ゾンビちゃん
律に促され二階に上がり、眠っている男の子の部屋に入る。
男の子はすやすやと眠っている。
私は男の子の頬を指でつつく。
暖かく、柔らかい。
生きていないなんて信じられない。
「楓、寝ますよ」
律は元の姿に戻っていた。
そのまま男の子の傍で眠れば子供の夜を守る立派なぬいぐるみに見えるだろう。
私は自分の部屋のベッドに腰を下ろす。
「ねえ、ゾンビってどういうこと?」
律が何も言わず灯りを消してしまったので、横になる。
隣からは人の気配がしない。
「そのままですよ。あの子はゾンビです」
「ゾンビってことは死体ってこと?」
「いえ、幽霊のゾンビですね」
「わかんない。幽霊がゾンビになるの?」
「幽霊になっていたところをゾンビにされたんでしょう」
「誰に?」
「ゾンビちゃんに」
「ゾンビちゃん?」
「妖怪です」
「妖怪?」
「ゾンビちゃんの白粉」
「え?」
「ゾンビちゃんのメイク道具です。ゾンビちゃんにメイクされたものは人間だろうが、幽霊だろうがゾンビ化します」
「ゾンビって普通死んでるのに動いてるんじゃないの?」
「こちらの世界ではね」
「どうしてそんなことになるの?」
「どうしてってゾンビちゃんがそうしたからでしょう」
「ゾンビちゃんって律は知り合いなの?」
「知り合いですよ」
「じゃああの子は既に死んでいて幽霊になって空き家にいたってこと?」
「そうですね」
「何で死んじゃったの?」
「楓。世の中には想像もできないような残酷なことをできる人間というものがいるものです。あの子があの年で亡くなったのはそういうことです」
律の声にこれ以上は聞くなということなんだとわかった。
律の言う通りあの子はすでに死んでいて、ゾンビちゃんという妖怪があの子をゾンビにした。
そして鉄鼠さんがゾンビになったあの子を見つけた。
「楓。明日は私の能力の一部を見せてあげますよ」
「能力?」
「楽しみにしていなさい」
「うん。能力って戦うの?ゾンビちゃんと」
「まさか。私は戦いませんよ。話を聞くだけです。私はこう見えても凄いんですよ」
「そうなの?」
「そうですよ。唯の家事ができるカワウソと思ったら大間違いです。こう見えても私はかなり格のある妖怪なんですよ」
「カワウソが?」
「そうです。だって鉄鼠達はあの子が人間でないことすらわからなかったでしょう」
「それはそうでしょ。あの子ご飯食べてたし、お風呂も入ったし、今だってすやすや寝てるし。暖かいしどう見たって人間じゃない」
「まあそうですね」
「格のある妖怪って、九尾の狐とか酒吞童子とかああいうのかなって思ってたんだけど」
「こちらではメジャーですね。あちらではそうでもありません」
「そうなんだ」
「まああ、寝ましょう。明日に備えてね」
「うん」
「おやすみなさい」
「おやすみ、律」
翌日お昼の十二時を回っても鉄鼠さん達は起きてこなかったので、お部屋に起こしに行くと、男の子の傍で寄り添いながら白い猫とネズミが眠っていた。
思いがけない可愛い光景に目頭が熱くなるのを感じた。
こうしてずっと暮らしてきたような安堵がそこにはあるような気がした。
このまま寝かしといてあげたいけれど、律がいい加減お昼を食べて始めたいのでと言ったので、起こした。
男の子が一番に目を覚ました。
「おはよう」
男の子は何も言わず起き上がり頷き、あくびをし、すぐ傍にいる白猫と白ネズミに気づくが、騒いだりしない。
ただじっと見ていた。
「ミラさん、鉄鼠さん。起きてください」
白ネズミが仰向けになった白猫のお腹によじ登る、白猫は白ネズミを離すまいと両腕で抱き込む。
「起きてください。もうお昼ですよ」
男の子は立ち上がり部屋を出て行き、トイレに向かった。
トイレも行くんだと、これでは気づかないはずだと思った。
ゾンビと人間の違いが私にはまるでわからない。
あの子は暖かい、ご飯も食べる、あくびもする、よく眠る。
ひょっとしてあの子自身も死んだことに気づいてなかったりするのだろうか。
「ミラと鉄鼠はまだ寝てますか?」
「うん、そうみたい」
「じゃあ三人で食べましょう」
「うん」
律は今日も女性の姿になっている。
黒いワンピース姿は何処にも他の色を寄せ付けない秘密めいた強さを感じさせ、昨夜自分で言った格のある妖怪と言うのは嘘ではないんだろうなと思わせるには十分すぎた。
三人で遅い朝食兼昼食にホットケーキとカボチャのポタージュと目玉焼きを食べた。
男の子はプチトマトもブロッコリーも残さず食べたし、食べ終えるときちんとお皿を流しに運んだ。
外は大雨のためお散歩に行くわけにもいかず、三人でクイズ番組の再放送を見てだらだらと過ごし、三時を過ぎると男の子はうとうとしだした。
「お昼寝する?」
男の子が頷いた。
「私が連れて行きます。ついでに鉄鼠達も起こしてきますよ」
階段を降りてくる音が聞こえ、人間バージョンの鉄鼠さんとミラさんが入って来た。
「おはようございます」
二人ともまだ寝ぼけているようだ。
同じタイミングであくびをした。
「何か食べますか?」
「いい」
「朝からお酒は飲ましませんよ」
「いいよ。飲まない」
「まあ、座りなさい。この子寝かせたら始めますから」
「何を?」
「何って決まっているでしょう」
律は男の子を抱っこする。
まるでこの子を王にすると決めた乳母のように芝居ががった調子で。
貴方こそ次の王に相応しいと耳元で囁く様に。
「ゾンビちゃんを呼び出すんですよ」




