「明日の朝帰ります。見送りは不要ですよ」


時間はあっという間に過ぎた。

私達はいつもと変わらずともに食事をし、テレビを見て、別々に眠った。

何も変わらない毎日。

それなのに明日から律はいないと言う。


「本当に帰っちゃうの?」


洗い物をする律の背に意味のないことだとわかっているのに問いかける。

返事なんて期待してもいないくせに。


「帰ります。明日の朝には跡形もなく消えていますよ」


律はそれを望んでいるように聞こえた。

後には何も残したくないと、最初からなかったことにすらしたいと、そんな風に寂しく響いた。


「ねえ、私もう何もいらないわ。何も美味しいものも食べなくてもいいし、絶景も見なくていい。お洋服も靴も何もいらないから、何もいらないから傍にいてよ」


私は必死だった。

これ以上何を言えばいいのかわからなかった。

どうしたら律をここにつなぎとめられるのか、そのためなら何だってしたいのに。

でも私はわかっていた。

この世のあらゆることができようとも、律はいなくなるんだろうなと。


「ねえ、律。それじゃあ最後に一つだけ」


律は振り返らない。


「最後なんだから昔みたいに隣で寝てよ」


律が振り返る。

不思議。

夜なのに、朝が来たみたいに窓が開け放たれて、眩しすぎて目を背けたくなるような光を浴びている様に

律は美しく、輝いている。


「そうですね。最後に一緒に寝ましょうか」


お風呂から上がり律が来るのを自分の部屋で待った。

最後、これが最後。

もう来ない、明日からは律がいない毎日が日常になる。

誰もいないこの家で私は暮らす。


「どうして正座してるんですか?」

「寝っ転がる気にならなかったから」


寝っ転がって眠ってしまうのが怖かった。

今日は眠りたくない。

朝なんて永遠に来なくていい。


「明日はお休みですもんね」

「うん」

「じゃあ、夜通し話しても大丈夫ですね」

「うん。話したい」


律が私の前で正座する。

ベッドの上で女二人向かい合う。

まるでこれから末永くよろしくと言うみたいに。

本当は明日には別れ、生涯会うことのない二人なのに。


「この体勢じゃ話しづらいです。横になりましょう」

「横になったら寝ちゃうよ」

「寝たら起こしてあげますよ」

「ねえ、あのね。最後なんだから本当の姿を見せて」

「本当の姿、そんなものありませんよ」

「もう最後なんだからいいでしょ。お願いだから」

「本当の姿なんてないです。全部偽物ですよ」

「偽物?」


律の姿が益々美しくなっていく。

まるでこの世の物とも思えない、一つの絵のように作り物めいてくる。


「楓、寝ましょう。横になったら上手く話せる気がします」

「寝たら起こしてよ」

「大丈夫、起こします」


律が立ち上がり灯りを消す。

もう何も見えない。

暗闇の中で私は言われた通りに横たわる。

隣に幽かな気配を感じるけど、もうそれは美しい女性ではなかった。


「楓」


私を呼ぶ声がする。

懐かしい声だった。

久しく聞いていない、闇に溶け込む声。

でも私の知っている隣で眠っていた彼の声ではなかった。

似ているけど違う。

例えるなら同じ声優さんがキャラクターが似通っているのにも関わらず微妙に違う声を出すのに似ているかもしれない。

それほどの差異。

水面が揺れる様に静かな声。

私は眠らないように瞳を閉じない。

眠ってしまえば、きっと律は起こさないのがわかっているから。


「楓」

「律」

「私は律じゃありません」

「それは知ってる。こっちで生活する便宜上の名前でしょ」

「楓」

「うん」

「楓、私はカワウソではありません」

「それは何となくそうだろうなと思ってた」

「カワウソではありませんし、ただの美人でもありません」

「イケメンでもないのね」

「そうです。私はオリジナルの妖怪じゃないんです」

「オリジナルの妖怪?」

「猫又とか、鉄鼠とか、鬼火はオリジナルの妖怪です」

「オリジナルじゃないってことは、レプリカってこと?」

「それとも違います。私はね、楓」

「うん」

「妖怪王のアバターなんです」

「アバター?アバターって、そのまんまの意味でいいの?」

「まあ化身と言ったらいいんですかね」

「じゃあ、貴方は妖怪王なの?」

「いえ、妖怪王のアバターですから妖怪王が作ったものです。妖怪王はこちらに来れないので」

「何で?」

「あちらの世界から動けないんです。妖怪王が動くときはこの世を更地にする時です」

「物騒。人類滅亡ってこと?」

「まあそんな感じかと」

「軽く言うね」

「まあ軽くできることなので」

「するの?」

「しませんよ。それだけの力があるということです」

「いつかするの?」

「しないと思います。妖怪王は感情がないんです」

「感情?」

「何も感じないんですよ。痛くない、悲しくない」

「無敵なんだ」

「楽しくもないですけどね」

「それは嫌だね。美味しいもわかんないんでしょ?」

「何も食べませんから」

「何が楽しくて生きてるの?」

「生きてないですから。貴方さっき何もいらないって言ったじゃないですか」

「言ったけど、言っても傍にいてくれないじゃない」

「そうですね。まあ兎に角私は妖怪王のアバターで、妖怪王は感情がない。ここまではいいですか?」

「うん。何となく理解した」

「私は妖怪王によって作られた無数のアバターの一つにすぎません。どれだけの数がいるのかも把握していませんが、膨大な数であることは確かです。まあ他のアバターに会ったこともないですけど。私達は特に目的もなく妖怪王によって作られ、こちらの世界に送られました。長いことこちらにいます。最初に話した帰り損ねた話、あれは嘘です。妖怪王への貢物の話も全部嘘です」

「まあそうだろうね」

「嘘つきは嫌いですか?」

「ううん。嫌いじゃないよ。私も嘘つきだし」

「私は色々な姿でこちらにいました。女性だったこともありますし、男性だったこともあります。カワウソの姿もありましたし、タヌキや狐だったこともあります。私は何にだってなれたんですよ」

「何にでもなれるならカワウソになる必要あった?」

「そうですね。あれは失敗だったのかもしれません」


律の声が何だかぼやけていく。

同じ音なのに、微妙なずれを感じる。

でも嫌いじゃない、この音が永遠に響いている世界で眠りたい。


「私はこちらの世界に唯いました。妖怪王が何の感情もないように私は自動人形のようにこちらで唯動き回り時うんだけが流れて行きました」

「うん」

「でも不思議なもので時が経つにつれて、私には感情が芽生えました。最初に気づいたのは味覚でした。美味しいがわかったんです。これは凄いことでした。それから先は簡単でした。次から次へとわかるようになりました。火事で家を失った人々を見て私は心を痛めました。私は可哀想だと思ったのです。哀れだと、気の毒だと思ったのです。なぜそうなったのかは分かりませんが、私には妖怪王にはない感情が生まれました。推測するに私は妖怪王にこちらに送られてから随分と長い時間が経っています。私はアバターではありますが、いわゆる付喪神になったのではないかと」

「付喪神って、物に魂が宿るってあれ、あの、傘とか提灯に顔がでてくるやつ?」

「そうですね。それかなと」

「じゃあ付喪神なんだ。それならオリジナルじゃないの?」

「付喪神のようなもの、ですよ。自分は自分の身体がないので」

「どういうこと?」

「妖怪王によって実体化されてるだけで、本当にはないんです。でもあります。何なんでしょうね、私は」

「何なのって、ここにいるじゃない」


私は隣に手を伸ばす。

何も掴めない。

私は起き上がり、電気をつけようとして動きを止める。

ここで灯りを点けてしまえば、もう律は何も話さないかもしれない。

そんなのは嫌だ。

知りたい。

好きな人のことを。

人ではないけれど、大切な存在が最後に話そうと思ったことをちゃんと聞きたい。

だって律は私に話そうと思ってくれたのだ。

私の隣で話そうと思ってくれたのだ。

自分の本当の本当、全てのことを。


「楓、隣に」

「うん」


私は元の場所で横たわる。

気配は感じないけど、いる。

確かに隣にいる。

見えないけど、感じないけどいる。

正しく妖怪みたいに。


「楓、貴方は人間ですね」

「うん」

「貴方は人間の女性です。それは確かです。でも私は自分が何なのかすらわかりません。妖怪王のアバターなはずですが、妖怪王は機能です。それなのに私には気持ちがある。可哀想、嬉しいがわかる。なら私は感情そのものということになる。身体など持ってはいない。それなら私はこちらに来てから生まれたと言うことになる。なら私は妖怪王のアバターの身体に生まれた、違いますね、芽生えた何かということになる。まあどっちみちわかりませんね。私自信がわからないのに、何も感じない妖怪王にわかるはずもない。私は何でしょう」

「律はどうしたいの?」

「したいことですか、したいとはわからないけど、楓貴方を大切に思っています」

「それはどういう意味なの?」

「そのままの意味ですよ。私は消えたくないです」

「じゃあ消えないでよ」

「無理です。そうですね、これが私が人間じゃないことの証明でしょうね、私は自分がいつ消えるかわかっています。人間にはそれがわからない。だからいつまでも不安でたまらない。でも同じですよ。私は今自分が失っていくのがわかる。もう明日には消滅している。私はもうここにもあちらにもどこにもいない。妖怪王が全てのアバターを消すから。私はもうどこにもいられない。本当に消えてしまう。それが今は嫌なんです。私は消えたくない。消えてしまいたくない。ここにいたい。貴方と一緒にいたい。貴方の言う通りです楓。私も貴方の傍にいられるならもう何もいらない。もう何も食べなくていいし、どんな痛みだって耐えて見せます。貴方といたい。この家で、この家じゃなくとも貴方の傍にいたい。どんな姿でも構わないから、貴方の傍にいたい」

「律」


私は虚空に手を伸ばす。

何も掴めないとわかっているけど。

律の声が蝋燭の炎のように燃え盛り、揺らめき、届けようとする。

でも私は何も言えない。

何もできない。


「律、ずっとそうだったの?」

「え?」

「ずっとそんな風に消えることを恐れてたの?」

「最近ですよ。あ、これは消えるなってわかったんです。回収されるなってそもそも何の目的でこちらに自分のアバターを送り込んでいるか私にはわかりませんけど、もういらないんだなって、役目を終えたんでしょう。随分長かったですからね。恐らく二千年以上私はこちらにいたはずですよ」

「そんなに?ずっと一人で?」

「そうですね。一人という感覚すらなかったですね。いつからこんなことをかんがえるようになったのかはわかりませんし、私の正体は感情でしょうね。芽生えた感情の化身といったらいいのでしょうか。自分でもよく分かりませんが、楓貴方をとても大切に思っています」

「何で今頃言うのよ。もっと早く言ってよ。時間ないじゃない」


私は何処にも届かない手で自分の顔を覆う。

涙がとても熱い。

律の分まで身体が機能したみたいに。


「楓、貴方が好きです。貴方はいつも自分の足でしゃんと立っていたでしょう。自分でやりたいことをやって、一人でも堂々としていたでしょう。それから貴方は悪いことを何もしなかったでしょう。そういうとこです」

「悪いことなんて何をするってのよ」

「人を悪く言うだとか、人を騙すとか、人を陥れるだとか、自分より遥かに立場の弱い人をイジメるだとか、そういう見苦しいマネを絶対にしなかったでしょう。貴方はかっこいいですよ。貴方は確かに怠惰なところも沢山ありますけど、仕事は真面目にやっていますし、一生懸命勉強してます。貴方は強い。尊敬しています」

「褒めすぎよ。私特別な事なんて何もしてないわよ。人の命を救ったわけでも何でもない、何にもしてないわよ」

「そうですね。何もしていません。毎日淡々と生きている、でもそれですよ。私が傍に痛くて震えているのはそういう貴方なんです。貴方と生きていたい。貴方がこちらの隅っこで淡々と送る日常の中に私もいたい。それだけなんです。でもそれが叶わない」

「叶えてよ」

「無理ですよ。私は何もできませんもん」

「召喚とか派手な事やってたじゃない」

「そんなこともありましたね。ゾンビちゃん元気ですかね」

「元気なんじゃない。妖怪なんだし」

「楽しかったですね」

「うん」

「楽しかったですよ。特にこれがっていうのはないんですけど、過ぎ去った時間の中で沢山の瞬間があったんでしょうね。貴方を見ているだけで楽しかったです」

「二千年もいたのに、こんな何にも起きない田舎で最後で良かったの?」

「本当ですね。でも楓がいました。ここに来たのは正解でしたね。思えばなんでここに来たんでしょう。今となってはわかりませんが、何かを欲してここに来たんでしょうね。それが多分貴方です」

「来てくれて良かった」

「本当ですね。楓」

「うん?」

「これが私の本当です。まあ特に何もありませんがこれで全部話しましたよ。何か聞きたいことはありますか?」

「また妖怪王がアバターを送り込むってことは有り得ないの?」

「送ったとしてもそれは新たに妖怪王が作り出すアバターですから、それは私じゃありませんね。私はここにいる私だけです」

「じゃあオリジナルじゃない」

「そうなりますね」

「ねえ、もっと話して」

「何をですか?」

「何でもいい。ずっと声を聞いていたい」

「もうじき消えますよ」

「消えないでよ。声だけでもいいから残って」

「声だけじゃ何もできませんよ」

「励ましてくれるじゃない。頑張れって言ってくれるじゃない」

「そんなのが欲しいんですか?」

「何だっていいの。消えてほしくない。ここにいるって思いたいの」

「私だっていたいですよ。このままずっとここにいたい。もう何なら人間になりたいくらいです。貴方と同じ世界で唯生きていられる男どもが羨ましくって死にそうです」

「だったら生きてよ」

「滅茶苦茶ですね。私は生き物じゃないですよ」

「何でもいいわよ。このままずっといて。朝なんて来ないで」

「それは私も思っています。朝なんて永遠に来なくていい。この時間がずっと続けばいい」

「時止められないの?」

「止められるわけないでしょう。もう私にできることはありません。私はもう感情だけで存在しているんですから。いうなれば貴方への未練ですか」

「じゃあ怨霊になって私を祟って」

「それはいいですね。それならずっと一緒に地獄まで堕ちて行けそうですね」

「祟って、憑りついて、ずっと私から離れないで」

「それができたらどれだけいいでしょう。本当に貴方と離れなくていいなら何でもするのに」


律の声に熱がなくなっていくのがわかる。

同時に声は研ぎ澄まされた様に私に近づいていく。

本当に、今すぐ傍にいる。


「ねえ、律。貴方私の中に入れない?」

「はい?」

「憑依とかできない?」

「できませんよ。そんなことできるならとっくにしてます」

「貴方が感情そのものなら、何か依代になるようなものがあればいいんじゃないの?例えばぬいぐるみとか」

「私は妖怪王が作ったアバターから発生した何かですよ。アバターの身体が失われたら私も消滅します。もうどうしようもありません」

「何でそう簡単に諦めちゃうのよ。諦めないでよ。抵抗して。抗って」

「抗っているから無駄な努力していたでしょう。神社やお寺に行っては神に縋って仏に縋って。妖怪のくせに護摩木に心願成就って書いて」

「あれはそういうことだったの。そういえばよく書いてたね」

「涙ぐましい努力を重ねてたのです。滑稽ですし、哀れでしょう」

「ねえ、そんななら何でもっと早く言ってくれなかったの?」

「貴方を好きだってですか。言えるわけないでしょう」

「何で?」

「何でって、私と貴方とじゃあ何にもないじゃないですか。鬼火と違って私は妖怪王のアバターなので妖怪王に簡単に消されてしまうんですよ。将来なんてないんです」

「何言ってるのよ。将来がなかったら、先の約束が出来なかったら好きだって言っちゃいけないの?」

「そりゃそうでしょう」

「何言ってるの、そんなの人間だって一緒でしょう。いつ死ぬかなんて本当にわからないのよ。今この瞬間にだって死んじゃうかもしれないんだから。先なんて誰にだってないわよ。人って簡単に死んじゃうのよ。お祖母ちゃんがそうだった。私知ってるんだから。未来を約束するなんて誰にだってできないわよ。来年結婚しようねって言ってたって来年までに死んじゃうかもしれないんだから。未来なんて誰にもないの。今しかないのよ」


もう何故泣いているのかさえ分からなかった。

必死で過去を手繰り寄せ、全てをもう一度辿りたかった。

そうしたら私は出逢ったその日に律に告白するだろう。

七年もあったのに。


「本当ですね。貴方の言う通りです。楓」

「何よ?」

「好きですよ」

「私も好きよ。貴方のことが大好きよ」

「楓」


今声が一致した気がした。

ずっとこの声を待っていた。

ピントがピタリと合う。

もうどこにもずれはない。


「律」

「何ですか?」

「私、もう二十五なの」

「知っていますよ」

「明日はお休みなの」

「知っています」

「私もう子供じゃないわ」

「子供だなんてもう思っていませんよ」


強い力で私は隣に引き寄せられる。

私は気づく。

私の背に回された手が私のよりずっと大きいということに。

同時にこのために七年があったのだと、七年かかったのだと気づいた。

この両手を得るのに私達は七年かかったのだと。



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