ごっこ遊び
雨が上がった。
ミラさんと鉄鼠さんは男の子を連れて買い物に出かけるというので、律はスーパーのポイントカードとお金とエコバッグを渡し何でも食べたい物買って来てくださいと言って三人を送り出した。
夜は男の子がスーパーの鍋スープ売り場でじっと見ていて食べる?とミラさんが聞くと頷いたと言う豆乳鍋になった。
男の子は水菜も白菜も人参もよく噛んで食べた。
お餅を入れたり、〆はうどんにして皆で熱い熱い言いながら食べ、食後にアイスクリームを食べながら野球中継を見た。
男の子は前のめりになり最後まで真剣に見ていた。
私は出ている選手は誰一人知らなかったけど、点が入ると面白いなと思った。
特に観客席に入るホームランはいいものだと思った。
カメラの前で打った選手が満面の笑みで何かパフォーマンスみたいなことをやると初めて見たのに名前も今知ったばかりなのに単純に嬉しくなった。
人が素直に喜ぶというのは見ていて意外と清々しい気持ちになるものなのだと知った。
ミラさんはお風呂から上がると鉄鼠さんと男の子を連れて二階に上がり、メイさんも明日早いからと言ってさっさと寝てしまった。
私も明日はバイトだし、律も仕事なので、いつも通りさっさと寝ることにした。
「これからどうするんだろうね」
「何がですか?」
「ミラさん達」
「どうするも何も帰るでしょう、奈良へ」
「そっか」
ずっと女性の律と一緒だから男の律の声が懐かしいような気がする。
闇に溶け込んだ深い深い最深部から手招きするような律の声。
「コンビニのバイトが火曜に入っているそうなので、月曜には帰ると思いますよ」
「そう、あの子どうするのかな」
「あの子が他に行きたいとこがあるというのなら何とか連れて行きますが、特に行きたいとこがないのなら鉄鼠のとこにいるか、家にいるかです」
「そうだね。ねえ、律のあれは魔法なの?」
「まあそんなとこです」
「妖怪なら誰でも呼び出せるの?」
「私に恩があれば」
「恩?危ないところを助けられたとか?」
「妖怪に危ない瞬間なんかありませんよ。食べ物です」
「え?」
「私に食べ物を貰った妖怪はそれを食べなくとも私から恩を受けたことになります。だからどこにいても呼び出せますよ、私が何らかの事情で消滅しない限り」
「ねえ、要は貰わなかったらいいってこと?」
「貰わなかったらって言いますけど、例え飴一個でもですよ。私が勝手にポケットに入れてもです」
「まさか人間も?」
「まさか、妖怪だけですよ」
「本当に?」
「本当です」
「そうなんだ」
何だろう。
ちょっと残念。
もしそうだったら律と無限に繋がっていると思えたのに。
「でも、あんな凄いことできるのに、スーパーで事務員さんやってるんだって思うと何か可笑しい」
「ごっこ遊びですよ」
「え?」
「私達は人間ごっこをしてるんですよ」
「人間ごっこ?」
「そうです。こちらの世界で人間ごっこして遊んでるんですよ、妖怪は」
「人間ごっこって、人間のふりってこと?」
「まあ、そうですね。人間のように働いて限りある生であるかのように一喜一憂して生活する。妖怪の大好きな遊びです。こちらの世界は妖怪の壮大な遊び場なんですよ。妖怪の本分は遊ぶことですから」
「それって楽しいの?」
「楽しいですよ。飽きたら辞めたらいいだけの話ですしね。責任も何もない楽しいだけです」
「人間のふりが?」
「そうですよ。だからあの子はミラ達に与えられた人間ごっこの道具です」
「そう言うと残酷じゃない?」
「妖怪は残酷なものです。まあ私に言わせたら人間の方がよっぽど残酷ですけどね。弱いくせに」
「まあ弱いでしょうね」
「まあ弱いから弱い者いじめするしかないんでしょうね。本当につまんない連中だなって思いますけど、時々素晴らしいことするでしょう?それは妖怪にできないことなんですよ」
「妖怪にできないことって?」
「一生懸命にやることですかね」
「何それ?」
「必死でやることです。命がけでね」
「それ妖怪にはできないの?」
「死なないから命かけられないでしょう。それに諦めますもん妖怪は」
「諦めるの?」
「はい。できないなら諦めます」
「それはないんじゃないの。だって鉄鼠さんとか」
「鉄鼠?」
「ミラさんのこと諦めそうにないじゃない」
「あれも人間ごっこの一部ですよ。他者への病的な執着」
「そうなのかなあ?」
「本当は鉄鼠はミラが帰ってくるってわかってましたんですよ」
「そうなの?」
「そうじゃなかったら、悠長に電車に乗ってきたりしませんよ、ご丁寧にお土産まで買って。ミラ、この間まで一緒に暮らしていたおばちゃんから貰ったガラス細工の干支、鉄鼠のとこ置いたままだったんです。だから帰るに決まってるじゃないですか。鉄鼠言ってましたよ。あれがある限り大丈夫って。猫なんかないのに」
「干支だからね。ネズミさんはあるけど。そんなに大事にしてるんだ」
「あれも人間ごっこの、お婆ちゃん子ごっこですかね」
「働かなくていいなら妖怪は暇で暇でしょうがないわけだ?」
「そうなりますね」
「何もしなくていいなら何もしなくていいじゃない?」
「いいですよ。でも遊びたいんですよ。楽しいことは大好きだから。だからこっちに来ては遊んでいくんです。働いてお金を稼いで散財して」
「貴族みたいね」
「そうかもしれませんね」
「じゃあ律は今人間ごっこをしてるわけだけど、どういう設定になってるの?」
「それがわからないんですよ。貴方のお姉さんかといえば、そうは思えないんですね。だからといってお母さんともお父さんとも思えない。まあ田舎のスーパーには勿体ないくらいの謎の美人でしょうか」
「お仕事楽しい?」
「楽しいですよ。働くなんてごっこ遊びの最たるものでしょう」
「そうなんだ」
「眠るのもそうなんですよ。私達本当は眠らなくたっていいんですから。純粋にあの気持ちよさのために寝ているんです。まあそれでも得られないものもあるんですけど」
「何?」
「疲れるとかね、疲労困憊、満身創痍」
「疲れないなんて最高なんじゃないの?」
「それはそうでしょうけどね。しんどいがわかんないんですよ」
「いいじゃない。わかんなくたって」
「痛いも苦しいもわからないですしね」
「そんなのわかんない方がいいんじゃないの?」
「それができる様になったらより高度な人間ごっこが楽しめると思うんですけどね」
「それ楽しいの?」
「楽しいですよ。未知の世界はいつだって楽しいものです」
「じゃあ美味しいもわかんないの?」
「わかりますよ。楽しいことは何だってわかるんです」
「じゃあいいじゃない。何も負の感情ばかり理解しようとしなくても」
「痛いは負ですか?」
「そりゃそうでしょ。痛いのは誰だって嫌でしょう?」
「そうですね。でも痛いって何だろうなって思うんです。誰も私に痛い思いさせてくれないから。いろんなことをこっちで体験しましたけど痛いだけはないですね。逆に言うと、もう痛いだけかと」
「痛いか。何かラスボスみたいね」
「何がですか?」
「痛みを知りたいとか、誰か私に痛みを与えてくれとか、漫画のラスボスみたい」
「私は貴方が読んだどの漫画のラスボスより強いですよ。死なないんですから」
「律を倒せるとしたら宇宙空間に置き去りにするしかないんだろうね」
「自力で戻ってこれますよ」
「うん。ねえ私達の世界は妖怪が遊び場にするために作ったの?」
「さあ。それはどうでしょうね」
「知らないの?それとも知っているのに知らないふりしてるの?」
「さあ」
「人間っこか、じゃあ病院とか行きたい?」
「病院ですか。私は行きたくないですけど、注射されたくて血液検査行ってる知り合いならいますね」
「妖怪だってばれないの?」
「血くらい変身させるの簡単ですよ。胃カメラ飲みに行ったのもいますよ。MRIも」
「ホントに暇なんだね」
「暇ですよ」
「人間ごっこか、じゃあこの世界は実は妖怪だらけなんだ」
「そうですね。割といます」
「そう。皆何にも気づいていないんだ。ねえこっちの世界を滅ぼそうとか思わないの?」
「滅ぼす?」
「そう。だって人間弱いんでしょ。だったら妖怪がこっちの世界を支配しようとか思わないの?」
「思うわけないでしょ。ごっこ遊びできなくなるじゃないですか」
「そんなにごっこ遊びが重要なの?」
「この遊びを思いついてから妖怪は楽しくって仕方ないんですよ。最初に始めた妖怪は天才です」
「誰なの?」
「さあ」
「知らないんだ」
「知りませんよ。革命ですね」
「それは良かった。律も痛い以外で知りたいことある?」
「どうでしょうね。でも私貴方が無事看護婦さんになったら感動するような気がします」
「それだけで?」
「貴方頑張って勉強してますしね。それか貴方が、まあいいでしょう」
「私が何?」
「何でもないです。まあ頑張ってくださいね。国家試験」
「まだまだ先だよ。まだ一年なんだから」
「三年ぐらいすぐですよ」
「妖怪の壮大な遊び場か、何かそう思うと悪くないなって思うよ。世界中にいるの?」
「いますよ。日本だけじゃありません。世界中にいます。世界のいたるところに」
「そっか、会ってみたいな。いろんな妖怪さんに」
「じゃあ本格的に下宿屋やります?」
「それはちょっと困るかな。来年の三月また叔母さん来るし」
「まあそうですね、取りあえず寝ますよ。明日仕事です」
「うん。おやすみ律」
「おやすみ、楓」
夢を見た。
妖怪達が百鬼夜行絵巻のように何もない平坦な道を愉快そうに歩いていく夢。
律もメイさん達も勿論本当の姿だった。
妖怪達が過ぎ去った道から花が咲き、美しい花の絨毯になっていく。
痛みも苦しみも何もない世界。
それは真っ直ぐなほど残酷な一つの絵巻物だった。
ここに人間は必要ない。
妖怪達がごっこ遊びに飽きたらこの光景が実現するのだろうか。
妖怪達は何処へ歩いていったのだろう。
目が覚めても思い出せることはなかった。




