子供
出ますねと律が言い、台所を出て行く。
ドアを開ける音がしてミラちゃんいるでしょ?と言う男の人の声がする。
声の感じでは怒っているのか強いのかはわからない。
「鉄鼠の奴千体に分身したりできるんだぜ」
「そうなんですか」
「あー」
千匹のネズミか。
それは怖い。
妖怪でなくとも普通に恐怖の対象だ。
律と鉄鼠さんはまだ玄関にいるようだ。
何で女なわけ?という律ではない男の人の声が聞こえ、律の私は男だと二メートルくらいありますからね、子供は怖いでしょうと言う声がした。
律、二メートルあるのか。
それは凄い。
思いがけない新情報に心を躍らせつつ鉄鼠さんの登場を待つ。
鉄鼠さんが来ないと夜ご飯食べられない。
流石にもうお腹が空いた。
「ミラちゃん」
律と鉄鼠さんらしき男性が入って来た。
男性は黒縁眼鏡をかけて黒い髪は会社員やってますと言われてもそうなのかなと思える程小綺麗で鼠と言うよりキリンですと言われた方がしっくりくるくらい身体が縦に長い。
でもヒョロヒョロした印象はなく雑な知識しかない私が想像できるバレーボールの選手って感じだ。
でも二メートルもありそうには見えないから律はこの人より大きいのか。
ちょっと想像できない。
未だに顔も知らないし。
「ミラちゃん」
ミラさんは何も言おうとしない。
空になった缶に口をつけ、視線を逸らす。
鉄鼠さんの背中からフードを被った頬の感じが如何にも小さな子供らしき顔が見えるが、目が隠れているので表情は窺えない。
「まあ、食べましょう。話はそれからです。楓がお腹を空かせてますしね」
鉄鼠さんはドアのすぐ傍の椅子に座っていた私に今気づいたようだった。
下手したらミラさんの隣に座るメイさんにすら気づいてないのかもしれない。
それくらい鉄鼠さんはミラさんだけに意識を集中させている様に見えた。
「ミラちゃん、帰ろう」
「ご飯を食べてからでいいでしょう」
「ミラちゃんが他の男の家にいるの俺耐えらんないよ」
「ここは私の家ではないですけどね」
「カワウソの家じゃないのか?」
「はい。こちらにいる石原楓さんという女性の家です」
「女性?」
鉄鼠さんは律が私の肩に手を置いたのでやっと気づけたようだ。
さっき視線が合った気がしていたけど、どうやら気づいてなかったらしい。
「人間?」
「人間です」
「また人間を騙しているのか」
「騙してませんよ。どちらかと言うと私が世話をしているんです。毎日美味しいものを食べさせ、洗濯をして掃除をしているんです」
「それが騙しだろう。よくやるな」
「まあ、兎に角食べましょう。ミラがコロッケ食べたいと言ったんですよ。今揚げますから取りあえずホワイトシチューはできてるので食べ始めてください」
「ミラちゃん、帰ろうよ」
「帰らない。コロッケ食いたいもん」
「コロッケくらいいくらでも買ってあげるから」
「家庭のコロッケが食いたいの」
「俺コロッケ揚げるよ」
「お姉と久しぶりに飯食いたいし、飲みたいの」
「家で飲んだらいいじゃん」
「帰らない」
「帰ろうよ。これ以上他の男と一緒にいないでよ」
「カワウソ男じゃないじゃん」
「男だよ。コイツ女に化けているけどホントは男だからね、ミラちゃーん、帰ろうよー」
鉄鼠さんとミラさんが帰ろう帰らないしてる間に律は手早くコロッケを揚げた。
熱々の揚げたてコロッケとホワイトシチュー。
早く食べたい。
「おー、できたー、食おうぜー、ミラ」
「うん」
「鉄鼠も座れよ」
「帰りたい。つーか座るとこないよね?」
「私はこれに座るからいいですよ」
律が台所にある踏み台用の椅子を持ってくる。
メイさんが自分が座っている椅子を空け、ミラさんがメイさんが座っていた椅子に座り、空席が一つできる。
「鉄鼠座りなさい」
お祖母ちゃんの部屋、現在はメイさんが眠っている部屋から化粧台の椅子を持ってきて私がそれに腰かける。
鉄鼠さんは背中にいるフードを被った子供を私が座っていた椅子に降ろし、自分はミラさんの隣に座る。
女性率高い部屋だな。
まあ一人は本当は男子なんだけど。
「じゃあ、全員席に着きましたね。食べましょう」
「あー、これ」
鉄鼠さんは左手に持っていたビニール袋をテーブルに置く。
さっきから気になっていた。
「何ですか?」
「柿の葉寿司」
「鉄鼠気がきいてますね。ミラとえらい違いです」
「ミラちゃんのこと悪く言うな」
「あたしは走ってきたんだからしゃーねーだろ。一文無しだったんだぞ」
「鉄鼠お前何で来たん?」
「電車に決まってるでしょ」
「電車って走れよ。妖怪だろーが」
「子供抱えてるのに無理に決まってるでしょ」
「巨大化したらよくね?」
「巨大化したネズミ走ってたら大問題でしょ」
「じゃあ 分身して子供神輿みたいにわっしょいわっしょいしたら良かったじゃん」
「猪かよ、俺電車好きなんだよ」
「まあ食べましょうね。深刻な話はそれからで」
「いただきまーす」
ミラさんはコロッケにソースをかけると齧り付いた。
「うっま、美味い、美味いよ、これ」
「だろー?カワウソの飯美味いんだよ」
「メイ、カワウソとできてるの?」
「そんなわけねえだろ。部屋貸してもらってんだよ。一か月一万円」
「飯付き?」
「最近はちょくちょく」
「じゃあ安いんか」
フードを被った子供は被っていたフードを脱ぐとおでこが全開になるくらいの短髪の目がくりくりした男の子だった。
これで男子三人、女子三人になるのでゲームをするならチーム分けは簡単だ。
男の子はスプーンを鉄鼠さんに持たされたけど、中々口をつけようとしない。
「カワウソ、エプロン貸してくんない?」
「エプロン?」
「エプロンつーか、汚れてもいいもの」
「いいですよ」
鉄鼠さんは黒いエプロンを律から受け取ると子供にエプロンをかけてやった。
「服に食べ物が飛ぶの嫌がるんだよ」
「そうなんですか。楓なんかちっとも気にしませんよ。この間も白いブラウスに醤油平気で零してましたしね。子供の服なんか汚れて当然でしょうに」
「そうなんんだけどさ、嫌がるんだよな。気にしなくていのに」
「そうですか。盛大に零していいですよ。洗濯したらいいだけなんですから。そういえばお名前は?」
「嫌まだ知らない。何も話さないから」
「そうですか。まあ言いたくなったら言うでしょう」
「うん」
「それより鉄鼠、挨拶くらいしたらどうです」
「誰に?」
「この家の住人に」
鉄鼠さんは私を一瞥した。
心底興味のなさそうな、まるで電信柱でも見るような顔で。
「こんばんは、です」
「こんばんは、石原楓です」
「鉄鼠です。こっちでは芥川頼で暮らしています」
「あの、由来は?」
「芥川は単にかっこいい名字だから。頼は頼豪から。ああ、お坊さんです。坊さんが怨念で巨大ネズミになって比叡山で経典食い散らかした話なんですけど」
「実話なんですか?」
「いえ。俺とは関係ないです。でも三井寺の立派な坊さんが鉄鼠になってくれたなんてすげえなって思って、その恩に報いるために名乗っています」
どこらへんが恩なんだろう。
妖怪さんの発想はわからない。
「つーか、この小松菜の煮びたし美味え」
「ミラちゃん、これくらい俺だって作れるからね、つーかミラちゃん俺の買ってきた柿の葉寿司も食べて」
「柿の葉寿司はいつでも食えんだろ、つーかバイトしてる頃アホ程食ったわ」
「その店俺しょっちゅう行ってたよね」
「そういやよく来たな。お前そんなに柿の葉寿司好きだったんか?」
「そうじゃないよ、そうじゃなくてってさ」
「誰かの作ってくれたもんってホント美味いよな」
「そういうものですよ。いっぱい食べてくださいね。君も」
男の子は上手にお箸を使い小さな口でコロッケをしっかりと噛んで食べている。
「お茶貰える?」
「鉄鼠はビール飲まないんですか?」
「ビールは飲むよ。お茶は俺じゃなくてこの子に」
「何がいいですか?」
「ただのお茶でいいよ。お茶飲めるし。割れないコップで」
「そんなものありませんよ」
「紙コップは?」
「ないですね。割れたっていいですよ。また買えばいいんだから」
「あー、そう。じゃあ、なんでもいい」
男の子は律からこわごわとマグカップを受けとり、両手で持ってごくごくと飲む。
「鉄鼠は今何してるんですか?」
「同人作家とコンビニのバイトの二足の草鞋」
「それで家賃払えます?」
「払えるよ、余裕」
「そうですか。漫画を書いているので?」
「うん。もうこれ出したら最後、これだしたら帰ろう、これ出したら帰ろうしてる間にいつの間にかそこそこ収入がある様になってきて同人だけで食べていけるようになった。コンビニのバイトは趣味だからやめないだけ」
「まあ私達食べなくても死にませんけどね」
「俺はミラちゃんに美味いもん食って酒いっぱい飲ましてやりてーの」
「だ、そうですよ。ミラ」
「わーってるよ」
「帰ろうよ、ミラちゃん」
「今飯食ってる」
「そうですよ。鉄鼠。食事は楽しくするものです」
「ミラちゃん」
「食うことに集中しろ」
「だってミラちゃん、また俺が好きな格好して。ミラちゃんはいつもそう」
「お前こういうの好みなんだ?」
「ミラちゃんだったら何でも好きだけど」
「どっちだよ、あー、もう兎に角食おうぜ。食い終わるまでミラちゃん言うの禁止な」
「ミラたん」
「たんも禁止」
凄いな、鉄鼠さん。
見た目だけなら就活生みたいなのに。
いろんな妖怪さんがいるんだな。
隣の男の子に美味しいと聞くと首を縦に振ってくれたので一先ず安心したけど、その数秒後男の子はマグカップを倒してしまいテーブルの上にお茶が広がってしまうと、男の子は凄い勢いで椅子から降り、台所の端まで転がる様に移動し、フードを被り俯くと膝を抱え動かなくなってしまった。
大丈夫?と駆け寄るも返事はなく、鉄鼠さんが抱きかかえ、大丈夫大丈夫と囁く。
そのまま男の子は律がアイスクリーム食べましょうと言ってもプリンを食べましょうと言ってもチョコレートを食べましょうと言っても、鉄鼠さんのTシャツに顔を埋めたままくりくりのお目目を見せてはくれなかった。




